第二十五話 シルの包丁
2016.9.8に、加筆・修正いたしました。
明けて翌朝。
3日間に渡る戦場を潜り抜けたボクとレジーナはすっかりダウン。
死線を彷徨い歩いた気もする。過去に何度も死に掛けた事はあるけど、遥かに凌駕する行いだったと思う。
彼のドラゴンゴーレム並の辛い戦いだ。過労死の数歩手前まで歩いたんじゃないかな?
「そんな訳があるか。あの時のカオルは本当に死ぬ寸前だったんだからな!!」
「はい....」
朝食中にそんな話しを師匠にしたら怒られました。
でもね? 精神的にそんな感じだったのです。
並ぶ人、買う人全員に握手を求められ、ボクがいったい何度手を洗ったか。
ふやけるなんて通り越して水の住人みたいでしたよ? エラ呼吸できるんじゃないかと思ったくらいに。
何度か精霊君も見掛けて邪魔をされたり....苺を数個食べられた....食事できるのね? 風竜的な存在なのね? 猪の干し肉とかたまに無くなっていたのはキミが原因かな? ネズミか師匠かと思っていたよ。
朝食も済み黒猫通りのミント亭の店主さんの下へ。
『宿泊費が無料だ』と口走った為に師匠が爽やかな笑顔になってしまった。
せっかく秘密にしていたのに...店主....食堂のお酒が無くなってしまうよ? いいんですね? ボクは責任持ちませんからね?
午後、復活したレジーナに料理を教える事を伝え事前に《魔法箱》から取り出した屋台3日分の稼ぎを渡す。
銅貨ばかりだけれど、恐ろしい量、恐ろしい重さ、もちろん師匠が持ってくれた。
「す、すげぇな.....報酬はちょっと待ってくれ。これはさすがに商業ギルドで換金しないとどうしようもない」
「わかりました」
「ああ」
慌てた様子の店主さんに対し、師匠の目の色が変わってる。もちろん一銭も師匠に渡すつもりはないよ?
ボクはオーブンを買うんです! "魔宝石"と呼ばれる貴重な代物をふんだんに使った温度調節と時間調節機能付きの万能調理機!
アレがあれば料理の幅も広がる! 釜の前で火の番をしなくてもいい! その間に他の料理を調理できる!
食卓にもう1品添えられるのだ! 酒の肴を作ってあげてもいいよ? 師匠好きでしょ? そういうの。
今日も師匠は聖騎士団の訓練場へ剣の稽古に行くそうなので、『午前中だけでも着いて行っていいですか?』と質問して即了承された。
なんだかんだ言いつつボクは師匠と一緒に居たかった。師匠の抜刀した姿はカッコイイからね。
家では呑んだくれのダメダメな残念美人だったけど。
料理もしない。家事もしない。狩りさえもボクが出来るとわかった時から一切しなくなった。
でも、狩りの仕方を教えてくれたのは他でもない師匠だ。恐ろしいと感じた魔物も師匠が教えてくれた剣術と魔法で倒せる。
だからボクは尊敬してる。『家族』と呼びボクを信頼してくれるから。
黙って居れば美人さんだしね。鍛冶姿も見惚れちゃうくらいに。
朝の大通りを2人で歩く。
道行く人と挨拶を交わし、拝められたり手を振られたり。
隣に師匠が居るだけで安心する。お父様とお母様が一緒に居るみたい。
永年連れ添った夫婦ってこんな感じなのかな?
ボクはまだ子供で恋愛感情なんてわからない。師匠はどう思ってるんだろう?
男として見てない節がある。ソレは誰の目にも明らか。何故ならボクが女装させられているから。
そして似合ってしまう自分が憎い.....朝もメイド服に着替えてから『起きてください。ご主人様』と....
ボクって侍女かな? 食事の世話や着替えの手伝い。掃除もボクが行ない師匠は何もしない。
時間が無ければ《浄化》を使い、服も洗濯するし部屋もキレイに....
