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神様へのいたずら  作者: 川本 流華
6/8

準備

夕べがあり、朝があった。

―創世記


 放課後になると夕海の見舞いに行くことが朝陽の中では日課になっていた。病室にいる夕海の姿も見慣れ、病気なのが嘘のように感じられるほど夕海も母親も明るく話していた。ただ、その時が来るのを頭上の数字は確かにカウントしていた。

「朝陽、おかえり」

「おかえりは可笑しいでしょう」

夕海の母親は夕海の頭をコツンと叩くと、席を外した。

 朝陽が来ると夕海の母親は決まって二人にしてくれた。

 朝陽は起き上がろうとする夕海に肩を貸すと、二人はベッドの端に座った。

「朝陽は将来何になりたいの?」

「どうしたの、いきなり?」

「いや、聞いたことなかったなと思ってね」

「特に考えてなかったな。それなりに給料の出るところに就職して母さんを楽にしてあげたかったんだけど……」

朝陽は話している途中で苦い顔をした。他愛のない世間話のつもりだったが、下手な方向に話を流してしまった。

「朝陽は優しいなぁ」

夕海は気にすることなく優しく微笑んでいた。

「私は保育士になりたかった」

「夕海は面倒見がいいから、よく似合うよ」

過去形になっていることには触れずに朝陽は答えた。すると、夕海は満面に笑顔を浮かべた。

「ねぇ、私のカウントあとどれくらい?」

手術後、夕海は口癖のように尋ねた。聞けばきっと毎日恐怖に怯えることになるだろう。そうなればこの笑顔も見られなくなると思い、朝陽は決まって話をはぐらかせた。

「この前神様に会ったときに能力を返したんだ。今はもう見えていない」

「嘘が下手だね、朝陽は…… でも、ありがとう」

夕海は見透かしたように笑うと、頭を朝陽の肩に預けた。

「神様に夕海の病気を治してってお願いしたけれど駄目だった」

「そう。意地悪な神様だね」

「うん」

「きっと神様は大切な存在がいないんだね。だからいつまでも独りぼっちで気持ちを知ることができない。愛を知ることができない」

夕海は最後に可哀想と付け加えた。朝陽はその言葉をただ黙って聞いていた。

 創世記、神は世界を作ったという。果たしてその中に心を作ったのだろうか。生物という器を作り、繁殖というシステムを作っただけで中身は空っぽだったのかもしれない。そう思うと滑稽で愚かな話だった。しかし、それを確認する術はなかった。それを成した神様はもういないのだから。

