プロローグ
豪勢な聖堂であった。床には目にも鮮やかな絨毯が敷き詰められ、祭壇には煌びやかな宝石が輝く。その傍らには、まだ年端もゆかぬ少女が佇んでいる。
「お前はただ、ここに立っていれば良いのです。動かず、考えず、ただただじっとしていればそれで全てが終わります」
質素な僧服に身を包んだ男が厳かに言う。背後から聞こえてきた彼の声を聞き流して、少女はぼうっと天井を見上げていた。
聖堂の天井を見事なフレスコ画が覆っている。ひざまずく鎧姿の男に、彼の頭に手をかざすローブ姿の男。少女の視線の先には、ローブ姿の男がかざすその手にあった。
透き通った体の女が、男の手から煙のように立ち上る。額から角を生やし、尖った耳は女が人ならざる身であることを物語っていた。
「お前が為すべきは、全てを受け入れること。精霊のご加護を得られるように祈りなさい」
僧服の男の声が、聖堂に低く響く。少女はようやく、天井を見上げるのを止め、目の前の人物に視線を移す。
その人物は簡素なローブをまとい、目深にフードを下ろしている。背の丈は少女と大差ない。年のころはさほど変わるまい。
彼は石像のごとく静かにたたずんでいた。しかし、少女の視線に気づいて顔を上げる。少女の目に、フードの下の顔が映ろうとしたそのとき、小さな手のひらが視線を遮った。
「大丈夫、怖がらないで。恐ろしいことなんて、何も起こらないよ」
声変わりもまだ迎えていない少年の声が、優しく語りかける。少女は眼前に迫った手のひらを、声の主である少年の手のひらをじっと見つめた。
「本当、に?」
かすかなつぶやきが少女の唇から発せられる。小さな声だったが、静かな礼拝堂には聞き逃しようもないほどによく響いた。
僧服の男が、粗相をした子供を咎めるように少女をにらむ。わざとらしく咳払いをしようとしたが、その動作は途中で止まった。
「本当だよ。僕のことを信じてくれ」
少年の声が礼拝堂に響いた。
「精霊の導きに従い、この世界を救う。それが僕の使命。命に代えてでも、果たさければならない」
声に迷いはなく、その幼さと相容れない威厳があった
「だから、どうか君の力を貸してほしい」
少女は自らの視線を遮る、少年の華奢な手のひらを見つめる。
この手を信じるか否か。全てを委ねるか、あるいは拒絶するか。
考え抜いて、少女は決断を下す。
「じゃあ、信じる」
「ありがとう」
少年は凪のような穏やかな声で言う。その声には特別喜ぶ様子はない。さも当然のように、頷き返した。
少女は瞼を閉じる。世界は暗闇に閉ざされ、遠ざかる。
もう少年に全てを委ねると決めたのだ。だから、少女がすべきことはただ一つ。
救世主の奇跡がこの身に授けられるのを、ただひたすら祈ることだけ。