195話 交渉
「……ふぅ」
草原に吹く風が心地よい音色を奏でる。
気がつけば白一色の空間は消え去り、見回すと血塗られた大地に横たわる黒装束の暗部たちが倒れている草原へ戻っていた。
鼻に付く鉄の臭いに涼太は顔を歪めて消滅魔法を使って辺りの不快感を取り除く。
「涼くん!」
柚は小走りで駆け寄り涼太の胸元へ抱きつく。
「うわっ、いきなり飛びつくなよ」
「涼くんの匂いって安心するよねって、そうじゃないや。涼くんって一体何者?もしかして本当に神様だったりする?」
「俺は普通の冒険者と商人のつもりなんだけどなぁ」
「そこらの小説に出てくるチート主人公よりもチートだと思うんだけど」
その言葉に否定は出来ない。
地上の平均的なステータスと比べると逸脱している事には変わりないからだ。
柚も地球では異世界チートものの小説を多少は読んでいたことから上手い言い訳が思いつかない。
「はぁー、いいか。この世界には下位ステータスと上位ステータスがある」
「なにそれ、ステータスって上位とかあるの?」
「とある上限値までレベルを上げるとレベルという概念が消えてステータスのみの表記に変わるんだよ」
「へぇ、因みに上限値ってどのくらい?」
「50万」
「…………へ?」
呆けた顔で首を傾げて頭の上にクエスチョンマークを浮かべる柚。
柚はレベル1から強制的に洞窟へ放り出された経験を持つ。
死ぬかもしれない危機感に見舞われながら、それでも生き延びた自分に自信を持っていたが、50にも満たないレベルの自分にはあまりにもかけ離れた数字。
「あー、ヤメヤメ。この話は落ち着いてからだ。その内に馬鹿神たちにも会うだろうしな。イザベルさん、あなたたちはこれからどうするつもりですか?」
やはり自分のことを話すのはむず痒いというか、話の区切りがつきそうもないと判断して涼太は無理やり新たな話の矛先をイザベルに向ける。
「いや、あの……私たちもあなたが何者なのか知りたいのですが……」
至極当然だろう。
突然現れた名も知らない男。
それも自分たちでは理解できない力を使って邪神を屠ったのだ。
聞きたいことが溢れ出てくる。
「あーもう、俺はセリア王国とラバン王国に拠点を持つ冒険者って言ったでしょう。それ以上のことは戦争が終わってからにして下さい」
「……っ、そうでした!もう数刻もなく帝国軍がラバン王国に向けて進軍を開始します。柚さんはあなたに任せれば大丈夫でしょう。私は今から帝国に戻って脱出に協力してくれた部下たちを助けに行きます!」
自分たちが助かったことで帝国に残った円卓の女騎士たちが謀反をしたまま残っていることを思い出す。
隊長格のレティシアたちならば数日は逃げ延びることは可能だろうが、他の隊員たちの力量は一般の兵士たちと変わりない。
脱出に手を貸したことは皇帝も知っているだろう。
(あの皇帝が謀反した兵士を許すはずがない。騎士団全員が処罰ないし最悪は一族郎党処刑される可能性もある)
女ならば処刑する前に男が慰みモノとして好き放題するのは良くあることだ。
自分の部下たちがそんな姿になっている事を想像しただけで心が締め付けられる。
「総隊長、私も同行します」
一刻も早く仲間たちを助けたい気持ちはイザベルと同じくアンリも持っている。
「あなたたち二人で助けられるとは思えませんが」
「その事は百も承知です。こんな事を言うのは不躾だと思いますが、邪神を倒したあなただからこそお願いします。どうか逃した私の部下たちだけでも助けてはくれないだろうか。対価として私のことを今ここで好きにしてくれていい」
その言葉に涼太は戸惑う。
もともと、柚を助け出すために帝国まで足を運んだが既にその課題は成し遂げている。
これ以上、彼女たちの問題に付き合う義理はないし戦争に加担しているであろう魔王軍が王国に攻め入る可能性の方が心配だ。
しかしイザベルは頭を地につけて必死の懇願をする。
