銀河を越えて
さきほどまでキャンパス中央の噴水ホログラム前広場で宙間機動試験を観ていたアマレットは、気が付くとスペースエレベーターホールまでやってきてしまっていた。
どうしてそうしたのか、アマレットには自分でもわからなかった。でもつい早足に、最後の方は駆け出してしまって息まで弾んでいたのだから不思議だ。
「うわ、わわ」
思わず声に出てしまう。それくらいエレベーターホールにいた生徒の数は多く、また熱狂ぶりも予想以上だったのだ。オリオンアカデミー四年次至上最速タイの記録が出たということで、みんなは盛り上がっている。
「あー!!! クソ! ミヤシロたちに賭けてりゃよかった!!」
「っつーか、他のやつら変じゃなかった?」
「でもすごかったねー。あの子、地球人なんでしょ?」
「いやあれはクライヌのナビのおかげだろ」
「きゃー! ラスティが鼻血だして気絶してる!!」
口々にさきほどの試験の感想を興奮した口ぶりで話している彼らは、試験に参加した生徒がエレベーターで宇宙から戻ってくるのを待っているようだった。
数分ほどして次々に試験参加者がホールに姿を現し始めると、お前なにやってんだよ、とか、頑張ったけど惜しかったね、とか、そんな声が聞こえ始めた。
どうやら、ヒビキたちがゴールしたあともレースは続けられ、2着以下も決まったらしい。
「えっと……んー」
アマレットは別に、凱旋するヒビキを出迎えにきたわけではない。大体、どうせ彼はたくさんの女子生徒たちに祝福されるはずなのだから。
そんなんじゃないけど。ただ、さっきはつい大きな声で応援しちゃったし、少しだけ見直したかも、っていうのはあるけど。うん、だから、一言くらい、うん。それだけ!
アマレットは内心でそう呟きつつ、ひょこひょこと軽く飛び跳ねた。
「んっ、んっ!」
前のほうが人だかりなので、アマレットはそうしないと降りてきた試験参加者たちが見えないのだ。それで、おかしなことに気が付いた。
「……あれ?」
そこにヒビキがいないのだ。一番でゴールしたはずなのに? 何故か幸せそうな寝顔だった彼のパートナーは養護教諭のエレン先生が連れて降りてきたのに?
「? ?」
「お、えーっと、アードベックさん。来てただか?」
アマレットが顎に人差し指を当てて困惑していると、人だかりの中央からカク・サトンリーがのしのしと歩いてきた。どうやら、彼はもうエレベーターホールから出ていくつもりらしい。
カクはヒビキの悪友のはずなので、彼を待たないというのも少し不思議だった。
「え、ええ。そうね、もう行くの?」
「あー、オラは……」
ここでカクは、なにやら思いついたかのように顔を明るくさせ、その後ニヒヒ、といたずらっ子のように笑う。
「ど、どうしたのかしら?」
「ああ、ヒビキどんならここには降りてこないだよ。南棟のエレベーターから上がって、3番ドックに降りてるはずだ」
アマレットにはカクの言っていることにさらに混乱した。
試験はスタート地点もゴール地点も2番ドッグが一番近かった。3番ドッグというとアカデミーの西側のエレベーターホールを使うことになるのでかなり遠い。疲れているだろう試験終了後にわざわざそこまで飛ぶ意味がわからない。
「? どうしてわざわざ離れたところに?」
「やっぱりヒビキどんに会いにきただなぁ」
「!? 別にそんなんじゃ……!!」
「違うだか? まあいいだよ。オラたち、3番ドッグで待ち合わせしてただ。だども、オラちょっと急用が出来たからもう帰るだ。アンタさん、そう伝えてきてくれねえだか?」
カクは大柄な体を縮ませ、小声で言った。他の人に聞かれないように、というつもりらしい。
「な、なんで私がそんなこと!」
「この通りだべ!」
言葉を濁らせたアマレットだったが、カクのような大男に深々と頭を下げられると目立つし、第一恥ずかしい。なので『仕方なく』アマレットは答えた。
「……わかりました。行けばいいんでしょう、行けば!」
※※
3番ドッグにアマレットが到着したのは、それから30分後だった。キャンパス内をほぼ横断し、スペースエレベーターに乗って、低重力の格納庫に到着するのにはそのくらいかかる。
ドッグには人影がなかった。もう放課後で試験期間中だからクラブ活動もないためだろう。
これはアマレットにとっては幸いと言えた。と、いうのもアマレットは基本的にアカデミーの制服を着ており、オリオンアカデミーの女子制服は白いミニスカートだからだ。
ふわふわと漂わざる得ない低重力空間でそれは、いろいろとマズイ。
ただ、本当に人気がない。ウインドウ越しの宇宙空間と航宙機しかアマレットの視界に入るものはなかった。
「まさか、もう帰ってるとかじゃないでしょうね……」
ありえる。もしそうだったら私バカみたいじゃない!
