あー、疲れた
「やー、助かったよ。持つべきものは家が近くの美少女だね、やっぱり」
響は、隣の運転席に座るアマレットに話しかけた。彼女は、聞いているのかいないのか、前を行きかうエアカーのテールランプを見つめたままだ。
アマレットは少し不機嫌なようだった。どうやら、アカデミーの風紀委員室から駐車場という短い距離を一緒に歩く間に、響がすれ違う8名もの女子生徒と親し気に話していたことが原因らしい。
『ミヤシロくん、今度どこか連れてってよ』
『そうだね。テスト終わったらね』
『この前は楽しかったわ』
『俺も俺も。あのあとお父さんに叱られなかった?』
とか、その程度のやり取りだ。
本人が言うにはアマレットはヤキモチを焼いている、というわけではないそうだ。真面目な彼女は、響のことをフニャフニャフラフラとナンパな男だと思っていて、それが気に入らないらしい。実際のところ、彼女の評価はほぼ当たっているので、否定は出来なかったりする。
「……」
アマレットは黙ったまま運転を続けている。整った横顔はツンとしているが、それでもこうして車に乗せてくれるためにアカデミーに残ってくれていたことが彼女らしい。
その後もなんやかんやと話しかける響に呆れたのか、アマレットはため息をついてから口を開いた。
「それで? あなたのバイクはいつ直るのかしら?」
そう。響の通学手段は自分のエアバイクだが、それは今朝の戦いで大破している。なので、家が隣のアマレットにお願いして送ってもらっている、という状況だ。少なくとも表向きには、である。
「さー? 結構派手にこけたから。少しかかるかもしんない。ごめんね」
ちなみに、響は新しいバイクはとっくに買っている。携帯端末による電子決済は済んでいるので、明日には自宅に納入されるだろう。だが、それはアマレットには言わないことにした。
「……はぁ、それじゃしばらくは、一緒に帰らなくちゃならないわけね」
「嬉しい?」
「だ、誰がですか!?」
「……そっか、ごめん。迷惑だよね……」
落ち込んだ表情をみせた響に、アマレットはやや慌てたようだった。
「そ、そういうわけじゃないけど。わたしも、どうせ委員会で遅くなることが多いし、その」
「そっか! それじゃよろしくー」
「貴方って人は……!」
そんな会話を繰り広げつつ、二人の乗るエアカーは市街地を抜け、海岸沿いの道に入った。しばらく進むとアマレットの自宅と響のプールハウスがある高級住宅地にたどり着く。
オリオンタートルはその名の通り、オリオンアカデミーを中心として建設されたタートルである。いわば学園都市、というヤツだ。だが、住んでいるのが学生や学生を商売相手とする街の住人ばかりというわけではない。
立地的な条件から、オリオンアカデミーには、地球との橋渡しを行う外交官や技術顧問などが多く住んでおり、彼らの多くはどちらかといえば富裕層に所属している人間だ。
アマレットの父であるアードベック氏もそんな一人であり、アマレットの家は海が見下ろせる豪邸だった。距離は大体、アカデミーからエアカーで30分程度、というところだろうか。到着までにはまだ少しある。
「そーいえばさ、アマちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
まだしばらくは車内で二人きりの時間が続く。いい機会だと思った響は、口を開いた。
「な、なにかしら?」
アマレットの顔には、緊張の色が映った。声もどぎまぎしていてる感じだ。これまでのところ、響はアマレットの週末の予定を聞いたうえで21回ほどデートに誘っている(全部断られているが)。今回もそうだと思われたのかもしれない。
平静を装うように口元をきゅっと結び、そっぽを向くアマレットは可愛い。思わず本当にデートに誘いたくなった響だが、今聞きたかったことは彼女の週末の予定ではなかった。
「精神感応ってさ、相手を完璧に洗脳することって出来るもんなのかな? 人格が乗り移った、ってレベルくらいに」
「え?」
アマレットはいつもより高い、子どもっぽい声をあげた。どうやら予想外の質問に素になってしまったようだ。
響の疑問は、当然ながら今朝戦ったあの謎の『敵』についてのものだった。実際に向かい合った相手は同級生のマニエ、だがアイツはマニエではなかった。まるで誰かが、憑依していたように思えた。
そして『敵』は響にすらテレパシーによる攻撃をしかけ、支配下に置こうとしていた。しかも、そのあとは、マニエが昏倒させた別の学生が『敵』の人格に変貌していた。さらに、自我を失ったかのような多くの学生を引き連れてもいた。
以上のことから、今度の敵は強力なテレパシストと考えるのが妥当だ。だが、果たしてそんなことが出来る物なのだろうか?
