不殺
『八薙流暗撲殺術』。
『殺』などという物騒な名前の通り、その流派の技は殺すことに長けている。この流派の特異な部分は殺すという行為に対して対象に外傷を負わせず、内部を破壊して殺すということに重きが置かれているということだ。そのため使用される武器などは刃物や薬物ではなく、打撃性に優れた武器や己の肉体を用いるという点だ。そういう意味では、現在丸腰であるクレハにとって都合の良い技といえた。
この流派に構えは無い。必要なのは如何に綺麗に相手の内部を破壊し殺すかだ。
「ふぅ……」
力んだ肩を小さく長く息吐くことで力を抜く。
緊張すれば失敗する。失敗すれば致命的な隙を生む。
隙を生めば自分は死ぬ。
よし、簡単な話しだ。成功させればいい。
「ハあああああああああああああッ!」
彼我の距離は最低でも10mは離れていなければまず、一足で詰められる間合い。無論、お互いがお互い自然とその距離をとらず、常に間合いを一足内しているのは踏み込みによる隙を生まないためだ。
青年が跳ぶ。速い。
だが、補足しきれないわけではない。
広い荒野はたださえ見通しがよく、障害物もない。右に跳んでこちらの視界を一瞬切る。目を向ければ一瞬で入りと抜きを済ませて攻撃姿勢を整え跳び込んで来る青年の姿が右の視界に映りこむ。
右の上段から振り下ろす蹴り。大振りだが、当たれば致命傷というのと外しても地面に足を着けられるために次の動作へと移りやすい。単純で強力な一手。
クレハはこれを屈み、前に進みながら上半身を時計回りに動かすことで回避する。
ちり、髪が擦れる音がする。
背後に回った彼女が振り向き、反撃を仕掛けようとして、
「ッッッ!?」
左視界の端に映りこむ青年の裏拳。咄嗟に身を反らせれば鼻先を拳の先が掠めた。
そしてそれだけで彼の動きは止まらない。独楽のように蹴りと拳の勢いでぐるりと回転、互いの距離がほぼゼロになって向かい合う。
主導権を奪われたままでのこの距離はマズい。
「!」 伸びる手は固めるのではなく、開手。掴むつもりだ。
「うあああああああ!!?」 声を張り上げ、手のひらに触れれば詰みという状況。急速に自分と彼の僅かな隙間に風を集め、後ろに跳ぶと同時に解放する。
ほぼ吹き飛ばされるという形で強引に距離を空け、青年の手から逃れた。
踏鞴を踏んで地面に着地。明らかな隙を晒してしまったが彼の追撃はない。
そこでクレハ確信した。青年は手負いだ。そして、時間を経るごとにその体力は磨り減っていく。最悪、耐え凌げば勝機を掴めるが、
「(多分、それは良くない)」
何がと問われれば、何かが、だ。
「なら、前にでる!」
女の勘は当たるのだ。嫌な方なら特に。
踏み込む。その前傾、こちらの動きに警戒する青年に、風を巻いて砂埃をあげる。
あちらは負傷などによって風を使っていないが、もしかしたら使えるのを隠しているだけかもしれない。それでも、やる価値はある。必要なのは、一瞬でも視界を覆うこと。
地に手を着き、姿勢を固定し、蹴る。
急加速を得るのと共に、姿勢を限界まで低くして疾駆する。
暗殺の基本は気づかれないのと同様に、奇襲をするということ。見つかり、相対している状況においても相手の僅かな間隙を突いた一撃は必殺となる。
埃の中に影が映る。クレハそれに向けて砂を混じらせた風の弾を撃つ。同時に、影の斜めに飛び、反転して跳ぶ。
パン、風の弾ける音。
「っ!?」
「(ここ!)」
二重の目暗まし。
風が弾けて砂が青年を襲う。
わずかな隙、そこに、賭ける。
「くっ!?」
影の背に触れる。
もし視界が晴れ、第三者がいたらならば、クレハの様子は青年にもたれ掛かっていたように見えただろう。
どん、鈍い音が響く。
青年の体がブレた。
添えられたようにしかみえないクレハの手のひらは、あらゆる者を通さない竜の鱗の奥へと確かにダメージを通らせた。
青年の体が膝を着き、地に伏せる。
「なんとか、なった、わね……」
切り札は温存できた。
クレハとしても満身創痍。なんとか立っている状況。
もし青年が傷ついていなかったら、体力を消耗していなかったら、思考が偏っていなかったら。
倒れているのは彼女だったろう。
「さて、運ばないと……」
視界の晴れた荒野で、砂まみれになったクレハは青年を肩に担ぐのだった。