残り時間
不幸というものは、耐える力が弱いと見てとると、
そこに重くのしかかる。
―ウィリアム・シェイクスピア
お盆に入る前に朝陽は帰省を終えた。祖母との話で進学がより身近に感じるようになった朝陽は、朝から夕方まで働き、夜は少しずつ先を見据えた勉強を進めた。
夕海の家にはまだ帰って来ていることを知らせていなかった。突き放してしまった夕海の表情を思い出しては、今まで自分に向けてくれていた笑顔を思い返し、深い後悔に苛まれた。
同じように突き放されたらどうしようか、そう思うと会いに行くことが躊躇われた。
「母さんは何て言うかな?」
朝陽が悩んでいる時、間違いを犯した時、いつも諭すように微笑む母親の姿があった。母親に会いたい、そう思うと次の休みには母の墓参りに出かけることを決めていた。
お盆の時期と重なり、予想以上に混み合っていた。
「パパ、おじいちゃんはここで寝てるの?」
子供はこんな場所でも無邪気に笑い、走り回っていた。静止する母親、なだめる父親、亡くなった大切な人を思う場所は家族の絆を強く感じさせるようだった。
まずは墓に水をかけ丁寧に磨いた。祖母が祖父にしていたように心を込めた。そして、しゃがみこんで手を合わせた。
母親の好きだった花を添え、祖母の家に行ってきたこと、夕海にしてしまったこと、母が亡くなってからの出来事を思いつく限り報告した。
『大丈夫。見ててあげるから好きなようにやりなさい』
悩んでいるときに必ず言われた言葉を思い出した。
『きちんと謝ればわかってくれるよ。母さんがついて行ってあげる』
ハメを外した時はいつも傍にいてくれた。
「母さんもおばあちゃんみたいにずっと俺を見守ってくれていたんだね」
朝陽の頭には穏やかに微笑む母親の顔が思い浮かんだ。そして、続くように夕海の顔が浮かんだ。
夕海の笑顔。夕海もまたずっと自分の支えになっていてくれていたことを実感した。
(夕海に謝ってくるよ)
何があっても支えてくれる存在を思い出し、あの日から逃げていたことに朝陽は向き合う覚悟をした。
朝陽は仕上げに母の墓をもう一度丁寧に掃除した。
朝陽は一度家に帰り、祖母の故郷で買った土産を持って夕海の家に向かった。
「あら、朝ちゃん。帰って来てたの?」
出てきた夕海の母親はとても疲れた様子だった。
「ええ、少し前に…… おばさん、具合でも悪いんですか?」
朝陽は確認するように頭上の数字に目をやり、大きな変化がないことに安心した。
夕海の母親は笑顔を作ると、ありがとうと軽く頭を下げた。
「ここのところ夕海の具合が良くないみたいでね。あの子、部屋で泣いてることが多いの。病院にも行きたがらなくて……」
夕海の母親は困ったように二階の部屋に目を向けた。目の下に隈を作り、このわずかな期間で痩せこけたその姿は現在夕海がどのような状態であるのかを物語っているようだった。
子供が悩んでいる時、それを和らげようとどれだけ親が悩んでいるのか考えさせられる姿だった。
朝陽は自分にできることを考えた。大切な人のために何ができるのか、するべきなのかを考えていた。
「ちょっと、顔を見て行ってもいいですか?」
「あっ、でも……」
夕海の母親が言うより早く朝陽は玄関を上がっていた。
カウントが速まったらどうしようか、あの日のことを思い出し不安を抱えながら階段を上がっていった。
部屋の前には食事の載ったプレートが置いてあった。ご飯はほとんど手が付けられていなかった。
(あの日からずっと?)
