第三話 契約とヴァルカン
2016.5.28、加筆・修正いたしました。
遥か昔。
まだこの世界が生み出されて間もない頃。
『心良き神』の手で、一組の人間の男女が土塊から産まれた。
神の移し身として産まれた男女は、やがて恋に落ち、子を生す事になる。
そして、次々と子が子を産み、やがて世界は家族で溢れかえった。
人間は、魔法と知恵を持っていた。
魔法で自然を切り開き、土地を開墾し、田畑を耕す。
家族同士が手に手を取り合い、お互いを支え合う。
『心良き神』が思い描いた通り、世界は緩やかに発展し、争いの無い素晴らしい世界が造り上げられる.....かに思えた。
人間は、神の移し身にもかかわらず、欲深き種族であった。
魔法と知恵は融合し、眠る事無く稼働する『魔導具』を作り出す。
『魔導具』により、高度に発展した魔法文明。
増え続ける人口に比例するかのように、目覚しい発展を遂げ、貧困の無い世界が出来上がりつつあった。
だが、この世界の資源は有限であった。
家族同士で資源を奪い合い、やがて資源が枯渇すると、高度に発展した魔法文明は、崩壊の一途を辿る。
家族を救うべく作り出された『魔導具』が、家族殺しの兵器へと変貌し、その刃を大いに振るった。
家族同士の殺し合い。
自らの移し身であり、子とも言える人間達の行いに、『心良き神』は嘆き悲しんだ。
しかし、『心良き神』は嘆き悲しむばかりで、行動には移さない。
それを見た一部の神達は激怒し、『心良き神』を激しく非難する。
だが、『心良き神』は何もしなかった。
神達は『心良き神』に呆れ、ついに『堕天』を決意する。
そして始まる、神対神の最終戦争。
自ら造り出した数多の世界を壊し、ついに人間達の世界へと魔の手が伸びる。
蹂躙される大地。
魔法文明は崩壊し、家族はその数を激減させた。
そこで、ようやく重い腰を上げた『心良き神』は、この世界を守るべく介入を始める。
『堕天した神』――邪神――と『心良き神』の戦いは何年。何十年。何百年と続き、この世界に原初より存在する『精霊』や『異形の者』の手を借りて、『心良き神』の勝利でなんとか終結を見る事となった。
だが、戦闘の爪跡は大きく、世界の均衡は大きく崩れてしまった。
大地の大半は海中へ沈み、木々は焼け落ち、このまま放置すれば、間違い無く世界は破滅するであろう。
そこで、『心良き神』はこの世界に留まる事を決意する。
新たに多数の種族を生み出し、1種族による支配が出来ない様に均衡を保つ。
何千年という長い時間を掛けて、"ようやく世界は造り変えられた"――かに思えた。
『心良き神』の思い描く世界に。
カオルが目を覚ましたのは暗闇の中。
石畳の地面は硬く、辺りには砂埃が舞っていた。
天井からは薄暗い明かりが灯り、辺りをぼんやりと照らしてる。
(えっと....ここはどこ?)
目覚める前までの光景を思い浮かべる。
自室のベットで寝ていたカオルは、『白い手』をした少女に命を奪われ、あの白い空間へと誘われた。
そこで出会った黒い人影。
どこか懐かしく、だけど奇妙な存在。
自身の記憶力にはそれなりに自信があったはずなのに、思い出されるのは曖昧な記憶。
(確か....新しい世界へと旅立つとか言ってた...よね?)
それは、仏教で言うところの輪廻転生の事だろうか。
死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくる事。
しかし――それは少し違うのではないだろうか?
なぜなら、カオルは死ぬ以前の記憶を保持しており、この手足の感覚も以前のままなのだ。
それに、髪の長さも、この母親譲りの顔付きも、まったく同じである。
そう考えると、自ずと答えは出てくる。
(たぶん...異世界へ転生したって事...かな?)
