敵地こそが最大の治療場所
痛みは無かった。
閉じていた瞼を開いてみれば、床には倒れた黒づくめの男と、銃口から細く煙を吐き出す銃。その背後には、金色の髪をした少女がいた。
「排泄処理をさっきし忘れたの思い出して戻ってみれば目の前の死に掛けるなんてよっぽど運が悪いわよ」
「クレハ……?」
その姿はここ三日ほどで見覚えのあるクレハであり、どうやら彼女が黒づくめの男を殴り倒したということらしい。傍らを見てみれば、兆弾によって床の色が変化したものが私のすぐ横にあった。
「そしてまぁ、間に合わなかった……と。排泄機能が少しだけ麻痺してるから、尿意とかそういうのは感じなくなってるのは仕方ないんだけどねぇ」
ため息を吐いて、面倒だわと呟くクレハ。
立ち上がろうとしてみれば、ぬちゃ、という水音と私の太ももあたりに冷たい感触がした。
それは私を中心に広がっていて、床に接地していた服の端はもれなくそれを吸って濡れていた。
「シャワー浴びに行くわよ」
「え、でも、」
「ぐだぐだ考えない。あー、床拭くもの持ってくんのも面倒だし、ちょっと腕挙げなさい」
「こう?」
「おっけーおっけー、はい万歳!」
「!?」
両腕を上げた私へと近づいてきたクレハは服の裾を掴むと、一瞬の早業で私の服を剥ぎ取った。
全身を覆うローブのようなものだったから脱がせるのが容易なものとはいえ、いや、いやいや。
「どうせ少し汚れんのも盛大に汚れんのも、洗ってしまえば一緒よ一緒。ほら、その濡れた脚とかも拭くからじっとしてなさい」
「ちょ、ちょっと待って、私、今、裸!」
「どうせ見てる奴はいないんだから関係ないでしょうが。ほら、濡れてると気持ち悪いでしょう?」
「そう、だけ、ど……」
剥ぎ取った服を丸めてしまうと、それで私の濡れている脚を拭いてそのまま床のものも拭いていく。
自分の粗相を別の人に処理されるというのは恥ずかしかった。いや、今が全裸だというのも関係してるかもしれないけど。
「そ、そうだクレハ、どうして【対因子部隊】の人がいるの!?」
「そりゃ、ここが【中央】だからよ。まぁコイツは完全に貧乏くじよね、頭がいなくなったうえに5階層目の警備もすかすかになった現状、穴埋めの為とはいえこんなところに配属されるんだから」
「ここ、【中央】なの?」
「そうよ、言ってなかったっけ?」
そんなことは初耳だ。というか、それを知ってれば部屋から出なかった。
「どうして?」
「あのね、いくら生まれて間もないとはいえ、ほとんど成人と変わらない肉体をしてる奴を3人も運べるわけがないでしょう? それに加えて、3人とも【中央】レベルの施設が無けりゃ完治なんて難しいんだから尚更よ」
「クレハはなんで自由に動いてるの?」
「そりゃ、監視の目を掻い潜って動いてるに決まってるじゃない」
「それってつまり、クレハも私と立ち位置は変わってないってことなんじゃ……」
「まぁそうね。っていっても、見付からなきゃ問題ないわよ。【対因子部隊】も、ある意味では不運でした、ってことだしね。一応定期的な連絡をしなきゃいけないんだけど……死人に口なし、ってね」
といったクレハは特に意識した様子も無くマスクを鷲掴むと、めき、という音を立てて正面を向いていたマスクは後ろへと回っていた。つまり、今のでこのマスクの中にいた人は死んだということだ。
「一応殺されたってことがバレると厄介だし、仕舞っておきましょうかね。ああ、その間にアンタはシャワールームに行ってきなさい。場所は回れ右して、突き当りを左に行けば表札もあるしわかるはずよ」
――――――
「替えの服、ここに置いとくわよ」
「うん」
湯気が立ち込める場所で、私はシャワーを浴びる。
洗い流すぐらいはすぐに終わったけれど、ついでだからと髪や肌を手で軽く拭っていけば、気持ちすっきりとした気分になった。
栓を閉めれば、シャワーから出ていたお湯も止まる。
シャワールームに入るための扉にはいつの間にか大きめのタオルが掛けられており、それを手に取り体の水気を拭いていった。
クレハが置いていった服を着る。飾り気の無い、上から下まで体を覆い隠す白地のローブだ。
シャワーを浴びる直前まで私が来ていた服も同様なものだったので、つまるところこれはこの建物内で生まれた【因子保持者】が着るためのものと考えていいだろう。
シャワーを浴びて、服を着た頃には、大分私の意識は落ち着きを取り戻していた。
そして、今いる場所のこともなし崩し的にはわかった。
「すっきりした?」
と、シャワールームの外で壁にもたれ掛かっていたクレハが問うてきたので、頷くことで返事をした。
それに対する返礼なのか、クレハもまた頷くと、歩き出す。
「まぁ今いる場所もわかったでしょうし、もうしばらくはじっとしていなさい。そりゃ一日中部屋にいるのは辛いでしょうけど、私の目が届いてない場所でいろいろされるのも困るし」
「それは別に構わないんだけど……」
「けど?」
「クロやリョーは、大丈夫なの?」
実際のところ、私たちのいる場所が判明し、さらには先ほど【対因子部隊】の一人に出会ってしまった以上、それが気になった。
「それなら大丈夫よ。5階層の部屋っていうのは基本的に【対因子部隊】は出入り出来ないのよ。だから、警備しているのは部屋の外である廊下だけ。よっぽどな不運が無ければ出会うこともないでしょうよ。それに、あの2人はカプセルに入れてるからね。もし部屋に入れても見つけることなんて出来ないわよ」
「そう」
一先ずは、安心だということなんだろう。
それを聞いて知らずのうちに強張っていた体の力が抜けた。
「ひとまずはまぁまた休みなさい。詳しい話は次に起きたらしましょう」
特に何も無く、部屋へとたどり着けば、クレハそう言って行ってしまった。
扉が閉まる。
そして私は、一人部屋の中で一日を過ごすのだった。