アマレットは精神感応の講義を選択しているし、星雲連合に生まれ育った優等生のお嬢様でもある。少なくとも響よりは、今回のようなケースについての知識はあるだろう、と考えての質問だった
「……どうしてそんなことを聞くの?」
アマレットは信号でエアカーが止まったタイミングで、響を見つめてきた。子猫のようなその瞳は響の考えていることを見極めようとする感情が見える。PPの事情を知っており、かつ聡明な彼女らしいと言えるだろう。
だが、響はヘラヘラと笑ってこれに答えた。
「カクのやつがさ、それが出来るんだったら成人女性の人格を持った幼女ってのがありえるんじゃないかと言い出してたから、ちょっと気になって」
「サトンリー君……。あの人は、本当に大丈夫なのかしら……」
「心配ないよ。カクは変態だけど、無害な変態だから。それより、どうなの? 知的好奇心からの質問だよ
アマレットは、顎のあたりに手をあて、首を傾げて思案顔を見せた。カクには少し悪いな、と思いつつ、またアマレットの白く細い首を眺めつつ、響はその答えを待つ。
「そうね……。専用のサイキックウェーブ拡張デバイスがあって、それからテレパシーを受ける側が協力的だったら、出来るかもしれないわね。ただ、テレパシーを実行する方はその間意識を失うことになるかと思うけれど……」
「なるほど」
たしかに、星雲連合においてサイキックスキルを使用する場合、多くは専用のデバイスで効果を拡大する。それによって大型宇宙船を飛ばしたり、別銀河系の座標を認識したりするのだ。攻撃的なテレパシーもその例外ではないらしい。
「でも、そんな危険なテレパシーを可能にするデバイスは違法よ」
「だろうね」
それに、あの敵はそんなデバイスを使っている様子はなかった。そもそも、そんなものをアカデミーに持ち込めるはずがない。
「……でも、原理的には可能ってことだよね? 要は出力の問題ってことで」
「現実的じゃないわね。そんなに強いテレパシストなんて、それこそ……」
アマレットはそこで言葉を濁らせた。何か悪いことを言ってしまった、そんな気まずそうな表情だ。それが指し示すことは一つしかない。
「それこそ? PPにそんなやつがいたの? 大丈夫。だって俺だよ? 別に気にしないから」
アマレットは響の父親がPPに暗殺されたことを知っている。だから気を使ってくれたのだろうが、聞けることは聞いておきたいところだ。
「……PPの幹部にシャルトリューズ、という人がいたそうよ。強力なテレパシストで、たくさんのサイキッカーを洗脳して手足のように操ることが出来た、って、パ……お父様から聞いただけだけど」
「ああ、名前はなんとなく覚えがあるよ」
響は父から譲り受けたPPに関するデータの多くを記憶している。それに、たしかその人物は銀河史のテキストにも登場した名前だ。だが十年以上前に逮捕され、今でも獄中にいるはずだ。
「うーん……」
「? どうかしたの? ミヤシロくん」
不意に考え込んでしまった響にアマレットが不思議そうな声をあげる。
俺としたことが、と響は考えた。今回の件はアマレットに話すつもりはない。いたずらに彼女を不安にさせてしまうだけだからだ。
「あ、いや。期末テストどーすっかなぁ、とか突然思って」
なので、響は時事ネタの話題を持ち出し、誤魔化した。
するとアマレットのほうも何やら考え込むそぶりをみせたあと、早口で話し出した。またも、いつもより声が子どもっぽい。
「そ、そう。それなんだけど、その、どうかしら、あの……。もちろん、あなたが良ければなんだけど」
