ぼくと付き合ってください
少年が見上げるのは満天の星と、二つの月。
いや、これは正確ではない。月は一つしかない。だから、もう一つのほうは違うものだ。
月ほど大きくはなく、だが月よりはるかに青いそれは『タートル』と呼ばれている。ここからではよくわからないが、近くでみると海亀の甲羅の形に似ているそうだ。
それはドーム上の居住区であり、そこには1999年7月、つまりは今から20年ほど昔に、地球にやってきた人々が住んでいる。
少年にはその当時生まれてもいなかったが、古めかしい予言のせいもあって彼らがやってきた当時の地球は大騒ぎだったそうだ。
来訪者は恐怖の大王なんかではなく、共存可能でありそしてとても進んだ人々だった。と、いうのが現在の世間一般の認識となっている。
「……いやー、楽しみだな。ひゃっほう」
少年は近いうちに始まることを考えて独りではしゃぎ、そして思い返す。
自分がこんな汗臭い道着を毎日着ているのはなんのためか。
毎日毎日、カビ臭い書庫に入り浸って様々な本を読み、学んできたのはなんのためか。
ごく自然に女子中学生とお付き合いできる上に、女子高生が年上のお姉さんと呼べる貴重な中学時代を『ほんの少しは』犠牲にしたのはなんのためか。
何故、星空に浮かぶあの海亀を目指すのか。
少年は仰向けの姿勢のまま、掌を空にかざす。
ここは山奥の一軒家であるため空気は澄み切っており、夜空は静謐な無数の光で満たされていた。
掌の向こうには何億年も昔の輝き放つ星々が、ビロードのような星雲が、そして地球人が持っていなかった技術によって宇宙空間に浮遊する亀が見える。
あの亀の中はほとんと地球と同じ環境になっており、なんと海も四季もあるらしい。人が生きていくためだ。
当然、様々な施設があり、学校もある。
この学校には連合に加盟している多くの星の出身者が通っているそうだ。
ただし、地球人を除いて。
でもそれももうすぐ終わる。
近いうちにあの学校には一人の生徒が入学し、連合に加盟するすべての星の出身者が在籍することになるのだ。
「異星人なー……」
少年は間近に迫った学園生活を夢想した。
隣の席に座るのはぜひとも人型タイプの美少女であってほしいもんだ。セツにそう思う。いやマジで。
まあ、異星人は意外と美少女多いらしいし、俺のことだから大丈夫だろ。
もしそうじゃなかったら、なんか工夫してやる。『先生、黒板が見えません』は宇宙規模で通じるかどうか定かではないが、まあ、なんとかなる。多分。
学食のメニューが充実していることも望ましい。俺はグルメなんだ。話でしか聞いたことのないデネブ星系の魚介類とか、星雲騎士団の食堂カレーとか食べてみたい。
この二つが満たされないようでは、これからやろうとすることに対するモチベーションの大幅低下は免れないのだから、そこは本当に神にでも祈りたい気持ちだ。祈らないけど。だって神様信じてないし。
「まあ、もしダメでも」
俺は諦めないし、やることは変わらないけどね。
「……へくしっ!……寒ぃ」
汗をかいた道着を着たまま長い時間芝生に寝転がっていたせいで体が冷えてしまったようだ。
少年は手を使わずに体のバネで跳ね起きると、囲炉裏に当たるべく家に向かって歩き出す。
この家で過ごすのは多分今夜が最後になるだろうし、地球にもしばらくは戻らないだろう。だから少しノンビリする予定だ。棚においてあるヤツも全部飲みきりたい。非常に楽しみである。とてもお高いお肉も用意してあるので、豪華な晩餐になりそうだ。
少年はそんなことを考えつつ草履を脱いで縁側に上がり廊下を歩く。そして最後にもう一度だけ、手のひらを夜空にかざした。
空に浮かぶ海亀が、星々が、星雲が、今にも掴めそうに思えた。
※※
〈響くん、空港に着いたらこのメッセージを確認してほしい。申し訳ないが私は急な公務が入って君を迎えにいけなくなってしまったよ〉
6時間に渡る船旅、いや宇宙船旅を終えて到着した空港で響を迎えたのは『知人』であるアードベック氏からのメッセージだった。
スマートフォンはこちらでは使用不能なはずだが、どうやらこのメッセージは響が地球を立つ前に送られたものらしい。
「うそーん」
響は思わずそう声に出し、笑ってしまう。なんだあのオッサンは。
そりゃそうだ。
ここは宇宙に浮かんでいる居住空間『タートル』の中であり、こちらで使用可能な通貨や電子マネーも持っていない。公用語はなんとか習得してはいるが、なにせ一度も実際に使ったことはない。
重力だったり、擬似太陽だったり、時間だったりはもっとも近い惑星である地球に合わせて設定されているようだが、それにしても異国にもほどがある。
一体これからどうしろというのか。
地球からたった一人でやってきた16歳の少年に対してこの仕打ち、なんとも冷たいお話。
地球から宇宙だぞ。ある意味ではマサイ族の人がいきなりニューヨークに一人ぼっちにされるよりもひどい。
特殊な少年時代を送ってきた俺じゃなければ泣いているところだ。