「可哀想か……」

「うん、もう少しでも人間の気持ちをわかろうとしてくれれば、愛の溢れる世界になったのかもしれないのに」

「もっと貪欲になるかもしれないよ。争いが増えるかもね」

「それは神様の器次第かな」

人間が神様を下に見るような会話をしていることが可笑しく感じられた。

「神様なんていらないんだよ。存在する、しないじゃなくて、いらないんだ」

最後に突き放すように言った言葉は夕海にしては珍しく、力強くて冷たいものだった。

 日が短くなり、浅い夕方が広がっていた。

「ねぇ……」

夕海は朝陽の耳元で何やら呟いた。朝陽はつられる様に小声で会話を続けた。そして、最後には呆れるように首を横に振った。

「無駄だよ、きっと聞かれている」

「いいの。聞かれていてもどうにもできないことでしょう」

夕海は悪戯っ子のように笑うと、そのまま目を閉じ眠った。朝陽は夕海の頭を撫でると、そのままベッドに寝かせた。

 朝陽は頭上の数字を確認した。その数字は夕海の残り時間が七日しかないことを示していた。

 翌日、朝陽は夕海のために何ができるかを考えながら病院に向かった。

「朝陽」

病室に入るなり、夕海の屈託のない笑顔が朝陽を迎え入れた。

 他愛のない会話でいつものように二人で過ごし、日が暮れようとしていた。

 朝陽は焦っていた。残りは六日。その中で何もできずに終わりを迎えてしまうようで自分の無力さに心を痛めた。

「もうすぐなんだよね」

夕海は朝陽の様子から察すると、そっと朝陽と手を重ねた。朝陽は驚いたように夕海の顔を窺った。

「自分の身体だからね。少しはわかるんだ。何か力が入らなくなって、この世から離れていく感じがするの」

力いっぱい朝陽の手を握ろうとする手は大して力を感じなかった。

 朝陽は繋ぎとめるようにその手を強く握り返した。すると、夕海は安心したように微笑んだ。

「そんなに残り時間を知りたい?」

「うん」

「どうして? 怖くない?」

「うん。でも、そうすれば準備ができるから」

それは朝陽にしかできないことだった。

「あと、六日……」

朝陽が告げた一瞬、夕海の目が黒く濁り、短いな、そう小さく呟いた。しかし、すぐに笑顔を作り、朝陽の目を見つめた。

「ありがとう」

涙の溜まった瞳は光を反射して輝いていた。

「色々な人に恩返ししないとね」

「俺にできることがあれば何でも言って欲しい」

「うん、遠慮はしないよ」

夕海は満面で笑顔を見せると朝陽の胸に額を乗せた。朝陽は震える肩を強く抱きしめた。

 日が沈み、大切な一日が過ぎ去った。

 次の日の朝、朝陽は学校を休んで病院に向かった。病室のドアを開けると夕海と夕海の母親が目を丸くしていた。

「少しでも一緒にいたくて……」

朝陽は気恥ずかしそうに言った。

 夕海は喜んでくれるだろうと思っていたが、反応は思いのほか良くなかった。

「ダメだよ。ちゃんと学校に行って」

夕海は悲しい目をして、小さく首を横に振った。

「夕方まではママと二人で過ごすから、朝陽と過ごす時間はありません」

表情は穏やかだったが、口調ははっきりと強いものだった。

「そんな言い方しなくても良いじゃない。折角来てくれたのに」

なだめる母親の言うことを聞こうともせず、それから夕海は窓の外を見て朝陽の方を見ようとはしなかった。朝陽は自分の行動が如何に身勝手だったかを痛感し恥ずかしくなった。

『色々な人に恩返ししないとね』

昨日の言葉が頭に浮かんだ。目の前にいるのは夕海を産み育てた人。夕海が大切に思う一番の人だった。そして、夕海を想う一番の人だった。

「ごめん…… 俺、学校に行ってくる」

朝陽は頭を下げると、ドアを閉めた。

 ドアの奥では話し声が聞こえ始めた。夕海にはどれほどの大切な人がいるんだろう。どれほどの大好きが溢れているんだろう。優しい夕海の周りにはいつもたくさんの人が集まっていた。