「おはよう諸君!!」
「「「「おはようございます! 教官ドノ!」」」」
ほどなくして聖騎士団の訓練場へ辿り着く。
其処に並ぶ大勢の人達。全身鉄鎧を装備し見事な敬礼を見せた聖騎士達。
『壮観』『すごい』としか言い様がない。
師匠が頷き『本日もよろしくお願いします!』と一斉に声が響く。
はぁ....師匠カッコイイ.....
各員へ指揮して始まる訓練。木で組んだ壁や掘り下げられた地面を飛び越えたり這い進んだり。
号令しながら『足腰を鍛えるのは基礎中の基礎だ! 体力も付く! 辛くとも前へ進め!』なんて師匠の怒声が飛んで。
そんな師匠を見ているボクはドキドキが止まらない。
凛々しくて精悍な横顔。ボクと修練をしていた時に見せた事の無い顔。
剣士や騎士として優秀な成績を収め、剣聖なんて役職へ任命されていた頃の師匠はこんな感じだったのかな。
この胸の高鳴りが恋だとしたら――ボクの初恋は師匠かも?
訓練場で繰り広げられる聖騎士達の訓練。一種のブートキャンプ。
全身鉄鎧姿で走りよじ登り飛んで這い進んで。
木剣で指導を受ける者や木槍で連携を学ぶ者も居る。
自己診断をするならボクの方が強い。なにせ師匠の下で2年以上も修練していたから地力が違う。
ただ、彼等の方が体力もあるし単純な力も強い。
今までこの【オナイユの街】を守り続けて来れた自信もあるはずだ。精神面でもボクは劣っている。
つまるところ単独ならボクが上で、長期戦や連携されたらボクの負け。
魔法を使えば補えるけど魔術師は貴重な存在みたいだから比べちゃいけないよね。
ところでずっと疑問に思っている事があるんだけど....
あの全身鉄鎧の下に急所を守る鎖帷子を着ているんだよね? いったいどれだけの重さがあるんだろう?
パッと見の予想で30キロ前後。内着を入れて凡そ40キロくらい? ボクを抱えて走ってる訳だ。う~ん....真似できないなぁ....
「稽古開始!」
「「はいっ!」」
2人一組で開始された手合わせ。
得物は木剣だけど殺る気が離れているボクにまで伝わる。
『殺気』と呼ぶにはまだ足りないかな? 師匠が本気でボクに叩き付ける『殺気』は背筋が凍る程に怖いから。
「グズグズするな! 立ち上がれ! 兜から見える視界が狭い事を忘れるな!」
「「わかりました!」」
カッコイイなぁ....師匠。
兜かぁ。ボクも師匠も兜を被った戦い方をしないからなぁ....
速度を活かした手数で押し込むのが師匠流の戦い方で、ボクもまったく同じ道を歩いてる。
もちろん色々な戦闘方法を教わって導き出した結果だよ。小柄なボクが重装鎧を装備して動けないって理由もあるけど。
だから革製の鎧を使ってた。外套も師匠お下がりの物で大事にしてた。ドラゴンゴーレムに壊されちゃったんだよね。
むぅ....《魔法箱》と鉄やアレを手に入れられたのは嬉しい。でも外套.....
「カオル! 一ヶ月以上身体を動かしていないだろう? ちょっと修練してやろう!」
いつの間にかボクの傍へやって来た師匠。
身長に合わせたみたいに中くらいの長さの木剣と短刀サイズの木刀を渡されて。
『早くしろ!』なんて催促されても、ボクは師匠命令でメイド服を着てる。
ロング丈のスカートにフリルの付いた戦闘に不向きの格好。
それなのに『このまま修練をしろ』とボクの師匠は言うのです。
横暴じゃないかな? 残念美人め。さては戦闘のスイッチが入ってる? むぅ....
