憎しみは愛を超えて
「てやぁああああああ!!!」
作戦は言葉にすれば簡単なものだった。
桐峰と男の間へと割りいるように、水を纏わせたリョーが突っ込む。
「おや?」
「っ!?」
二人の間にわざわざ割り込んでくるというのが意外というのもあるのか、それとも桐峰にとっては味方であるリョーがあからさまに彼の妨害をしてることもあるのか、強制的に足を止められた桐峰。これによって両者の距離が空いた。
「キリミネとの距離ができたからって変な動きはすんなよ?」
「ふむ、こちらとしても害が加えられない限りは何かをするつもりはないよ。それよりも、何を見せてくれるのかが気になってしまうからねぇ」
無論、白衣の男の方を自由にするわけはない。
そのためにも、クロを男へと張り付けて、変な動きをしないように見張ってもらう。
とはいえ男の方は突然の出来事に対して興味が惹かれたのか、特に何かをする様子はないようで、腕を軽く挙げて手をひらひらと振った。
「リョー、これは一体どういうことだい?」
「ごめんねキリミネさん。ボクもクロ君も、ハクちゃんにお願いされたから行動してるんだ」
しかし、白衣の男が止まったからといって桐峰が素直に止まる訳はなく、彼女が展開した水の膜が一瞬で真横に裂かれる。
が、切り離されたのは一瞬のことであり、水は何事もなかったかのように再度膜を張る。
「柏に?」
恐らくは今の一撃で通り抜けようとしたが、失敗したことによってリョーの言葉を受け止めた桐峰は訝しげな表情でリョーを見る。
「ん、そ。というわけで、ハクちゃんの話を、聞いて、ね?」
水を展開しているリョーは、少し苦しそうな声で呟く。額には玉になった汗が流れていく様子からして大分彼女には負担となっているのだろう。
「桐峰」
「柏……」
そのためにも、私は彼を止める必要がある。
二人が作ってくれた時間で、彼の目の前に立つ。
「あの男と戦うことに、意味はないと思う」
その言葉に、彼は少し戸惑いを見せた。
けれど、止まれないという意思を示すかのように彼は一歩踏み出した。
「どうして、君がそんなこと言う? あいつは、今この状況を生み出した元凶だ。あいつを殺し、これ以上僕たちのような者が生まれないようにしないといけない。そのために、ここまで来たんじゃないか!?」
「確かにそうだと思う。でも、あの男がいないと私やリョー、クロは生まれなかったし、桐峰と会うこともなかった」
「だが――!」
「私は、桐峰たちと『あの日』の時のように生きたいだけだよ?」
「それは……」
機会が無かったというのは言い訳だと思う。
何度も桐峰とは別れてしまったことがあったけど、確かに一緒にいた時間はあったのだ。それなのに、流されるままに目の前のことだけを見ていた私は、自分の気持ちをまったく伝えられていない。ここにいる理由すらも、彼には伝えていない。
だから、今こそ伝えないといけない。
「最初は、何がなんだかわからなかった。多分、今もほとんどわかってないんだと思う。流されるままに、私は自分の意志で動いてきたようでほとんど私に意志は影響を与えていないんだと思う。【中央】に来た理由は、別にここを壊滅させたいからじゃない。ただ、もう何にも怖がらなくていいように生きるために【中央】を壊滅させる必要があっただけ。クロの体内にある爆弾とかもそう。治療するためには【中央】の設備でなければ駄目だから。治すのが目的であって、【中央】に向かうのが目的じゃない。……桐峰、貴方はどうしてここへ来たの?」
北、東、南と歩いてきた。
楽な道程では無かったけれど、楽しかったこともあった。最初は敵だったけれど、今ではクロは家族のようなものだし、リョーもそうだ。桐峰なんて言わずもがなで、三人がいない今を考えることなんてできない。
望むのは、幸せだったあの日常。桐峰と私しかいなかったあの家での、穏やかな日常。
そこにクロとリョーが混ざったら、ちょっと騒がしくなるけれど、きっと毎日が満ち足りたものになると思う。
大事なのはそれだけで、その為には必ずしもあの男を殺す必要はない。
だけど桐峰は、ただひたすらにあの男を殺すことだけを考えていたんだろう。私たちには笑顔を向けていてくれたけれど、時折垣間見えた強烈な感情や【対因子部隊】に対する苛烈な攻撃。それがきっと、彼の内側に潜むもの。
きっと、ここにいる全ての元凶である男を殺したところで、きっと彼は私の望む日常には帰って来れない。そしてそれを、きっと彼は心のどこかでは感じている。
「それでも……僕は……」
「もし、あの男を殺すなら――」
きっと彼は、一人じゃ止まれない。
だけど、二人なら止まることはできるはず。
私をあの白い世界から連れ出してくれたように。
今度は、私が彼を黒い世界から連れ出そう。
「私を、殺して」
発した言葉は、ズルい一言。
そうすることでしか私は彼を止めることはできない。
これで止められなかったら?
きっと私は、その程度だったということ。彼にとってはあの男を殺すよりもどうでもいい存在だったってことだもの。
でも、それならそれでいい。私にとって桐峰はどこまでも大事な人であり、愛する人であることに変わりはないから。
私は彼を抱きしめる。
とくん、とくん、とくん、とくん。
彼の心臓の鼓動が、私へと伝わってくる。
彼の温もりが、私へと伝わってくる。
「ごめんよ、柏。愛している」
桐峰そう言った。
彼の腕が、私の背中に回される。
力強く。
痛いほどに。
「………………」
だけど、言葉なんて言わない。
体が軋む。
軋む。
軋む。
「それでも僕は、きっとあの男を許せない」
そっか。
喉からもう言葉は出なかった。
耳元で紡がれた彼の言葉を最後に、私の意識は消失した。