因子保持者(ファクター)
最後に視界に映ったのは桐峰の顔だ。
だけど、その顔はいつも見せてくれた笑顔じゃなかった。悲しくて、見ていた私も悲しくなる表情だった。
次の瞬間には視界が暗転。ゆっくりと浮上する意識と共に安堵感がそこにはあった。
「ん……」
「目が覚めたかい?」
「きり……みね?」
意識が回復して、瞼を開く。視界に映ったのは桐峰で、そこには先ほどまでの悲しい表情といつもみていた優しい表情が入り混じっていた。
段々と、自分の状況が整理できてきた。
【ゲンブ】に一度襲われ、不覚をとって気絶。次に目覚めれば体を制御も叶わずただ暴れていた。最終的には【ゲンブ】を殺すという瞬間に桐峰が現れて、また気絶したというわけだ。
そして、あそこにいた黒づくめの人間たちを殺したのも同時に思い出した。
手を眼前に動かして眺める。見た目こそ血に塗れてはいないが、私の鼻は手にこびり付いた血臭を確かに感じた。
「桐峰、私……」
「今は、休みなさい」
「私、人を殺しちゃった」
「……あれは、柏がやったんじゃない」
「私だよ。体は勝手に動いてたけど、あの時私は意識があって、私の手で確かに人を殺した」
「…………君じゃない」
桐峰は私を抱きしめる。強く、強く抱きしめる。どこまでも私じゃないと言ってくれるのは嬉しかったけれど、この事から目を逸らしてはいけないと思う。
「私は、【化け物】なのかな」
「龍堂柏は人間だよ」
「でもね、【ゲンブ】は【ファクター】って言ってた。私が殺した人の中には【化け物】って言う人もいた」
「だれかが君を決めるじゃない。君が君を決めるんだ。だけど僕は、君の事を【化け物】だなんて思わない。龍堂柏は人間で、幸せになるという権利がある」
「そうなのかな」
「そうだ」
「そっか」
桐峰と離すのは凄く久しぶりなのに。聞きたいことは一杯あるけれど。今はただ、彼が目の前にいるなら、それでいいかな。安心したら、眠くなってきた。
「ぅ……ん……」
「お休み」
長いような、短いような眠りから目を覚ます。空は既に真っ暗で、傍らには火にくべられた小枝がパチパチと音を立てていた。
焚き火の周りには私を含めて3人。【ゲンブ】と桐峰だ。
「おはよう、というにはもう夜か。よく眠れたかい、柏」
私が目を覚ましたことに気づいた桐峰には頷いて返す。安心して眠ったからなのか、今は頭もすっきりして気持ちも落ち着いている。
「あれ、朱里は?」
しかしそこで、あることに気づく。朱里がいない。あの子はいったいどこにいったのか。
「朱里?」
「うん。私と一緒に家からここまで来たの。危ないから隠れていてって言ったんだけど、まだどこかに隠れてるのかな?」
「そいつならいねぇよ」
「どういうこと?」
あたりを見回す私に、【ゲンブ】が言う。いないとは、どういう意味なのか。というよりも、どうして彼はいまここにいるのだろうか。
「なんで此処にいるのかって顔だな。まぁそれは後だな。あんたが言う『朱里』っていうのは赤髪の幼女だろ?」
「そう」
「……んー、オレが気づいたのはあんたが二度目の気絶をしてからだが、その時はもういなかった」
「そんな。あの子が一人でどこかにいくなんて」
「それに関しては柏、僕も聞きたいことがある。さっき君は『家から一緒に来た』といったね」
「うん。でも、朱里は桐峰に家に行くように言われたから来たって言っていたわ。それに桐峰の手紙もそのときに見せてもらったもの」
「………………」
「桐峰?」
「柏、悪く思わないで欲しいのだけれど、これだけははっきりしておく。僕は今日君と出会うまで、一度だって手紙を書いていないし、ましてや朱里という少女のことも知らないんだ」
「え?」