「最近はクラスメイトもお見舞いに来なくなったな」

朝陽は深くため息をつくと、廊下を歩き始めた。

 夕方になると病室のドアが開いた。しかし、なかなか顔を出さない来客に夕海は一つ笑った。

「朝陽、今朝のことは怒ってないよ」

夕海が声を上げると、複数の女子生徒が顔を覗かせた。

「何々? 喧嘩でもしたの?」

ニヤニヤしながら入ってくるクラスメイト達に驚きながら、夕海は朝陽の姿を探した。

「朝陽くん、今日はやめとくって。代わりにウチらに行って欲しいってお願いされてね」

「あ、ああ、そうなんだ」

「何? やっぱり喧嘩?」

「そんなんじゃ無いって」

「夕海を泣かせるなんて許せないよね」

「だから、泣いてないし」

昔と変わらないやり取りに懐かしさを覚えつつ、その一つ一つを覚えておきたいと胸に刻んだ。

 いくつかの会話が進んだころ、夕日が静かに傾き一同はそちらに視線を奪われた。日が沈むという現象には言葉を失わせる力があるように感じた。

 夕海は覚悟をするように胸元で拳を作った。

「あのね、私ね。あまり長くないみたい……」

夕海は笑顔を作ると、自分の残り時間が短いことを伝えた。

 突然は悲しいから、思い残しの無いように話したいから、自分のすべてをさらけ出した。

 静かな空間で突然放たれた言葉にクラスメイトは唖然としていた。そして、誰からともなく自然に涙を溢していた。

「泣かないでよ」

夕海が笑顔で言うと、クラスメイトは震える声で答えた。

「夕海だって泣いているじゃん」

クラスメイトの言葉に驚きつつ、夕海は自分の頬に手を当てた。指先に濡れた滴を確認すると、歯止めが利かなくなったようにポロポロと涙が溢れた。

「ゴメンね、ゴメンね」

夕海が何度も繰り返すと、皆は肩を抱き合うようにして泣いた。

「ありがとう」

最後に頑張って伝えた言葉は心からの思いだった。クラスメイトは笑顔で応えた。

 これ以上の言葉はなく、大切な一日が過ぎ去った。

 翌日の放課後、朝陽は花束を持って病室のドアを開けた。

「似合わないことしちゃって」

茶化すように笑う夕海の顔を見て、朝陽はホッとしつつ、うるさいなぁと花を手渡した。

 夕海の母親はクスクス笑いながら花を花瓶に差すと、よろしくねと会釈をして部屋を出て行った。

 朝陽は夕海の母親が座っていた椅子に座った。いつもはベッドの端で二人寄り添っていたため、そこには若干の距離があるように感じた。

「もう来ないかもって不安だった」

夕海の言葉に朝陽は焦った顔をして立ち上がった。

「何で? 来るに決まっているよ」

朝陽の表情を見て、夕海は安心したように微笑んだ。夕海はいつものようにベッドの端に移動すると、朝陽を手招きした。

 朝陽は促されるまま座ると、いつもの距離、いつもの温もりを感じた。

「クラスの友達に話したんだね」

朝陽の言葉に夕海は小さくうなずいた。

「家族にも話したの?」

「ううん。でも、明日には話すつもり」

夕海は太もも辺りで衣服をギュッと握った。

「明日は来ないでおこうか?」

朝陽が気を遣うと、夕海は静かに首を横に振った。

 朝陽は夕海の手を握ると学校でクラスメイトとした話を聞かせた。どれだけ皆が夕海を想っているかを伝えた。夕海はその言葉一つ一つにうん、うんと頷いた。

「私は林檎が好き」

「うん?」

「空が好き」

「うん」

「英語が好き、音楽は……」

夕海は自分の好きなものを並べ始めた。

「学校のみんなも大好き、パパもママも大好き、朝陽も大好き、みんな大好きでみんな大切」

「うん」

「もうすぐ無くなっちゃうんだね」

「無くならないよ。全部俺が覚えているから」

朝陽は当たり前のように答えた。その力強い声を聞き、夕海は気持ちの一つを落ち着けた。

「ありがとう、朝陽」

夕海は朝陽の手を優しく握り返した。

 そして、大切な一日が過ぎ去った。

 残るカウントが三日ほどになった日、病室から喧嘩をするような声が漏れ聞こえた。

「何でそんなことを言うの?」

「だって、本当だもん」

「誰がそんなことを言ったの?」

「神様」

「いい加減に……」

ドアを開けた朝陽の姿を見た夕海の母親は言葉を止めた。

 朝陽の目の前には息を切らせた夕海の母親と涙を流す夕海の姿があった。

「ごめんなさいね、今日は帰ってちょうだい」

夕海の母親は朝陽を誘導するようにドアの外へ向かった。

「嫌だ、あと三日しかないのに……」

「いい加減にしなさい」

夕海の母親は強く怒鳴りつけると、朝陽を外に出してドアを閉めた。

「あさ……」

訴えかけるような夕海の顔を見て、ドアに手をかけようとしたが夕海の母親の表情を見て手が止まった。

 絶望を体現したような表情だった。まるで自分が余命宣告を受けたような雰囲気に呑まれ、朝陽は言葉を失った。

 朝陽はドアが閉まりきるのを呆然と見ていた。

 朝陽は携帯電話を取り出すと、ずっと病院の近くにいることを伝えた。

 日が落ちてからもしばらく待っていたが、その日は遂に連絡がなかった。

 かけがえのない一日が過ぎ去った。

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