超が付くほどの美人が自分に土下座をして自分を好きにしていいと言う。
やんわりと断る事は出来そうにもない、と言うよりも柚のことを考えると彼女が言った発言は背筋が凍るものがある。
(はぁー、帝国軍が戦争を中断することは先ずあり得ないだろう。俺が引けば帝国軍とラバン王国軍との戦いは始まる。俺一人で片付ければ戦死者も最小限にとどめる事は出来るが……)
「涼くん、私からもお願い。どうか私を助けてくれた人たちを助けて!」
「柚……」
「ユヌたちも残されているの。私は彼女たちも助けたい」
「ユヌ?」
「うさぎの獣人の奴隷だよ。私と一緒の檻に閉じ込められていた、仲間とは言えないけど大切な人」
涼太は以前に柚が写っていた写真を思い出す。
その写真の隅には確かに身体にいくつもの欠損を抱えたうさぎの奴隷が写っていた。
以前に貴族の地下牢に奴隷として繋がれていたシェイたちの構図とよく似ている。
しかしセリア王国以上にグロテウス帝国は獣人に対して蔑視していることからより酷い扱いを受けているだろう。
「イザベルさん、あなたたちを全員助ける事にします」
「本当か!」
「それについて、無償での手助けをあなたは望みますか?」
「あり得ない。何か対価を支払わなければ私の気が治らない。しかし、私があなたに出せる対価は何もない……だから」
「だから自分の身体を好きにしていいとね。確かにあなたは女性としてとても魅力的ですが、それは俺の主義に反します。ですから一つ提案があります」
「なんだ」
「セリア王国とラバン王国が危険視しているのは魔王軍と帝国です。あなた方には俺の下について貰って魔王軍との戦いに参戦して下さい。あぁ……戦うとは言っても主には住民の避難誘導などに徹してもらう事になるでしょう」
「……そんな事でいいのか?」
イザベルは目を丸くして涼太を見つめる。
涼太は今可能な限りの全員を助けると述べた。
全員とは円卓の女騎士の全員に加えて柚の知り合いである奴隷も含まれている。
いくらイザベルとて騎士団の全員を助け出すのは不可能だと思っていた。
しかし涼太なら不可能を可能にする力がある。
その対価も莫大なものだと思っていた。
しかし頼み事に対して提示された条件を考えると裏があるのではと疑うほど楽なものだ。
「イザベルさん、あなたのレベルは324と人族の中ではかなり上位に入りますね?」
「……なるほど、鑑定か。確かに私は帝国では五本の指に入る実力者だ」
「布石は既に打っていますが、最悪の場合はあなたが民間人の誘導と守護をしてくれると心強い。俺としては不安材料を少しでも軽減できるだけでも大きいんですよ」
「なるほど、帝国には以前からうんざりしていた。私の騎士団の中でも現皇帝に敬意を抱く者は誰もいないし鞍替えをするのも良い機会か」
右手を顎に添えて数秒間思考をする。
イザベルが帝国に仕えていたのはあくまで前皇帝に対して敬意を払っていたことくらいだ。
現皇帝に何らかの未練がある訳でもなく、むしろ女のみで構成されている自分の騎士団を侮蔑する対応にはうんざりしていた。
「一つ聞きたい、その場合には私たち騎士団は王国でどのような扱いを受ける?」
願えるにあたっての最も警戒するべきところはその後の待遇だ。
涼太の力を直に感じたイザベルは帝国が涼太一人に敗北する様を既に脳内で浮かべていた。
魔王軍との戦いが終わればどうだろう。
敵国の騎士団が裏切って自軍に参加しますと言って、はいそうですかとは行くまい。
帝国ではそういった行為を行う人物は敵味方に関わらずまともな対応をした覚えがない。
「そうですね、俺が陛下たちに直談判する方法もあります。新たな騎士団として王国に仕える場合は、その後の対応は俺は保証できませんねぇ。況してや女性だけの騎士団となると俺には判断できかねますかね」
「どこの国も男尊女卑なのだな」
もしかしたら、と期待していたイザベルだが事はそう上手くいかない。
