荒野を駆る者
時は遡る。
道なき道、荒れた大地を一台の車が走っていた。
「やっぱ手足短いのは不便ね」
四人の乗り席の車を運転しているのは、赤い髪をした少女。風に流れる髪は炎のようだ。
不満げに呟くその眼差しは鋭く鋭利。もし指にこの世界で高級嗜好品であるシガレットでも挟まれていれば不思議と様になっていただろう。
白い少女、龍堂柏に紅叉華朱里と呼ばれた少女だ。無論、彼女にとってその名は偽り。世界というものを知らない少女へと近づくために必要だったに過ぎない消耗品だ。
「そうだ」
ふと気づいたように、片手をハンドルから離すと、車の中央部に設置された無線に手を伸ばす。視線は変わらず前を見続けているが、時折少し大きめの石を踏みつけたりして車体が傾くと危なっかしい手つきで操作しながら無線を掴んだ。
慣れた手つきで見向きもせず、チューニング部分をいじくり、ちらと覗く。少女にとって確認はそれで十分であり、あとは通信先の相手に自分であるという暗号を送るだけ。そして無線を口元まで延ばし――
「あー、なんだっけ? わすれちゃった。んー」
年相応の困り顔をして、暗号を思い出そうとする。
どうにも、この少女の仕草は他人が見ればちぐはぐに感じるだろう。幼い部分と、時折見せる達観した眼差し。まるで、幼い少女の中に大人が入っているかのように。
「ん、これかな」
とんとん、と指先をしばらく額に突いていたところで、ようやくそれらしいものを思い出したらしい。
相手と自分が決めたお互いであるということを示す暗号。
『遅かったじゃないですか!?』
ぶつっという音と同時に、無線越しから大きな声が響く。
咄嗟に無線を腕で伸ばせる限界まで離したけれど、それでもうるさかった。
「ちょっとハイキングしてたのよ。今からそっち戻るから」
嘘は言っていない。
『いきなり!? りょ、了解しました。それで、どれほど掛かりそうですか?』
「足を手に入れたのが北でねー。三日三晩は走らせてるけど、多分中央越えたあたりじゃないかな」
『北って……しかも中央? どんだけハイキングにしたって遠すぎるでしょう!』
一応無線越しの相手は少女が何をしに行くのかわかっていたが、それでも予想以上のことで驚いているようだ。そして、知っているからこそ無線の相手は少女が相手だというのに丁寧な言葉遣いとどこか親密さも混じった話し方をしていた。
そういう意味では、少女は無線越しの相手に頼っているというか、体よく使っている面があることも否めない。
「しょうがないじゃない。それに、あたしが研究所にいなくても研究は進められるようにはしておいたでしょう?」
『逆にいえば、室長がいない間は室長案件全部山積みになっているんです!』
「あ、唐突に帰りたくなくなってきた」
帰れば自分のデスクに積み上げられた書類にサーバに蓄積された報告書の数々。他にも【中央】関連のものも当然あるわけで、帰る前から気が沈みかけた。
『何言ってるんですか、早くしてくださいよ!?』
「りょーかいりょーかい、あんま叫びすぎると寿命縮んじゃうよ」
『叫ばせているのがあなたなんですがねぇ……』
無線越しの相手の表情は手に取るようにわかる。今頃こめかみに指を当てて揉んでいることだろう。
こんなにさけんでいるから、抜け毛も心配になるのだと、少女は言葉に出しそうになったところを呑み込んだ。
「とりあえずさ、あたしが帰ったら何人か見繕っといて」
『……わかりました。つい最近調教の終えた者がいますので、そちらを用意します』
「正直刃物かなんかでちょいちょいってやれば簡単なんだけどねぇ」
『それに巻き込まれてアナタに手を出さなきゃいけなくなる我々の身にもなってください……』
「そう? こんな糞ッたれなことしてる時点で命もなにもないでしょう」
『前提としてアレは生きた道具です。命呼ぶには値しません』
「それ同じ様なものだけどねぇ」
『屁理屈をこねないでください。とにかく、周辺まで近づいたらもう一度連絡してくださいよ!』
「はいはい」
『はいは一回!』
「はーい」
はぁ、というため息と共に、無線は切れた。
少女は手に持っていた無線機を助手席に無造作に投げると、また両手でハンドルを握って運転する。
「やっぱ不便だわ、この手足」
そう呟いて、誰もいない荒野を少女の車は駆け抜ける。