その狂人は人間にしてヒトに非ず
「ああいや、今はジェームズと名乗っていたのか。それともダニーだったかウーだったかシロウだったか……。ま、名前など対象を定義づけるための枠組みでしかない。どうでもいいか。あぁ無論、キミがどう呼ぼうと構わないよ、今此処にいるのは二人だけだからね」
「あ、っそう」
正直、この男とはまともに会話が出来ると思えない。
瞳に狂気を宿した人間である以上、彼の言葉に意味はあっても会話に意味はない。ただ喋りたいように喋るだけであり、恐らく話し終えるかその間に何かしらの目的を果たすための行動を執るからだ。
である以上、私がすべき事は簡単だ。
今、目の前にいる男を無力化させること。
体格はさすがに大人の男性であるため私よりも大きいが、肉つきは細めだ。であるならば【因子保持者】としての能力を活かしきればこの男をに遅れをとることはないだろう。
「あぁ、そうそう。それでどうして【青龍】や【玄武】はここに呼ばずキミをここに呼んだのかをまだ話していなかった。まぁ有り体に言えばキミだけはこちらでも情報がないんだよ。簡単な話さ、元々【西の研究所】の室長は秘密主義のようでね、定期的なレポートは送られていたようなんだが全て偽造だったのさ。そうだというのに真っ先に【龍】の手によって壊滅されてしまい、彼らが生み出したであろう【白虎】は闇の中へと消えてしまった……。実際【白虎】が生きていて嬉しかったよ、何せ唯一のブラックボックス、加えて色々とキミは他の【因子保持者】と比べても異質のようでね。だから、この目でキミを診たくなった」
男が立ち上がり、反動で椅子は軋む。
それに呼応するように、私はいつでも飛び出せるようにつま先へと力を込める。
「というわけで、協力してもらうよ。もちろん、きて――」
「お断りよ!!」
片手をこちらへと差し出し、言おうとした言葉よりも早く拒絶の返答を拳と共に繰り出した。
ぱしぃん、と音がなる。
「なっ!?」
「ほう、先ほどまでは琥珀の瞳に真っ白な髪をしていたというのに、今は紺碧の瞳に虎柄を思わせる黒いラインが髪にある。通常【因子保持者】というのは能力というものを意識せずとも使えるようになっているはずのなのだが、キミはやはり違うようだね。明らかな身体能力の変化が肉体の表層に現れているということでもある。『四獣』たちは基底状態のときには一般的な【因子保持者】と変わりがないとあったな。励起状態の際は肉体能力の顕著な上昇と変わった能力を身に着けている、というのが報告にあったのだがね。いや、益々面白い。他にはどんなものを見せてくれるんだい、まさかそれだけで終わりというわけではないだろう?」
絶対に捉えることが出来ないという自信はあった。たとえ見えていてもただの人間に受け止めることは出来ないと思っていた。だのに、今こいつは易々とさも当然といわんばかりに顔面へと向けられた殴打を受け止め、こちらを観察し、あっさりと捕まえた手を放した。
気味が悪い。
人体に使用するのは止めておきたかったけれど、やるしかない。腕の一本、足の一本を【超振動】で斬りおとす。
握っていた拳を開手する。
「せぁあああああああ!!」
「ほぉ!? 範囲こそ狭いがある意味でだからこその切り札ともいえる。超振動によって触れた対象を刹那に分解することによって、あらゆる防御を貫くというわけか。強力な能力ではあるが、非常に残念な欠点が目立つな。発生部位は身体の末端部位のみであり、長時間の使用は細胞を壊死させ、爪を自壊させるというのはナンセンスだな。確かに生物は天敵と遭遇した際の最終手段として命がけの反撃などをするわけだが、これは如何せんよろしくない。確かに【因子保持者】は人間に比べて遥かに回復能力は高く、使っている因子によっては欠損した部位を修復することもできる。だが、そんなものを前提とした人間は正しい進化とはいえないな」
「この、は、なせ!」
掴まれた手首は万力に挟まれたの如く動かすことは出来なかった。
苦肉の策に繰り出した蹴りもあっさりと手を放された後に軽々しく避けられた。
「本当に、人間なの?」
「人間さ、人間だとも。この身この肉体には人類進化の可能性ともいえる因子は入っていない。だからこそ、ただの人のみであるからこそ、求めるものがわかるのだ。だから幾千幾億の体を乗り換えて、生きているのだから」
「クローンを作って、そこに記憶の転写をする。単純だけど、少しでもミスがあったら廃人になるのに?」
知らない知識。
この知識もきっと、今口にした危険な技術を流用することで植えつけられたもの。
自分の中に自分の知らない何かがあることを、常人が耐えられない。私自身、ふと浮かび上がるこういった知識に戸惑うというのに、この男はそれを何度もしているということ。狂人だからこそできることなのか、幾度もの結果このようなことになったのかはわからないけれど、この男が見た目どおりの狂言を吐く人間じゃない。
「さぁ、もっとよく見せてくれ」
「冗談じゃないッ!!」
これ以上、この場にいるのは危険だ。
ちらとさっき見たときにまだ背後の扉はあった。思いっきりやれば蹴破れるはず。ともかくここから離脱しないと!
飛び掛ろうとする仕草を一瞬だけ見せて、私はそのまま天井に向けて跳躍。手をつき体を反転させて、天井を踏み台にしてそのまま扉目掛けて蹴りを放つ。
「あぁ、言い忘れていたのだが……」
壮大な炸裂音と共に、扉が蹴破られる。
そして廊下へと飛び出して駆けようとした瞬間――
「扉を正規の手段を踏まずに開けてしまうと、強力な電気が……」
「ッ!!!?????!?!?!?!?!?!」
「あぁ、遅かったか」
全身を言葉に出来ないほどの衝撃が襲う。
ぼんやりと後ろから何かが聞こえるけれど、何を言っているのかわからない。
真っ白になったかと思った視界は、一転して真っ黒になった。