アマレットはそんなことを思いつつも、スカートを抑えつつ床を軽く蹴った。テレキネシスも併用した空中浮遊でドッグ内を進む。
「あ……」
少しして、アマレットはヒビキが乗っていた航宙機をみつけた。機械にそんなことを思うのもおかしいかもしれないが、なんだか満足気に格納されている。
コックピットには人影が見えた。ここからでもわかる、ヒビキだ。到着したばかりなのかどうやら、まだ降りてきていないようだった。
ふと、アマレットの脳内に彼の言いそうなことが思い浮かんだ。
きっと得意な顔をして『すごいでしょ俺』とか『惚れた? よし! じゃあ明日デートしよう』とか言うに違いない。……ちょっと腹が立つ。
アマレットは再度床を蹴り、コックピットに向けて浮遊した。
カツーンという足音がドッグ内を伝わったためか、ちょうどアマレットが近づいたタイミングでコックピットハッチが開き、彼が姿を見せた。
「……おせぇよ。カク……」
ヒビキは、らしくもなくヨロヨロとコックピットから立ち上がり、低重力空間に身を投げ出した。姿勢制御をすることもなく、テレキネシスで速度を調整するでもなく、ただフワフワと浮遊し、アマレットのほうにやってくる。
「え? あ、その……!」
どさり。予想外の事態に驚き慌てるアマレットは避けることも出来ず、浮遊してきたヒビキを細い腕で受け止める。
「きゃ!……ね、ねえ、ちょっと!」
「……」
アマレットはそのままヒビキに抱きしめられ、押し倒された。低重力空間なのでゆっくりと、床に向かい落ちていく。
いくらなんでも急すぎる。セクハラが日常な彼だが、こんな風に強引なことをしてくるとは思わなかった。無言なところもいつもと違う。
「わ、わわわ……どうしたの……!?」
突然の出来事のせいなのか、アマレットの心臓はやけにうるさい音をたてた。視界がぐるぐる回っているような錯覚を覚えるし、恥ずかしさに顔が熱くなる。
そんな風にアマレットが混乱し、アタフタしているうちに二人は重なったまま床に倒れ込んだ。そこにきて、ようやく気が付く。
「……ミヤシロくん……」
ヒビキは眠っていた。彼は抱きついてきたわけじゃなくて、ただ気を失う直前にしがみついてきただけだったのだ。
胸のなかですうすうと寝息を立てる彼は汗だくで、体はほんのりと熱を持っている。
大きな怪我でもしているのかな、と心配にもなったが、そういうわけではなさそうだった。
ただ、疲れ果てている。それも動けないほどに。
「……ねぇ、ってば……」
声をかけてもヒビキはまったく気が付く様子もなく、アマレットは少々戸惑いながらも彼を払いのけることが出来なかった。
誰からに見られたら誤解されちゃう。そんな心配が頭をよぎるが、彼を抱きとめた姿勢で固まってしまって、動けない。それも物理的な理由からではなく。
汗のにおいがするしちょっと重いけど、そんなに嫌じゃない。
「……すーっ……すーっ……」
寝息を立てているヒビキ。細身に見えていた彼の体はこうして密着してみると意外なほど逞しく、自分とは違ってあちこちが硬い。
男の子、なんだな。
これまでこんなに男性と密着した経験のないアマレットは、ぼんやりとそんなことを思った。それに、息がかかりそうなほど近くに彼の顔があるからか妙に緊張してしまうし、いろいろ考えてしまう。
ミヤシロくんのこんな姿、初めて見た。
いつもひょうひょうとしていて、軽口ばかり叩いてて、怠け者で、そのくせ器用に色んなことをこなす憎たらしいお調子者、それが彼だ。そう思ってた。でも。
