188話 救出
冷たい石畳の上。
寝床にするためのベットどころか檻に置いてあった藁すらもなく、ただ左右に嵩張った木箱が十数個と作業をするための道具と机が置かれていた。
木箱の中身は空の瓶である。
一箱に100本収納できる故に、その瓶の数は数千単に及ぶ。
(……………………)
一人の少女がその木箱を背もたれにして虚空の彼方を眺めていた。
その顔色は召喚された当初に比べると変化して目の下には大きなクマと筋肉も減り充分な栄養も取れていないことから痩せ細っている。
(…………私はいったい何をしているんだろう。薄暗い独房の中でひたすら同じ作業を繰り返す。話し相手どころか人の気配すらもない)
数日の間、彼女に接触した人間は食事の補給係のみだ。
その補給係ですら独房の中に食事を運ぶだけでまともに会話すらしたことがない。
約一週間の間、彼女はただ一人で孤独と向き合っていた。
「はぁ……ユヌに会いたいなぁ」
決して人間の言葉を信用しなく、自分でさえ警戒されていたウサギの獣人。
親友や仲間とは言えないが、同じ奴隷という立場で助け合いました中である。
しかし自分の話に興味を持つ彼女は同じ時間を過ごす中で十分に信頼を持てる相手だ。
「少し仮眠を取ろう」
まともに頭の思考すら働かないことを自覚して彼女は硬い石畳の上に横になって目を閉じた。
十数分後、変化は突然訪れた。
石畳を叩く複数の足音が独房の外から聞こえる。
他に刺激がないために、五感が研ぎ澄まされた柚はその音にハッと気づく。
ここに来て複数の人間が自分に接触してきたことは一度もない。
足音が揃っていることから、何かしら統率された人物たちが近くに来ていることが理解できる。
意識を覚醒させて柚は檻の扉をじっと見つめる。
扉はゆっくりと開けられる。
外には視界以外は黒ずくめで統一された衣装を身に纏った男たちがいた。
数は8名、戦士のような体格ではなく俊敏さを重視したような体型である。
男たちの瞳に光はなく無機物を見るような目で目の前の少女を見つめる。
一人の男が独房の中に入り柚の側へと近づく。
その不気味さから柚は床に尻餅をついて後退りをする。
そっと手を差し伸ばし逃げ出さないような繋がれた足枷を外す。
一瞬、男たちは自分を逃がすために足枷を外したのではないのかと思ったが次の行動でその考えは反転する。
ゴキッ、
人体から鳴ってたいけない音が響く。
「アガッ!……ッァァァァァア!」
「騒ぐな、足首の関節を外しただけだ」
男たちがいったい何を言っているのか理解できない。
突然現れたと思えば、何の躊躇もなく女の関節を外した。
柚は痛みの中察する、この男たちは異常だ。
これまで出会った中で一番危険な部類に入る輩であると。
「王の命により今からお前には戦場に行ってもらう。大人しくついて来い」
男は柚を肩に担いで独房の中から出る。
一切の抵抗が出来ぬまま、いや……その抵抗をさせない為に足首の関節を外したのだろう。
戦場、この世界に来てまともに戦いすらした事がない柚にとっては未知の領域である。
無防備な女の子が一人で出向けば相手に殺して下さいと言っているようなもの。
この国の王は柚を用済みの捨て駒にすると判断したのだ。
そんなことを思い、苦痛と焦燥感に駆られていた。
風が柚の肌を撫でる。
「えっ……」
何が起こったのか一瞬わからなかった。
ただ分かるのは先程の無機物のような固い感触ではなく、人の温もりがある何かに抱えられていること。
先程の自分を抱えあげていた男が小さく呻き声を上げる。
見ると右膝から下が無くなり、その先端からは鮮血が流れ出ていた。
「すまない、遅れてしまった。もう大丈夫だ、お前は私が助け出す」
女性は優しく囁く。
「|円卓の女騎士〈ロイヤルクイーン〉、総隊長イザベル。これは明らかな反逆行為であるぞ」
「そんな事は百も承知だ。貴様らが暗部の者である事も何故その少女を連れ出すのかもなッ!」
柚を檻のそばに降ろしたイザベルは剣を抜き、片腕を無くした男へ向けた肉薄する。
目にもとまらぬ速さで抜かれた剣は男の首元へと吸い込まれる。
「…………厄介」
ミスリルで構成された長剣と暗殺者が懐から取り出した短剣がぶつかり合う。
ステータスはイザベルに軍配が上がる。
暗殺者は短剣を滑らせ身体を跳躍させて剣撃の勢いを殺す。
入れ替わるように二人の男が後方の左右からイザベルを襲う。
研ぎ澄まされた殺気を刃に乗せるが、殺気に敏感なイザベルにとっては逆効果でその居場所は目を瞑っていても分かる。