「すぅ.....はぁ.....」
深呼吸をひとつして木剣を構える。
怪我をして以来の本格的な修練。
十分な休養もしたしカルアさんに治療して貰った。
3日間の屋台という戦場も駆け抜けたんだ。
師匠にカッコイイ所を見て欲しい。
ボクだって師匠の唯一の弟子なんだから。
「魔法は無しだ。それじゃ――いくぞ!」
軽い運動とストレッチが終わった瞬間、師匠の纏う雰囲気が鋭く尖る。
ただ立っているだけで周囲が震えビリビリとした緊張感が肌に突き刺さる。
無業の位から正眼の構え。
師匠の間合いは熟知しているつもり。此処は間合いの外だというのに背筋に冷たい汗が流れる。
そして師匠が睨んだ刹那。見えない"剣気"がボクを斬り裂こうと放たれ、ボクも同じく"剣気"を放ち相殺。
別に動いた訳じゃない。ただ師匠はボクを斬るつもりだった。
見えない刃が交錯しただけ。原理はボクにも不明だし、師匠もわからない。
ただできる。そしてボクもできる様に成った。
実に半年振りの修練だ。見てください。師匠の弟子は成長したんです。
まだまだ荒削りで師匠の様に洗練された動きに遠いけど、いつか必ず追い付きます。
「シッ!」
しばらくの膠着状態。我慢できなかったボクが『先手必勝!』と地面を蹴って真正面から突き込む。
師匠は構えたまま微動だにせず、間合いに入った瞬間認識できない速度で動いた。
「フッ...」
口角が上がる微笑。右手の木剣を左薙ぎに払ったのは失敗だったかも。
師匠の木刀が木剣を絡め取り打ち上げる。でもボクは逆手に持った短木刀で追い討ちを狙う。
しかしそれすら師匠は見切り半身下がって回避すると、頭上から斬り降ろし。
慌てて避けようとするも間に合わず、仕方なく引き戻した木刀で防御。
木特有の打ち合わせる音が鳴り、ボクの身体は後ろへ仰け反る。
単純な力押しで師匠に勝てるはずはない。そもそも体格が違うのだから。
ならば小柄な体躯を駆使しよう。
再び木剣で刺突を繰り出し避けた師匠へ狙い通りの回転斬り。逆手持ちの短木刀が師匠の腹へ吸い込まれ――
「あまい!」
師匠の木刀で打ち落とされる短木刀。まさか柄で小手を打たれると思わなかった。
う~ん....
ササッと短木刀を拾い上げて距離を保つ。大胆に疾駆し逆袈裟から攻めてみるも避けられ足払い。
短木刀を地面へ突き立て宙返り。『待ってました』と師匠の刺突でまたも後方へ退避。
隙も無ければ間合いも広い。待ち構えられるとどうしようもない。活路はどこだろうか?
まったくもって届く気がしないんです。唯一の武器はスピードなんだけど.....
この長いスカートが非常に邪魔なんです! ダメじゃん!
「考えているだけじゃいつまで経っても勝てないぞ?」
勝ち誇った顔の師匠。木刀を肩に担ぎ片方の手をクイクイっと挑発してくる。
超低空から軸足を狙って突撃してみるもバックステップで回避。
周囲を走り回り視覚外から奇襲してみても避けられ木刀で追撃される。
もちろんボクも避けたり迎撃してるけど.....う~ん.....当たらない。むしろ師匠は余裕たっぷり。本気すら出さない気でいる。
こうなったら――
短木刀を置き木剣1本に全てを賭ける。
それくらいしないと師匠に届くと思えない。
今のボクの全力で相手をしてください! 師匠!
威力を増す為にさらに下がり水平に構え全力全開の刺突。
避けられたら薙ぎ払うつもり。
体術だってあるんだ。蹴り殴りなんとかするしかない。
そうしてボクの全力の攻撃は開始された。
「ハァァァァ!!」
地面を駆け高速軌道の突き。
師匠は案の定右へ避けて木刀を振り下ろす。
思惑通りに事が運んだ! ここがチャンス!
