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神様へのいたずら  作者: 川本 流華
7/8

いたずら

避けることができないものは、

抱擁してしまわなければならない。

―ウィリアム・シェイクスピア


 朝陽はずっと携帯電話を眺めていた。いつ連絡が来ても外に出られるように部屋着に着替えることもなく、夜通し起きて動けるようにしていた。

 夜が過ぎ、朝が来た。

 早朝にも関わらずアパートの階段を上がってくる音がした。それは覚束なく一歩一歩ゆっくりと上がってくる音だった。

 朝陽は確信をもってドアを開いた。

「夕海」

手すりにもたれかかる様にしている人影に向かって声をかけると、朝陽は急いで駆け寄った。

「朝陽? ゴメンね。携帯取り上げられちゃって……」

衰弱した体で必死に言葉を発すると、そのまま朝陽の腕の中で眠り込んだ。

 朝陽は急いで救急車を呼んだ。頭上のカウントは目を背けたくなるほどに減っていた。

 搬送される夕海を見て夕海の母親は吐き出しそうなくらいに泣いていた。さっきまで探し回っていた様子で髪はぼさぼさに荒れていた。

 夕海はすぐに手術室に運ばれ、朝陽と夕海の母親は近くの椅子に座った。

「朝ちゃん、ごめんなさい」

「いえ……」

二人の間にこれ以上の会話はなかった。

 手術は六時間後に終わった。夕海が意識を取り戻したのはそれから三時間後だった。

「私、まだ生きられる?」

それが目を開けた夕海の第一声だった。

「大丈夫よ。すぐに良くなるわ」

夕海の母親が答えると、周りの医師たちは深くうなずいた。しかし、夕海の目は朝陽の姿だけを捉えていた。

「大丈夫だよ」

朝陽の言葉を聞くと、夕海はよかったと再び目を閉じた。

 実際は丸一日分ほど短くなっていた。明日のこれくらいの時間に夕海の人生が終わりを迎えることを頭上の数字は示していた。

「朝ちゃん、少し見ていてくれる? 着替えをとってこないと」

「ええ」

夕海の母親は気を遣うように席を空けた。周りの医師たちも合わせるように部屋を後にした。

 朝陽はベッドの端に座ると夕海の手を握った。

「あとどれくらい生きられる?」

「起きていたの?」

朝陽は驚き立ち上がった。夕海は目を開くことなく口元だけで微笑んだ。

「ねぇ、あとどれくらい?」

「明日の夕方くらいに……」

「そう…… ゴメンね、辛い思いをさせているね」

「そんなことはないよ」

夕海は自分の体を起こそうとしたが、うまく出来ずにいた。夕海は諦めたように力を抜き、ベッドの端をポンポンと叩いた。

 朝陽は座りなおすと、夕海の手を握った。

「朝陽と結婚して、子供を産んで、そんな当たり前なことが夢だった」

「……」

朝陽は黙って窓の外を眺めていた。

「夏になったら実家の庭でバーベキューして、パパとママが私たちの子供を抱っこして笑っているの」

朝陽は夕海の手を強く握った。夕海は一つ笑うと、力の入らなくなった手で握り返した。

「ねぇ、朝陽。最後のお願い」

「うん?」

「キスして欲しいな」

朝陽は少し戸惑い、照れながら夕海の方を見た。夕海は頬を赤らめながら視線を逸らすように首を傾けていた。

「そんなの、お願いに入れなくていいよ」

朝陽と夕海は互いの指を絡ませると、唇を重ねた。どちらの涙だろうか、夕海の頬には一粒の滴が伝った。

「ありがとう」

夕海が言うと朝陽はそのまま額を重ねた。そして、二人は無邪気に笑った。

「眠くなっちゃった」

「傍にいるよ」

「うん」

夕海はそのまま眠りについた。朝陽は体を起こすと、そのまま手を握り続けた。

 その日は夕海の母親が付き添いの許可を取り、朝陽が病院に泊まった。

 最期の日、朝陽が目を覚ますと穏やかな表情の夕海がいた。

