ドラゴンスレイヤー
約半日を休憩一つ挟むことなく、バイクに表示されている速度メーターは常に限界数値で駆け抜けた。
バイクは限界状態で酷使されたことでその命を燃やしきっており、一度息を潜めれば二度と息を吹き返すことは無いだろう。
故に、桐峰は最後の最後までバイクを使い潰すことにした。
本来の彼であればまず研究所周辺を調査し、内部について把握する。しかし、今の彼はそれをするだけの余裕が無かった。焦燥感に駆られていたともいえる。
だからこその唯一の移動手段であるバイクを使い潰すということに躊躇いは無く、強行突破という形での短期決着を無意識に選んだ。
無意識に選んだというよりは、下手に時間を長引かせてしまえば柏たちに追いつかれてしまうということを危惧しての行動だった。言い換えれば彼女たちから逃げたかった。
「………………」
視界の先には研究所をカモフラージュするための朽ちた建物。ケヴィンが準備していたマーカーはここの近くを指しており、彼自身も今までの経験からこういった場所での研究所を特定をするということは難しくなかった。
恐らく本拠地はこの建物の地下。
桐峰は躊躇う素振りを一切見せず、アクセルの位置を固定。バイクの傾きも固定。目の前に建物の入り口が迫ってくる直前に、飛び降りた。
がしゃん、という音から一拍置いて、どん、という音が鳴り響く。
一瞬にして目の前は火の海となった。
その中へと躊躇い無く彼は飛び込む。火の原因はバイクが爆発したことによる燃料への引火。
燃え盛る火の舌はあらゆるモノを巻き取るはずが、桐峰にその舌は届いていなかった。
彼の周りを不自然に揺らめく炎。それは彼が起こしている風によるものだ。【リュウ】という因子が可能にする人外の技。彼はあらゆる場面でこの技を使ってきた。火の中での行使など、ありふれた能力の使いどころである。
「ここか」
燃える背景を気にすることなく、彼は研究所への入り口を見つけた。
綺麗に周囲へと溶け込んでいるが、燃え盛る床のタイル一枚だけが炎の中でも燃えることのない状態だった。明らかに材質は違う。罠という可能性も無論否めないが、それを気にしている余裕はない。
ガン、人外だからこそ可能な力技。床のタイルを蹴り、歪んだタイルは穴の中へと落ちていった。それに合わせて彼も飛び降りる。
――じりりりりりりり!!!
彼が床に跳ねるタイルと共に着地するのと同時にけたたましい警報が鳴り響くのはほぼ同時。
こうなることは当然であり、彼にとっても想定内のことである。
「侵入者だ!」
「総員厳戒態勢、研究員の保護を優先し、侵入者を発見した場合は連絡と共に殺害せよ!」
「了解!」
遠くからはこの研究所を護衛している【対因子部隊】の人間が緊急時に際して行動している。
故に彼は、声のした方向へと駆ける。もとより姿を隠す気など毛頭なく、全てを破壊し尽くすことだけを考えた。
角を二つ曲がる。
「な、!?」
「し、侵入者!」
そこには五人一組の黒づくめの男たち。銃を構えていたが、鉢合わせた二人は突然の出来事に驚いている。
彼はその間に二人が構えていた腕を砕く。
「ぐぁ」「が、がぐぅ」
銃を取りこぼし二人がやられたのに気づいた一人が叫ぶ。
「くそ、撃て撃て撃て!」
一人が桐峰に向けて発砲するに呼応して、残った二人も発砲。
彼はまだ生きている黒づくめの一人を自分の傍まで引き寄せると、男を突き飛ばし射線を妨げる。もう一人は盾にして前へと進む。
さすがに味方を撃つというのは気が咎めたのか、射線が一瞬止まる。桐峰にとって、その一瞬で十分だった。
「づぁ」「ぎぃ」「ぐぁ」
引き金を引く指の力が緩み、射線を変えて再度発砲しようと構えたとき、男の手首が宙を舞った。一人は握っていたはずの指に力が入らなくなり、気づけば親指を除いた全ての指が床へと落ちる。一人は銃が真っ二つに裂けたと思ったら視界が半分消えていた。
たった数秒での決着。彼の手にはナイフ。返り血は黒い服に呑み込まれている。
既に戦意を喪失しており殺す必要は無いはずだが、彼は容赦なく止めを刺した。せめて一瞬でと、頭を踏み砕いた。
「次だ」
そして、黒い影は疾走する。
出くわした者は例外なく殺した。
道中では兵士としての訓練を施された【因子保持者】とも出くわしたが、戦闘経験値の違いは歴然であり、ほとんどの者が抵抗する間もなく殺された。
全身のあらゆるところに血を浴びて、重さを錯覚するぐらいには血を浴びた。
