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神様へのいたずら  作者: 川本 流華
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カウント

人の傷を笑うのは、

傷の痛みを感じたことがないやつだ。

―ウィリアム・シェイクスピア


 その男は高層ビルの屋上にいた。正装に身を包んだ紳士的な容姿。白い肌に整った顔立ち。

 場違いに感じられる男は屋上の端に腰かけ、蔑むように街並みを見渡し、時折呆れるように笑った。

 男は右手で筒を作ると、さらに遠くを見るように覗きこんだ。

 その目が捉えたのは、幼い子供の姿だった。その子供は神の名のもとに銃を所持した兵士に石を投げつけた。そして、兵士は虫を払うかのような目つきで子供を射殺した。

「また、愚かなことを……」

神の名のもとに平和を願い、争いを繰り返す。男は何十、何百もこのような光景を目にしてきた。

「まったく、見飽きたよ。他に何か面白いことはないものか……」

男が足元を見下ろすと、墓の前で手を合わせる少年が目についた。

 男は目を凝らした。それはまるで少年のすべてを見透かすような行為だった。少年の過去、現在、そして、少し先の未来から彼の人間関係の一つ一つまで見透かした。

「なかなか面白い。たまには一つの生を観察するのも良いかもしれないな」

男は立ち上がり、居住まいを正した。男は久しぶりに嬉々としていた。失くしたものをもう一度拾えるだろうかと期待をしていた。

「しかしながら、これ以上先を見るのは止めておこう。さて、もっと身近に人間を感じさせておくれ」

男は空気に解けるように姿を消した。


 男が少年、橘朝陽たちばな あさひに目をつける一月ほど前、朝陽は病院の廊下を走っていた。突然、アルバイト中に母が危篤であると連絡を受け、着の身着のまま病院へ走った。

(待ってくれよ。せめて最後にもう一度……)

話したい事、伝えたい思い、いくつもの言葉が浮かんでは吐く息とともに消えていった。

「母さん!!」

病院のドアを開けると、そこには白い布を顔に被せた母親の姿があった。母方の祖母は優しく微笑んで見せた。その横で幼馴染の心山夕海むねやま うみとその母親は支え合うように涙を流していた。

 朝陽にとって家族と呼べるほど大切な人たちが悲しみに包まれていた。そして、朝陽は唯一の家族を失った。

(間に合わなかった……)

 朝陽は入口の前で座り込むと、真っ直ぐ涙を溢した。静かすぎる病室で自分の息の音と鼓動がうるさいくらい頭に響いていた。

 最後に母とした会話は何だっただろうか、最後に一緒に出かけたのはいつだったろうか、母との思い出のどこを切り取ってもその表情は笑顔だった。

 優しい人だった。諭すように微笑む人だった。思い返した分、母はもう過去にしかいないことを痛感した。


 母の葬儀は一瞬のことのように過ぎ去った。母方の祖母と離婚した父が滞りなく式を済ませた。

 朝陽は感情が追い付かないまま、流れ作業のように進む大事を眺めていた。

(母さん、こんなに痩せていたっけ?)

母は癌を患っていたらしい。息子の朝陽にはそのことを一言も告げずにいつも通り、今まで通りに日々を過ごしていた。それは母のたっての希望だったと祖母が教えてくれた。最期まで普段通りの息子を見ていたいと願っていたそうだ。

「朝陽……」

幼馴染の夕海は傍にいて手を繋いでくれていた。その温もりが今の朝陽には心の拠り所だった。

「可哀想にねぇ、息子さんには病気のこと何も言ってなかったそうよ」

「伝えてあげれば準備ができたでしょうに……」

「優しさなのか残酷なのか……」

そんな心無い世間話も夕海の温もりが苛立ちを抑えた。

「おばさんは強い人だね」

「……うん」

「優しい人だね」

「うん」

二人は支えあうようにもたれ合いながら、眠る母の顔を眺めていた。それはいつも通りの優しい笑顔だった。

「朝陽くん、どうする?」

「もう高校生なんだから一人で暮らせるでしょう」

「あんたらなんかにあの子の世話なんかさせないから安心しなさい。まったく、よくもそんな心のない言葉が出てくるね」

遠くで朝陽の親権を押し付け合う声がする中、時折祖母の強めの声が聞こえてきた。

 子供を失った祖母は悲しみという一点に関して言えば朝陽よりも上かもしれない。そう感じたとき、朝陽は母と過ごしたこの空間を守りたいと思った。忘れないように、失くさない様に。

 父は再婚をしており、引き取る気はない様子だった。世間体を気にして形式的に素振りを見せたが、朝陽は当たり前に断った。親戚では母方の祖母だけが一緒に住もうと提案してくれたが、朝陽は今のアパートに住み続けたいと願い出た。

