少年の特別授業1
「つかぬことをお聞きしますが、柏さんは【因子保持者】なんですか?」
「……どうしてそう思ったの?」
約半日の道のりをかけて、空が暗くなり始めたため夜営の準備をしているときのことだった。山のなかは想像以上に暮れるのが早い。だから少しでも火を起こしておく必要があった。最低限の夜営道具は所持していたおかげで、山道で拾っておいた細めの枝と種火となる枯れ草を使って火を起こすのは難しいことではなかった。
そんな折り、特に手伝うこともなく見学していたラグナスが突拍子もないことを聞いてきた。
私が疑問に対して疑問で応えると、ラグナスは扇子を開いて口元を隠す。
「あぁいえ、勘ですよ。一応聞く切っ掛けとなったのは柏さんがぼくに【因子保持者】かと聞いたときですね。この世界における普通の人間はまず世界がなんでこうなったのかさえ知りませんからね。そんな世界でも秘密とされている一つである【因子保持者】を知っているということはまず間違いなく関係者です。そうなると分類されるのは実行犯か実験体。そして柏さんの場合はその実験体という考えのほうがしっくりきますからね」
「そこまで考えて勘って言うのはどうかと思うけど、確かに私はラグナスの言う実験体側よ。それで、そう聞くからには何か理由はあるんでしょ?」
ラグナスがぱちりと扇を閉じる。
既にあたりは暗く、ついさきほど私が起こした火は大きくなって、焚き火になった。
火で照らされるラグナスの顔は先ほどとは打って変わって真面目な表情に感じる。
「そうですね……。はっきりと述べるなら、柏さん。どうしてあなたはそこまで【因子保持者】としての力を抑えているんです?」
「……それは」
「はっきりと述べましょう。あなたは自分の中にある力を恐れている。その原因が何かは知りませんが、全力を出すというのを忌避しています」
唐突なだけに、背後から刺されたほうがまだマシだった。意識していないというよりは、無意識に意識しないようにしていたことだけに、心がラグナスの言葉に追いつかない。どうしてこの少年はそんなことがわかるのかとか、そう考えていたような気がするけれど、今はそんなことを考えている余裕はなかった。
「いきなりすぎて驚いてしまいましたか。ぼくも自分で言っておいてちょっといきなりすぎると思いました。申し訳ございません。ただ、ぼくの述べたことは真実だと確信しています。そして、もしこのまま柏さんがその力を忌避し続ける限り、いずれ貴女は後悔する」
「何が言いたいの?」
「では、単刀直入に。これから3日間、暴走してもかまいません。【因子保持者】としての力を全開にして過ごしなさい」
「そんなことしたら――」
「ぼくが、危険に、晒されると?」
「そ、そう、よ」
「ふふ、いえ失礼。だったら試してみましょうか。柏さんの全力を以って、ぼくの体につま先でも触れることができたら、先の言葉は撤回します」
「…………」
「ああ、もちろん生身でやろうだなんて思わないでくださいよ。その程度でぼくに触れようものならあなたは死にます」
余裕のある表情。そこに驕った部分は見受けられない。至極自然に、当然であるとラグナスは扇を広げて口元を隠していた。
「後悔、しないでよ」
「後悔、させてみてください」
意識を内側へと集中させる。鼓動は早く、身体は熱く。今にも爆発しそうな衝動を、抑えて、抑えて、手中に置く。
「その衝動を解き放たないと話になりませんよ」
「うる、さいっ」
ぱちん、と火にくべられた枝が弾ける。
瞬間、私はラグナスへと襲い掛かった。半歩で事足りる距離。速さに身を任せた突貫。右の拳をラグナスの顔へと突きたてて――
「動きが直線的だ。それでは避けてくださいと言っている様なものですよ」
「な!?」
見えたのはラグナスが扇を持つ手を振ったという部分だけ。
次の瞬間には、私の身体は痛みもなく地面に転がって、ただ真っ暗闇な空と、火に照らされて何事もなかったように立つラグナスの姿があった。