交渉は決裂し、拳は振るわれた
桐峰が無限に続く廊下を一人で歩き出してからすぐに、後ろにいる柏たちと分断されたということに気づいた。そして、既に後戻りが出来なくなっているということも。
後ろを振り返るかわずかばかり悩んだが、恐らくは先の空間が見えていもそれは視覚的な繋がりがあるというだけであり、歩を進めても今いる場所からは戻ることは出来ないということは振り返っても意味はないという結論に至り、足を止めることはしなかった。
永遠とも感じる道は、呆気なくその終着点へと彼を導いた。
突如廊下の行き止まりに現れた扉。
彼が開けようとするよりもはやく、それは開いた。
罠か、と警戒するも既に自分は敵の術中に嵌っており、従うよりほかにない。
扉を潜る。
「あぁ、待っていましたよ」
部屋へと入った彼を迎えたのは、一人の青年だった。
その特徴は一言で雑多。
両目は青と緑、三つに括られた髪はそれぞれ色が違い、赤、黄、紫、その基となっている部分は左が白く右が黒と、顔に当たる部分だけでも肌を合わせて8色はある。
一見すれば装飾過多な女性と見紛うような見た目であるが、その声は男性特有の太さと低さがありそして体つきはちゃんと観察すれば男性のそれであることがわかる。
青年は桐峰の姿を認めて一つ笑顔を浮かべると、小さくお辞儀をした。
「初めまして、【龍】。こちらは貴方を存じておりますが、貴方はこちらを知らないでしょうし、自己紹介を。四瑞の【麒麟】と申します。どうか、お見知りおきを」
「僕と彼女たちを分断させて、どうしたいんだい、君達は?」
「それに関しては来客を別々に出迎えるという失礼をしたことは存じておりますが、こちらとして用があるのが貴方です。お連れのお三方は、同じ四瑞である【黄龍】が対応に当たっておりますので、どうかご容赦を」
「…………それで、わざわざそんな言葉遣いをしているんだ、何か用があるから一人だけで出迎えたということだろう?」
「急かすような態度でありましたら申し訳ございません。それでは遠慮なく、こちらの用件をば。まず、これ以上、この争いをするのはお止めいただきたい」
「止める理由がないな」
「そうおっしゃらず。先ほども言ったはずです、こちらの一人をあちらへと向かわせたと」
「脅しか?」
「いえいえいえ、そんな、まさか。彼にはちょっとばかし彼女たちの目を惹きつけてもらうという役目をしてもらっているだけですよ。まぁ、お連れの方が抵抗してしまえば彼としてもそれに応じざるおえなくなりますし、何かしらの被害は出るかもしれませんが……」
「そうか……」
「それで、如何ですか? もしこれ以上争わないのでしたら、こちらとしてもこれ以上何かをするというつもりはありませんが」
【麒麟】の表情は誰が見ても不快にならないような微笑であるが、桐峰にとってその笑顔は作られた仮面であるという印象しか受けない。言葉も精一杯に丁寧なもののように感じるが、それが上辺だけのものであるというのが嫌でもわかる。
そして、先ほどの台詞にあった、柏たちへと【黄龍】を向けたという言葉は丁寧な物言いとは裏腹に桐峰に対して人質とる、という言い方であり脅迫だった。
桐峰は目を閉じる。
「よく、お考えくださいませ」
彼のその態度が悩むというものに見えたのだろう、【麒麟】は笑みを浮かべて待っていた。
「……一つ、君に言っておくことがある」
「? なんでしょうか」
「君は彼女たちを人質にして僕の動きを鈍らせる、もしくは止めたいのだろう――」
桐峰が目をゆっくりと開く。
その眼光は今目の前にいる【麒麟】に向けられたものではない。その奥、彼にとって全ての元凶がいるという確信をもったそれが、【麒麟】を貫いていた。
言い知れぬ気迫に、【麒麟】は一歩退く。
退いて、自分がなぜか退いていたことに気づいた。
「あまり、舐めないほうがいい。彼女たちを」
ぞわり、と背筋を冷たいものが【麒麟】に走った。
はっきりいって、彼は自分の表情が崩れなかったことを褒めたかった。
聞いていた話と違う! と、もし誰もいないければ叫んでいたであろうが、その言葉は呑み込んだ唾と共に吐き出されることはなかった。
「では、答えを告げるとしよう」
「…………はい」
「絶対にお前は許さない!!」
「――ッ!?」
気づけば【麒麟】の目の前には桐峰が振り上げた拳があった。
見えていた。だが、反応できなかった。
めきっ、と鼻が折れる音を彼は聞いた。
視界狭まったような錯覚。視界の中心は黒い影が埋め尽くし、音を置き去りにして彼の姿を部屋の端へと吹き飛ばす。
「ゲハァッ!!?」
縦に三回転し、背中から壁へと激突する。頑丈な壁に身体は叩きつけられて、みしりと音が全身から鳴り響いた。
白目を剥いて、うつ伏せに床へと崩れ折る。
【麒麟】は手放し始めた意識の中で、思考する。
「つよ、すぎ……る」
自らは『四獣』の上位互換として生み出された『四瑞』である。わざわざ【中央】から東西南北に部署を分け、そこで独自の研究成果の【因子保持者】を生み出すことで【中央】では生み出せないような成果を期待していた。
そして定期的に提出されていた『四獣』のデータを基に生み出されたのが『四瑞』である。上位互換であることが当然なのだ。もっというならば、始祖ともいえる【龍】と比べれば身体能力の差は数値としても歴然の差であり、加えて何百何千という仮想敵としての【龍】を用い、その勝率は最初の数回を除いて完封していたのだ。さきほどの先制を仕掛けてきた際の対処も幾度となく仮想上ではあった。それも最初の一回こそ手こずりはしたが、以降は用意に捌けていたというのに。
だのに、なのに、だというのに……。
「君が、弱すぎるんだ」
桐峰の端的な言葉によって【麒麟】の走馬灯は終わり、完全に彼は黙したのだった。