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神様へのいたずら  作者: 川本 流華
3/8

見守るということ

今晩一晩は我慢しなさい。

そうすれば、この次は堪えるのが楽になる。

そして、その次はもっと楽になる。

―ウイリアム・シェイクスピア


 朝陽は二週間の停学になった。そのまま夏休みに入り、あれ以来クラスメイトとも会っていない。夕海も会いに来ることはなく、夕海の母親が晩御飯を持ってきてくれていた。

「ごめんなさいね。あの子、何か体調悪いみたいで」

朝陽は突き放した時の夕海の姿を思い返していた。

『どうして』

涙を流し、立ち尽くすその姿が頭に浮かんでは、振り払うように頭を振った。

「いえ、こちらこそいつもすみません」

「私がもっとちゃんとしていれば変な噂も出なかったのにね。あなたのお母さんに合わせる顔がないわ」

夕海の母親は部屋の中に目を移すと、ごめんなさいと静かに頭を下げた。

「いえ、俺の方こそ夕海さんを傷つけました」

朝陽もまた、同じように頭を下げた。

 夕海の母親は朝陽の頭を撫でると、穏やかに微笑んだ。その笑顔は夕海のように優しく、母親のように穏やかだった。

「あの子が元気になったらまた会ってあげてね」

「もちろんです」

夕海の母親は晩御飯を手渡した。

「あっ、明日から祖母の家に行くつもりなので……」

「そう、じゃあ戻ったら家に顔を出してね」

そう言うと夕海の母親は家に戻っていった。

 祖母の家に行くのはこの町から出る口実だった。夕海と一度距離を置く理由、学校の人と偶然どこかで会うことを避ける理由にすぎなかった。

 朝陽は夕海の母親を見送ると、家に入って夕食を食べた。

 そうして、朝陽は夏休みに入って間もなく、お盆よりも早い時期に母方の祖母の家に帰省をした。

 祖母の家は北の片田舎にあった。夏場は比較的涼しく、去年まで夏休みのほとんどは母親と一緒に帰省していた。

「いらっしゃい、遠いところよく来たね」

電車を乗り継いで五時間ほどかけて駅に着くと、祖母が駅まで迎えに来てくれていた。

 祖母の家はそこからバスで一時間ほど掛かった。祖父は朝陽が生まれる前に他界しており、祖母は一人で暮らしていた。

 家の周りは田んぼや山など自然に囲まれており、辺りにはスーパーマーケットが一つあるくらいでコンビニもなかった。

 朝陽は特にやることがなく、実家に送った母の遺品の整理や祖母の手伝いなどをして過ごした。

「朝ちゃん、大きくなったね。ここは男手がないから助かるよ」

「何か困ってることがあったら言ってよ。ついでに片づけておくから」

「ありがとう」

静かな空間で、静かな会話が続いた。いくつかの会話が続き、明日は祖父の墓参りに行くことになった。

 母も同じところに納骨しようかという話もあったが、朝陽がすぐに会えるように母の遺骨はこちらには入れていなかった。

「ごめんね。おばあちゃんは寂しいよね」

「いいのよ。あの子がそうしたいと望んでいたから」

祖母は母の病気のことを知っていた。

 祖母はどんな思いで過ごしたのだろう。準備ができたからこその辛さ、大切な子供が弱っていく様を感じる悲しみ、朝陽は色々と聞いてみたいと思った。

 夕食をとると、日頃の疲れが出たようで風呂にも入らずにそのまま眠ってしまった。祖母は風邪をひかない様にと毛布を掛け、懐かしむような目で朝陽の寝顔を見つめていた。

 翌朝は早くに目が覚めた。朝陽はシャワーを浴びると、頭を拭きながら廊下を歩いた。

 祖母はすでに起きており、弁当を作ったりと墓参りの準備をしていた。その表情は少し楽しそうで、遠足前の子供のようだった。

「おはよう」

「あら、おはよう。早いのね」

「うん。それより、何か楽しそうだね」

弁当を風呂敷に包むと、祖母は優しく微笑んだ。

「朝ちゃんに会えて、おじいさん喜ぶだろうなぁと思ってね。そうしたらあの人の笑った顔が浮かんできたものだから」

目を台所に移すと、弁当のほかに祖父の好きだったお酒や肴が用意されていた。母の生前は祖母と母が墓参りに行って、朝陽は留守番していることが多かった。

「今年は良い墓参りができるわ」

そこに母親がいないことには触れなかった。母親はもしかしたら祖父の元に帰省しているかもしれない、そんな風にふと思い、庭に咲く母親の好きだった花を一緒に持って行こうと決めた。