「養育費は今まで通り振り込む。何か困ったことがあったら連絡してくれ」

父はそう言うと一仕事済ませたようにスッキリとした表情で去って行った。祖母は心配そうに朝陽の顔を窺っていた。

「大丈夫だよ、ばあちゃん。家事とかは母さんに教わっていたから」

「そう…… 困ったことがあったらすぐに連絡するんだよ」

父と同じ言葉だったが、祖母は何度も振り返り、後ろ髪をひかれるようにアパートを後にした。

 母を育てた人。母を看取った人。その背中が優しさで溢れていた。

『今日、直接バイト行くから。帰りは遅くなるから先に寝てて』

『うん、夕飯冷蔵庫に入れておくから温めて食べてね。いってらっしゃい』

『いってきます』

最期に見た母はいつも通り見送る姿だった。いつまでも玄関のドアを閉めずに優しく微笑んでいた。

 朝陽が冷蔵庫を開けると、オムライスが入っていた。

「これはもう、食べられないかな。洗濯は……」

脱衣所に顔を向けると綺麗に片付いていた。

 部屋を見渡すと、物が綺麗に片付いていた。そこに二人の生活感が無くなっていた。1LDKのアパートは高校生一人が過ごすにはあまりに広く、空虚さを漂わせた。

 朝陽が呆然と立ち尽くしていると、つっかけで階段を上がってくる音がした。

『朝ちゃん、ドアあけて』

母の声が聞こえた気がして、朝陽はドアを開けた。

「うわ、びっくりした」

そこには胸を抑えて目を丸くした夕海がいた。

「ママがおかず持って行けって言うからさ」

おどけて笑う夕海の顔を見て、朝陽の瞳から自然と涙が零れた。

「朝陽?」

「……ごめん」

慌ただしくて紛れていた気が緩み、ついさっきまであった大切な人の形がなくなってしまったことを認識した。

 人の気配のない部屋を背に朝陽は母がいなくなったことをようやく実感した。

 夕海はおかずの入った巾着をギュッと握ると、一緒になって涙を溢した。


 四十九日に朝陽は母の墓前にいた。

「母さん、ようやく少しは慣れてきたよ。みんな良くしてくれるから、心配しないで」

朝陽は線香を捧げると、手を合わせた。

「病気のことは言って欲しかったな。突然すぎたから、思い出を上手く整理できないよ」

楔になるものがなくて、このまま忘れてしまいそうで怖いと心の中で続けた。

「わかっていたら、もう少し親孝行できたかな…… したかったな」

悔いるような顔で笑うと、ゆっくりと立ち上がった。

「本当に大切な人が亡くなる時期を知りたいと思うのかい?」

突然背後から声がして、朝陽は思わず背筋を伸ばした。

「なんだ、あんた?」

「そんなに驚かないでくれよ。ところで、君は大切な亡くなるタイミングを知りたいと思うのかい?」

朝陽が振り返ると、正装をした紳士的な男が立っていた。場違いな容姿、異様な雰囲気に朝陽は気圧されていた。

「どういう意味?」

質問の意味がわからず、朝陽は顔をしかめたままだった。男は特に答えることはなく、ただ朝陽の顔を窺っていた。

「それは、まぁ。その方がもっと大切にできたかなって思うし……」

朝陽の言葉を聞くと、男はニコリと笑った。

「そうか、そうか」

男は嬉しそうに手を叩いた。

「では、見えるようにしてあげよう」

男は一つ間を置くと、強くもう一つ手を叩いて見せた。そして、用が済んだと言わんばかりに立ち去ろうとした。

「どういうこと? あんたは何者なんだ?」

「神様って人は呼ぶよ。では、またそのうちに」

男は満面に笑みを浮かべると、その場から姿を消した。文字通り、先ほどまでいた場所から歩くことなく、男の姿は見えなくなった。

 朝陽は気味悪く思い、その男が完全に消えるまで凝視していた。そして、いなくなったことを確認すると、安心したようにその場に座り込んだ。

 その日一日はそれ以上に変わったこともなく、寝るころにはそんな出来事さえ忘れていた。

 異変は次の日に起こった。

(あの数字は何だろう?)

登校中の生徒の姿を見て朝陽は首を傾げた。視界に映る人の頭上には数字があり、時を刻むように数が減っていた。

「おはよう」

クラスメイトが声をかけてきた。

「おはよう」

朝陽は挨拶を返すと、二人は通学路を歩いた。会話の端々にその数字に目が向いてしまっていた。クラスメイトもまた時折視線の向く自分の頭上を気にしつつ、いつもよりも変な空気間が生まれていた。

 朝陽が何か話題をと考えていた矢先、校門の前で夕海の姿を見かけた。クラスメイトの意識は途端にそちらへ奪われた。

「そういえばお前って委員長と幼馴染だっけ?」

夕海はクラスの委員長を務めていた。中学の時は生徒会会長を務めるなど勉強もでき、面倒見のいい性格で男女問わず好意を持つものも多かった。

「ああ」

朝陽がうなずくと、いいなぁと呟いて一足先に駈け出した。

「委員長」

「あ、おはよう」

二人が会話をしているのを遠巻きに見ていると、クラスメイトの頭上の数字が先ほどより早く減っていった。

(これって……)

朝陽は立ち止り、確認するように周りの人たちの頭上に目を向けた。

「心臓が鼓動する残りの回数だよ」

後方の声に慌てて振り返ったが、声の主は見当たらなかった。

 朝陽は体を戻し学校に向かうと、こちらに気付いた夕海が小さく手を振った。

 朝陽はいつもの笑顔に心を落ち着かせると、恐る恐る頭上に目を向けた。


3153654698、3153654697、3153654696……


数が静かに確実に減っていた。


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