徐々に暗闇に目が慣れてくると、嫌でもそれを痛感した。
起こした身体で周囲を見回せば、見た事もない光景。
辺りは薄暗いが、目を凝らせば2~3m程先までは見渡せる。
天井は削られた無機質な岩が折り重なるように連なり、空いた隙間から僅かばかりの光が漏れ出ている。
地面は石畳だが、何年も手入れがされていないようで、所々は捲れ上がり、土が盛り出している場所さえあった。
カオルはその場に立ち上がり、ぐるりと一回りし辺りを確認する。
周りに気配は感じない。
動く者はカオルだけ。
(それなら)と、意を決して、方向感覚もわからないまま歩き出す。
いつまでも立ち止まっていては埒があかない。
捲れた石畳に注意しつつ、心許ない明かりを頼りに進んでいると、前方に石の塊らしきものを発見した。
(何かの手掛かりになるかな?)
焦らずゆっくりと慎重に近づくと、それは石柱だった。
カオルの身長と同じくらいの高さ。
元は細かい細工が施されていたのだろう。
石柱の周りには、崩れ落ちた彫刻が散らばっていた。
そっと手を伸ばすカオル。
削れた彫刻をそっと触れると、脆くなっていた部分から崩れていく。
まるで、過去の遺物が忘れ去られた様に。
その存在を砂へと変えていく。
やがて、カオルが一回りすると、石柱の上部が平たく加工されている事に気付いた。
(....なんだろう?)
カオルの身長では、その上部を覗き見る事は出来ない。
だが、手で触れた感触で、そこには何かが彫り込まれている事はわかる。
(今はとにかく情報を集めないと....ここがどこだかわからないし....)
子供とは、好奇心の塊である。
物珍しい物や、特に固執する物があれば尚更だ。
そして、この時。
齢10歳のカオルは、突飛な出来事の連続で慎重さを欠いていた。
(んっと...ここに手をかけて...っと)
石柱の割れ目に手足をかけて、どうにかよじ登る事に成功した。
そこには、中央部分を囲むように文字が彫り込まれ、石柱部分の造形を考慮すると、まるで何かを祀る台座の様。
だが、異質な部分がある。
中央部に、まるで小人の手を模った様な形の窪みがあるのだ。
人間であれば子供の手。
まるでカオルの手。
何かに誘われるように手を伸ばし、その窪みに手を当てると、眩いばかりの光が溢れ出した。
「な、なにこれ!? ま...まぶしいっ!!」
光はあっという間に部屋全体を照らし出し、目も開けていられないほどの真っ白い世界を作り出す。
カオルは、両手で目を覆い隠した。
どれくらいの時間が経過しただろうか?
1~2分か? はたまた数秒か? 酷く巨大な者の気配を身近に感じ、恐る恐る目を開らいた。
『ソレ』は、目の前に鎮座していた。
大きな爬虫類を思わせる黄色い瞳。50mはあろう体躯。魚の鱗を思わせる皮膚に、大きな翼が羽ばたくと、辺り一面に突風が巻き起こった。
あきらかに人ではない。
巨大な、異質な存在。
カオルは驚き、呆気に囚われたまま、口を開けている事にも気付かず見上げた。
巨大な頭に、鋭い牙。
大きな角が幾重にも突き出ていて、黄色い瞳がギロリとカオルを捉える。
「グルル」
異質なソレがひと鳴きした。
もし、この場にその存在を知り得る者が居るならば、恐れ矮小な自分を嘆き、まさに恐慌状態に陥るのは間違いない。
だが、カオルには――
(....黄金の瞳....なんでだろう? とっても安心する)
眼前に迫る巨大な頭に翠玉――エメラルドグリーン――色の鱗。
カオルはなぜかそれらに恐れを抱く事なく、親近感すら覚えていた。
「我は風を司りし偉大なる竜なり、小さき者よ貴様は何者だ?」
巨大な部屋がビリビリと震え、その存在を誇示するかのような低い声が木霊する。
(この大きな動物がしゃべった?)