「さて、とりあえず朝ごはん食べようか」

「うん、手伝うよ」

朝陽は皿を受け取ると、食卓に並べた。

 朝食をとると墓参りに向かった。お墓は歩いて三十分ほどの距離があったが、車を運転できる人がおらず、二人は歩いていくことになった。

 都会に比べれば随分と涼しく、二人は森林浴をしている間に到着した。

「おじいさん、朝ちゃんが来てくれましたよ。こんなに大きくなりました」

笑顔で墓石に声をかけると、水をかけて掃除を始めた。

 朝陽は無言で花を一輪添えると、言われるがままに墓石を磨いた。

「あら、水が無くなってしまったわ」

「いいよ、俺が汲んでくる」

朝陽は桶を持つと、水場に向かった。

「朝ちゃん、本当に大きくなったわよね。 ……ねぇ、あの子はそっちにいるかしら」

祖母は祖父に話しかけると、感傷に浸る様に目に涙を浮かべた。きっとそちらで幸せに暮らしているだろう、そう言い聞かせるように静かに空を仰いだ。

 水場は木陰にあり、肌寒く感じるほど涼しかった。

「あんた、墓が好きなのか?」

背後に気配を感じると、朝陽は振り返ることなく声をかけた。

 男は屈託なく笑った。

「たまたまだよ。君を見に来たらここだった」

「本当にいつも見ているわけではないんだ」

「そんなに暇じゃないんだよ」

男は暑い暑いと言いながら日陰に入った。この季節に正装をした男が、いやそもそもこの存在は暑さを感じるのか疑問に持った。

 朝陽は水を汲み終わると、男の顔をじっと見た。

「何だい?」

「聞きたいことがあったんだ」

「どうぞ」

朝陽は手にしていた酌で水を飲むと、喉を整えた。

「この前、一度にカウントが減るのを目にしたんだけど……」

「君が見えているのはその人が残り打つ鼓動の回数さ。暴力で命に関わるような、例えば脳とか神経とか大事な部分が傷つけばその分の数が減るよ」

男は見透かしたように答えた。

(見ていたのかよ)

朝陽は罰が悪い顔をした。男はその様子を見ると嬉しそうに微笑んだ。

「見ていた訳ではないよ。先ほど声をかける前に少し過去を覗いたんだ」

「一緒のことだよ。まったく、便利な能力だな」

朝陽はすぐに夕海の顔を思い浮かべた。距離を置き、涙を流す夕海をただ黙って見ていた姿を思い返していた。

「じゃあ、継続的に一度で十、二十減るのは?」

「さぁ、何かの病気が進行していればそういうこともあるかもしれないが、あまり気にしたことがないのからわからないな」

「病気が治ったら回復するの?」

「寿命が延びればそういうこともあるのかもしれないね」

「曖昧な能力だな」

「君が望んだのは、あくまで死ぬその時がわかるためのものだからね。さて、以前会ってからこれまでの状況は把握できたから次に行くよ」

男は頭の上で肘を伸ばし、大きく伸びをし始めた。

「次?」

「ああ、とある国で戦争が始まるんだ」

見守らないと、と軽い口調言う男に朝陽は明らかに怪訝な顔をした。

「なぁ、何で戦争を止めないの?」

「……キリがないからね。もはや、今の私には動物が勝手に争っているだけにしか見えない」

「じゃあ、何で人間を作ったんだよ」

「私が作ったわけではないよ」

「え?」

予想外の言葉に思わず大きな声が出た。男はその反応に得意に笑った。

「言うなれば私は二代目だからね。初代というか、本物というか、この世界を作った存在は人である私に力を委ねて消えてしまった」

「力を委ねる? そんなことが……」

愚問だった。

(この男は元々人間なのか?)

そう思うと朝陽は目の前にいる存在が急に近くに感じた。

「私はその存在の言葉を聞き、その言葉を周囲の人々に伝えてきた。しかし、私欲に溺れた人間が自己利益のためだけに私を断罪した」

一方で男は遠くを見つめるように話し始めた。その目は随分遠くを見つめているようだった。

「その存在は『この世界を作ったのは失敗だった』と言うと、死んだ私を自分と同じ存在に仕立てて姿を消した」

「神様は未来をも見通す力があるって話じゃなかった?」

「いつも見えている訳ではないよ。意識的に見るものだからね」

「全知全能って言う割には万能ではないんだな」

「そもそも全知全能ではないからね。それは人間が作ったおとぎ話だよ。人間はいつだって自分より上の存在を作りたがる。一位になることより二位でいることの方がバランスが取れるんだ」