「僕は家を空けてからの間、各地に潜む研究所の壊滅を行っていた。その過程で被検体となっている子供たちを助けることはあったけれど、それは結果的に助かったというだけでほとんど助けられた人に接触をしていないんだ。あったとして、そこの彼が言っていたような赤い髪の少女と話した記憶は無い」
「それって……」
「心苦しいけれど、その朱里という少女は柏を監視していたのかもしれない」
「そんな……でも、朱里は私よりも小さい子なのよ?」
「それはオレたち【因子保持者】にとって理由にすらない」
「……最初の時にも思ったのだけれど、その【ファクター】っていうのは何なの?」
「【因子保持者】は【因子保持者】さ。人間にとっちゃ【化け物】っていうのが近いかもな。何せ人の姿をしてるのに自分たちはまったく違うんだから。オレもお前も、お仲間さ。これに関しちゃオレよりもそこにいるヤツの方が詳しいと思うけどな。な、【リュウ】?」
「【リュウ】?」
「正直な話、このことを柏には聞かせたくなかった。関わり無く生きてほしかった。けれど、それは無理だった。現に君は【ゲンブ】という【因子保持者】に出会ってしまった。だから、これから話すのは荒唐無稽だけど真実だ。だから、落ち着いて聞いて欲しい」
「……わかった」
「ありがとう。それじゃあまず、【ファクター】について説明しよう。
【因子保持者】という言葉を、僕たちは【ファクター】と呼んでいる。【因子保持者】とは人のもつ遺伝子の中に、様々な特徴をもった動物の遺伝子を組み込まれた人のことを指しているんだ。彼ら総じて先天的【因子保持者】で、後天的にこれを獲得しようとすれば肉体が拒絶反応を示し高確率で死亡する。だから【因子保持者】はデザイナーチャイルドともいえる。
デザイナーチャイルドは基本的な構成としてベースとなる人間の遺伝子を下地にして調節、そこに作成者が組み込みたい因子を入れていくんだ。例えば、そこの彼は【ゲンブ】といったね。【ゲンブ】は恐らく【玄武】といって、古い時代に方角を守護する獣といわれている。恐らく【ゲンブ】を設計した人は空想に現れる動物を見立てて遺伝子を組んだのだろう。玄武は亀のような姿をしていたから、まず亀の遺伝子は入っているだろうね。次に亀の連想ゲームとして鈍重というかマイペースな性格としたり、速さよりも力強さを優先させたのだろう。もっと細かく調べてみないとわからないけれど、そうして【ゲンブ】は生まれたと思う。他にもベースとなった人間の特徴を含んでもいるから、同じ研究所で生まれた【因子保持者】は似通っていたりもするんだ」
「じゃあ私も?」
「そうだね。柏を助けたのも、研究所を壊滅させた際に、頼まれたからだ。彼女は柏と一度も話したこともなければ一方的に見ていただけだけど、子供を不幸にするのはやっぱりできないってね。とにかく、柏も【因子保持者】であることは確かだよ。【因子保持者】にはそれぞれ空想や現実の動物の名前を付けられているんだ。だから彼の因子は【ゲンブ】という名づけ方がされているんだろう。」
「なら……」
私にも、何か因子があるのだろう。そういえば夢のような白い世界で、【ビャッコ】と言葉を聞いた気がする。あまりに曖昧な記憶だけれど、耳の奥でその単語だけは残っていた。
「柏が【因子保持者】として目覚めてしまった以上、もう後戻りはできない。一生自分の因子とは付き合っていくことになる。できれば一生目覚めて欲しくは無かったんだけれどね。だけどこれからは、因子の力を制御できるようになってもらわないといけない。今後また暴走するかもしれない以上、逃げ続けるわけにはいかないからね」
「それは、うん」
「さて、長話もこれぐらいにしておこう。夕ご飯をたべて、朝までゆっくり体を休ませないとね」
そういって話は打ち切られた。
用意された温かな食事を食べて、また眠る。そういえば、桐峰と一緒に食事を取るというのも凄く久しぶりだったなと、瞼をとじて眠るまでの僅かな時間に思ったのだった。