「うーん、騎士団の皆さんが国に仕えることに固執している場合は無理でしょうが一つ、安定した職場で今後の生活を送れる方法があるんですが」
「なに!?それは本当か!」
カッと目を大きく見開き、涼太の両肩を掴んで顔を近づける。
本人は全く気にしてはいないが、側から見れば恋人がキスをしてもおかしくない距離だ。
「じ〜〜〜」
既に予感はしていたが、涼太の後ろでは不機嫌な顔つきで二人を眺める柚の姿がある。
殺気とまではいかないが、黒くモヤモヤしたオーラが背中にヒシヒシと伝わる。
「あのー、柚さんや。一体どうしたのかな」
「別に涼くんが私とアンリさんを除け者にしてイザベルさんと仲良くお喋りしている事に不満なんてないですからー。どうぞ、続きを」
「別に仲良くしていないだろう。今後の騎士団の方針を決める大切な話なんだよ。でも、まぁ立って話すのは何ですし座りましょうか」
涼太は円卓のテーブルを土魔法で造り、四つの背もたれが付いた椅子を出す。
アンリとイザベルは多少は驚いたが、先程の惨状を目の当たりにしたせいか直ぐに落ち着きを取り戻して座る。
問題は柚だが何故か用意された椅子には座らずに涼太の股の間にちょこんと座り込み涼太を背もたれにした。
言いたい事はあるが、何か発言すれば面倒な事になるかもと察して涼太は大人しく引き下がる。
「さて、話を戻しますが解決法についてです。一つは冒険者として活動をする事です。冒険者なら女性のみで構成されたパーティも珍しくはないので危険はありますが仕事には困りません」
「冒険者か、確かに私もそこは可能性としてはあると見ていた。しばらくは生活に苦しむだろうがランクを上げれば安定してくるだろう」
「それとは別でもうひとつ……」
「分かった!涼くんがオーナーとしてイザベルさんたちを雇うんだ!」
涼太の発言を遮り、柚が挙手して発言する。
「確かにその通りだよ」
どうよ、褒めなさいよと言わんばかりにこっちを向く柚に涼太は後ろから頭を撫でる。
もしも彼女が獣人ならば尻尾を大きく振っていたことだろう。
「涼太さんが私たち騎士団をですか?国ならまだしも個人ではかなり大変かと思いますが」
「アンリさん、訂正して貰いたいのですが、あくまで俺は仕事を紹介する立場でいるつもりです。これでも俺は店を町の区画ごと持っているので、これから更に増やすとなると警護や従業員は全く足りていないんです」
セリア王国の孤児院を含めた区画の土地は以前に商業ギルドで涼太が買い取った。
店を並べると数百店舗は入る大きな土地で未だオープンしている店は数店舗のみ。
本格的に開拓するとなると工事費は自分で賄えると考えてもいいが、人手が全く足りない。
その点において元騎士団を勧誘できるとなると、警備を雇う必要もなく人員を確保できる。
涼太としてはそこが狙いなのだ。
「…………分かった。確かに敵国に移ると考えると最高に近い待遇だ。涼太殿、あなたの案に乗らせてもらおう」
「ありがとうございます。では軽く食事を取ってからグロテウス帝国まで行くとしましょう」
「仲間が危機的状況にある状況で飯を食う余裕はーー」
くぅ〜
と、可愛らしい音がイザベルの方から鳴った。
大人数ならば誤魔化しも聞くが、それぞれが少し離れた位置に座っていることから何処から鳴ったのかは言い訳のしようもない。
実際、イザベルは騎士団の指示や王の警護にあたっていた所為で丸一日も食事は取っていなかった。
仕方ないとは思うが、鳴った自分は羞恥に顔を赤面させる。
「そう言えば、私もまともな食事をしていないなぁ……」
柚に至っては牢や独房の中で餓死しない程度の食事しか与えられていなかったので、とうの昔にお腹が減る感覚が麻痺してしまい無気力感しか残っていなかった。
十数分後、
料理スキルMAXの男によって用意された料理の品々を見て、生唾を飲み口に入れた三人は涙を流しながら料理を口に運ぶ。