それが恩人の息子への接し方か、後見人を買って出てくれたあの優しさはウソだったのか。冷たすぎるぞ。
ちくしょう覚えてやがれ。地球では義理とか人情とか色々あるんだぞ。人として大事だってフーテンのなんとかさんが言ってるぞ。銀河連合の中心である華星出身だからって関係ないんだぞ。
右を見ると、異星人
思ったよりもずっと人型タイプの人が多い。というかパっと見、地球人とそんなに変わらないように見える。ちゃんと美人も美少女もいる。たまに爬虫類っぽい人もいるけど、それはそれで興味深い。スーツを着ているところを見るとビジネスマンなのかもしれない。ちゃんと地球の文化も伝わっているらしい。
左を見ると、宇宙。
空港の到着ロビーなので、窓の向こうには行きかう宇宙船が見える。なんとも壮大な光景だ。おもわず黒マスクでスコースコー言う人のテーマ曲を歌いたくなるほどだ。あの青色の発光がいわゆるサイキックウェーブというものなのだろうか。あんな巨大な宇宙船を人間が発するエネルギーで制御できるとは驚きだ。
いずれにしろ、やっぱりここはどうみても地球ではない。SF丸出しだ。
最近まで日本の中学生だった響にとってはテーマパークのアトラクションのようにも見える。
一応こういう世界が実在するということは地球人の多くが知っているが、実際にやってきた人は数少ないはずだし、16歳という年齢を考えればこんな世界に足を踏み入れたのはヘタをすれば響が地球初なのかもしれない。
よく考えてみると、こんな世界があるにもかかわらず前世期とさほどかわらない生活をしている地球のほうが宇宙的規模でみるとおかしいのかもしれないが、それは今は関係ない。
「はっは。大宇宙、俺ひとりぼっち!」
さて、どうしたもんか。
少し考え込んだ響だったが、スマートフォンにもう一件メッセージが着ていたことに気づき、確認する。
〈と、いうわけで私の娘、アマレットを変わりに迎えにやったよ。シップの到着時刻には到着ロビーにある砂時計のオブジェの下で待つように言ってあるから、声をかけたまえ。なーに、今その場にいる女の子で一番可愛い子を探すといい〉
大事なメッセージなので二回読み返す。
〈と、いうわけで私の娘、アマレットを変わりに迎えにやったよ。シップの到着時刻には到着ロビーにある砂時計のオブジェの下で待つように言ってあるから、声をかけたまえ。なーに、今その場にいる女の子で一番可愛い子を探すといい〉
響はほう、と息を洩らした。
アードベック氏に娘がいることは知っていた。
また、華星人は地球人と遺伝的にほぼ同一であり、なおかつ容姿端麗な人が多いという話も知っている。
うむ。アードベックさんなかなか空気の読めるオジサマだ。
やっぱり政治家になるような人は器が違う。頼れる人だ。事情を知った上で俺を受け入れてくれた人格者なだけのことはある。さすが死んだ親父の友人だ。情は宇宙共通だ。俺を助けたということは、ゆくゆくは彼のこの好意が全宇宙を救うことになるのだ。愛は全宇宙を救う、ジョン・レノンに聞かせてやりたかったエピソードだ。
響は急いで砂時計のオブジェとやらを探し出し、早歩きで移動した。
そこには。
いた。
親バカだったり、あるいはそもそも地球の美の基準が宇宙のグローバルスタンダートと根本的に異なっていたりしたらもう本気で落ち込んじゃう、と少しだけ心配していた響だったがそれは杞憂だったようだ。
そこにいた少女を眺めてみる。
透き通るような白い肌、よく手入れされていることがわかる長く美しい亜麻色の髪。
ぱっちりとした瞳に幼さのわずかに残る顔つきに、少し釣り目気味な大きな瞳は気が強そうでもあり、印象に残る。ボディラインはまだ華奢だが、それはまあ発展途上というヤツだろう。
白と紺を基調とした品のあるアカデミーの制服に身を包んだ彼女は、まるで血統書付きのお高い子猫のようであり、どこからどうみても美少女だった。
彼女が記録画像でしか見たことのないアードベックの妻にもよく似ていたいこともあり、響はこのツンと済ました子猫のような美少女がアードベックの娘、アマレットだと確信した。なにせそうであって欲しかったからだ。
ということは、彼女はもうそれは文句なくお嬢様ということになる。異星人のお嬢様で美少女。完璧だ。
「僕と付き合ってください」
ずい、と身を乗り出して思わず一言。
「え?」
おっと、つい反射的に。
きょとん、と可愛らしく驚いた表情をみせるアマレット(と、思われる少女)。
日本語で話しかけたので、多分理解できなかったことだろう。
響は自分の素晴らしい反射神経に満足しつつも、これからのことを考えて同じ台詞を公用語で言い直すのは自重した。
ついでに言えば『僕と結婚を前提としない不純異性交遊に励んでください』のほうがより本心に近いし、普段ならば間違いなくそれを現実にするべく働きかけるところだが、アードベックの娘である彼女の場合はさすがに色々入り組んだ事情もあるので、いきなりというのはやめることにした。まあそのへんはおいおいやればよいのだ。
