考えられないことは見ることができない
気づけば飛び出していた。
当然だ、自分にとって大切な人が死ぬかもしれないという場面で行動しないほうがおかしい。
考えている暇はなく、思考はただ助けるという一色に染まっていた。
「させ、る、かぁああああああああああ!!!」
「ッ!?」
一息に跳んで、真上から見えたその光景は突き出されたナイフの先端が柏の胸元へと潜り込んでいたこと。刺した張本人である男の背後では、クロが蹴り飛ばされていたのか踏鞴を踏んでおり、しかし彼女が刺されるという瞬間は見えているからかどうにかして彼に背を向けている男へと手を伸ばそうとしながら届かないという状況に苦悶の表情を浮かべていた。
リョーが咄嗟に選んだ行動は二つ。
水を細く鋭く長い形状へと変化し、ナイフを握っている男の手に向けて薙ぎ払う。
それと平行して、乱暴な手段しか採れないことを内心謝って、柏の胴を殴り飛ばした。
何の抵抗もなく、柏は背後へと飛んだ。
彼女の下へとすぐに走り出したかったが、それよりも優先しなければならないことがある。
ナイフを握っていた手首を斬りおとすつもりだったが、どうやらナイフを持つことを咄嗟に放棄することで抜くための力を自身の腕を引っ込めることに集中したらしい。とくに傷を負った様子はない。
わずかの油断もせず、男の背後で体勢を立て直したクロに向けて彼女は叫んだ。
「クロ君、柏ちゃんのところに行って! 早くッ!!」
「わ、わかった!?」
「なんだよ今のは視えなかったぞわからなかったこっちじゃあのまま刺し殺せてたはずだ。それがどうしてだ、なんで今のは視えなかった。視えるはずだぞ今もそうだ、視えているんだだけどさっきは視えてなかったどうしてだ、なんでだ、どういうことだ」
目の前の男がなにやらぶつぶつと呟いている。視える視えないなぞどうでもいいが、とにかくリョーは自分の不甲斐無さに怒っていたし、あのようなことをした目の前の男に向けて怒りを向けていた。
なんかよくわからない、という理由で少し前に癇癪のようなものを起こしてしまったリョーだが、今回は明確なまでに理由はある。そしてこの怒りは目の前の男を良くても打倒するか、最悪殺さなければ納まりそうにもない。
少しの時間でも休んでいて良かった。
何せ、多少の無茶までならなんとかなるから。
リョーは無意識下で思い出す。目の前の男は未来が視えていると。そしてその攻略法は本人にも認識できないような攻撃か、対処しきれないような飽和攻撃をするということ。
ケヴィンに渡された自動で水を生み出す装置からは水が出来た端からそれを取り出す。先ほどまでは人間サイズを呑み込めるぐらいの量だった水はさらに肥大し、二人ぐらいまでなら優に取り込むことが出来るほどの量だろう。
それを、二つに分割。さらに形状を変化。球状だった水が収縮し、片手サイズの槍となって両手に握られる。
ちりちり、と頭の中で焼けるような感触があるが、そんなことを気にしている余裕は彼女になかった。
「――!!」
声にならない気迫で、槍を突き出す。
両手の連続突き、薙ぎ払い。
それを目の前の男は容易く避ける。
ならば、と念じれば水の槍は自らの思うがままに姿を変える。
目にも留まらぬ速さで槍が伸びた。それをわかっていたといわんばかりに男は半身になって回避する。
それを確認するよりも前に、突き出した槍とは別の手にある槍は形状を変えてぶ厚く大きな刃を持つ大剣へと変貌し、重さを感じさせない動作で彼女はそれを横へと振りぬいた。
男は大剣の薙ぎ払いに眉を潜めながらも跳躍し、それを回避。
だが、リョーにとってはその瞬間を待っていた。空中という身動きの取れない状況を。
槍の形をしていたそれは水が弾ける音と共に、手に持つ部分の水以外が形を崩し、何本もの鞭となる。
「シィ!!」
意思を持っているかのように、多方向から男を雁字搦めにしようと鞭が襲い掛かる。
とはいえ男もそう簡単に捉われるわけもない。原理は不明だが見えない何かによって鞭の先端が弾け、周囲へと飛び散った。
リョーは大剣の形を球状へと戻し、その表面へと手を添えて男を見る。
パァン、と弾けて水が起こしたのはいつぞやにクロが瓦礫を砕いて投げた即席の土の散弾ならぬ水の散弾。
先ほど同様、よくわからない力で水の弾たちはいくつかが弾けてしまうが、男の体を散弾は打ち据えた。さすがに出血をさせることは出来なかったが、痛みとしてはそれなりのものだったのだろう。男はしかめ面を晒していた。
間髪いれずに腰に巻かれていたベルトから水のはいった容器を砕き、水を補給。出来れば天井や壁、床に飛び散った水を回収したいけれどそれをするのにも別の集中力を割かなければならない以上、自分のすぐ傍にある水を回収するのが精一杯だった。
水の大きさは最初に比べれば幾分か減って、先ほどまでの大きさを2とするなら1.5ぐらいか。彼女が次に生み出したのは両刃の大剣。
【水を操る】という能力あってのものだが、重さを感じさせないそれのおかげで軽々しく振られた大剣を縦横無尽に振り回す。そこに法則はなく、出鱈目というしか他にない。
だが、男にとってその規則性のない斬撃は面倒な類のものなのか、疲労を感じさせる動きとときおり大きく目を見開いてはぎりぎりで避けるといった行動を繰り返していた。
「広がれッ!!」
念じようとしていたものが、リョーの口から漏れる。
大きく突き出された大剣を後ろへと退くことで避けた男に向かって大剣の先端が枝分かれし鋭利な先端が幾本も広がり伸びる。
「がぁ、づぅ!?」
今までと変わらずあらゆる奇襲を回避または対処してきた男の体を、それが貫いた。
腕、わき腹、太ももをを串刺しにし、首、頬、足首、こめかみはわずかに逸れて軽く表皮を裂く。
「見えなかったぞどいうことだ、どうしてどうしてどうして、今のは下がった所であっちが接近してきて斬りつけるというもののはずだった、それなのになんで剣が割れて槍みたいのを出すんだよ、わけがわかるかどういうことだ……!」
「終わりだよ……」
足、そして急所を貫かれたことによって男は膝をつく。
致命傷ともいうべきダメージと、本人にとっては考えられない何かによる精神的なショックなどが彼の体をそこに縛り付けた。
「くそ、がぁ――」
彼の体を、水が浸食していく。
貫いた場所を基点に水は男を包み込む。
抵抗はほとんどなかった。
リョーが手をかざせば、彼を包み込んでいた水の一部が剥離して彼女の手元へとやってくる。変化したのは薄い刃をした水のナイフ。
全身を包み込む水男の胸元の部分だけを空けて、そこへ何かが突立てられるのを待つ。
そして彼女は、男の心臓めがけてナイフを突き立てた。