目を閉じて
「あなた、なかなか操縦が上手いのね? とてもマニュアルとは思えなくてよ」
母船を出てから数分ほどたったころ、ラスティは前方の操縦席に座るヒビキ・ミヤシロに語りかけた。今どき珍しい副座型のコックピットは、会話するには意外と便利である。
「おお。マニュアルなら任しといて」
「そういえば、ヒビキはもともとグラスパーレースで成績が良かったから実習に来ることになったのよね?」
コントロールレバーやタッチパネルをガチャガチャやるようなパイロットが操るマシンに乗ったのはこれが初めてだが、ラスティがイメージしていたよりも悪くはない。
久しぶりに上陸した人工ではない惑星の景色が次々と流れていくのは爽快だった。
「天才だからね」
「そう、それならサイキックスキルももっと身につけたらどうかしら?」
「天才だからね」
「は?」
ヒビキはやたら自信満々だ。意味がわからない。
「おー、見て見てあれ。なんかデカい動物がいる。恐竜みたいだ。でけー!」
今度はヒビキのほうが話しかけてきた。それほど高度を上げていないので地上の様子が目視でき、ヒビキはいちいち反応している。
辺境惑星の自然環境なんかなにが面白いのかしら? と最初は思っていたラスティだったが、子どものように目を輝かせる彼を見ていると、なんだかほんの少しだけ楽しいような気がしてくるから不思議だ。たしかにこの星の森や渓谷や動物なんかはラスティが見たことのないものだったし、素直になってみるとドキドキするものもある。
でもそれをこの男に悟られるのはシャクよね、とも思っている。
「この惑星、カリラは生物生存に適してることくらいデータで知っていたでしょう?」
「ちっ、ちっ。分かってないなラスティは。カレーのレシピを知ってても、食ってみないと美味しくないんだぜ」
後部席を振り返り、例のイタズラっぽく得意気な笑顔をみせるヒビキ。
その表情に、一瞬だけラスティの鼓動がおかしな、まるで踊るような挙動をみせた。
「あとは例えば、ラスティはゴージャスな美人だし、体もエロい。それは聞いてて知ってた。でもこうして見た方が楽しいし、触ったほうが嬉しいに決まってる」
顔を見つめていたヒビキはちら、と一瞬視線を下げた。航宙機用のノーマルスーツを着るのが嫌いなラスティなので今日はアカデミーの制服を着ている。つまり十分に手入れしている自慢の美脚はミニスカートから丸見えだ。それにたわわな胸はブラウスとブレザーだけでは存在感を消しきれない。
「し、失礼ね! 前向いてなさいよ!」
「はっは。いやいや、ごめんごめん」
ヒビキは、適当な口調で謝罪しつつ前方に視線をもどした。
一方、ラスティは思わず自分の頬に手を当て、小さく『うー…』と口にする。
妙に心臓がうるさいし、耳が熱い。
ラスティは不思議に思っていた。
どうして、私はこんなに恥ずかしい気持ちになるのかしら?
男子生徒の多くが自分に憧れていることは知っているし、ときおり体のラインをいやらしい目でチラチラ見てくることにだって気がついている。でも別になんとも思っていない。それどころか、見たければどうぞ? 触らせてはあげないけど。という感じだ。
自分は綺麗だし、エクソサイズやエステなどは欠かしていない。自慢の魅力だ。だから恥じることなんてなにもないし、人気者の自分としてはサービスよ! とすら思っている。
そりゃ、あまりにも度が過ぎて、性欲まみれの湿った視線でじろじろ舐め回すように見られると嫌悪感を覚えることもあるけど、ヒビキの場合はそれとは違う。
あのあっけらかんとした爽やかなセクハラは、イヤというわけじゃないけど、恥ずかしい。
「あれ? どうしたのラスティ。静かになったけ……」
混乱する頭を冷やすためにしばらく無言になっていたラスティにヒビキが声をかけようとして、途中で止めた。
「思ったより、早かったな」
「え? なにがかしら?」
「シートベルトもう一度確認して、口は閉じて舌噛まないようにして。多分揺れる」
後部席のラスティに振り返るヒビキは先ほどまでとは違う、真剣な口調だった。ヒビキのこんな顔をみたのは、初めてな気がする。
「ちょっと、どうしたのかしら? 何か問題でもあって?」
ヒビキはラスティの質問には答えなかった。代わりに突如急角度でコントロールレバーを倒し、機体を傾け、バーニアを吹かして最大速度まで加速した。もちろん、グラスパーは激しく揺れる。
「きゃぁっ!!」
「っ……!」
続いて、コックピット内に鳴り響くアラート音。ラスティにはそれが何を意味するのかすぐにはわからなかった。
「な、なによこれ!?」
「ロックオンアラートみたい」
見れば、ヒビキは額に汗を浮かべている。いつも飄々としている彼らしくない。
ただ事ではない気配を感じたラスティはとっさに後方を確認してみた。
黒い、小さな航宙機が接近してきている。その特徴的な形状から、アカデミーの学生であるラスティは理解した。あれは、ステルス機で、しかも攻撃機だ。
なに!? なんなの!? いったいどういうこと?
