湖底の研究所
部屋を出て、桐峰は早速研究所内部を散策するために白衣の女性と奥へと行ってしまった。私とクロは好きに過ごしていいとの事で、何故か白衣の女性に付いて行かなきゃいけないはずのリョーは私たちと行動を共にしていた。
「オレはそこら辺で寝てくるわ。はぁ~」
クロはわざわざ歩く気分でもなかったらしく離脱。欠伸をしてどっか行ってしまった。
隣にはリョー。さてどうしたものか。私としても何をしたらいいのかわからないので手持ち無沙汰だ。
「ね~ね、ハクちゃん。ちょっと来て欲しい場所があるんだ」
私がどうしたものかと考えていたのを感じ取ったのか、いつの間にか腕にしがみついていたリョーが提案を出した。
「別にいいけど」
私としても断る口実も理由も無かった。
「実はハクちゃんがこの研究所に来たら絶対に連れて行こうと思ってた場所があるんだ~」
「どういうこと?」
「それは行ってからのお楽しみ~♪」
手を引いて引率される。
リョーの歩みに迷いが無いことは当然だが、廊下を歩く中で私は違和感を覚えた。
まず、静かということ。といっても私がちゃんと知っている研究所はクロが生まれたところで、加えてその時は緊急時みたいなもので慌しかったというのが印象に残っているのかもしれない。
次に、人気がない。これもクロのときと同じだけれど、あの研究所には黒づくめの武装をした【対因子部隊】と研究所の人がいた。つまり、一つの研究所でも最低でも20人以上、多ければ三桁の人がいるはずなのだ。それなのに、廊下を過ぎていく際にある扉の奥からは何かしらの音もない。人が喋っているような様子も無い。
「ねぇリョー」
「ん~?」
「この研究所って、黒い人たちはいないの?」
「あ~、物騒な物持ってる人たち? うん、いないよ~。というよりは、シャルが必要ないって断ったんだって」
「シャル?」
「あ~そっか、シャルは皆に名乗ってなかったね。基本的に人がここに来るなんて無いからかな? さっきのおね~さんは、シャルロッテ・レイニーレイクって言う人だよ。ボクは長くて面倒だからシャルって呼んでるけど」
「そのシャルロッテさんは、どうして【対因子部隊】は必要ないって?」
「ボクもその辺のことはわからないというか、メンド~なので覚えていないというか。たしか、研究所の場所として向いていないとか、なんかそんなこと言ってたかな~?」
「向いてない……」
「あっ、ここだよここ~。さぁハクちゃん、少しの間だけ目を瞑っていてもらえるかな?」
「何もしない?」
「しないよ~! ハクちゃんもうちょっとボクを信じてよ~」
「信じてないわけじゃないのよ。ただ、目を瞑った際になんか悪戯するんじゃないかって警戒してるだけで」
「それが信じてないってことじゃない~!」
「ごめんなさい、わかったから。じゃあ目を瞑って下を向けばいい?」
「うん!」
連れてこられた一室の扉の前で、目を瞑り頭を垂れる。
左手にはリョーの手が握られていて、真っ暗な視界の中でリョーの少しひんやりとした手が鋭敏に感じとることができた。
「それじゃあゆっくり歩いてね~」
扉が開く音がした。
弱く手が引かれ、私は一歩を小さく、右のつま先と左の踵がくっつくぐらいの歩幅は歩いていく。
それを十数歩繰り返したところで、引かれていた手の力が抜けた。
足を止める。
「それじゃあ頭を上げて」
目は瞑ったままに、頭を上げた。
「ご開眼~」
目を開く。
「わぁ……」
視界を埋め尽くす青。
目の前には大小さまざまな魚と思しき群れの影。
そこは水の中だった。
遥か先には白く揺らめく光が差し込んでは消え、別の場所にまた差し込んでは消えていく。
言葉にしようにも、胸の奥を埋め尽くす何かは言葉にならなかった。
「どう、綺麗でしょ~」
「えぇ」
隣で満足げな声のリョーを一瞥することもできず、視線は水の中に固定されていた。
見ているだけで飽きない。時間と共に変化する水の中の様子は今まで見たこと無いものしかなかった。
「この研究所はね、湖の底にあるんだ~」
「湖、ってあの?」
「うん」
リョーの言葉にようやく我に返った。
まさかこれが湖の中で今起きていることなのか。
「ボクが漁師の人たちのお手伝いをしてるのはね~、この研究所の周辺、湖の中で生まれた危険生物を討伐するためなんだ。
シャルはまずシェルターの隠し階段が見つからない限りこのシェルターにたどり着くのは不可能なんだって。だから一番考えないといけないのはシェルター外部からの干渉で、湖に危険生物がいると何があるかわからないから、ボクが外部との繋がりをもって、対外的に危険生物を駆除することができる上に信頼が置かれるからお得なんだってさ~」
「……なるほど。だから【対因子部隊】はいらないってことなんだ」
確かに、湖に囲まれているこの研究所への正規の侵入経路は私たちが通ってきた通路だけなんだろう。あとはこのガラスで覆われている場所なんかを割って入ってくるぐらいだけど、そんな方法での侵入は現実的ではないし、割ってしまっては遅かれ早かれ研究所は浸水してしまい使い物にならなくなるだろう。だから大所帯になってしまう【対因子部隊】はいらないということなのだろう。
「ま~難しい話はポイってしてさ。ど~ど~? ハクちゃん、気に入ってもらえた?」
「ええ、凄く」
「なら良かった~」
私はしばらくの間、一枚の先にある光景を見つめ続けた。