男は愚かしく笑ってみせた。朝陽はわかったようなわからなような顔で一つ息をついた。

「何で神様は世界を作ったのかな?」

「さぁ…… 寂しかったんじゃないかな。自分に似せて人を作ったなんて随分と笑えるじゃないか」

冗談のように言って見せる男の表情はどこか哀しげだった。喜怒哀楽を惜しみなく出すその姿は随分と人間的だった。もっとも怒っているところはまだ見たことがなかったが……

「何で戦争を止めないかという問いに一つ答えを上げるのならば、退屈しないためかな。君たちが観もしないテレビを付け放しにするのと同じ感覚だよ」

「そんな適当な理由で…… あんた、十分悪魔的だよ」

「人間ほどじゃないけどね」

そう言うと男は姿を消した。

 朝陽は随分と時間が経ったと慌てて墓の前に戻った。

「遅かったね」

「ごめん、電話してた」

朝陽は桶を置くと、用意されていた線香を受け取った。

「おじいさんにあげてあげて」

そういうと祖母は掃除の続きを始めた。

 朝陽は線香をあげると、手を合わせた。墓は随分と綺麗になり、見ているこちらも気持ち良くなる程だった。

(戻ったら母さんの墓にも行かないとな)

そう思いながら、祖父の墓を最後まで綺麗にした。

 休憩場所で昼食をとると、住職と少し話をして家に戻った。

 縁側で夕日を眺めていると、祖母が麦茶を持ってきた。

「暑くない?」

「大丈夫。ありがとう」

風鈴の音が優しく響く中、二人は静かな時間を過ごした。

「おばあちゃんは母さんの病気のことを知ったとき、残りの時間を一緒に過ごしたいと思わなかった?」

「……もちろん、思ったよ。ただ、朝ちゃんと今まで通り普通に過ごすことがあの子の幸せだったからね。子供が一番幸せな形で最期を迎えられたなら、それが一番幸せだよ」

「母さんは何で病気のこと……」

朝陽は言葉に詰まった。祖母は手に持っていたコップの結露を指で拭った。

「病気の話をして入院なんてことになったら、朝陽は学校を辞めて働くなんて言い出しかねない。そんなことになったら母親としてまた後悔することになる」

「また?」

「あの子ね、旦那に捨てられたときに朝ちゃんをこの家に置いて逃げようとしたの。三か月ほど戻ってこなくてね」

祖母は申し訳なさそうな表情で遠くを見つめた。

「でも気になって覗きに来た時に泣いている朝ちゃんを見て、思わず駆け寄って抱きかかえた。そうしたら、朝ちゃんはすぐに泣き止んで満面に笑みを浮かべて笑い出したの。その笑顔を見たときに途方もないほど後悔して、二度と悲しい思いをさせない、この笑顔を守り続けたいと思ったらしいわ」

朝陽は目を伏せ、その時の様子を想像していた。あの優しさの裏には後悔や罪悪の念があったのかもしれない。そんな風に感じた。

「その時はそんなことをした子に大事な孫を渡すつもりはなかったんだけどね。ごめんなさいと泣きじゃくるあの子と朝ちゃんの笑顔を見て、これからは見守ろうと決めたの」

祖母は朝陽の方を見て穏やかに微笑んだ。その表情を見て母の血筋を感じた。

(きっとおばあちゃんはこの笑顔でずっと大切な人を見守り続けてきたんだな)

そう思うと自分に温かい笑顔を向けてくれた人たちが思い浮かんだ。自分にもこんな笑顔が出せるだろうか。大切な人が辛いときに安心できる居場所になりたいと心の奥で強く思った。

「俺も大切な人が一番望む形で見守り続けることができるようになるかな」

「そうね、なかなか難しいことね。それは時に朝ちゃんには辛いことになるかもしれない。けれど、大切な人の幸せが自分の幸せに感じることができればきっとできるようになるわ」

相変わらず微笑んでいた祖母だったが、目が哀しそうに見えた。祖父が亡くなった時、娘である母が亡くなった時、自分をアパートに一人残して帰らなくてはならなかった時、もしかしたら、今日までずっと不安を与えていたのかもしれない。

 朝陽は祖母の頭上にある数字を確認した。

「おばあちゃん、俺高校出たらこっちで暮らそうかな」

「何言ってんの。朝ちゃんは大学に進んでちゃんと就職しなさい」

祖母は少し困った顔をしながら、しかし、どこか嬉しそうな表情で言った。

「大丈夫よ。おばあちゃんはひ孫の顔を見るまでは死なないから」

その言葉を聞き、朝陽は悲しそうに微笑んだ。

「それは随分と長生きになるよ」

朝陽が言うと、祖母はクスクス笑った。

 夕日が空を赤く染め、静かに暮れていった。

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