アマレットは何か言いかけたが、ちょうどそのときアマレットの住む豪邸がフロントガラスに映った。
「アマちゃん家ついたね。俺ここでいいよ。あとは歩くから」
お隣、とはいえ。アードベック邸はかなり大きいため、響が間借りしているプールハウスまでは少し距離がある。
「え? いいわよ別に。どうせついでだもの」
アマレットはきょとん、としつつ優しい言葉をかけてくれた。が、響は自分を送ってくれたあとの彼女に一人で自宅のガレージまで運転させるつもりはなかった。
「んー。ちょっと近所に寄るところがあるからさ」
「こんな時間から?」
「そうそう。2ブロック先にバーを見つけたから。ちょっとナンパでもしようかなって」
「……!?」
「あ、アマちゃんも一緒にいく? 大丈夫。偽造IDがあるから未成年でも……」
立て板に水、というレベルでよどみなく不良行為を宣言する響。アマレットは、顔を赤くしてプルプルと震えだした。
「バカじゃないの!? あなた、少しは真面目勉強するつもりはないの!?」
あー、なるほどな。と理解する。響は今回、トップ成績を取らなければ単位が取れない科目がいくつかあるし、下手をすれば退学もありえる。それを彼女は心配してくれているのだろう。それに多分、アマレット自身は自宅に戻ったら勉強するつもりだったのだろう。
「うーむ。まあ、なんとかなるんじゃない? 送ってくれてありがと。明日またね」
言うが早いか、響は信号で停止しているエアカーの助手席から降りた。手を振り、彼女を見送る構えである。が、彼女はすぐに発進しない。やっぱり、ぷるぷる、と肩を震わせている。
「? どうしたの? アマちゃん」
軽く聞いてみた響。アマレットはそんな響にきっ、とした視線を向けてきた。何故か微妙に目が潤んでもいるし、肩がぷるぷると震えてもいる。そして、すぅと息を吸い込み……
「ばかぁーーーーー!!!」
彼女にしては驚くほど大きな声でそんなこと叫び、行ってしまった。どうやら、相当怒らせてしまったらしい。
「ははは。あの子、たまに子どもみたいだな」
響は豪邸に入っていくエアカーを見送り、そんな感想を口にする。
どうやら、メキメキ好感度が下がっていっている模様だ。
「……さて、と」
息をつき、身体強化を解除する。同時に、響の全身を倦怠感と筋肉痛が襲った。さすがに、いろいろ無茶をしすぎたらしい。
回復で怪我は治っても、体力までは回復しないし失った血は戻らない。
身体強化はいわばサイキックウェーブでドーピングしているようなもので、身体に負担はかかる。多用したり、自分の限界以上に使用すれば筋繊維は断裂するし、神経は磨り減る。響としてはだいぶ抑えて使ったつもりだったが、それでもこの負荷だ。まだまだ修行が足りない、というところだろうか。
「あー、疲れた」
響は重い体を引きずるようにして夜道をあるき自宅へ戻った。ベッドに倒れ込んでスニーカーを脱ぎ捨てる。もうこのまま眠ってしまいたいところだったが、まだいくつかやらなければならないことがあった。
「きてるかな」
まずはダルモア副学長からのメッセージ着信の確認だ。響は今日あったことをダルモアに報告していた。あれほどの異常事態なのだから彼に伝えた方がよさそうだし、それに響のほうもダルモアから聞きたいことがあった。
ダルモアは元教師のグレンが収監されているプリズンタートルに行っていたと聞いた。そしてそこには、さっき話題に出た人物もいたはずだ。
ちょうど響が携帯端末を取り出したタイミングで、ダルモアからのメッセージが着信した。
