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てのひらに星雲を  作者: Q7/喜友名トト
シーズン2~期末テスト編~
51/70

宇宙は俺の、遊び場だ

胸を押さえて、苦し気に喘ぐ少女の声は、彼女の肉体がシャルトリューズという亡霊に侵食されかけている、という事実を伝えていた。


 背後で喘ぐ少女。息を荒くし瞳を潤ませるリッシュは、ややもすると注視してしまいたくなるほどに魅力的だったが、響はあえて後部席から目を離し、コントロールレバーを握った。


 見つめるのは、前方だ。

 さほど時間はない。だから、下準備は速やかに。


「……ヒビキ、くん……脱出し……て……このままじゃ……ボク……」


 妄執の塊のような老人の亡霊に侵食されかけているにも関わらず、パートナーのことを思いやるその言葉。響は、胸の奥が震えるのを感じつつ、フットペダルを限界まで踏み込む。


 響たちの乗ったグラスパーは加速し、ついさきほどまで肉薄していた敵機を置き去りにした。敵機にはもう『シャルトリューズ』はおらず、いるのは意識を失っているオプティモなのだから当たり前だ。

「……あと、少し……!」


 ゴールはまだ遠い。だから響の行ったスパートはリッシュが正気を保っているうちに試験を終わらせるためのものではない。距離を取るためだ。



 二位以降の機体をすべて引き離し短いストレートに差し掛かったポイントで、響はオートに切り替えた。障害物のない直線をゆっくり行くのなら、それで十分だ。


「ふう、間に合った」


 小さく呟いた響は再び後部席を振り返り、狭いコックピット内で立ち上がった。


「……う、あ、あっ……やっ……!」

 

 青くおぞましいサイキックウェーブに包まれたリッシュは胸を押さえ、小さな体をびくびくと震えさせている。

違う何か、もっと大人な状況を連想させる様子だが、それどころではない。どうやら、もう時間はあまりないようだ。  

もし仮に、リッシュがこのまま完全に支配されてしまえば間違いなく響は生命維持装置抜きで宇宙に放り出されてしまうだろう。


〈貴様にはどうすることもできない〉


 響の脳内に声が駆け巡った。リッシュへの侵食を続けつつ、テレパシーで語り掛けてくるこの声は、あの老人のものだ。


〈……どうするね? あのときのようにこの指でもへし折ってみるか? 試してみればいい。今度は端末ではなく私自身がこの娘を操っている。あのときとは違う結果になると思うがね。くく……〉


 シャルトリューズの声は確信に満ちていた。端末の一人だったマニエのときとは威力が違う、というわけだ。なるほど、たしかにメイン端末、シャルトリューズ本体から放たれたオーバーテレパスの光はあのときより濃く、大きい。


 オーバーテレパスによる精神支配を防ぐには強い感情で心を満たすこと。指を折る程度の痛みでは、足りないらしい。


〈それとも、この杢星人の娘を殺すか? そうだ、それがいい。貴様に出来るものならな……〉


 勝ち誇る老人は、響がその提案を実行できるはずがないと確信している。テスト中にパートナーを殺せばもう首席どころの騒ぎではなくなる、という意味だけではなくだ。


〈ミヤシロ、貴様は少しは頑張ったが、ここまでだ〉


 リッシュを包む青い靄のような光が、嗤ったように見えた。それも、ひどく醜悪に。

 