「おはよう、朝陽」

「おはよう」

「起きたときに好きな人がいるって幸せだね」

夕海が惚気ると、部屋の隅で咳ばらいが聞こえた。

「そうでしょう」

夕海の母親は横槍を入れると、隣に座る夕海の父親の肩に頭を預けた。

「パパ、仕事は?」

「今日は有休を取ったよ。たまには家族で過ごそうと思ってね」

夕海の父親は朝陽の方を見た。朝陽は恐縮すると、どうしようか戸惑った。

「冗談だよ、朝陽くん」

「朝ちゃんは家族みたいなものだもんね」

「みたいじゃないよ。朝陽は家族だもん」

夕海は母親の顔を見て断言して見せた。その言葉はこれから先も朝陽のことをよろしくと伝えているようだった。夕海の母親は穏やかに微笑むと深く頷いた。

「朝陽、こっちにきて」

夕海は手を差し延ばした。朝陽はその輪の中に入り、幸せな時間を過ごした。病気なんて嘘だった、そう言い聞かすように、忘れられるくらいに些細なことでも大きく笑った。

 昼食は夕海の好きなものを食べた。そして、何気ない会話を続け、このまま何事もなく一日が終わるような雰囲気がその場を包んでいた。誰もがそれを望んでいた。

 しかし、夕海のカウンターはその時間がやってきたことを告げていた。

「ちょっと眠くなってきた」

「いいわよ、寝ても」

夕海の母親が答えると夕海は優しく微笑み、朝陽の方を見た。朝陽は涙を堪えながら静かに頷いた。何かを伝えようにも言葉が何一つ出てこなかった。この時のために与えられた能力だというのに、この想いを伝えられるだけの言葉がなかった。

 朝陽は夕海の手を握った。

「ありがとう。家族に囲まれて幸せだなぁ」

夕海は涙を溢しながらも懸命に笑顔を作った。

「まだ死にたくないよ」

「大丈夫。まだ目を覚ませるよ」

朝陽は力を振り絞り震える声で答えた。そして、夕海に負けじと笑顔を作った。

「ずっと傍にいてくれる?」

「もちろん」

「朝陽は優しいなぁ」

いつも通りの笑顔、いつも通りの会話を重ね、夕海は眠る様に息を引き取った。

 夕海の両親は支え合うようにしながら涙を流した。

 朝陽は呆然としながら夕海の体を引き寄せ、力強く抱きしめた。夕海の温もりを忘れないように、笑顔、言葉、そのすべてを胸に刻むように傍にいた。


 葬儀を終えてひと月ほど過ぎた頃、朝陽は母親と夕海が眠る墓のある場所で自分を訪ねてくる存在を待った。約束をしているわけではなかったが、望めば会える確信があった。

「彼女はお気の毒だったね」

後方から声がした。取り繕ったような言葉に朝陽は振り返ろうとせず、ただ拳を強く握った。

「お気の毒? 救えるものも救わずに、観察していたんだろう」

「ああ、しかし観察対象は彼女の方だったけれどね」

その言葉を聞き、朝陽はようやく振り返った。

「丁度いいタイミングだったよ。君が彼女に余命宣告をしたところに立ち会えた。それからは実に人間らしい心の動きを見せてもらえたね」

男は冷静に振る舞いつつもその表情は緩んでいた。

「いつからだろう、私には人間らしい感情が無くなってしまってね。達観したといえば聞こえは良いが、これは欠如に他ならなかった」

感情とはこういうものだったと噛みしめるように、一人の少女の生き様を思い返した。

「死期がすぐそこにある恐怖。それを隠し、接する優しさ。感謝の思い。なぜ自分がという憤り。夜は毎日泣いていたな」

残された者にとっては聞くに堪えない内容だった。

「もうやめろ。本人の前だぞ」

朝陽は強い口調で言い放った。しかし、その態度は男を喜ばせるだけだった。

「本人? ああ、安心していい。墓なんてそんなものは残されたものの自己満足だ。そんなところには何もない」

坦々と答え、穏やかに微笑む表情が何とも悪魔的に見えた。

(こんな奴が神様? まるで子供じゃないか)