薙ぎ払い木刀と木剣が交差。手が痺れる程の強い打ち込みに思わず木剣を手放し本領を発揮。
肉薄し拳打からの回し蹴り。
師匠も同じく拳打で相殺し、回し蹴りは――
「ハハハ!! おしかったな? まだまだ私には届かないぞ?」
「むぅ...参りました....」
抱き抱えられて肩に乗っかるボク。
まさか回し蹴りの体勢から胴を持ち上げられるとは思い付かなかった。
あの速さでもダメかぁ...師匠強いなぁ.....
「速さは中々のモノだった。だが直線的で読みやすい。視線は特にそうだな。狙いどころを見る癖を失くすといい」
「はい....」
全部読まれてたのかぁ。
魔物相手なら問題無いんだけど、対人だとまだまだだね。
やっぱり師匠が見てる世界は遠い。身長が伸びればもう少しやりやすく――
「「「「「「オォォォォォォォ!!!!」」」」」」
訓練場に歓声が鳴り響く。
見れば聖騎士達が稽古を止めてこちらを見てて。どう見ても観衆。
師匠の稽古をサボるとどうなるか....彼等は知らないんだろうなぁ....
「すげー!」
「剣聖殿が強いのはわかっていたが、あの子つえぇな!」
「なんだよ!? あんなの避けられねぇよ!?」
「速すぎだろ!」
「あの"剣気"凄くなかったか!? なんかゾクってきたぜ!!」
「だな! しびれちまったよ!」
「ていうか、なんかこう....萌えるよな?」
「たしかに....美少女だもんな.....」
「ちょっと下着見えなかったか?」
「見た見た! 白いのがこう....」
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
「まて、それはやばいって!」
訓練ソッチ退けで騒ぐ聖騎士達。
中には卑猥な言葉を口にする輩まで存在していてなんて変態予備軍。
これが"聖騎士"と呼ばれ【オナイユの街】で慕われる人なんだろうか? 最悪だぁ....
「ほほぅ? 貴様ら元気が有り余っているようだな.....」
あ~あ....師匠が怒っちゃった。こうなるとボクでも手を付けられない人だからね?
目まで光らせて....ボクしーらないっと。
「ゴフッ!?」
「グハッ!?」
「はぇぇ....」
「強すぎる....」
「白い...の....」
「ああ!? ぶっ殺すぞ!?」
「「「「「申し訳ありません!?」」」」」
凄まじい。師匠が怖い顔をしてる。『白いの』は下着ではなく白シャツの裾だよ?
そしてボクは忘れない。彼等が変態予備軍である事を。団長さんに言い付けようかな? 叱責されるといいよ?
その場に居た全員の聖騎士を叩きのめした師匠は、馬に跨り彼等をフルマラソンへ連れて行った。
全身鉄鎧を装備したまま50キロかぁ....真似したくないよ?
ボクはボクなりの方法で修練しよう! 体力も戻すよ! いざという時に動けないとかバカらしいからね!
手を振り師匠を見送った後、ボクは約束通りに黒猫通りのミント亭へ戻って来た。
なんとな~く後方から後を着けて来る気配を感じつつ。たぶん護衛かなぁ? 憲兵さんとか他の聖騎士さんとか。青い服の帝国兵士さんも見掛けた。
師匠が雇ったと思われる。屋台で商いをしている時から視線を感じていたから。
ただ、なんだかネチッコイ視線も感じるんだよね? なんだろう?
宿屋でレジーナと合流し、料理の講習会を開催。
『カオルおかえりー!』なんて尻尾を振って迎えてくれたレジーナは子犬ぽかった。
「おう? 嬢ちゃんじゃねぇか。なんか用か?」
夕食の下拵え中の料理長。
昼間から呑んだくれてる宿泊客の合間を縫い歩きどうにかこうにか辿り着く。
泥酔してたり難癖付けてきたりする輩が居なくてよかった。まぁそういう質の低い宿屋じゃないからか。
なにせ今泊まってる部屋が一日300シルドもするんだ。
銀貨にして3枚。パンにして300個。日本円換算で3万円。
ダブルベットの部屋を借りて2名宿泊だよ? 2人合わせて一万円ちょっとくらいが普通じゃない? 倍以上取るんだからそりゃ高級な宿ですよ。
当然宿泊客もそれなりの人達。身形も小奇麗だしね。小間使いさんは頑張ってください。安価の麻製の服も着慣れるとゴワゴワしないし。ボクもたまに着てます。師匠のお下がりだけど。
「はい。宿屋の店主さんと約束していまして、レジーナに料理を教えるんです。調理場を少しお借りしてもいいですか?」
「おう! 好きに使え! 食材も適当に使っていいぞ? ただし――」
「味見もお願いしますね?」
「そういうこった!」
男気があってカッコイイね?