「ナメるなッ!」
魔力を刃に通す。
ミスリルは魔法銀であり、魔法を付与させる際の魔力伝導率は鉱石の中で群を抜いて高い。
一閃。
身体強化されたイザベルの力は並みの戦士の筋力をはるかに上回る。
実際には二撃であったが暗殺者の目は剣を振り抜いた道中の姿を捉えられなかった。
頭上かか股にかけて一刀両断する。
「貴様の目的はこの女か。生きていさえすれば問題はないだろう」
柚の方をちらりと見る。
暗殺者たちの行動は既に始まっており、背後の壁の中から一人の男が現れる。
レティシアが使っていた影渡りだ。
「ーーークソッ!」
即座に足に力を入れようとするが足が地から動かない。
違和感に駆られて見回すと一人の暗殺者の影とイザベルの影が繋がっていた。
【影縛り】
闇魔法ほ影渡りと同じ部類に属する魔法であり、自身の影と相手の影を縛り付けることにより身動きを取れなくする上級魔法である。
しかしこの魔法は相手の動きを一時的に鈍らせるだけあって自身より力のある人物に対してはすぐに振りほどかれる欠点を持つ。
イザベルであれば数秒もしないうちに振りほどくだろう。
だが数秒、それだけあれば暗殺者たちが柚に危害を加えるには十分過ぎる。
「ありゃ~、ひょっとしてピンチですかぁ~」
柚の後ろから現れた男が吹き飛ぶ。
レティシアは懐から針状の暗器を取り出し男へと投げつける。
投げられた暗器は男の四肢をえぐり壁へと縫い付ける。
「総隊長、すいません遅れました」
「気にしなくてもいいよ、アンリ。イザベル様が速すぎるだけだから。それにしても君たちが暗部ねぇ~、思っていた以上に面倒な連中かぁ~」
統率された動き、見方が殺されようとも一切の表情を変えずに敵へ視線を送る様、そして暗殺者特融の闇魔法。
レティシア自身も暗殺者ゆえに対峙いて漸く分かった。
相手が自分たちに匹敵する実力の持ち主であることを。
先ほどの行動と言い、全力で戦闘するならばイザベルの戦闘能力を含めてこちらが有利だが柚という保護対象がいる中での戦いは圧倒的にこちらが不利である。
しかし二人の登場に男たちに表情にようやく変化が訪れた。
「『針殺者』レティシアと『器用貧乏』アンリか。どちらも厄介な」
二人の異名を口にする。
「へぇ~、表立っては知られてない私の異名を知ってるんだぁ~。これは本気で戦わないとダメかなぁ」
にへらっと笑いレティシアは短剣を腰にしまい、両脇の懐から長さは約20センチほどの針を取り出す。
それを一人の男に投影した。
空気抵抗にも影響されない針はまっすぐ男の眉間へと吸い込まれる。
男はとっさに自身の腕を前に出して針を防ごうとする。
「ガッ……」
しかし針は男の腕を易々と貫通させて眉間を貫通して後ろの石壁に深く刺さる。
普通の針がここまでの貫通力があるはずがない。
暗殺者たちはレティシアへの警戒を引き上げて姿勢を低くする。
「ダメだよ~、私の針は全てミスリルで出来ているんだよ。魔力を纏わせているんだから人体どころか鉄の鎧すら貫通しちゃうの。気を付けてねぇ」
物体は衝突した面積が狭いほど貫通力を持つ。
針は最も武器の中で貫通力があるが針自体の軽さから相手に使うとすれば牽制程度にしかならない。
レティシアの針はその欠点に該当しない至極強力な武器なのだ。
「貴様ら、どこを見ている?」
ふと後ろを見ると悪鬼羅刹のごときイザベルが男たちを見据えている。
すでに影からは自力で抜け出して自身を縛り上げていた男を足で組み伏していた。
「イザベル様~、ここは私一人で大丈夫なんで~、その子とアンリを連れて逃げてください~」
「抑えられるか?」
「ん~、これの倍くらいの数がいたら危ないかもしれないんですけど~。本気を出したらボチボチいけるかな~的な」
「分かった。後で増援を送る。それまで持ちこたえろ」
「出来れば早くお願いしますね~」
「レティシア、死んだら許しませんよ」
イザベルは柚を肩に担いでアンリと共に独房の階段を駆け上がる。
男たちは逃がすまいと追いかけようとするが、
「逃がさないよ~」
レティシアが床に針を投影して男たちの行く先を防ぐ。
「ちぃ……針殺者。想像以上」
「さてさて、それじゃぁ始めますかぁ~。言っておくけど私も暗殺者だから奇襲やら暗殺やらは利かないからねぇ~」
地下の独房部屋。
暗殺者同士の戦いが幕を開けた。
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