いりません!
アマレット・アードベックが金曜の三時間目に取っている授業は数学である。
オリオン・アカデミーはサイキック系の科目のみならず、学術系のカリキュラムも非常に高いレベルのものとなっているため、アマレットは毎週欠かさずこの授業に真面目に参加していた。今日も例外ではない。
今日の授業もいつも通り高度な数学の知識をわかりやすく教えてくれる内容だったため、アマレットとしてはとても勉強になった。しかし、今日もまたいつも通りに腹が立つことがあった。
「もう! なんて当たり前のように欠席するのよ!」
授業を終えたアマレットは、イライラする感情を口にしながらアカデミーのエスカレーターを歩いて登っていた。エスカレーターなので当然歩かなくても上れるのだが、つかつかと歩く足が止められなかった。
彼は、今日も数学の授業に出なかった。しかも、学生用携帯端末を通して送ったテレパシーにも応答しない。
「毎週毎週……ホントに……なんなの!?」
赤く染まった頬を膨らまし、華奢な肩を怒らせながら階段を登りきり、アカデミーの屋上に続くゲートを開く。そこには。
「……やっぱりここにいた」
アカデミーの屋上、まだ午前中の授業が終わったばかりのその場所には堂々と昼寝をしている男の子がいた。ご丁寧なことに小型の環境調節デバイスを用いて透明なサイキックウェーブのテントを設置し、その中で呑気にぐーぐー寝ている。多分、温度も湿度も快適なものに設定しているはずだ。
「ミヤシロくん!!」
つい、はしたなくも大きな声をあげてしまった。アマレットは少し恥ずかしくなりつつも、彼、ヒビキ・ミヤシロが起きるのを待った。
「……んー。アマちゃん? あれ?」
ヒビキは寝ぼけ眼をこすりつつ、ゆっくりと体を起こす。サイキックウェーブのテントを消しながら大きなあくびをしているところがまた憎らしい。
「あれ? じゃないわよ! どうして堂々とお昼寝してるのかしら?」
「……眠かったから?」
「! ……あなたって人は……」
ヘラヘラと不真面目なヒビキとそれを注意するアマレット。これはヒビキが宇宙に上がってきてから4ヶ月ですでにおなじみの光景になりつつある。
「二時間目にフットボールして疲れたし、昨夜はちょっと遅くにベッドに入ったからさー」
「夜遊びはダメだって校則に書いてあるでしょう? バカじゃないの!?」
「はっは。そんなぷりぷり怒っちゃって。アマちゃんはホントいい子だねー。俺、そういうとこ好きだなー」
「えっ……? なっ、な? えっ!?……」
ヘリウムよりも軽いヒビキの言葉にアマレットは自分の顔が熱くなるのを感じた。すこしだけ心臓の音もうるさい。
この子のこういう軽いところ、すっごく嫌い。ホントきらい。そう嫌いなんだから!