例えるなら渋い職人と言うのだろうか。
ボクも大きく成長したら渋メンに.....成れるかなぁ....牛乳君よ....成長を!!
水瓶から水を汲んで手を洗う。レジーナも習い同じ様に。
衛生管理の基本だね。
そしてボクは昨日いただいた包丁を《魔法箱》から取り出してさっそく食材の品定めを――
「なんだ!? 嬢ちゃん魔術師か!? 《魔法箱》持ってるなんてなかなかやるな!」
「はい。とても便利なんですよ」
貴重な魔術師の存在に驚く料理長。
レジーナはボクが魔術師だと知ってる。というか、"黒髪の巫女"なんて不名誉な二つ名を考えたのがレジーナだ。
朝から拝まれた年配の方々が口にしてた。『黒巫女様。どうかご利益を』なんてね?
ボクは神でもなければ巫女でもない。女性ですらないから『ご利益』はありません。
でも長生きしてください。長く生きて沢山のモノを見聞きしたご年配の方々は貴重な存在です。
ボクに祖父母は居なかったから余計にね?
『とても優しく頼れる人だった』
ボクはそうお父様から聞いて知ってる。
そしてお母様のご両親も他界してて知らない。お母様は、とある良家のご令嬢らしい。
お父様が社交界で昔から逢っていたとか何度も話してくれたから。
何でも出来るお父様だけど、お母様はその上を行く何でも出来る人だったもん。
開いた包みから姿を見せた木目模様鋼の包丁。
手入れもされて錆ひとつ無く美しい波紋。
柄に使用感があるからおじさんが使っていたのかな?
愛用の品をくれるとかボクを気に入ってくれたのかも。
「おい待て。ソレ....シルの包丁じゃねぇか!?」
「なんですかそれは? コレは金物屋のおじさんにいただいた物なんですけど....」
慌てて告げた料理長がレードルを寸胴鍋に落としてしまう。
レジーナが『あちゃー』と額に手を当てて居たけどそんなことよりも料理長の発言だ。
シルの包丁ってなんですか? 銘でも打ってあるの?
「いや...そうか。その金物屋の主人がシルって名前なんだよ。やっぱり嬢ちゃんは普通じゃねぇな。あいつが人に刃物をやるなんてありえねぇ....」
「んっとねぇ。シルさんは理由は知らないけど刃物を打たない人なんだよ?」
「あいつは生存する唯一の木目模様鋼の錬鍛師なんだよ。それなのにあいつは刃物を打たねぇ。
なんか理由があるんだろうが....俺も詳しくは知らねぇんだ。もし嬢ちゃんが知りてぇならあいつの兄貴に聞くといい。鍛冶ギルドの近くで工房を開いてるからよ」
「はい....」
なんとなく空気が重い。
料理長もどこか遠くを見ている様で読み取れる表情は『悲しみ』かな?
何かがあった。ボクが居た世界では失われた技術の木目模様鋼を打てる錬鍛師が、刃物を作らなくなるくらいに重い何かが。
「まぁいいさ。何作るんだ?」
「エッ!? あ、そうですね.....」
突然話題を変えられ焦ってしまう。
今のボクはレジーナに料理を教えに来たんだ。
シルさんの事は後で考えよう。師匠にも相談してみないと。
ラタテューユは前に教えたので、フリカッセ、ムニエル、カルツォーネなどの食材を集める。
良く洗ったトマトに刃を通した瞬間。木目模様鋼の切れ味に驚いた。
スッと切った感触も感じずまな板を叩く包丁。
使ってわかる切れ味と独特の握り。
師匠の打つ武器は持った瞬間に手に馴染む代物だったけど、コレも似てる。
使用目的がまったく違うけれどそんな事は些事だ。
身も潰れず切れた事もトマトはわからなかっただろう。
試しに根野菜を切り断面を繋げたらくっ付いた。
コレって"切り戻し"だよね? 名工の技と達人級の料理人だけができる....