このままリッシュを支配し、響を倒し、目標を果たす。それがシャルトリューズには嬉しくて堪らないようだった。


 だが、そうはならない。

 そうは、させない。


「お前は終わりだ。シャルトリューズ」


 響は声にだし、老人の嘲笑を切り裂いた。


〈……なにを〉


「馬鹿だな、お前は。大人しく負けてれば、負けるだけで済んだし、またミンタカを得るチャンスはあったのに。……この選択肢を取った時点で、お前の消滅は決定した」


 さきほどまでのシャルトリューズと同様に、いやそれよりはるかに大きな自信に満ちた言葉を放つ響。


こうしたらこうしてくるかも、そしたらこうしてやる。それでもああしてきたら、さらにこうしてやる、これを繰り返す。それが響の戦い方だ。


ただ、今回の場合はそれだけではない。


「俺は、最初からお前を倒すことは二の次だった。一番の目標は別にあるのさ」


 響は皮肉たっぷりに笑い、ヘルメットを脱いだ。無重力のコックピット内にヘルメットが浮かび、響の額の汗の粒は宙を舞う。


〈……貴様は、なにを言っている……?〉



 シャルトリューズの声は再び問いかけてきたが、響はそれを無視した。これから起こる場面に、老人の声など必要ない。


「待たせてごめん」


 響は優しく語りかけ、リッシュのヘルメットを外す。


「……う、ボク……?」


 目に涙を浮かべ、熱に浮かされたように喘ぐ彼女の頬にそっと手を当てる。


 さきほどまでの操縦のせいで筋繊維がだいぶやられているが、震えをなんとか抑える。


 こんなとき、男の方が震えているのは響の美学に反する。


〈なにを……貴様、まさかその女を本当に殺すつもりか……!?〉


 無視。


シャルトリューズはなにやら騒いでいるが、もう、響には何も聞こえない。


 目に映るのは、形のいい小さな彼女の顎、生まれたての子どもみたい滑らかな肌、果実のように瑞々しい唇。そのすべてが、響に緊張と高揚を与えてくれる。


「りっちゃん、俺は」


 後部席に身を乗り出し、囁くような声で告げる。

彼女の華奢な体から匂う柑橘類を思わせる爽やかな香りが、響の鼻腔をくすぐる。


 不安そうな彼女がこちらを見上げる視線に熱が灯る。


 今からすることは、たしかにシャルトリューズを倒す必殺の一撃だ。


 でももし、物のわからぬ誰かに、お前はそのために彼女を利用したのか、と問われれば響はこう答える。


 バカかお前は。俺にしてみれば、大事なのは最初からこっちで、シャルトリューズのことなんてただのついでだ。


 亡霊を葬り、可憐な少女の心も貰う。


「いつも一生懸命で、健気な君のことが」


テレパシーなんて無粋な方法なんかじゃない。もっとずっと自然で、甘くて、素敵で、そして気持ちいい方法で。


「……ヒビキ、くん……ボク……」


少年と少女。二人の視線が交じり合い、どちらからともなく唇が近づいていく。

二人の瞳には互いの姿が星のように映り、そして二人は目を閉じた。


「とても、好きだよ」

 

 地球育ちの少年は可憐な少女の影に寄り添い、ただ一点だけを触れ合わせた。

まるで大切な宝物を扱うように優しく、静かに。

天鵞絨ビロードのようにきらめく星雲を背景に、星を渡る船のなかで。


わずかな時間、響はただ自分の唇にだけ感じられる甘く柔らかな感触に、心を任せた。


なにか邪悪なサイキックウェーブが目の前の少女から飛び出したような気もするし、断末魔の叫びをあげているような気もするが、どうでもいい。


「……ん……」


 切なげな吐息が聞こえ、同時に響の体に心地のいい重さが感じられた。


「りっちゃん?」


 目を開けた響の胸には、リッシュの小さな体が収まっていた。


「……ふにゅ……」


 彼女はとろん、と蕩けたような表情を浮かべている。まるで眠りに落ちる直前の仔犬のようだった。


もしかしたら今起こった出来事が幸せな夢だったと感じているのかもしれない。


おそらく初めてだったであろうその行為はどうやら、リッシュの心をイッパイに満たすことが出来た様だった。


「おやすみ、りっちゃん。起きたらまたしよう」


 響はくうくうと寝息を立て始めたリッシュを後部席に寝かせ、後部席上方に視線をやった。 


「……さて。何か言い残すことはあるか?」


 視線の先にあるのは、青白い靄のような光。ホラー映画のCGで描かれるゴーストのようなそれは、苦し気に蠢いていた。


「……ぐっ、馬鹿な、このようなあああ……!」


リッシュの体から弾き飛ばされた靄、その中に顔つきが浮かび上がり、呪詛でも叫ぶように悶絶している。


「へー、あんた、そんな顔だったのか」


〈何故だ、何故だ、何故だ……!!〉


 信じられない。シャルトリューズのサイキックウェーブは、詩的な表現で言えば魂が、そう絶叫していた。徐々に力を失い、空間に溶けていく姿は終焉を予感させるものだ。


「知らないのか、恋は強い感情だぜ? 昔過ぎて青春時代を忘れちゃった?」


 恥ずかしい言葉は堂々と言うに限る。響は軽く言い放った。


「ちなみに、俺も今幸せいっぱいだからお前が入り込む隙間はない。それに、後ろを見てみろ。後続機は全部引き離してるから、お前が転移できる肉体は一つもない」


 端末間の移動は近くなければ出来ない、ゆえにシャルトリューズの精神体はどこにも行けない。もともと死人であるシャルトリューズはサイキックウェーブを宿す端末がなければ人格を維持できず、消滅するしか道はない。


