誘い
「事の発端は、一つの世界を発見したこと」
「……どういうこと?」
「そのままよ。こことは違う、別の世界を見つけたということ」
そう告げたクレハの表情はまるで、そのときの事を思い出しているかのようだった。
「偶然の偶然。発見こそ奇跡の産物。そしてその奇跡こそが、物語の始まりだったのかしらね」
物語の始まりというのは、大抵が日常が非日常になった瞬間、または超常的な現象が起きたときのことを指すのだろう。
そして今回の始まりは、別世界の発見だった。
「別世界……または異世界とも云うべき場所へと繋げる空間を、一人の男が発見した。発見したのは本当に偶然。だって、男はその時たまたま被験者に対して超重力下での活動における人間の観察をするために、重力を発生させる装置と、その重力が発生していることを観測するための装置を作ったんだから。そして出来上がった装置を試験運用した際に、観測機が異常なデータを吐き出した。普通は、機械のほうに不備があると考えるんだけど、まぁ正気じゃない上に絶対的な能力を持っていた男は機械に不備は無いと確信してね。結果、その異常なデータを示した場所へと向かえば、異世界へと繋がる時空の歪みを見つけた、というわけ」
どうして、なぜ、そんな男がいる近くでそのようなものが発生したのかは未だに判明していない。きっと、一生判明することも無いのだろう。実際、その理由を今さら知ったところで過ぎた話であり、意味の無いものだ。
「経緯は多少省かせてもらうけれど、その空間の発見によって異世界の存在が判明した。そして、異世界には多様な生命がいたのよ。まるで、御伽噺に出てくるような生き物たちが、ね」
三人の目を見ず、どこか遠くを眺めるクレハの姿はその光景へと思いを馳せているのか、柏たちにはわからない。けれど、その世界のことを思い浮かべているであろうクレハの表情には先ほどの男のことを語るよりも遥かに明るいものがあった。
「そうね、異世界には人間がいたわ。そして亜人、獣人、竜、って種族がいた。精霊なんてのものもいたわ。姿も形も、生き方だってみんな違うのに、そこには笑顔があった。もちろん、喧嘩もあったわ。けどね、それでも戦争だけはなかった。不思議よね、同じ人間同士だって戦争はするし、自身の利益のためなら他者を蹴落とすのなんて当たり前の世界なのに」
「それは、何か理由があったの?」
「理由? そうね……多分、精霊っていう神様のような存在と、それに比肩する竜って存在があったからだと思う。精霊は世界を見守るのが役目であり、資格のあるものに力を貸すだけ。一時期は精霊って存在が薄くなってしまったこともあったけれど……それは今は関係ないわね。とりあえずいえるのは、異世界には絶対的な強者ともいえる竜がいた。竜に怯えていたってわけではないのだけれど、友好的ならばその力と敵対しないで済むでしょう? それに竜の方も友好的に接してきたのだから、手を取らない理由はない。竜っていうのはほとんどが好戦的じゃなかったから、どんなに力を持っていても無闇に振るうことは無かったし、わざわざ喧嘩を売る相手ではないのだから、険悪になる理由は無い。もし大きな争いが起ころうものなら、竜が直々に停めに入っていたわ。世界を見守るのが精霊なら、世界の調停者というのは竜といったところかしらね。……まぁ、その竜の長がちょっとやんちゃというか、色々と大変だったんだけどそれはどうでもいいわね」
時に寂しそうな、時に楽しそうな、時に苦笑しながら、クレハはしゃべった。
それはつまり、その世界に彼女はたくさんの思い出があり、思い入れがあるのだろう。
「なんだか、楽しそうだね」
「楽しそう?」
「うん、クレハの喋り方から、そう感じる」
「そうね……そうかも。そりゃ、色々とあったけど、総じて面白かったわね、あの世界は」
「もう行けないの?」
「………………」
「クレハ?」
柏が何気なく聞いた言葉に、さっきまで苦笑していたクレハの表情が固まった。
そして、そこに何も感じさせないような、表情を殺したままに、彼女は問うた。
「もし、一度だけ行けるとしたら、あなた達は行きたい?」
それは、異世界への誘いだ。
「一度行けば、二度と戻ることはできない」
この世界へと、決別するかどうかの問い。
「話が逸れてしまっていたけれど、二つ目の話と共通するものがあるの」
つまり、
「この世界と【龍】を、見捨てることはできる?」