アマレットは心の中でもう一度事実を確認すると、大声で答えることにした。そのはずなのに。
「……冗談はやめて」
何故だか、実際唇から漏れたのはなにやら消え入りそうな細い声だった。ヒビキはそんなアマレットを見て、例のイタズラっぽい笑顔を浮かべている。
「えっと、もう三時間目終わりだよね。あ、そっか。昼飯の誘い?」
「違います」
「わかった。夜? んー。今日は先約があるからそれが終わってから俺の部屋で……」
「違います!」
「え、そうなの?」
この流れで不思議そうな顔をしているヒビキの思考回路のほうが、アマレットにとっては心底不思議だ。いったいこの少年の頭はどうなっているかしら、と呆れてしまう。
「いい? よく聞きなさい」
アマレットがここにきたのは二つ理由がある。一つはヒビキに文句を言うためだ。
ヒビキの宇宙における後見人兼保護者はアマレットの父親のグランマニエ・アードベックである。だからヒビキは(誠に遺憾なことながら!)アードベック家と、つまりアマレットとの繋がりの深い生徒だということになる。教師たちの間ではヒビキはアードベック家に下宿していると間違えて認識している人さえいるのだ。
そしてそんなヒビキのアカデミーでの日常は問題行動のオンパレードだ。不純異性交遊、喧嘩沙汰、不純異性交遊、自主早退、自主欠席、深夜徘徊、あと不純異性交遊。やりくちが上手いので大事にはなっていないところがまた憎らしい。
『あら? ミヤシロくんは今日も欠席? アードベックさん、なにか聞いていますか?』
『ミヤシロくんに授業に出るように伝えてください。いくらアカデミーでは出席回数が成績や単位には影響しないとはいえ、一度もこないというのはさすがに……』
『アードベックさん? 欠席しているミヤシロくんの端末に課題を送っておきますので、必ずチェックさせてください』
ヒビキの非行によるしわ寄せは数え上げればキリがない。品行方正な優等生として四年生までやってきて一度も教師に苦言を呈されたことのないアマレットとしては頭の痛いところだった。
これはその元凶たるヒビキに抗議してやらないと気がすまない。アマレットは、一気にまくし立てることにした。
※※
「大体どうしてあなたは……」
響は説教の内容を一応は聞きつつも、アマレット可愛いなー、などと本人が聞いたらさらに怒りそうなことを考えていた。
華奢な体つき、ぱっちりと大きな瞳、亜麻色でサラサラの髪、白磁のような肌。さきほどから途切れることなく放たれている響への文句も、鈴の音色のような声のためかむしろ聞いていて気持ちがいい。
「わかった!?」
お説教は終わったようだ。怒った子猫のような表情からは『ふーっ! ふーっ!』という擬態語が聴こえてくるような気さえする。
「うん、わかった。来週の数学は受けるから」
「……絶対だからね」
アマレットはひとまず納得してくれたようだ。ふう、と息をつき落ち着きを取り戻そうとしている。
ちなみに、響が数学やいくつかの授業をサボってばかりいるのには理由があるのだが、それはあえて説明しない。あと昨夜遅い時間に就寝したのは別に夜遊びをしていたからではないのだが、それも言わない。これは一種のポリシーのようなものだった。
「じゃ、じゃあ……その、これ」
今度は、アマレットがなにやらモジモジしはじめた。ぷいっと横を向いたままなにかを差し出してくる。恥ずかしそうな表情で、それも響が好きな顔だった。
「なにこれ?」
「……データチップ。今までの授業の内容、まとめてあるから。あと、今度の期末テストの範囲も」
「おお!」
いわゆるノートの貸し出しみたいなことだろうか。響は喜びの声をあげた。まずは彼女の気持ちが嬉しい。それに期末テストが近いことはわかっていたがなにぶん初めてのことだし、なんらかの対策を取る予定でもあったからなおさらだ。
「その、あなた首席で卒業するつもりなんでしょ。……今のあなたを見てるととてもできるとは思えないけど。とにかく!テストの範囲くらいちゃんと確認しておきなさい。じゃ、さよなら」
アマレットは決まりが悪そうにそれだけ言うと響に背を向けて屋上の出入り口へと歩み始めた。
見れば渡されたデータチップは旧式のものだ。多分、彼女はあえて旧式のチップにデータをまとめてくれたのだろう。
響はサイキックスキルを学ぶようになってまだ四ヶ月、身体強化や空間把握は多少使えるようになったが情報解析や接触感応は星雲連合の一般水準に達しておらず、普通の情報機器を使用するのにやや苦労する。
