星座がいっこもわからない
夢を見ていた。
夢の中ではラスティはお姫様で(もっとも、それは限りなく事実に違いのだけど)、悪い華星ドラゴンにさらわれてしまうのだ。
ああ、私って美人で美味しそうだからドラゴンに食べられちゃう。そう思っていたところ、騎士がやってきた。
騎士は、手にした剣の一振りでドラゴンを倒し、ラスティを助け、抱きかかえてくれた。
姫、もう心配ありません。騎士はそう言ってラスティをふかふかのベッドに優しく寝かせた(何故、ドラゴンの洞窟からいきなり王宮のベッドに移動するのか、という疑問は夢なのでわいてこない)
騎士はそのままゆっくりとラスティに迫る。
「いけないわ、そんなこと……でも……」
少しだけ戸惑ったラスティだったが、頬を赤らめつつ、目を閉じた。
夢の中で目を閉じたせいか、現実のほうで目覚めてしまった。
「……ん……ん!?」
眠りから覚めて起き上がったラスティの視界に入ったのは、森。生えている樹木も見た記憶がないものばかりだ。
「なに……なんなの……?」
眠っていたのは土の上で、着ていた制服はびしょ濡れになっている。
「……夢、夢よね……これ。そうよね……?」
そう思い込みたいところだったが、残念なことにうっすらと記憶がある。ステルス機に攻撃されて、空に放り投げられて、それから……
「ヒビキ!? どこ!? ヒビキ!!」
気を失う直前の記憶まで思い出した。あの傲慢な地球人の男の子が、自分を抱きかかえて助けてくれたのだ。多分ここは、パラシュートで着陸した惑星カリラの森の中なのだろう。しかし、見回しても少年はいない。叫んでも返事はなかった。
こんな座標もわからない未開惑星の森のなかで一人きり。執事もいなければ快適を与えてくれる設備も、サイキックウェーブを増幅して使用するためのデバイスもない。身につけていたはずのサイブレードも無くなっている。
「うそ、嘘よね……ひっく……どこよぉ……」
半泣きになりつつ、歩いてみる。あの状況なら近くで倒れているかもしれない、という希望があった。
「あ……」
幸いなことに、すぐにヒビキは見つかった。
彼がいたのはラスティが眠っていた地点から少し離れた場所にある川辺だ。着地したときに使ったパラシュートを抱えてなにか作業をしていようだった。
「ヒビ……」
考えるより先に足が動いた。小走で彼に近づく、うっかり笑顔になっていたかもしれない。
が、よく見える距離まで来て、足を止めてしまった。彼の体がよく見えたからだ。ラスティと同じくずぶ濡れになったからか、彼は上半身の服を全部脱いでいた。
服の上からは細身に見えた体が実は筋肉質だった、ということも驚きなのだが、それ以上にヒビキの体にはラスティを絶句させるものがあった。
「……すごい傷……」
切り傷や縫い目、火傷のあと。それは昨日今日できた傷ではない。どういう人生を送ればこんな風になるのか、ラスティには想像もつかない。
でも、不思議なことにそんな彼が綺麗に見えた。アッシュブラウンの髪から滴り落ちる雫や濡れた体が、妙に艶っぽく、気が付けばじっと見つめてしまった。
「あれ? ラスティ、もう起きたの?」
「わぁっ!」
不意にヒビキの猫のような視線が自分に向いたので、ラスティはあまりエレガントでない声を発してしまった。
「どしたの?……もしかして泣いてた?」
「そ、そんなことなくてよ!?」
目は少しだけ赤くなっているかもしれないので、ラスティはヒビキから視線を逸らす。
「そっか。えっと、じゃあ状況はわかる?」
「……ええ。パラシュートで着地した。そうよね?」
「そう。いやー困ったねぇ。さっきのアイツ、この惑星に潜伏してた脱獄犯かなにかなのかな。宇宙の刑務所ってのもあるんでしょ?」
言葉とは裏腹にヒビキの声には悲壮感がなかった。それもまったく。こんなことたいしたことじゃない。そう思っているようにみえる。未開の惑星の森のなかで対した装備もないという状況にもかかわらずだ。
そして、ヒビキは信じがたいことを口にした。
「ま、どうにかなるよ。もう救援信号を出しといたし。そのうち監督役の先生かカク達とかが迎えに来てくれるさ。それよりラスティ、脱いで」
※※
「……ほぁっ!? ぬ、脱いでって……!?」
響がそう告げるとラスティは一瞬、ぽかんとしたあとで言葉の意味に気がついたのか、面白いくらいに慌て始めた。