朝陽がドアを叩くと中から小さな音が聞こえた。朝陽は了承を得ないままドアを開けた。
「夕海、入るよ」
夕海は慌てて散らかったものを布団の中に隠し、自らも布団に潜り込んだ。
「ヤダ、帰って。こんなひどい姿見られたくない」
薄暗い部屋の中で布団に籠った声が聞こえてきた。
「夕海、顔を見せて」
「嫌、絶対に嫌」
朝陽の目が暗さに慣れてくると、朝陽は夕海の頭上の数字を見て目を疑った。夕海の残りの数字が桁違いに減っていた。
「夕海?」
朝陽は慌てて駆け寄ると、布団を無理やり剥ぎ取った。
夕海の目は泣きつかれたように腫れ上がり、髪も所々抜けていた。
「どうしてこんなになるまで病院に行かなかったんだよ」
「だって、怖かったんだもん」
ポロポロと泣き出す夕海を朝陽は力いっぱい抱きしめた。朝陽の目からも涙がこぼれ落ちた。
「夕海?」
夕海の母親が心配そうに覗きこんできた。朝陽は涙を拭うと、夕海を抱きかかえたまま振り向いた。
「おばさん、すぐ病院へ」
夕海の母親は涙をグッと堪えると、すぐに支度を始めた。その姿は何よりも心強く見えた。
「一緒に病院に行こう」
朝陽は夕海の顔を見ると、優しく微笑んだ。夕海は安心した様に微笑むと、小さく、深くうなずいた。
「着替えるから少し外に出て」
夕海が照れた顔で言った。朝陽はいつも通りの雰囲気に思わず笑いながら部屋を出た。そして、着替え終わり帽子を深く被った夕海を抱きかかえるようにして病院へ向かった。
検査の結果は取り返しのつかないほどに重たいものだった。特発性の病気で呼吸がうまくできなくなるものだった。治療による完治の例はなく、呼吸困難、動悸、最期には心肺停止に陥ると夕海と母親は説明を受けた。
夕海は検査結果がわかるとすぐに入院することになった。
「髪はストレスからくるものだって」
夕海はベッドの端に座り、あどけなく笑った。朝陽は笑顔で応えると横に座った。
「ありがとう、病院に連れてきてくれて。おかげでスッキリした」
夕海は若干手をまごつかせると、頭を朝陽の肩に預けた。
「私、もう治らないんだって」
「……」
「ごめんね、朝陽にまた辛い思いをさせるね」
「ううん」
朝陽は言葉が続かず、ただそっと寄り添っていた。
「早く元気にならないと、朝陽が遠くに行ってしまう気がしたの。だから部屋に閉じこもって…… でも逆効果だったな。すぐに病院に行っていたらもう少し長く生きられたかな」
夕海の声が次第に震えていった。朝陽は片方の手で夕海の手を握ると、もう片方の手で頭を撫でた。
「何であの時私を遠ざけたの?」
手の温もりを感じると、夕海はそっと目を閉じた。朝陽も目を閉じると、一つ息をついた。
「母さんが死んだときから人の残り打つ鼓動の回数が見えるようになったんだ」
あまりに荒唐無稽な話に夕海は思わず頭を上げ、朝陽の目を見た。
「神様に会ってね。信じられない?」
朝陽が苦笑いを浮かべると、夕海は吹き出すように笑った。
「信じるよ」
夕海は姿勢を直すと、再び頭を肩に預けた。
「あの日、俺の近くに寄る夕海の鼓動の回数が早まるのを見て、俺が近くにいるせいだと思った。本当は病気だったんだな」
「私が朝陽にドキドキしてると思った?」
夕海の言葉に朝陽は耳が赤くなるのを感じた。夕海は朝陽の体温を感じて、首を横に振った。
「ドキドキなんてしないよ。これはもっと深い気持ちだもん。朝陽といると死ぬのも怖くなくなるくらい穏やかな気持ちになれる」
夕海の体温が上がるのを感じ、朝陽もまた穏やかな気持ちになった。
面会の時間が終わるまで、二人は今まで通り何気ない会話を交わした。
「俺も一緒に逝きたいな」
思わず漏らしてしまった言葉に夕海は微笑みながら首を横に振った。
「それはダメだよ」
朝陽を見つめる夕海の目はいつもよりも力強いものだった。万が一にもそんなことにならないようにしっかりと釘を刺した。
朝陽は一言、ごめん、というとそれ以降会話をすることなく、ただ二人静かに寄り添っていた。
数日後、朝陽はアルバイト先に退職届を提出した。もともと数か月もしたら受験のため辞めるつもりだったので気持ちに抵抗はなかった。急な話で他の仲間には迷惑をかけたが、彼女の看病のためと理由を言うと納得してくれた。
彼女のため、説明を簡潔にするためについた嘘だが朝陽の心には自然に収まった。
「今度きちんと想いを伝えよう」
そう朝陽は強く決意をした。
(残りの時間を大切にしたい、してもらいたい、きっとそのための能力だから)
朝陽は目を逸らさずに夕海と過ごしていくことを強く誓った




