190話 途中
雲一つない晴天、
陽の光が一面緑の草原を照らす。
草木たちが暴風に巻き込まれたかのように揺れ動く。
その暴風はすぐに収まるが、軌跡として生えてたであろう場所は大地が剥き出しになっている。
「クソクソクソッ、移動するのは承知していたが予想以上に時間がかかるな」
一般人であれば姿をとらえることすら不可能な速度。
大地が剥き出しになっているのは音速を超えた速度により衝撃波が生まれたことによるものだ。
月宮涼太はラバン王国を出た後にグロテウス帝国まで最短の距離を走って向かっていた。
一刻も早く幼馴染であり囚われの身となった柚を助け出すために。
馬車で迎えば早くとも二週間はかかる道のり。
途方もない時間に見えるが涼太の走る速度で考えれば3〜4時間程度で着く。
一見早くも見えるがその時間さえも今の涼太にとっては長く感じてしまう。
渦巻く負の感情を押し殺して走っていると近くに魔物と人が戦闘している場所を感知した。
魔物の数は数百程度、数名の魔力が弱まっていることから守勢状態で危険が迫っていると判断する。
(どうする?今は俺にとって一刻を争う状況、見捨てることは造作もないが……助けられる命を無駄にするか……あぁ、クソッ!本当に俺はお人好し過ぎるな)
涼太は足を止めて反応のある方向へ再び駆け出す。
「はぁはぁ、なんでこんな所に魔物の大群がいるんですか。こんな依頼、受けるんじゃなかった。グロテウス帝国までの護衛よ」
「レシア、この依頼が違法であったことを見抜けなかった私たちの落ち度よ。今は目先のことを考えなさい」
片手剣を持った女剣士はカタカタと体を震わせて目の前にいる魔物と対峙していた。
意気消沈といった表情を浮かべている少女に大剣使いの女性は喝を入れる。
彼女たちはラバン王国に所属する冒険者でとある護衛依頼を受けていた。
先日、ダンジョンに潜っていた際に『軍隊巨蟻』という絶望的な相手に殺されるかもしれない絶体絶命の状態でとある少女たちに命を救われた。
手持ちの金が多いというわけではなかったが、命には変えられないと謝礼として彼女たちは助けた冒険者たちに金を譲渡した。
無論、ダンジョンから帰還した際には自分たちの防具はボロボロになっており直すのにも時間と金が必要になる。
このままでは自分たちの貯蓄していた財産は尽きてしまうとギルドの酒場で悩んでいたところで、割りの良い護衛依頼があると一人の男に声をかけられた。
依頼人の詳細は明かされていないが、通常の護衛依頼の2倍相当の金額を言い渡された少女たちは、若干の違和感を抱きながらその依頼を承諾した。
「まさか裏奴隷商人とはね……」
奴隷という制度はラバン王国の方針により、表面では禁止されている。
取引も他国への譲渡も見つかれば犯罪だ。
恐らくはグロテウス帝国との戦争が起こればラバン王国は負けると判断して、襲われる前に逃げ出そうという判断だったのだろう。
魔物の大群に庇いきれなく真っ先に殺された裏奴隷商人。
馬車の中を確認すると精気の無い幼い少女や獣人の子供たちが檻の中に閉じ込められていた。
奴隷商人は死のうが心は痛まない、しかし無垢な少年少女たちを見殺しにすと割り切れるほど彼女たちの心は冷徹ではない。
魔法職である少女のユアンが馬車を守りつつ、2人の援護を、片手剣を持つレシアと大剣使いのミアンが魔物の大群を相手にしている状態であった。
魔物自体はゴブリンやコバルトなどの初級冒険者でも倒せるレベルだが数が異常だ。
倒しても倒しても『軍隊巨蟻』の時のように無限に溢れ出すような感覚。
「あの時みたいに誰か助けに来てくれないかなぁ……」
奇跡にすがりつく末の妹だが、冒険者は実力で成り上がっていくものーーー
「ユアン、そんな奇跡が二度も起こるはずーーーえっ?」
ーーーだが彼女たちは二度目の奇跡を目の当たりにする。
それは異様な光景だった。
先ほどまで戦っていた魔物たちの動きが突然止まる。
その数秒後にレシア視野に入る魔物たちが横一線にずり落ちた。
体躯の大きな魔物は腹から上を、そうでない魔物は首を。
「ははっ、おいレシア。どうやら私たちは本当に運が良いらしいぞ」
先ほどの言葉を皮肉に言うようにユアンは引きつった顔で呆然としているレシアにそう告げる。
「はぁ、感覚がズレてしまっている様だけどゴブリンやコボルトが群れれば脅威になるのが常識なんだよなぁ。力の加減が以前よりも制御できなくなっているのも問題か」
涼太は神界の魔物たちを相手にし過ぎていたせいで地上の普通の魔物を適切な威力で倒す感覚が以前よりも鈍っていることに違和感を覚える。
物語の悪役が吐く「道端に転がる蟻を殺さずに進のは難しい」という決まり文句があるが、なるほど確かに悪役が吐くその言葉の筋が通っていると理解できる。