カオルは突然起きたこの状況に、身を固くし質問に答えられない。
『風竜』と名乗るこの生き物は、カオルが反応しない事で訝しげに顔を覗きこんだ。
そして、さらに「グルル」とひと鳴きすると、小さなカオルは「ビクッ」と身体を反応させる。
その様子が可笑しかったのか、目を細めて風竜が「クスリ」と笑い、カオルはしどろもどろになりながらも、「ヘニャ」っとその場に座り込んだ。
「もう一度問う。小さき者よ貴様は何者だ?」
2度目の質問が繰り返される。
しかし先程と違い、どこか優しい口調に聞こえる。
カオルは固まっていた体が解れる様に、やっとの思いで声を出した。
「....ボ、ボクはカオル。気がついたらこの部屋に居たんだ」
相手が人ではなかった事が幸いしたのだろう。
対人恐怖症を発症せずに、カオルと風竜の対話は成功した。
「...ハハ...クハハ....クハハハ!!」
かつて風竜と対峙した者共は、強欲に塗れ、その全てを奪おうとする簒奪者がほとんどであった。
なぜなら、風竜とは――この世界の原初より存在し、『心良き神』に与した『異形の者』――四大竜王――の一角なのだから。
それから、風竜とカオルは意気投合し、様々な事を話し合った。
カオルはこの場所へ来るまでの道程を。
風竜は、生命体としての死後に、永き時間を閉鎖された暗闇の中で過ごした事を。
いつしかカオルは、亡き父親の面影を風竜の中に見出す。
それは、あの空白の空間で出会った女性型の人影が、母親に似ていたからだろうか。
ずっと求めて止まなかったあの幸せな日々を、カオルは無意識に取り戻したかった。
だからこそ、臆病な自分が、1年半ぶりに会話ができた風竜に、父親の面影を重ねた。
「フム....」
カオルの言葉を聞き、思案する風竜。
自身よりも矮小な存在であるこの子供は、なぜか自分に畏怖の感情が沸かないと言う。
むしろ、なぜだろうか?
カオルの話しを聞くに連れて、もっと知りたいと、護らなければならない存在――そう思う様になっていた。
そんな自分の感情に驚き、また...運命めいたものを感じずにはいられない。
そう直感した風竜は、確認を始めた。
「カオル....貴様は、これから何を成すのだ?」
自分とは、まったく異なる存在の風竜。
だが、お互いに打ち解けており、安心感さえ覚えていたカオルは、風竜の瞳を真っ直ぐに見詰めて答えた。
「ここがどこかもわからないし、これから何をすればいいのかもわからない.....よ」
予想どうりの答え。
意図的に何者かがカオルをこの世界へ連れて来た事は既に聞いている。
だが、カオルの話しを聞く限り、カオルが居た世界はこの世界の様に混沌とはしていなかった様だ。
それはつまり――"カオルは非力である"という証拠。
平和などという甘い考えは夢物語なのだ。
現に、カオルは知らないのだが....この世界には魔物が居る。
それは獣の類ではなく、人に仇成す者達。
人を喰らい生命の糧とする。まさに弱肉強食。
今の脆弱なカオルでは、とても生き残る事などできないだろう。
(それに――おそらくカオルをこの世界へ導いた者は――)
風竜には、思い当たる事があった。
だが、今はそれを話す時ではない。
で、なければ――肉体を失った風竜が、この場所に括り付けられる必要など無いのだから。
「クハハ!! カオルよ! 貴様が何のために来たのかわからぬ。ならば、我が力を貸そう!! 貴様が何を見、何を経験するか、我も興味がある!!」
風竜はカオルの援助を宣言した。
カオルにはどういう意味なのか、さっぱり理解できなかったが、この低い声を聞いているとなぜか安心する事だけはわかった。
緊張が解け、ホッと胸を撫で下ろし安堵したカオルを、風竜が笑う。
