白い世界
そこは白い部屋だった。
目覚めて視界に映るのは白い天井白い壁白いベッド白いシーツ白い服そして私自身の白い髪だった。
意思というには薄弱で、生きているという実感どころか生きている意味すら知らない私はただひたすらに毎日意識を起こし開いている扉を潜り決められた部屋へ向かい白い椅子に座りどこからとも無く聞こえてくる声に返答しそれが終わるとまた別の部屋へ行き白い服を脱ぎ部屋にあるベッドとは違う場所に横になって眠る。目が覚めたら髪が少し濡れているがそれに疑問を思うことは無く折りたたまれた白い服を着て自分の部屋に戻り暗くなった部屋でベッドに横たわりシーツを被り眠る。
それが私の日常だった。
疑問? そんなことは抱いたことも無いし抱く必要もないし抱けばどうなるかはわからなかった。もしかしたらどこかで疑問を覚えていたのかもしれないけどやっぱりそんなことは一度だって感じなかった。
ただ一つ、眠っているときだけ私は私だったのかもしれない。覚えてなんていないけど。
だからこそ、その日は何かがいつもと違っていて、いつもと違う目覚めは確かにあって、いつもなら開いているはずの場所は開いてなくて、起きた私は初めてどうすればいいのかわからなかった。
--『今すぐ、そこに隠れなさい!』
そうしていると、部屋の中から声が聞こえた。いつも聞いている声とは違い、高い声。この声は聞いたことは無かったけれど、声がすると同時に開いた場所へと私は向かった。
--『そこでジッとしているの。声も、出しちゃだめ』
私が入った場所は真っ暗だった。いつも寝るときの部屋の暗さではなく、闇。自分の姿も見えなくて、そこに本当に自分の手があるのか気になって顔を触れるぐらいの闇。それにその場所は狭かった。手を十分に広げることは出来ない。だから、座ることにした。ひんやりとした床が足裏とお尻に伝わってくる。
そのときの私は言ってしまえば白い布切れ一枚を着ていたようなものだったから、下着はもちろん靴下とかそんなものは身に着けていなかった。かといって、それで寒さを感じたことなんて一度も無かった。
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。ただわかるのは呼吸を出来る限り浅くして、いつも起きている時間よりも遥かに長いというのがわかっていて、暗闇の中でも自分がそこにいるというのを教えてくれる体温と呼吸音と鼓動があったということぐらいだった。
「大丈夫かい?」
突然だった。
永遠に続く闇だと思っていた場所に光が差したこともだが、すぐ目の前で声が聞こえたことや目の前にいるのが男性であるということ。あらゆるものが突然で、初めてだった。
男性は微動だにしない私を見て何を思ったのか、膝をつき背に腕を回し膝を掬い抱えた。そして闇から光へと視界は移る。ちかちかとする視界の中でも男性は私を抱えたまま歩き出し、私が起きたときには開いていなかった扉を潜りぬけた。
「できれば、目を閉じていたほうがいいかもしれない」
なぜ目を閉じる必要があるのかはわからなかった。だから閉じることは無かった。そして扉を出たとき、白く映っていた視界は一瞬にして赤と黒が入り混じったものと化した。同時に、浅くとも息をしていた鼻腔を通るたびに感じるのは刺激臭。実際に嗅いだのは初めてだと思うが、それが鉄錆臭いということ、赤い廊下というものから血の臭いだとわかった。他にも焦げた臭いや煙の臭い。ぐちゃぐちゃに混ぜられた臭いと色は、白いというものしか知らなかった私に強く何かを訴えかけてきた。
「ごめんよ」
だがそれも、次の瞬間には暗闇に戻った。それが私を抱えていた男性が何かをしたというのはわかったが、とりあえず赤い視界は真っ暗闇になったのは確かで、私の中で訴えかけてきた『何か』はどこかへ消え去っていた。
こつこつこつ。こつこつこつ。
とくとくとく。とくとくとく。
一定のリズムを伴って聞こえてくる音と、男性の内側から聞こえてくる鼓動は安らかで。
暗闇だからなのだろうか。私は男性の腕の中で、いつものように眠るのだった。