「まじか!?」
「どうなってるのそれ!?」
「野菜の繊維を切り潰す事無く切ったから繊維同士が元に戻ったんですよ。相当な代物でないとできません。コレが木目模様鋼なんですね」
益々シルさんが何故ボクにコレを譲ったのかわからない。
包丁としての括りなら最高級品。鋼製の包丁をいくら研いでもコレは不可能だ。
だってボクは意識して切ろうとした訳じゃない。普通にいつも通り押し切った。ソレが切り戻せるなんて予想していない。
「そうか。木目模様鋼だからな」
「はい。それと凄く手に馴染むんですよ。まるで名剣を握った感覚というか....」
「名剣....嬢ちゃんはまさか....」
「持ってますよ? 師匠から頂いた宝物です。素材は違いますけど」
「なるほどな。そんな為りをしちゃいるが、剣聖様のお付きちゅう訳か」
「お付きではなくて弟子なんですけどね?」
「ハハハ!! んなこたぁちいせえ事だろ」
「カオルはちっこいからね~?」
「まだ12歳だからそこは将来に期待を....」
「なんでぇ!? 本当に子供か!?」
「えっと...?」
「ああ、気を悪くしたんなら謝る。魔術師は見た目通りの年齢じゃねぇって聞いた事があるからよ? 俺はてっきり...」
「おとぎ話なんだよ? むかーし大魔術師様がある王国を襲っていた魔物の軍団を一瞬で壊滅させて王国から賢者なんて呼ばれたんだって」
「おう! その大魔術師様がちいせぇ子供だったんだ。それじゃねぇか? 魔術師は見た目通りの年齢じゃねぇって言われ始めたのは」
「ふむふむ」
初耳でした。師匠がその手の本を持ってなかったからね。変な魔法書? みたいな代物は沢山持ってたけど。埃被って無造作に本棚へ詰め込んで。
本人曰く『読んだ事はないな。読む気すら起きない』だそうです。
ボクは為に成ったよ? 《浄化》とか《光球》とか六芒星の魔法相関図とか。
幸運な事に風と雷系統の魔法もそれで覚えられたし。
風竜の魔法、《風竜嵐》は載ってなかったけどね。やっぱりドラゴンの契約者は特別なのかな? 風竜はアレ以来出て来ないからなんとも言えないや。
他愛も無い会話を続けつつ、レジーナに料理を教える。
元々素養があったんだろうね。料理手順、火加減、手際に関して実践させながらすぐに覚えた。
聞けば料理は得意なんだって。店主がなんでレジーナをボクに付けたのかが透けて見える。
「料理長? その夕食の仕込みはもしかしてシチューですか?」
「おう! 美味いぞー? やっぱりアレだな! 野菜はでかくてゴロゴロしてないとな!」
『ガハハ』と笑い答えてくれた。
見れば根野菜が崩れない様に面取りもしっかりしてるしアク抜きも手を抜かない。
一食入魂! 料理長は魂を入れて料理を作ってる。だからあんなに美味しい。
これはボクも負けてられないね!
