少女は生きる、彼らのために
私のクロは研究所を脱出していた。
あの部屋にいた子達のおかげで追っ手はなく、途中逃げ遅れた研究員と出くわすこともあったが皆一様にクロと私を認めると悲鳴をあげて走り去っていった。
まぁ気にするな、とクロは言っていたが彼らにとって私たちは人間ではないということなのだろう。では私たちは何なのだろうか。ここにいた子達は皆、望まれて生まれているはずなのだ。なのに、それは人間として生み出されたわけなんかじゃない。道具としてなのか、ただの実験対象としてなのか。どちらにしろ、あの子達は自ら望んで産まれて生きていたわけではないということだけは確かだった。
「【因子保持者】って、なんなんだろうね」
傍らにはクロがいたけれど、その時の私は彼に問いかけてはいなかったと思う。体の奥に湧いたソレを、ぽつりと言葉にした呟きだった。
「一番人間に近くて、一番人間とは違う人類なんじゃね」
それでもクロは、私のなんてことは無い呟きに、さも当然といった口調で答えていた。
「近いのに、違うの?」
「オレもこの研究所の中以外はしらねぇよ。でもよ、この研究所の中でさえアレだったんだ。なら、広い世界はもっとアレなんだろうよ」
「アレってなによ」
「アレはー、アレだよ。まぁ、言葉にはしにくいっていうか、まぁそんなヤツだよ。雰囲気みたいなもの?」
「なにそれ」
しどろもどろになって返答に窮するクロを見ていたら少し可笑しくて、自然と笑っていた。彼も彼なりに気を利かせているんだってことは伝わってきて、それをうまく伝えられないという思って頑張っている姿はちょっと可愛かった。
「笑うなよ。――あ、キリミネが来たぜ」
「二人とも、無事だったかい?」
研究所から出てきた桐峰は目立った傷もなく、近づいてくる途中にも体を庇う仕草は見受けられなかったから無事だったのだろう。
「私もクロも、大丈夫。だけど――」
今ここに、本来はいるべきだった子達はいない。それを、どう伝えるべきなのか考えてしまう。
「研究所にいた【因子保持者】は駄目だった。オレの力不足も否めねぇが、あいつ等には裏切り防止用の自決装置が仕込まれていてな。救うことはできなかった」
「クロ……」
「そうか。それは、彼らには済まないことをしてしまったのかもしれないね」
「んなわけあるか。【因子保持者】に限らず生まれたら死ぬ。このままこの研究所が残り続けてもあいつ等は研究のためだと消耗されるだけだった。だが、最後の最後であいつ等は自分の運命に逆らって抵抗したんだ。悔いはないだろうよ。
それに、『もし』とはいえ全員が全員無事に助かったとしても、【因子保持者】であることは変えられねぇ。今の世界はシェルターで生きることが当然で、人間じゃないあいつらがシェルターの中で生きていてもいずれは自らの運命に直面して苦しむだけだ。それに、研究所のやつ等が無事に生きている【因子保持者】を見逃すはずが無いからな。ある意味、ここで死ねたことはいいことなんだよ」
「クロ、その言い方は……!」
「柏。いいんだ。彼の言うことに間違いは無い。他の研究所は既にこの研究所が壊滅したことを把握しているだろう。そして、近いうちに研究所の生き残りを保護または処分するために『中央』の奴らがやってくる。今は、彼らと事を構えるのは避けたい。それに僕らには生き残った【因子保持者】を連れて逃げるだけの余裕はないんだ。酷い言い方だけど、シェルターに預ければ最悪シェルターの住人含めて殺されてしまうだろう。だから、これは正しくないけれど最善なんだ」
「そんな」
「だからね、柏。ここで逝った子達のことを忘れないでほしい。犠牲の上に立つのは苦しいことだ。だけど、その苦しさから目を逸らしては駄目なんだ。死んでいった子達のためにも僕らは生きるべきで、こんな運命を背負わせた奴らを野放しにしてはいけないんだ。だから、進まなきゃいけない。涙を拭って明日を生きるんだ」
桐峰の言うことも、クロの言うこともわかってはいた。だから、いつの間にか流れていた涙を袖で拭った。私は生きているのだ。彼らの命で生きていることを忘れない。最後の命を燃やして戦った子達のことを。そして、これ以上同じような運命の子達を増やしてはいけない。そう、胸の奥で何かが固まったような気がした。
「だったら、行きましょう。私はここで立ち止まるわけにはいかないから」
「面倒なことだが、恩を仇で返すわけにはいかねぇしなぁ」
「そうだね。ところで、クロも付いて来るという事なのかい?」
「オレだって面倒ごとは避けたいけどよ、アイツ等が自決用の装置を仕組まれてるようにオレにもソレはあるんだ」
「え、嘘!?」
「ほんと。幸いというか、この装置はオレが作動させると決めたときかオレが死んだときに作動するようになってる。けどまぁ自分の体内にンなもん入れられていい気分はしねぇからな。コイツを取り外すために一番手っ取り早いのはアンタ等に付いて行くこと。それだけさ」
「そうか。なら、一緒に行こう」
「行こう、クロ」
「……おう」
焼け落ちていく研究所を背後に、三人で歩き出す。旅は道連れ、なんて言葉を本で読んだけれど、きっとこの二人ほど頼りになる道連れはいないことだろう。
「はぁ。ゆっくり眠ってゆっくり日向ぼっこがしたいぜ」
一人はちょっと、怠惰な人だけど。