アカデミーへの帰路の途中にあるダルモアとは数光年は離れているはずだが、テレパシーを文字化する通信デバイスはリアルタイムによるチャットを可能とする。
〈状況はわかった。細かいところは私のほうで対応しておくよ。詳しくは明日話そう。朝、私のオフィスまで来てくれ。くれぐれも、君は無茶なことをしないように〉
ダルモアは今朝の事件が公になるのを素早く防ぎ、事態の収拾へ向けて動いている。たしかに、あまり騒ぎになるのはいろいろとマズイので、響としてもありがたい対応だ。
〈ありがとうございます。ところで、シャルトリューズ、という男を知っていますか? また、シャルトリューズは俺の親父と面識がありましたか?〉
響はテキストデータを打ち込んだ。中継局にいるであろうテレパシストがそれをダルモアに送るのに数分かかる仕様だが、返事は予想よりも早く来た。
〈彼がどうかしたのかい?〉
〈俺を襲ったマニエが、親父のことを知っているようでした。〉
ダルモアなら、これだけで意味がわかるだろう。状況から考えるに、今度の『敵』もPPの一員であり、さらに強力な精神感応能力を持っている。候補としてもっとも可能性が高い相手は、一人しかいない。
さらに数分がたち、短いメッセージが戻ってきた。
〈シャルトリューズは、死んでいたよ。……ヒビキくん、今回は本当に危険かもしれない。もし、私の今考えたことが正解なら、シャルトリューズはとてつもない脅威となってアカデミーを襲っていることになる。もう一度言うが、君は〉
ここでメッセージが途切れた。どうやら、ダルモアがワープ空間に入ったことによる通信断絶らしい。
「……死んでいた……?」
響は思わずそう口にしていた。
一体、どういうことだ? 仮に今回の敵がシャルトリューズという男で、彼が脱獄していた、というのなら話はわかる。そしてそれならソイツを見つけ出して倒せばいいだけだ。
だがそうではない、ということだ。そして、ダルモアはシャルトリューズが死んだと知りつつ、それでも彼が脅威だと言っていた。
もしかしたら、死後にすら人を操り続けることが出来るのか? それとも逆に、自分が死ぬことでこの凄まじい力を発揮できたのか?
「……はぁ、とりあえず、風呂入るか……」
響は疲れ切った体を少しでも癒すべく、シャワールームに向かった。そして、お湯を浴びながら考える。
多くの人間を洗脳し端末のように操る。だが当人はすでにこの世におらず、洗脳した人間、『端末』に憑依するような形で人格を維持している。操られている人間一人を倒しても他の『端末』はノーダメージ。しかもこの『端末』は増殖していく。
「こりゃ、ちょっと厄介だな」
あえて地球風に作っているバスタブにつかり、響は呟いた。この敵は、ほぼ無敵に近い。まるで、黒い煙となって人に憑依するという伝説上の悪魔のようだ。そして響はエクソシストではない。
「倒す方法が……一個しか思いつかねー……やばいな」
とりあえず一つ。それは、指を折って洗脳を回避したのと同じ発想に基づく方法だ。だが、この方法を取るには、かなり大規模な作戦がいるだろうし、あまり現実的とはいえない。それに響は常にいくつかの策を持って戦う。一つめがダメなら二つめ、それがダメなら三つめ。どれかが成功したらさも最初からそれだけを自信満々で狙っていたと嘯く。今回はそれが出来そうもない
「もう少し、情報がいるな」
期末テストを前にして、ただでさえハードな響の生活がさらに大変なことになりそうだ。
ただ、たとえ相手が教科書に載っているような人物であろうとも、副学長のダルモアにかかわるな、と言われても、立ち向かうのをやめるという選択肢だけはない響だった。




