覚醒、暴走
【ゲンブ】の目の前には倒れた白い少女がいた。先ほど急所への打撃によって気を失わせたからだ。
負けるとは思っていなかった。だが、目の前の少女に期待していたのは確かだった。自分のいた場所において敵となるものは誰もおらず、闘争のために作られた自分が闘争をする機会も得られなかった故に常に不完全燃焼。それを解消できると思っていたのだ。最初の奇襲から簡単な数発を凌いでくれるまでは良かった。慢心していたといえばそうだが、隙だらけの攻撃に対して反撃もしてきたのは悪くなかった。しかしそれまででこれまでだ。一般的な人間に比べれば確かに膂力は優れている。だが、化け物である自分たちにとって普通の人間よりも膂力が優れているのは当然であり、当然の範疇から抜け出せていないような少女では【ゲンブ】にダメージを与えるなどまず不可能だった。
そして、これである。
地面を砕き、散弾に見立てて蹴り飛ばしてみれば避けるのではなく立ち止まって防御。この時点で蹴り飛ばした礫が牽制だということを判断できていない。あとは礫と一緒に自分も突っ込み、顔を庇ってがら空きになった胴体を殴ってしまえば気絶しておしまいだった。
「はぁ、こんなもんか」
ため息を吐く。ちょっとやる気を出したらすぐに終わってしまい不完全燃焼。とはいえ早く終わることにこしたことはない。この少女を回収したら自分は帰って気兼ねなく惰眠を貪れる。
「お前も妙な抵抗はするなよ。おとなしく捕まってくれ」
ここから離れて見守っていた赤毛の少女。こちらを怯えているのかわからないが、ひとまず抵抗する気はなさそうだった。
「それじゃ、途中で暴れられないように拘束して運搬してくれ」
「了解した」
「さて、面倒な仕事も終わったし帰ると――」
用は済んだ。さて帰ろう。その瞬間、彼の全身に怖気が走った。
振り返る。
そこには倒れている少女がいる……はずだった。
「バカな……」
「………………」
いつ立ち上がったのか。俯き髪で表情は見えないが、振り返った先には確かに立ち上がった少女がいた。
いくら多少の手加減をしたとはいえ、それは死なない程度にだ。下手すれば内臓破裂や肋骨のヒビまたは骨折は免れないが、【化けモン】である以上その程度じゃ死にはしない。
「あ……あ……」
「お、おい貴様、抵抗するなよ。もし下手な動きをしたら容赦なく撃つ」
「総員警戒。降伏の宣言の有無の判断をせず、一歩でも動いたら撃て」
「「「了解」」」
三人で囲んでいた暫定部下たちは、少女が起き上がったことに気づくと油断なく銃を構え、周囲にいる男たちも同様に少女へと銃口を向ける。
動けば蜂の巣。しかし、その判断が命取りになった。
「アァアア嗚呼ああああ!!!」
囲んでいた男たちが判断できたのは咆哮が聞こえたということだけ。油断なく監視していたというのに、そこにいた少女の姿は掻き消えていた。
「ぐぁあああああ!!」
そして咆哮に遅れるようにして、少女の最も近くで囲んでいた男の一人がわき腹と首筋から血を噴出して叫んだ。防刃防弾のスーツを身に着けていたというのに、外傷を負ったのだ。
「あぁ、がぁああ」
「ぎぁあ」
「お……ぁ……」
最初の一人を皮切りに、次々に男たちが悲鳴を、苦悶を、嗚咽を漏らして負傷していく。犯人は立ち上がった目の前の少女しかいない。だが、当の本人の姿を男たちは目測することすらできていなかった。
「い、たい……なに、が」
次々と仲間が倒れていく中で、最後まで立っていた男も遂に地に伏した。
「おいおい、マジか……」
目の前で起きた光景を、辛うじて【ゲンブ】は目にしていた。
男たちを一分にも見たない時間で圧倒したのはもちろん白い髪の少女。
いや、白い髪というのは語弊だ。正確にいうなら、真っ白だった髪には黒い縞模様が、琥珀の瞳はいつからなのか蒼色へと変貌していた。
「まさか、ここで目覚めんのか……
いや、実質目覚めさせた原因はオレか」
トリガーが何だったのかはわからないが、常軌を逸した脚力と膂力を目の前で見せ付けられたことで確信した。覚醒、加えて今の少女は意識があるようには思えない。つまり、暴走している。
先ほどまでは目で終えていたが、今はもう地を蹴った際に巻き上がる土ぼこりしか認識できない。
「あぁああああ!!!」
「ぬ、ぐぉ!?」
暴走しているからなのか、あまりにも早い一撃をどうにか甲鱗で防ぐ。しかし、それとは同時にまったくの別方向からの一撃が彼を襲った。
ダメージを受けた場所に向かって拳を振るうが、当たるわけはなく空を切る。
実のところ白い少女に向かって大見得を切って【甲鱗】の説明はしたが、当然弱点はあった。一つに、甲鱗を展開できる箇所には制限があるということ。次に、甲鱗を展開した箇所は動かせなくなるということ、集中力を要すること、展開できる時間は集中力に比例するため無闇矢鱈に長い時間扱えないということなどなど、堅牢性を除いて扱いは非常に難しい力だった。生まれてずっとこの能力しかなかったからできる見栄であった。それ故に、【ゲンブ】が甲鱗を一箇所で展開させているとき、他の部分に攻撃を受ければ普通に喰らってしまうのだった。
暴走しているため意識的にではないだろうが、少女の本能は【ゲンブ】の能力の弱点を探り当てていた。
「こりゃ、ちとまずいか……」
種が割れたと考えられる以上、時間の問題だ。
圧倒的スピードに力は多く必要ない。【甲鱗】が展開できていない箇所に打ち込まれればダメージは蓄積していく。無論暴走中の少女もあれだけの速度で動いているのだからいずれバテるのは明白だ。
耐え切れるか押し切られるのか、二人の【化け物】の戦いが真に始まった。