「ちょ、ちょっと……! 何を……!? え? 脱いで、ってそんな、いきなりすぎじゃなくて!?」
胸を隠すように腕を交差し、アタフタと赤くなっている姿が少し笑える。
「ほら。早く」
「こ、こういうことにはムードというものが……あるでしょう!?」
普段あんなに偉そうな女王様キャラクターなのに、反応があまりにも少女なラスティ。響はもう少しからかいたくもなったが、あまり時間もかけていられない。
「いや、そうじゃなくて。そこの川に着地したから俺も君もびしょ濡れでしょ。そのままだと冷える」
言われて気がついたのか、ラスティは寒そうに体を震えさせた。
「そ、そうね……たしかに。でも着替えなんて持ってなくてよ」
「このパラシュート。濡れてない部分を切ったから、毛布みたいにすればいい」
そう言って切り裂いておいたパラシュートの一部分を投げ渡す。これはサバイバルではわりとよく使われる手だ。
「は、裸になれと言うのかしら!?」
「別にイヤならいいけど。っていうか、制服スケスケだしそっちはそっちでエロいから俺は一向に構わないよ?」
響がじろじろとラスティの濡れた体に視線をやると、さすがに彼女も観念したらしい。
「……わかったわよ。あっち、向いてなさい!」
「へいへい」
響が背を向けると、後ろから衣擦れの音がしゅるしゅると聴こえてくる。白くて艶やか、ハリのある少女の体があらわになっていることだろう。
響は少し待ち、おどけて振り返って見せた。
「なんてな! すぐ近くで行われるストリップを見逃す響くんではないのだよ!!」
視線をやると、そこにはすでにパラシュートの毛布をミノムシのように纏ったラスティがいた。
「ちょ、誰が振り向いていいって言ったかしら!? ……でも、ザンネン。おあいにく様でしてよ」
毛布に包まったまま、べーっ、と子どもっぽく舌を出してみせるラスティ。
「ちっ、まあいいよ。そのうち合法的に見るから。どう? 結構あったかいでしょ。プールに入ったあとのタオルとかの感じだよね」
「……そうね。その喩えはよく分からないけれど」
「そりゃ良かった」
響は少しホッとしたように丸くなるラスティを眺めつつ、さっさと次の作業に入った。ちなみに今は本当に見るつもりはなかったのだ。
「……ヒビキ? 何をしているのかしら?」
「火を起こすよ。すぐに夜になるしもっと寒くなる。それにあとで魚でも取って焼いて食うから」
この惑星のデータは一応頭に入っている。魚は普通に食えるはずだ。別に一晩くらい食わなくても死にはしないが、響としては単に腹が減るのはイヤだった。
「火? あなた発火なんて使えたかしら? それとも熱量加速装置でも持っていて?」
「いらないよそんなの。地球では……っていうか多分全宇宙の知的生命体が、昔はサイキックスキルも便利な道具も無しに火をつけてた。歴史で習っただろ?」
そう答えた響だったが、ラスティはわけがわからない、と言った具合にきょとんとしている。
響はそんな彼女を横目に用意していた生木を持ちいてキリモミ式で、と見せかけて普通に用意していたライターで着火した。原始的な方法で火起こしが出来ないこともないが、時間がかかりすぎる。
「ほらね」
「わぁ……!」
素直に騙され、目を丸くするラスティに対し、響はにやりと笑って見せた。どうやら星雲連合ではライターはあまり身近な道具ではないらしい。
「すごいでしょ?」
「……はっ! そ、そんなことないわよ! こんな状況じゃなければまったく意味のない技術じゃなくて?」
パラシュートの毛布から出していた顔をプイと横に向けたラスティに響は苦笑した。
「まあ、そうだね。俺は意味のない技術を沢山使えるのさ」
響はサバイバルの知識は一通り持っている。誘拐されて脱走して、山奥で二週間過ごしたときにその重要性を認識したからだ。
「……ふーん。そう? やっぱりお猿さんみたいだわ」
「こんなカッコイイ猿がいたら見てみたいね……へくしっ」
今更だが、響は上半身裸であり、川に落ちたせいでかなり体温が下がっている。深刻な状況ではないが、まあ寒いといえば寒いので、くしゃみがでた。
「あー、じゃあ俺、服乾かして……」
「……」
ラスティはなにやら物言いたげな瞳を響に向けている。
「ラスティ?」
「……れば」
「は?」
「……入れば、いいでしょ……」
