水が凍って氷になって
先制を取ったのはクロ。
障害物はなく、開けた場所である以上は真正面から突っ込む以外に彼に選択肢はなく、彼にとっては当たろうが当たるまいが構わないというレベルで右の腕を大きく振りかぶった。
もちろん、そんなわかりやすい攻撃を受け止めるわけがないと彼は思っている。だが、重要なのは場を動かすことであり、当たれば儲けもの、当たらずともそこを後ろにいるリョーが何かしらの手を打ってくれるという彼なりの信頼感からくる特攻である。
対して【霊亀】は、その場から動くことはなかった。
微笑を浮かべている彼女の表情に恐れはなく。
それゆえに、クロにも彼女がそうしていることになにか裏があると睨んだ。
「(それでも、関係ねぇ!!)」
わかっていても、やることは変わらない。全身全霊の一撃を繰り出す、それだけだ。
拳が振り下ろされる。
まともに喰らえば柏はもちろんリョーも命が危ぶまれる一撃。
「あら、その程度ですか、お兄さま?」
ぱぁあああああん、と弾ける音が場に鳴り響いた。
「なッ、うっそだろぉ!?」
驚くべきは、一撃必殺を売りにしてきた彼の一撃を容易く受け止めた【霊亀】にある。
片手。それも特に身構えた様子はなく、ひょいと手を挙げて普通に受け止めたということ。
衝撃は完全に殺されており、青々とした地面を滑った様子も陥没した様子もない。
では、クロが手加減をしてしまったのかという話になるのだが、それもない。
というより、彼は手加減が苦手である。細かな力の調整というのはそれだけ神経を使う。それを嫌う彼にとって、手加減というわざわざ力を調整しなければならない行為はもともと意識の外にある。それゆえに、無意識的な手加減もなく放たれた彼の拳は正真正銘、全力だったのである。
それを容易に、眉の一ミリも動かしたようすなく受け止められてしまえば驚くのも無理はないだろう。
「クロ君、下がって!」
「お、おうッ」
クロの攻撃が不発に終わったと察したリョーが、彼の背を影に【霊亀】へ向けて槍に形どった水を突き刺し、それと入れ替わるようにしてクロは下がった。
彼がすぐに下がることができたのは、【霊亀】が手の平で彼の拳を受け止めていただけで、掴んでいなかったから。その理由が何なのかは判明しないが、おかげでクロはリョーの攻撃に巻き込まれずに済んでいた。
「あら、お姉さまは私にプレゼントを下さったのですね?」
胸元へと突き入れられる水の槍を【霊亀】は表情を変えることなく、喜色の混じった声で槍の穂先を掴み取る。
しかし、変幻自在ともいえる水を操れるリョーにとって、掴み取るという行為は愚行ともいえた。
すぐさま彼女は掴まれた穂先を細く鋭く伸ばすよう、水を操る。
だが、水が細くなることも鋭くもならない。
「水が、動かない?」
出来ることが出来ないとき、人は戸惑う。
人間よりも身体能力や普通では能力を持っているとはいえ、精神面ではほとんど人と変わらない以上、リョーにも当然当てはまる。念じてみても水は変化することはなく、その現象が自分にではなく今目の前で敵対している【霊亀】にあると気づくのは彼女が喋ってから。
「私、創造力というものがあまり良くないようでして、どうしても自らの力で武器を作ろうと思うと不恰好な鈍器になってしまうんです」
「なにが、いいたいの……?」
そしてこのときには、リョーはすぐさま水の槍の形を崩し、退散すべきだった。
だがもう遅い。
「申し訳ございません、私お二方の能力を把握しているのに、お二人が私の能力を知らないというのは不公平ですよね」
「水が、凍って……」
【霊亀】の掴んでいる手を中心にして、水の槍が凍っていく。
侵食していく冷気が槍の中頃まで覆ったとき、ようやく不味いと判断したリョーが水の形状を崩し、水が凍っていく現象を止め、すぐさま後ろへと下がった。
柄が中頃の氷の槍となったそれを【霊亀】は軽い動作で反転させて、柄を握る。中折れしてしまった部分を手刀で斬りおとし形を整えると、満足した表情を浮かべた。
「私の能力は【氷造】。有り体に言ってしまえば、お姉さまの【水を操る】能力の氷版といったところです。といっても、空気中の水分を凍らせての武器の製造というのは非常に大変ですし、先ほど申しました通りお姉さまのように鋭利な武器を生み出すというのが苦手でして、このようにお姉さまから槍をいただけるなんて、私嬉しいです」
「別にあげたわけじゃないんだけど……」
先ほどリョーが使った水の槍は、水の割合的には先端のほうに集中させており、使える水はあまりない。あってもナイフを作るのがやっとであるが、どうせそれを【霊亀】に向けても今度はそのナイフが凍らされてしまうだろう。
「なんか、普通にさっきよりマズくねぇか?」
「ボクの水、凍らされて主導権奪われちゃうんじゃどうしようもないんだけど」
「とりあえずは、アレの能力の正確なところがわかるまでは様子見るしかないだろ」
「ひとまずはそうだね……」
「それではお二人とも、次は私からいかせて戴きます」