きっと最後の安寧
「すぅ……すぅ…」
朝食を食べて食器を片付けているうちに、朱里は眠ってしまっていた。ここに来るまでどれだけの苦労があったのかはわからないけれど、この小さな体で雨の中をやってきたというだけでも大きな苦労があったのだろと推測するぐらいは簡単なことだった。
起こさないように彼女の体を抱いて、私が普段寝ているベッドに横たえる。今は出来る限り休んで欲しかった。
「逃げろ、か」
早くとも猶予は明日。それも何時とまでは書かれていなかった以上、早朝に来る可能性もあるということだ。兎にも角にも準備をして損は無い。
家を出て行くことになった以上、もうこの家に帰ってくることは無いのだろう。あの人と一緒に過ごした思い出はここに置いていかないといけない。当ても無く逃げる以上は無駄なものを持っていく余裕なんて無いから。まずは荷物を入れるためのものだ。大きくて損は無いが、大きすぎれば行動の妨げになってしまう。となればいくつかに分けて緊急時には捨てても大丈夫なようにしておくべきだろう。となると背負うタイプのカバン、腰に巻くタイプのザックを基本として、他にも小分けに出来る荷物入れを用意する。次に食料だ。倉庫に貯蔵してある保存の利く栄養バーを始め、干した肉、果物、小麦粉や塩などの調味料を詰めていく。また飲み水は多く持ち運ぶとかさばる為、携帯ろ過装置とそれを保存できる小さめの容器を複数。あとは危険な夜を過ごす以上は必ず火を起こすためのものは必要になるし、雨風除けの外套、ナイフ、あげていけばキリがないが、出来る限り用意していく。もちろん、道中でシェルターを見つけることが出来れば買い足したりするための路銀は必須だ。
自分でも驚くほどには慌てているというのが実感できる。それがあの人からの手紙を読み朱里がいるからなのか、彼女を追ってきている何かが私にとっても不吉なものだと感じたのか。わからないけど胸騒ぎがするのは確かで、お昼ごはんを食べる余裕も無く逃げるための用意を進めた。
「こんなもの……かな」
日も暮れ始め、ようやく自分の中で整理がついた。目の前には荷物が一杯まで詰め込まれたカバンたち。トータルで見れば大きなリュックを背負うのとほとんど変わらない量だったが、自分の心が落ち着きを取り戻した頃にはこれだけの量が用意されていたのだからしょうがなかった。
「はく……?」
「おはよう朱里。よく眠れた?」
「うん」
「それならよかった。晩御飯を作ろうと思うのだけれど、お腹空いてる?」
「うーん。うーん? うん!」
「それじゃあ少し待っててね」
「はーい!」
朱里が椅子に座ったのを確認して、私は冷蔵庫から晩御飯を作るための食材を出していく。作るものは決まっていた。一人のときはほとんど作っていなかったけれど、今この家は一人じゃない。欲をいえばあの人と一緒に食べたかったけれど、それはいつか出会うまでお預けだ。
もう数度は作って手順も間違えることは無い。煮詰める必要が無いから大きく時間も掛からない。炒めて混ぜて溶かしいれれば完成だ。
「さ、できたよ。食べようか」
「これ?」
「カレーっていうの。おいしいよ。スプーンの使い方はわかる?」
「うん」
「それじゃあこうやって手を合わせて」
「あわせて?」
「いただきます」
「いたーだき、ます?」
そうだよ、と答えてスプーンに掬ったカレーを食べる。
朱里も見よう見まねでカレーを掬い口に含んだ。
「~~~!」
おいしい! 満面の笑顔を浮かべて次々と朱里はカレーを食べていく。スプーンの扱いがうまくいっていなくて時折口周りが汚れてしまっているが、彼女は気にすることなく食べ進んでいった。
2口目を食べる。久しぶりに食べたカレーは、一人で食べたときとは比べ物にならないほどおいしかった。