「えっと……」
響は一度後ろを向き、自分史上ベスト4には入るであろう爽やかな笑顔を浮かべて振り返り、宇宙の公用語でこういい直した。
「こんにちは! 僕は宮城響です。アマレットさんですか?」
女性にも色々好みがあるが、初対面の場合は好青年路線で行くほうが成功確率が高く、あとから修正もきくので最初はこのようにしたほうが無難なのである。
それに自慢じゃないが、いや自慢だが、響は人当たりの良さには自信がある。とくに女性に対して意識的に好感を持たれるように振舞った場合はなおさらだ。
が、当の美少女はなにやら怪訝そうな表情を浮かべた。
さらに、響を冷たい瞳で一瞥する。こちらの目を引く大きな瞳がとても魅力的だが、どこか警戒しているようでもあり、心理的な距離を感じる。
「ええ、アマレット・アードベックです。はじめまして。じゃあ、行きましょう。こっちよ」
涼やかなソプラノの声は可憐だが、親愛の情は感じられない。それどころか『あれ、俺嫌われてんの?』と思わせられるほどにツーン、としている。
「……ふーむ」
響はどこかへ歩き始めたアマレットの後姿を見つめつつ手を顎に当てた。
うむ。コロッと仲良く慣れるパターンも好きだが、これはこれでよい。なにやらゾクゾクする。
「どうかしたの?」
ふと、アマレットがこちらを振り返った。長い髪がサラサラと揺れて、横顔には少女らしい甘さとお育ちのよさを感じさせる高貴な雰囲気がある。
彼女の背後にある窓に見える幻想的な宇宙の光景とあいまって、まるで一枚の絵画のようでもあった。
「え、ああ。ちょいとお待ちを」
響は考えた。この娘にたいしてどう振舞おうか、ということについて。
そして一瞬で結論が出た。
もうめんどくさいから素で行こう。
大体、アードベックの娘であるということは、今後なにかと接する機会が多いことになるわけだし、オリオン・アカデミーに通う上では同級生として色々世話になるかもしれない。
爽やかキャラは疲れるし、あんまり効果的でもないようだし。
「おっけー。んじゃ、よろしく。アマちゃん。俺腹減ったからなんか食べさせて」
「え?……あの……」
いきなり態度をフランクなものに変えた響に、アマレットは驚いたようだった。
「……! な、なによ、アマ『ちゃん』って!!」
一瞬遅れて、呼称に対するリアクションを見せてくれる。やや顔が赤い。どうやら普段はあんまりそういう風には呼ばれていないらしい。さきほどまでの落ち着いたたたずまいより、こちらのほうが可愛い。
それにしても、俺公用語ペラペラだな。ニュアンスまで完璧とはさすが俺だ。
そう思いながら響は続けた。
「えー? いやなの? んじゃ。おい、このアマ」
「なんで悪化するのよ!! 失礼ね!!」
うがーっと、肩を震わせて顔を紅潮させるアマレットは、猫が怒っているみたいで微笑ましい。
「はっはっは。えー? 仕方ないなぁ。では我が麗しき高貴なる姫君アマレット様、ワタクシめに食事を。難しければ地球のお金をこっちのクレジットに換える場所を教えていただけないか」
「え、そうね。両替ならそっちの」
「どちらです? 我が麗しき高貴なる姫君アマレット様」
「……ちょっと、あなた」
「いかがいたしました我が麗しき高貴なる姫君アマレット様」
「……だから、その、呼び方……」
周囲からチラチラと視線が集まっていることもあってか、アマレットは真っ赤だ。少し目が潤み始めているのも実に良い。
「はっ! まさか体調が……!? 我が麗しき」
「ああもう!! やめなさいよ! ふ、普通に呼べばいいわよ……!」
ぷんぷん、というオノマトペが聞こえてきそうなリアクションをアマレットから引き出し、その後モジモジと照れるようなそぶりも見れたことで響はとりあえず満足した。
「おっけー。行こうぜ、アマレット。両替できたら飯でも奢るよ。旨いとこ教えてくれ」
響は一方的にそう言うと、アマレットの肩にぽんと手をやり歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
後ろから慌ててついてくるアマレット。
響は歩みを少し遅くし、彼女と並んで歩くことにした。
ふむ、悪くないスタートだ。自ら進んで決めたこととではあるが、これから数年に渡って命の危険が付きまとう挑戦に望む自分のことを考えれば、これくらいの役得はあってしかるべきだ。
響はそんなことを思いつつ、両替をすませ、サンドウィッチスタンドでの食事を済ませた。
さて、俺はここからスタートだ。そんなことを思いながら食べるサンドウィッチは、やはり格別なものがある。
それにしてもサンドウィッチは存在するのか。何かの論文による仮説でも読んだけど、やっぱり人間、というか知的生命体はどんな星であろうとも、文化的には共通する要素を含みつつ発展を遂げるものなのかもしれない。
響は指についた謎の赤いソースの味を確かめつつ、そう考えた。