「ハハハ....見た目どおり、まだ幼子のようだな。カオルよ。我は偉大なる風の竜、我と契約できしこと誇りに思うがいい!!」
王者の覇気を解き放ち、風竜は大きく翼を広げた。
ただでさえ体長50mを超えているのだ。
両翼を広げた大きさは、その倍にも感じるほど。
圧倒的な存在感に晒されたはずのカオルだが、その表情に緊張はない。
むしろ、内心(カッコイイ!!)と見惚れている。
男の子が憧れるファンタジー世界のドラゴンが、自分の為にこれほどの演出をしてくれた。
ただその事が嬉しかった。
「受け取るがいい!!」
そう言った風竜は、黄色い瞳を光らせた。
その瞬間、辺り一面を閃光が走る。
それと同時に、カオルの左胸――丁度心臓の真上の位置――が痛いほどに熱くなった。
「っ!?」
あまりの熱さと痛さに、胸を押さえて転げ回るカオル。
いつまでも続くかと思える様な苛烈な痛みも次第に落ち着き、徐々に光が収まり辺りに静寂が訪れる。
そこには....風竜の姿は無かった。
「....風竜?」
名前を読んでみたが返事は無い。
安心感を与えてくれた相手が、突如として喪失した。
カオルは再び1人ぼっち。
そして、胸の内に沸き上がる喪失感。
あの時に、両親を失った時の感情が再燃し、大粒の涙を流した。
しかし、今回は違う。
なぜなら、風竜は白昼夢を見た訳ではない。
その証拠に、周囲に舞い上がっている大量の砂埃が、夢ではない事を告げていた。
(また....逢えるよね?)
再会できるかどうかはわからない。
だけど...カオルにも感じていた。
"風竜との出会いは運命である"、と。
ならば――(風竜の言葉を信じよう!)
「力を貸す」と言った風竜の言葉を。
そして――
丁度その時、後方から「カツン、カツン」と足音が聞こえた。
仄暗い部屋の一室に、何者かの足音が木霊する。
風竜とは違う、人の足音。
カオルは、慌てて風竜が現れた石柱の影へと隠れる。
すると、かなり遠い距離に人魂の様に浮いた1つの明かりがこちらへ向けられていた。
オレンジ色の光。
ゆらりと揺れながら、1歩1歩着実にカオルへ向かって進んでいる。
どうやら、手にした照明具の蝋燭に灯した明かりの様だ。
(ど、どうしよう!?)
あの人影や風竜は人間ではなかった。
驚き、戸惑いもしたけれど、どこか自分を安心させてくれる人物だった。
だからこそ、カオルはなんとか話す事が出来たのだ。
だが――今こちらへ近づいて来る闖入者は、間違いなく人間だ。
石柱以外に逃げ場なんてあるのかすらわからない。
せめて室内の明かりがもう少しあれば――あるいはどこかへ逃げ込めたかもしれない。
だけど....
天井から零れる光源だけでは、逃亡すらも....
やがて、カンテラの明かりが石柱を照らしだす。
カオルが咄嗟に隠れた唯一の隠れ家へ。
「っ!?」
迂闊にも覗いていたカオルは、目が合ってしまった。
そして――その姿に鼓動を速める。
金色の髪に、驚くほど透き通った青い瞳。
胸はそれほど大きくはないがそこから滑らかに伸びる曲線。
くびれた腰から、上向きに引き締まった臀部。
まるで、"神々の施した造形のような超美人"。
上下にダボダボの衣服を纏い、手にはカンテラと銀色の曲刀を携えているのだが、そんなことはどうでもいい。
カオルは、吸い込まれる様な青い瞳に、ただただ惹かれていた。
「キミ一人か? 巨大な気配を感じてここへ来たんだが...」
楽器を奏でたような声色に、カオルは言葉を失う。
それが、カオルとヴァルカンとの出会いだった。
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