顔を真っ赤にして俯きつつ、消え入りそうな声でそう呟くラスティ。たしかにパラシュートの毛布は二人くらい十分に入れる。というか……
「おっ! いいの!?」
「し、仕方ないでしょう!? これでアナタに凍死でもされたら迷惑だもの。それに……その、さっきは、助けてくれたのだし……」
「いぇーい!!」
喜びをあらわにし、毛布に入っていく響、正面から行こうかとも思ったが、そこは自重して肩を並べて座るに留めた。肩や腕がラスティに触れる。当然裸なので、それはそれは大変触り心地がよい。
「ちょっと、近いんじゃなくて!?」
「ふぉっふぉ」
「なに笑ってるのかしら!?」
「……すん……すん」
「なんで泣くのよ!?」
「おっと手が滑ったーー!!」
「変なところに触ったら殺すわよ!!」
このようにして、響はラスティと物理的な距離を縮めた。ちなみに、パラシュートは無理すればもう一枚分くらい毛布として使える濡れていない部分がある。が、あえて響は一枚しか切り分けないでおいたのだった。
※※
惑星カリラの森に夜が訪れた。ヒビキとラスティは焚き火の近くで肩を寄せ合って座っている。
どこか遠くからは獣や鳥の鳴き声も聞こえるが、今のところ危険はなさそうだった。
未開ではあるが、ごく標準的な知的生命体生存可能惑星であるカリラ。だが、現在この惑星にいる人間の数は限られており、当然この森にいるのはラスティとヒビキだけ。
傲慢で、バカで、スケベで、わけのわからない少年。そんな彼と二人きりなのに、ラスティは何故か安心している自分に気が付いていた。
もちろん、ヒビキに命を助けられたことや、意外と頼りになることを知ったことも無関係ではないけど、多分それだけじゃない。
「……ヒビキ、何を見てるのかしら?」
隣に座る少年の横顔が気になった。
彼はなにか上のほうをじっと見ている。どこか遠くを見るようなその瞳は妙にキラキラしていた。
「星」
「ほし?」
「すごいよね。地球やアカデミーでみるのと全然違う。星座が一個もわからない」
ヒビキは時々、変なことを言う。いつもおどけている彼だが、こういういときの彼は何故だかとても素直に見える。もしかしたら、これが『素』なのかもしれない。
「当たり前じゃなくて? だって星系が違うのだし」
ラスティの言葉を聞いたヒビキは小さく笑い。手を伸ばして届くわけもない星を掴むような仕草を見せた。
「いやそうなんだけどさ。あれ全部恒星で、その周りには惑星があって、生き物がいたりするとこもあるんだぜ。星雲連合に加盟してるとこも含めてさ。で、その星に行ったらまた違う星が見えるんだぜ。さっき食ったこの星の魚はまずかったけど、醤油かけたら旨いかもしれないし、あの星には美少女が住んでるかもしれない。……いやー楽しいね!」
「……」
ラスティにはヒビキの言いたいことがよくわからなかった。華星人に生まれ、子どものころから星々を行き来してきたラスティと地球人の彼は感覚が違うのかもしれない。
でも
「……そうかもしれないわね」
この少年の楽しげな表情を見ていると、宇宙はもしかしたら素敵なことがあふれているのかもしれない、と思えた。
多分、二人っきりで星の降ってきそうな夜を過ごしているからこんな風に感じるんだ、とも思う。
「ねえ、ヒビキ」
ラスティはヒビキに聞きたいことがたくさんあった。今夜のことも、アカデミーに入学した背景や有名な父親のこともも含めてだ。
あの体の傷はなに? あなたの過去にどんなことがあったの? どうして今日は襲われたの? なんで惚れさせる、なんて言ったの? あなたは何者なの?
状況から考えるに、ヒビキは多分何かを隠している。もしかしたら今夜のことは全部彼の想定内のことで、自分は意図的に巻き込まれたのでは、という気もする。普通に考えればひどい話だ。
でも、ラスティが一番聞きたかったのは、そんなことではなかった。色々なことがありすぎて、ヒビキは謎過ぎるけど、本当に聞きたかったことは。
あなたは、私のことをどう思っているの?
ヒビキは女の子が好きなようだし、自分にも色々とやってくる。でもそれは何か目的があるから? 特別に思ってるわけではないの?
「なに?」
「……なに? 私なにか言ったかしら? 聞き間違いじゃなくて?」
人の好意など気にしたこともない学園の女王様にはとてもそんなことは聞けず、いつのまにかヒビキの肩を枕にくーくーと眠りに落ちたのだった。