『普段は捨てるぞ?』と言われたシチューに使われた牛肉の骨。
ソレを煮詰めてゼラチンを作りテリーヌを。
ついでにゼリーも作っちゃおう。
万年氷と呼ばれる洞窟から氷を運び売る商人が居るらしい。けれどボクは魔術師だ。適正は無くても氷くらい作れちゃう。
初級も初級の《氷結》を唱え石櫃全体を凍らせる。
もちろん蓋が氷着されると料理長が困るから内部の壁だけ。
驚いてくれたよ? それなりに。所詮は初級の魔法だし、攻撃魔法じゃないから頑張れば誰でも使える。それなりの魔力は必要だけどね。
ゼラチンが固まるまでの間に置いてあった飾り葉を飾り切り。
彫刻刀もペティナイフも必要なく、シルさんの包丁はボクの思い通りの模様を作り出せた。
「鳥レバーのテリーヌ完成!」
土鍋っぽい物をひっくり返し、中身を取り出して再び戻す。
じゃないとパテと呼ばれる代物に!? 見た目の為に出し入れした。
表面を薄っすらと覆うゼラチンはプルプルしてる。
煮出し時間が足りなかったからちょっと不安だった。
でも無事に完成だよ! ワーイ!
「美味しい!」
「うめぇな....やるじゃねぇか!!」
バシーンと背中を叩かれ吹き飛びそうに。
油断してたらお皿の山に突っ込んで大惨事だよ!? 死傷事故だよ!? ドワーフはこれだから....
「オレンジのゼリー? もうさいっこう!」
三角耳をピコピコさせて尻尾もフリフリ子犬なレジーナ。
ちなみにボクより8つも年上の20歳。とても成人に見えないのはボクだけかな?
「何だコレ!? いやぁ....嬢ちゃん天才だな!! うめぇうめぇ!!」
そうでしょうそうでしょう。なにせ飾り切りした葉を敷いて良い感じに高級感があるからね!
此処で販売したら売れるんじゃないかな? う~ん....手間隙を考えると微妙かも? もう少し人手が居ればなんとか...
「どうだ? レジーナはちゃんと料理覚えたか?」
騒がしいボク達の下へ宿屋の店主が。
いつ見てもお腹が出てる。食べ過ぎだと思う。成人病に気をつけた方がいいですよ?
特にここの料理は高タンパク質で高カロリーだから糖尿病の疑いが....
「はい! ちゃんと覚えました! カオルの料理はすっごく美味しいんです!」
レジーナは大絶賛だね? 尻尾が特にわかりやすい。
そしてビシバシボクを叩くのをやめてくれないかな?
尻尾が逆立ってるから顔に当たるのですよ! やめてー!
「おぉ....こいつは美味いな....なんだ。こりゃぁもう少し報酬に色付けねぇとダメだな! ガハハ!」
ハッ!? 報酬....そうだよ! 念願のオーブン基金が設立される!
前金と合わせておいくらですか!? そして中古でいいからオーブンの平均価格市場を調べなきゃ!
大丈夫! 在り得ないくらい入る《魔法箱》を持ってるからお持ち帰りで! 配送は不要です!
ワーイ! ワーイ! オーブンだー! クッキー作るよー! パウンドケーキも何でも作るよー!
ざ、材料を買い溜めしないと!? 小麦粉とバターと....砂糖!! テンサイなんていらない! 此処は【エルヴィント帝国】! サトウキビから作られる砂糖を輸出している大国だー!
「な、なんだ!? 嬢ちゃんの目がキラキラしてんぞ!?」
「カオルはおこちゃまだから....」
「いや、コレは料理人の目だ。さては新作を思い付いたか?」
「新作....だと!?」
「エドモンド。手広くやるのはいいが――」
「わぁってるよ! 心配すんな!」
「そうか」
「でだ。嬢ちゃん? 報酬は明日キッチリ払うからよ! 楽しみにしててくれ!」
「エッ!? はい!!」
む? 喜びの舞いでなにやら聞き逃した?
まぁいいよね! 念願のオーブンだもの!
「またいつでも作りに来な!」
「はい! ありがとうございます!」
調理器具や食器を片付け一足先に部屋へ戻る。
レジーナも『またね~!』なんて言いながら仕事へ....大変だねぇ。半休しか貰えなかったのかな?
宿屋の従業員も大変だ。ボクも大変だけど。
全身鉄鎧で50キロマラソン中の変態予備軍聖騎士達。
いったい何時帰って来れるのかな?
ボクは大きなベットの上で横になってボーッとしていた。