それだけの男の子じゃ……ないみたい。
アマレットは自分がみていた彼の姿がほんの一面に過ぎなかったことに気が付いた。
ヒビキは地球からやってきたばかりなのだ。本当に遊んでばかりいて、あれだけのことが出来るはずがない。
一着でゴールしたとき、彼はいつものように自信満々の得意げな顔で腕を掲げて喝采に答えていた。本当はこんな風に倒れちゃうくらいに疲れていた癖に。
一人でわざわざ離れたドッグに戻って、そんな姿を見せないようにしていた。
もしかしたら。
アマレットはふと思った。
もしかしたら、ミヤシロくんはいつもこんな風にやってきたの? 強がって、我慢して、いつだってカッコつけて。
もちろん、お調子者でえっちなのも本当のヒビキなのだろう。それは皆知っている。でも、彼のこんな一面は、きっと誰も知らない。
ヒビキは目指すことがあると言っていた。宇宙は俺が守る、なんて、冗談みたいな言葉だったけど、きっと彼は彼なりに本気なんだ。だからこんな風に無茶なことをするんだ。なのにそんな姿を見せようとしない。
「意味、わかんない」
胸の奥のほうがきゅっと締め付けられるような感覚。それはアマレットがこれまで感じたことのないものだった。
「ほんと、変な人」
アマレットは思った通りに口にして、彼の寝顔を見つめた。小憎らしいいつもとは違って、素直な子どもみたいで、ちょっとだけ可愛くなくもない。
アマレットはヒビキの背中に回っていた手をそっと動かしてみた。
おっかなびっくり震えながら、まるで子どもにそうするように。
ぽんぽん、と背中を撫でるように叩く。何故だか、そうしたくなったのだ。
「……バカじゃないの」
ヒビキに対して何度口にしたかわからないこのセリフ。
何故だか今日はそれが、自分でも不思議なほど優しく静かなトーンで唇から零れた。
※※
期末テスト終了から三日後、午前11時59分。オリオンアカデミーの学生の多くは脳内でカウントダウンを始めた。これほど高揚感のあるカウントダウンは年に二回しかないことだ。
当然、響も行っている。
9、8、7。
「えー、で、あるからしてね。来期は翠星など、それぞれの惑星の歴史についてもね……」
星雲史教師のブッシュ爺やは講義を続けているが、もはやクラスの誰も(アマレット・アードベックを除いて)聴いていなかった。
3、2、1。
響の脳内カウントがゼロになると同時に、アカデミー中に鐘の音を模した電子音が鳴り渡り、同時にブッシュ爺やが呟いた。時間配分が完璧なのはベテラン教師の証である。
「はい。じゃあ、これで前期講義を終了するね。皆さん、よい夏休みを」
直後、学生たちは声を上げた。
「よっしゃああああ!!」
「終わったぁ!」
「ふー……」
「どっか寄って帰ろうぜ」
「今夜はパーティよ!」
ある者は歓喜をある者は安堵を、思い思いの内心を吐露していく。オリオンアカデミーはエリート校でありカリキュラムは厳しい。だからこそ、この瞬間は格別なのである。
ちなみに響はクラスの誰よりも早く立ち上がっていた。すでに荷物はバッグに詰め終わっている。
「なっつ休みーー!! ふー!!」
喜びを声に出し、廊下を走る。途中で超剣術のリベット先生に見られたが、彼女は『あらあら元気ね。もう、今日は仕方ないから見逃してあげる』と言ってくれた。
期末テストは期末に行われるので、それが終われば前期は終わる。前期が終われば?
