劣勢
内心でクレハは冷や汗を掻いていた。いや、こめかみから流れ落ちるひんやりとしたものを感じているから実際に冷や汗を掻いているのだろう。
「はあぁっ!」
「ふんっッ」
出し惜しみはしていない。右の耳に装着されたピアスに填まっている緑色の石が光る。
柏たち三人との戦いのときに出したはいいが使うことなく終わっていたクレハの裏技。彼女が風を操ることの出来るカラクリが緑色の石である。
イメージをより具現化させるために手を振ると、収束した風の塊が目の前の青年に向かって放たれた。
だが、青年は無色である風の塊を見据えてかわす。
そこへ風を推進力に急加速した彼女は回避した姿勢の青年へと追撃を仕掛ける。
十分な速さというのは十分な力を生む。未だ傷の癒えていない彼の胴体めがけて速度の乗った左の拳が突き出された。
しかしそれに対して青年は風をぶつけて勢いを相殺、わずかに鈍った彼女の動きに合わせて彼はクロスカウンターで返した。
「づっ」
みしり、と拳が潜り込んだ箇所が音を立てた。幸いだったのは瞬前に勢いがある程度殺されていたおかげで自分の生み出した力に自滅しないですんだこと。最悪なのは今ので自分の寿命がまた少し減ったということ。
そもそも、クレハ自分の今の肉体を生み出すにあたって戦闘用に調整していない。【スザク】という因子が擬似的な不老不死であるということがその証拠だ。天然の化け物の因子を取り込んでいる【リュウ】と比べるまでも無く戦闘の向き不向きの時点で負けている。
また、男と女の肉体的差異というのも大きい。結局のところ一般的な男性に比べて膂力に優れていようと、【因子保持者】のカテゴリー内で男と女を比べてしまえば基本的に女が劣っているというのは必然だった。故に、真っ向から殴りあうなど正気の沙汰ではない。
「ふっ、はぁ、やぁ!」
手を振るい、風を生み、三つの風の弾が撃ち放たれる。
火事場の馬鹿力というのか、脳が痛みを麻痺させているからなのか、その表情は変わらず険しいままに青年は次々と襲来する風の弾を横に避け、無事な片腕で弾き、屈んでやりすごした。
「シィイイイ」
屈んだ際の力をバネに、低い姿勢で青年が近づいてくる。
クレハが風を使っての加速したのとは違い、彼のは純粋な身体能力。
待ち構えるのは愚作であるとクレハは判断する。
そもそも、有利を取れていない状況での無作為な接近は先のようなダメージを負う危険性があるため、あまり近づかせたくない。
一足飛びでの青年の攻撃姿勢は蹴り。
クレハは風を蹴って横に跳ぶと、彼女のいた場所に彼の踵から入った蹴りは地面を抉った。まともに喰らっていれば死、防御をしたところで防御した際の部位が壊れてまた寿命が削られていただろう。
「(ジリ貧ね。というか、余裕がまったく無いからこそ容赦が無い……!)」
声には出さない。貼り付けた不敵な笑みも崩さない。しかし、余裕は無い。
人間の肉体において最も無茶が可能である全盛期は、十代後半から二十台前半だ。無論、日々の鍛錬を欠かさぬ者ならその全盛期はもう少し伸びるが、基本的にはそれぐらいだ。しかし、今の彼女の肉体年齢は山場を越え、衰え始め。どうしても肉体は思うように動いてはくれない。それは言い訳なのだが、全盛期を超えてしまったせいなのか、今使っている風の力も衰えていた。
「(一応、切り札はあるけれど……)」
そもそも負傷しているとはいえ【リュウ】の肉体に傷をつけるには生身の拳じゃ難しい。内部であればコツさえわかっていれば可能だが、カンが鈍った影響か出来るというビジョンが浮かんでこない。唯一彼が傷ついている腕の傷口を狙うという手もあるが、それぐらい彼もわかっているだろう。
「(ともかく、近づかなきゃ話にならないか)」
兎にも角にも、切り札を使うには近づく必要がある。しかし、下手な接近は迎撃されてこちらの寿命が削られる恐れがある。これ以上は一瞬のミスで死ぬ可能性があるために慎重に動く必要がある。
「(っていっても、今のところアイツがあたしがやってるみたいに遠距離からの攻撃をしてくる様子は無い。基本的には力任せの接近攻撃。……なら、カウンターを狙うのが一番か)」
先ほど自分がヘマをして攻撃に合わせて攻撃されたように、青年の攻撃を見極め反撃する。
故に彼女は思考を巡らせる。これには『技』が必要だ。
そしてクレハにとって最も身近で『技』を持っているのは一人しかいない。
「借りるわよ、椋……」
知っていて、知らない少女の名前を呟いて。
紅い少女は構える。