さきほどまではロマンティックな舞台の背景だった宇宙空間は、とたんに冷たい死の海へと変わる。


「さあ、おじいちゃん。成仏の時間だ」


 響はシャルトリューズに背中に向けてシートに戻った。


目に映るのは宇宙に光る宙間機動試験のゴールライン。そこまではもう一本道だ。 



〈……おのれ、おのれ。……宇宙は、宇宙は我らPPの所有物ものだ……! 貴様ら異星人どもなどにぃぃぃぃ……!!!〉


断末魔の叫びをあげるシャルトリューズの影。最後の言葉は彼らのあり方を端的に表す思想であり、そして響には認められないものだ。


あんなに素晴らしいキスの相手がいる宇宙がそんなくだらないものであるものか。


「違うね。宇宙はお前らの所有物なんかじゃない」


響はオートパイロットを解除し、コントロールレバーを握った。


ブーストペダルに足を置き、振り返りもせずに片手を上げてみせる。ペダルを踏み込めば一瞬でマッハの領域まで加速し、宇宙に消え行く亡霊を置き去りにするだろう。


だから響はその前にシャルトリューズに言ってやることにした。いつもと同じように口角を上げて、自分の信じることをまっすぐ正々堂々と。


「……宇宙は俺の、遊び場だ!!!」


「ヒビキ・ミヤシロオオオオッ!!!!!!」


 同時に航宙機グラスパーの推進剤を使い切る勢いでペダルを踏み込み、流星のように宇宙を飛ぶ。


煌めく流星は妄執に駆られた亡霊をはるか後方に振り払い、ゴールを示す光のリングを高速のまま貫いた。


〈7番機 ミヤシロ・クライヌ組!! 今1着でゴール!!〉


 ゴールを通過したため外部の通信が聞こえる。言うまでもないが、ダントツ1位だ。他の機体は今ごろ洗脳が解けたパイロットがえっちらおっちら飛ばしているころに違いない。 

 メイン端末に憑依していたシャルトリューズが宇宙に消えた以上、端末だった他の学生はオプティモも含めて解放されたはずだ。全員宙間機動試験は散々な結果になるだろうが、それは仕方ない。


 アカデミーの公式ライン以外の声も次々と入ってきており、いずれも大変盛り上がっている。前半見せた曲芸飛行が相当受けたようだ。


 それまでは遠くを飛んでいたカメラ用小型機がよってきたので響はそっちに顔を向けた。

 正直もう気絶しそうなほど精神が摩耗しているし、指先を動かすのも億劫なほど筋肉疲労が溜まっていたが、それでもここはやっておかなければならない。


  響はシートを倒して後部席で眠っていたリッシュの肩を抱き、寝ぼけまなこの彼女の手を取って高々と掲げてみせた。


「俺たちの……勝ちぃ!!」

 

 高々と拳を上げ、全校生徒の見ている前で宣言してみせる。喝采の声がコックピット内に響いた。きっとこの画像データは卒業アルバムにでも使われることだろう。


洗脳されかけたことで疲労したリッシュはこの瞬間を覚えていないかもしれない。


でも、彼女は一生懸命だった。響は彼女がいなければ勝てなかった。一緒に頑張って結果を出したのだ。誰にも胸を張れることだ。


それはとても大切なことで、響は彼女の心の1ページとして残してあげたかった。くだらないことで落ち込んでしまった彼女の悩みを吹き飛ばしてしまいたかった。


 だってリッシュにはうつむいている顔より、懸命に前を向いている顔のほうが、はにかみながらも幸せそうにしているほうが、ずっとずっと似合っていると思うから。


 


次回はアマレット回です。あと、響もすこし意外な面をみせるかもしれません。


それにしてもキスシーンは難しいですね……

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