手に持つのは涼太の愛用する黒刀・天羽々斬だ。
その性能は鍛冶の神であるヘファイストスが認めるほどの名刀であり神剣と同格と言っても良いほど強力無比な武器である。
涼太はすぐさま刀を終い、代わりに木刀を携えて自重しようと心に誓う。
「さて……」
涼太は魔物の死体を踏み越えて襲われていた女冒険者たちに歩み寄る。
「まずはご助力感謝する。私はミアン、三姉妹で冒険者をやっているものだ」
「助けたところ悪いが俺は今急いでいる。普段ならばゆっくりと経緯でも話しているところだが了承して欲しい。簡潔に問おう、助力が必要か?」
ミアンは目の前の男を見て鳥肌が立った。
彼女は大剣と少しの補助魔法は使えるが、特に魔法に特化しているとは言えなかった。
ただ一つ、長年冒険者をやってきて培った相手の力量を判断する野生の勘というものだろうか。
例えるならその人物が放つオーラが見える。
感じ取れるオーラが大きければ大きいほどその人物は強者であると判断してきた。
以前にダンジョンで助けられた時に感じた少女たちの気迫と魔力は自分たちを凌駕していた。
中でもフィルフィーが放つ気迫一線を越えていた。
英雄と呼ばれる領域に立つ人物というのはこのような威圧感があるのだろうと。
男が放つオーラはそんな生半可なものではなかった。
戦意を抱くことすら烏滸がましく思えるほどの強者の圧。
もし存在するならば神とはこういった存在なのかもしれないと。
「……あ……ぁ……ぁ……オェェェェェッ!」
身体を震わしていた末の妹のユアンが突然、地面に倒れ込んで嘔吐する。
「ユアン! 一体どうしたの!」
未だ敵に囲まれていることを忘れてレシアはユアンの傍に駆け寄った。
「ゴホッ……ダメ……あの魔力は、異常……だよ」
その言葉に涼太はハッと我に返って自分の魔力が乱れて外に微量ながら溢れていることに気が付く。
いつもならばほぼ完璧に魔力を制御しているが柚の事を思うと心が乱れて制御がどうしても不安定になる。
(しまった、魔力制御も出来ないほど気が飛んでいたか。これでは一般人に恐怖を抱かせる存在と変わりないな)
涼太から溢れ出した魔力が数パーセントだとしても、その魔力量は平均の魔法使い数百人分を優に超える。
嘔吐した少女には魔力の波が洪水になって自分を飲み込もうと錯覚させたのだ。
「すまないな、少々気が荒振り過ぎていた。まぁ、助けはどうせ必要だろう」
軽く指を鳴らす。
それだけで数百いた魔物たちは、まるで上からプレスされたかのように押しつぶされ、地を自分の体液で濡らしてミアンたちの視界から姿を消す。
それと同時に涼太は漏れ出した魔力を体内で循環させるようなイメージで落ち着かせた。
「さて、邪魔者も居なくなったところで君たちに聞くがこれからどうする?」
「私たちは違法の依頼を受けてしまいました。問題は依頼主が死んだことと残された奴隷がいる件についてです」
涼太は目線を馬車の方に向ける。
すでに馬車に繋がれた馬は魔物に殺されている。
横たわっている男が恐らく依頼主であったであろう男。
この三人に奴隷たちを預けてもお互いにメリットは無いだろう。
檻から出したとしても精神的に弱まっている少年少女たちは傷を癒しても歩くことはままならない。
精神面での治療が必要だが、そんなことをしている時間は俺にはない。
「一つ提案がある。これは誰にも口外することを禁止とすることが条件だが、それを呑めば君たちが受けた違法依頼に対する失敗も奴隷たちの安否も保障しよう」
「……私たちは助けられた身です。その上でこの事態を解決できるのであればあなたの指示に従います」
ミアンは後ろにいた二人に目線を向ける。
二人も了承したのかコクリと頷く。
「よし、それでは今から君たちを馬車ごとラバン王国付近まで転移させる。俺の名を出せば王族とアルマス家は味方になってくれるだろう。名前は月宮涼太だ」
その言葉にミアンは目を大きく見開く。
アルマス家はラバン王国で最も権力のある公爵の地位が与えられている貴族、それに今この男は王族と言った。
つまりは目の前の男は王族に頼み込めるほどの関係にある人物であることが分かった。
「あなたは一体……」
「それは秘密だよ。絶対に周りに口外しないでくれよ」
そういうとミアンたちの地に大きな魔法陣が生まれる。
言葉を発する間もなくミアンたちはラバン王国周辺まで転移した。
「……ふぅ、行くか」
涼太は姿勢を低くして脚に力を籠める。
次の瞬間、弾丸が放たれたかのような破裂音が聞こえ涼太の姿は消え去り、静かな風の涼音だけが草原に流れる。
次回、お待たせしました。