「そうかもしれないね。でも、偽りなく私は神様だよ」

心を読むようにして男は会話を続けた。

「これでも感謝をしているんだよ。これでまた私は人を愛せるかもしれない。醜さばかりでなく美しいものもあると彼女の命は思い出させてくれた」

朝陽は目の前の存在を可哀想に思えた。夕海の言う通り、この存在は愛を知らないのだと感じた。万人を見るあまりに個を愛したことのない愚かな存在。

『もう少しでも人間の気持ちをわかろうとしてくれれば、愛の溢れる世界になったのかもしれないのに』

夕海と病室で交わした会話を思い出した。

『もっと貪欲になるかもしれないよ。争いが増えるかもね』

『それは神様の器次第かな』

目の前の存在の器はどうだろうか。とても世界を慈しむ存在には思えなかった。

『神様なんていらないんだよ』

夕海の声が頭に響いた。そして、朝陽は夕海が耳打ちした言葉を頭に浮かべ、静かに目を閉じた。

 男は少し怪訝な顔をして朝陽を覗き見た。何を考えているのか、何をしようとしているのかを覗き見ようとした。

「神様、あんたは俺のカウントが見えているのか?」

唐突な質問は男を現実に留めた。

「いや、能力を貸し与えている間はその能力は使えなくてね。難儀なものだよ」

「この能力を持っているものは自分の寿命が見えない」

「そうだが?」

「そう……」

朝陽は夕海が耳元で呟いた言葉を思い出した。


『ねぇ…… 神様にいたずらしよう。あなたの寿命が見えるって言ってやるの。人よりもずっと長いけれど、必ず死を迎えると言ってやるの。百年、千年先にきっと怯える日が来るわ』

夕海は悪戯っ子のようにクスクス笑った。

『夕海ってそんな顔もするんだね』

『一度くらい良いじゃない。ずっといい子にしてきたんだから。それに、もうすぐ……』

夕海は窓の外、遥か遠くを見つめた。

『神様なんていらないんだよ。そんなものに縋るから人の心は弱くなる。愛する人が傍にいることが一番の力になるんだ』

夕海は頭を朝陽の肩に預けた。

『最期の時は傍にいてね』

朝陽もまた遥か遠くを見据えた。


 朝陽は覚悟を決めたように真っ直ぐ男を見据えた。

「あんたは不老不死のつもりでいるかもしれない。不老かどうかはわからないが、不死ではないよ」

「何?」

「カウントは動いているよ。途方もない数だけれど、あんたもいずれ死ぬ」

朝陽の憐れむような顔を見て、男は声をあげて笑った。

「ハッハッハ、なるほど。本当かどうか誰にもわからない。この私にもね」

男は拍手をしながら朝陽の目の前まで歩み寄った。

「それで、どれくらいの数なんだい?」

「教えると思うか?」

二人は無言のまま、互いの感情を探り合うかのように互いの目を見据えていた。

 男は考えていた。他の者に朝陽の能力を渡して、自分を認識させれば真偽を確認できるかもしれない。ただ、それが本当かどうかいつも心にしこりが残るだろう。男は元々人間。そして、死ぬことの恐怖を一度経験していた、

「まったく、やってくれたよ」

「神様なんていらないんだよ。もう二度と会うことはないだろう。二度とあんたを認めない。意識しない」

神様を信じていた自分と決別するように、言い聞かせるように強く言い放った。

「悪戯は止めて大人しくしているといいさ、ロキ」

吐き捨てられた最後の言葉に男は初めて不快な表情を見せ、眉をひそめた。

 朝陽は男の横を抜け、歩き始めた。

 男は深く息をつくと、しばらくその場で立ち尽くした。

「そうか、お前はもういらないな」

言い終わると同時くらいに少し先で車の急ブレーキ音と何かがぶつかる音が響いた。

「まったく、神の子と呼ばれた私を悪戯の神に例えるなんて…… 愚者に毒液をかけられた気分だよ」

俯きながら男は邪悪に笑っていた。

「これだから人間は面白い」

男は人々が集まり始めた方向とは逆に歩き始めた。その影はいびつに歪んでいた。

 青空は澄み広がっていた。

(少し寂しい思いをさせたかな? 俺もすぐに行くよ。早すぎるって怒るかもしれないけれど、これからはずっと傍にいるから……)

朝陽は道の真ん中で仰向けになり、幸せそうに微笑んだ。

 心配そうに駆け寄る人たちの姿が見えたが、その頭上に数字を見ることはなかった。

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