当然アカデミーは休暇に入るのである。タートル内の環境設定も夏を意識したものに変わり、学生たちは開放感に包まれる。
しかも響の場合はさらにテンションが上がる理由もあった。期末テストは宙間機動試験と超剣術の好成績に加え、さっさと解いて後は寝ていた座学のテストも満点だった。なので宣言通りトップ成績を収めたし、名前忘れたPPのおじいちゃんも倒した。あまつさえリッシュとの仲も進展した。疲れ果ててぶっ倒れてしまったようだが、約束通りカクがこっそり病院に運んでくれたおかげ今は体力全開だ。
要するに、前期は完璧な結果を残して終わったのである。そして夏休みの予定も決まっている。それは気分も上がろうというものだ。
「スケさん! カクさん! 準備はいいかねー!?」
別のクラスの自動ドアをくぐると同時に友人に声をかけた。いつもと口調が違ったり、いもしない人物の名前も呼んだのは、それだけウキウキな気分だからだ。
「お、早いだな響どん。オラならバッチリだよ。スケさんってなんだべ?」
「気にすんな! よっしゃ、じゃあ行くぜ! すぐ! なう! ごー!」
カクもどうやらサイキックAの講義をろくに聞いていなかったらしく、すでに大荷物を肩に抱えていた。しばらくオリオンタートルを離れるにしてもバッグがデカすぎるのは、ロリな女の子キャラの抱き枕が入っているためだそうだ。
響とカクは連れだって教室を出た。駐車場へ向かう途中で、何人かの学生に声をかけられパーティの誘いを受けたが、それは明るく爽やかに断る。
何故だか最近自分への接し方が少し変わったように見える風紀委員の女の子とも遭遇した。彼女は妙にどぎまぎしつつ『しゅ、宿題はちゃんとやるのよ! いい?』と言ってくれた。気が向いたらやろうと思う。
ひたすら好意をむけてくれるゴージャスセクシー美人さんとも遭遇した。『夏の間は私のうちの別荘で二人きりで過ごしませんこと?』と大変そそられる提案を受けた。断腸の思いで断った。
サイドポニーテールが眩しい爽やかで快活な少女とも遭遇した。お礼をいろいろ言われたあと、『これからもよろしくね!』と微笑んでくれた。夏休み後半は戻ってくるのでそれからいっぱい遊ぼうと約束した。
駐車場に到着し、大型エアカーにバッグを放り込んでから乗り込む。
「俺が運転するか? カク」
「宙港ならオラの運転でも余裕で間に合うだよ。第一スピード違反で捕まりたくねぇだ」
「そっか。んじゃ頼む」
「任せるだ!」
二人はオリオンタートル時間13時発の旅客宇宙船に搭乗予定である。急遽決まった夏の予定だったため、チケットが取れたのはラッキーだったと言えよう。
目的地の星ではカクが愛する妹系ロリータアイドルを含む銀河アイドルユニットのライブが予定されている。このユニットには響の好みのお姉さん系も在籍しているのであわよくばどうにかする予定だ。
もちろん、響がその星に向かう目的はライブだけではない。
まずは単純に他の惑星に行きたいという好奇心である。
せっかく宇宙に上がってきたというのに、アカデミーのカリキュラム期間中はそうそう遠出できず地球圏から離れることがあまりなかった。文明のある異星にはまだ降り立ったことがない。これは夏休みの間にぜひ行ってみなければならない。どれだけ楽しいことが待っているかわからないのだから当たり前だ。
次に向かう場所が響にとって色々な意味で因縁深い星である、ということ。
星雲連合の始まりにして中心の場所であり、PPの本拠地だった場所。そのトップであるシーバス・パスティスが表向きには死んだとされている場所。
『そこ』に行けば、これまで知らなかった事実に触れることが出来るかもしれないし、雲隠れしているシーバスが持っている『アルニタク』を奪うチャンスもあるかもしれない。
アカデミーで半年ばかり過ごす間に二回PPの刺客に襲われた。攻められっぱなしなんてまっぴらゴメンだ。なら、こっちから行ってやる。多少の危険などクソ食らえだ。
響は期末で一位を取った結果ペンダントとして自分のもとに戻ってきた『ミンタカ』を握り、大きく深呼吸をしてから口にした。
「それじゃ、銀河を越えて、向かうぜ! 華星!!」
弾む鼓動を抑えもせず宣言した響。地球で幼少期を過ごしたカクはニッと笑ってそれに答えた。
「わかっただよ。コーモン様」
少年たちの向かう未来、そこに何があるのかなんてことは本当は誰にもわからない。だけど。彼らは足を止めたりはしないのだった。
ご愛読ありがとうございました。
これにて本作はひとまず第二部完結となります
少しでも楽しんでいただけたのか心配ですが、瞬間的にでも面白い部分があったのなら嬉しいです。感想などいただければ幸せです。