あたふたと慌てるラスティだったが、現実は現実感よりも速かった。
「来るよ。右に避ける」
「は? え? ちょ、待ちなさいよ……! きゃぁぁぁぁっ!!!」
ラスティが状況を把握できずにパニックになっているうちに、ヒビキはグラスパーをキリモミ状に回転させた。まるでローラーコースターのスクリューのような動きが、ラスティに高めの叫び声をあげさせる。
「あぶねー……」
心底ほっとしたかのようなヒビキの声。
さきほどまで自分たちがいた位置を小型ミサイルが通過していった。
避けなければ、間違いなく撃墜されていたはずだ。
「……嘘でしょ……」
操縦席にいるヒビキはレーダーを用いることで一瞬早く危険に気がついたのかもしれないが、そもそもなんで攻撃をされるのかわからない。こっちはたかだがアカデミー四年次の実習なのだ。
「うーん。これはまずいな。バリバリのステルス戦闘機と探索用のグラスパーじゃ勝負にならない。今避けれたのは、かなり奇跡」
ヒビキが冷静なのが意味不明だった。実際、謎のステルス機はぴったり後ろまで来ている。スピード差が圧倒的なようだ。もちろん、グラスパーは最低限のエネルギーバリアがついているだけで、兵装の類はなにも積んでいない。
「……な、なんなのあれ!? どうして私たちを!?」
「なんでだろうね」
「通信を送ったらどうかしら!? あっちのパイロット、何か勘違いしてるんじゃなくて!?」
ラスティは前に座るヒビキの肩にしがみつくようにして声を張った。
高速移動中だろうが、未開惑星だろうが、サイキックウェーブを使った通信ならタイムラグ無しでコンタクトが可能だ。ヒビキに無理だとしてもラスティにはそれができる。助けを呼ぶこともだ。
「お、さすがラスティ。こんな状況でもしっかりしてるね! でもさー……これマニュアル仕様の俺カスタム機だから、テレパシー用のデバイスついてないの。送受信どっちも。で、この辺電波悪いからマニュアルだと何も送れない。だから、あの人、多分こっちの状況、なにも分かってないよ」
「!? じゃ、じゃあ……」
まるで怯える小動物のように、ラスティは後ろを振り返った。恐ろしいことに、あの黒いステルス機は、次のミサイルの発射体勢にはいっている。状況はさっぱりわからないが、このあとどうなるかは簡単に予想できた。
「ね、ねぇヒビキ、どうするの!? このままじゃ、私たち……!!」
この状況では、頼れるのはヒビキしかいない。
軽口ばかりでエッチな男の子だけど、ムカつくほどに偉そうだけど、どこか気になる。
もしかしたら、ヒビキなら、と感じる。
「あなたなら、何か……?」
「まあね。少なくとも『グラスパーが』落とされないようにする方法はある」
ニヤリと笑うヒビキの。祈るようにして胸の辺りで握っていたラスティの手に、力がこもった。
やっぱり、この男の子はどこか違うのね!
ラスティの脳内におけるヒビキの評価はずっと乱高下を繰り返していたのだが、ここにきてそれは最大まで高まった。
不意に、ヒビキはグラスパーの最低速度まで落とした。
背後を見ればステルス機もバックを取っている優位性を確保するために同様に減速していく。
同時に慣性制御装置を最大に高めたのか、二人の乗るコックピット内のGは停止状態並みになっている。
「こうして」
ヒビキはシートベルトを外し、ラスティの座る後部席にやってきた。
「? なに……?」
弱々しく震えながら問いかけるラスティだったが、やはりヒビキは答えなかった。
「さらにこうして」
落ち着いた声でそう告げたヒビキはラスティのシートベルトを外し、そしていきなり抱えあげた。俗に言う『お姫様抱っこ』というやつだ。細く見えるヒビキだが、意外たくましいらしい。
「ちょっと……!? いきなり……そんな……なにを……」
実はラスティはこんな風に男の子に抱かれたことはない。それも、ヒビキの腕はこの上ないほど優しく丁寧で、まるで宝物として扱ってくれているようだった。
「……どう、する、の……?」
鼓動が早い。顔が熱い。多分、すぐ後ろに来ているステルス機に撃墜される恐怖からだと思う。
「目を閉じて」
「え?……」
ヒビキの声はとても優しくて、これまであんなにムカつくやつだったことが信じられないほどだった。ラスティは、少しだけ迷ったが、
「……ええ」
言われるがままに、目を閉じた。
だって仕方ないでしょう? こんなときに、あんな優しくするから。
ラスティが自分にそう言い訳をし、数秒が過ぎた。
妙に涼しくなった。強い風が当たっている気がする。どういうことかしら?
包まれているヒビキの腕の中は温かくて気持ち良いけど……。
あら? 風? 風ってなに!?
ここで、ラスティはようやく目を開けた。
「ふぇっ!?」
なんと、グラスパーのハッチが空いていた。操縦席がむき出しになっており、外気を感じることができる。
慌ててヒビキを見る。彼は平然としている。どうやら例によってマニュアルで安全装置を外し、自分でハッチを開いたらしい。
「ヒヒヒヒヒ、ヒビキ!? なにこれ!? どういうつもりなのかしら!?」
これでは今にも外に吹き飛ばされて落ちてしまいそうだ。下は未開惑星の森、間違いなく助からない。
ラスティは、無意識のうちにヒビキの胸にきゅっと掴まろうとした。
「ごめんな。ラスティ」
だが、ヒビキの動きのほうが早かった。
ヒビキはニッコリ笑って。
ラスティをコックピットから放り捨てた。