旧式のデータチップであれば今はほとんど誰も使わない『マニュアル操作』で内容を閲覧できるので非常に便利だ。
やっぱりアマレットは優しい。しかもとびきりに。響は自然と笑みがこぼれ、去っていくアマレットに声をかけた。
「ありがと。お礼に今度の日曜日に俺とデ」
「いりません! ……い、いつも通り他の女の子を誘えば!?」
しかしアマレットは一度振り返ると顔を真っ赤にして叫び、そのままぷんすかと行ってしまった。
「うーむ。女心は難しいな」
一人呟き、屋上の縁のところまで歩く響。柵はないが、透明なサイキックフィールドが張られているため落下の心配はない。
見渡せばアカデミーの広大なキャンパスが広がっており、昼休みを楽しむ学生たちでいっぱいだ。地球に似せた設定がされているタートル全体の気候も暖かで明るい。
例のアレが安置されている人工の森も見えるが、特に異常はない。
「平和だなー」
響はのどかな風景を眺め、口にした。グレン先生の一件のあとは華星人至上主義連盟(PP)の動きもないようだ。大変結構なことだと思う。響は別に争いごとや危険が好きなわけではないのだから。
「グレン先生元気してるかな」
別銀河の監獄に収容されている人物が元気であるはずがないのだが、ふとそんなことを思った。今度、地球のエロ本でもおくってあげてもいいかもしれない。サイキックスキルを用いたデータは検閲されるだろうけど、案外旧時代的な紙媒体なら通してくれるかもしれない。
「期末テストももうすぐかー」
四年次の上期が終わろうとしている。アカデミーは六年次まであるが、響としてはテストの類で一度も失敗するつもりはない。
宇宙に上がりアカデミーに転入して初めての試験。必修、選択、多くの科目でテストが行われ、その結果が上期の成績を左右する。出席日数や授業態度を重要視しないアカデミーにおいてはとても大事なものだといえるだろう。
数学や宇宙史、言語などの学術系科目。サイキックスキルの各科目。一つたりとも単位を落とすつもりはないし、トップを狙う。アカデミーのテストがどんな内容なのかまだよくわかっていないので対策のしようがないのだが、それはこれから考える。
「……来週から頑張ろう」
正直言うと、響も少しは面倒くさくはある。
テストというものはいつの時代も、宇宙のどこでも、学生を憂鬱にさせるものらしい。
※※
男は暗闇の中で『計画』を思考していた。思考はテレパシーによって情報媒体に入力され、即座に同士全員に共有される。
現在、同志の数は四名。たりない、こんなものでは全然足りない。
だが、派手に動くことは出来ない。あくまでも慎重に進めなくてはならない。明らかな異常が発生すれば、さすがにアカデミーもなんらかの対応措置を取るはずだ。それではいけない。
ここはせっかく特権を与えられた安全地帯なのだから。最大限に利用すべきだ。
ゆっくりと、確実にだ。
できるはずだ。学生の自主性を重んじるという校風は、この計画にとって助けとなる。
そして決起のときがこれば、もはやそれは止められない。あの方を迎え入れる準備が整い、宇宙は正しい姿へと向かうだろう。
相手は高い能力を持っているといえども所詮は学生だ。我々にとっては問題ともならない。
男は思考を終えると、データチップをサイコメトリーで読み取り、対象者の名前をふたたび確認した。
六年生、五年生、そして驚くべきことに、四年生も豊作だ。アカデミーは年々人気と学力を増している、ということだろうか。なかでも、この四人については要注意だとの指示を受けている。
ディオ・オプティモ・マキシモ 華星人
ラフ・ロイグ (〃)
アマレット・アードベック(〃)
カク・サトンリー(翠星人)
全員、ヒビキ・ミヤシロと関係のある生徒だ。
苛立たしい。男は歯軋りをした。
なぜあんなカスのような子どもとつながりがあるというだけで『要注意』でいなければならない。四人が選別されたのはあくまでも能力によるものであり、それはミヤシロとは関係がないはずではないのか。なぜあのお方はミヤシロの息子を警戒しているのかわからない。
たしかにグレンを退けた手腕には少しばかり驚いた。だが対した能力は持っていない。その証拠にこのリストに名前が載っていないではないか。
「殺してやりたい」
男は、呟いた。それは、忠実で気高い理想から起こる感情だと理解している。
この場所で、やかましい学生たちのひしめくアカデミーの陰に潜むのは屈辱だ。だが、この耐えてみせる。そして、必ず、目的を果たしてみせる。
それが、男の行動理念だった。