しかし、彼は止まらない。黒づくめを殺すことも大事だが、この原因を生み出した白衣の人間も例外はない。許しを請うても聞く耳持たず。怨嗟の声を叫ばれようとも躊躇わず。神に祈る愚者にも平等に。彼は研究所の中を赤く赤く染めていった。
そして――
研究所の最深部。
その道中は赤と白。屍山血河を体現したその背景。ただしそこに激しい戦闘はなかった。ただただ虐殺があった。
「はぁ、せっかく人が揃えた人材も機材も全部駄目にしてくれちゃって……どうしてくれんのよ?」
最深部の部屋には少女がいた。
その髪は炎よりも深紅。その瞳は烈火。乱雑に括られた髪とその少女が研究員であるという証である白衣。
「君が、ここの責任者か」
「そうね。ま、そうね」
少女はめんどくさいとでも言いたげに髪を掻く。
「【因子保持者】、だろう?」
「それが? 【因子保持者】が研究者になれないなんて決まりは無いわ。まぁあたしの場合はちょっと特殊だけど」
「悪いが、死んでもらう」
「はいそうですか、とはいかないわね」
「構わない」
「というか、ここまで躊躇いも無く殺してきたんでしょ? ここにきてあたしが女で子供で【因子保持者】だからって理由で、躊躇ってるの? まさか?」
「関係、ない!」
少女の蔑みの声と、わかりやすい煽り。普段の彼であれば気にも留めないがしかし、精神的に不安定な彼はそれに乗ってしまう。目にも留まらぬ速度で紅の少女へと接近、その心臓を貫くに過分な一撃が叩き込まれると確信した。
「あなたたち【因子保持者】っていうのは、結局のところ自分の能力を利用しただけの力任せの戦いばっかよね」
にやり、怪しい笑みを浮かべた少女の手にはどこから取り出したのか一本の刀。
抜きの動作は見えなかった。
体をズラし、致死となる一撃は空を切り、気づけば桐峰の腕に鋭い痛みが走る。
「っ!?」
【リュウ】という因子を取り込んだ桐峰はクロの【甲鱗】やリョーの【龍鱗】のように意識しなくとも常にそれ以上の硬度と柔軟性を備えた【リュウの鱗】がある。銃弾は貫通せず、ナイフであれば刃が負け、あらゆる外傷を負うということを彼はしばらくしていなかった。故に、久方ぶりに感じる痛みに本能が危機を察し、離脱。
「あら惜しい、あとちょっとそこにいてくれたら首を落とせたのに」
気軽に、最強の【因子保持者】とまで呼ばれている桐峰へと傷をつけた少女は全然悔しそうな表情も浮かべずに抜き身の刃に張り付いた血を振り払った。
「そういえば【リュウ】って、風を操れるんだったっけ? ね、それ見せてよ」
「……………」
少女の言葉に緊張感は欠片もない。会話を愉しんでいる姿がそこにはある。
「そんな警戒しないでよ。あの男がわざわざ作った作品を前にして純粋に興味があるの」
「知っているのか、あいつを」
「そりゃ、長い付き合いですもの」
「あの狂った男のところにどうしている? 【因子保持者】という存在はあいつが作ったものだ。君だって被害者のはずだろう」
「……はぁ、そんなのたかだか十数年しか生きてない若造に言われる筋合いは無いわね」
「なに?」
「なんか、白けたわ」
少女の雰囲気が一変した。
桐峰にとっての最終目的でもあるある男の殺害。それを成せなくして止まることは出来ない男。その話題は少女にとっての逆鱗だった。正確には、何も知らない子供に無遠慮に詮索されたということが彼女の中の闇に触れた。
「そういえば、ドラゴンスレイヤーなんていつ振りかしらね?」
少女が刀を鞘に納めて構える。
その表情は嗤っているが、瞳の奥は真っ暗な闇が広がっている。
「っ」
およそ自分よりも幼く見える少女が出していい雰囲気でない。重圧に気圧されて、桐峰はたじろいだ。しかし彼にも引けないものがある。自分の全神経を尖らせて、風を纏った。
「その風を操る力、どっちが優れてるのかしら?」
そういうのと同時に、少女の周囲を薄緑のナニカが纏わりつく。
「まさか、風を?」
「その、まさかよ」
自分が操っているものとは違う力が、今目の前には繰り広げられていた。
『風を操る力』。桐峰だけの力と思われていたそれを、少女は行使する。明らかに自分とは違う法則で。
互いの間に風の衝突が起きた。
それが互いのテリトリー。
「「………………」」
言葉は無く、合図も無かった。
「ハァッ!」
「抜刀・壱式」
パァン、互いの間で風が弾けた。
「返しの太刀・参式」
弾けた音の中で掻き消えた呟き。
それは、桐峰の背後から聞こえた声だった。