第二百四十四話 イーム村で
今まで回復魔法の詠唱や魔法名を入れていませんでしたが、これからは入れていこうと思います。
それに伴い、いつになるかわかりませんが、過去分についても加筆、修正させていただきます。
「《治癒》」
無詠唱の回復魔法を行使して、みるみるうちに焼け爛れた皮膚を再生させる。
それが聖騎士教会に所属する治癒術師としての職務であり、お世話になった者としての感謝だから。
山火事を消火し氷原を背にしたボクは、【イーム村】へとやって来ていた。
今は、火傷を負った兵士や村人達の治療をしている。
やっぱりボクの予想は正しかった様で、村への被害はほとんど皆無と言っていい。
今後、森林火災による環境被害が持ち上がる可能性はあるだろうけど。
それに、消火活動を行った人達は、少なからず負傷していたのは事実で...
「ありがとうございます」
深々とお辞儀をして感謝するドワーフの兵士、ナタンさん。
ボク自身、数度顔を会わせた事がある程度で、名前があってるかは曖昧だったりする。
「いえ....」
ボクの言葉数は、少なくなっていた。
なぜなら、あの光景がどうしても忘れられない。
師匠と過ごした大切な場所が、こんなにも簡単に失われてしまったのだから。
淡々と作業する様に、負傷者達の治療を行う。
1年以上住んでいたけど、村へ降りる機会は多くなかった。
せいぜい、農具の納品や調味料の類を買いに出るくらいだ。
だけど、兵士の方々も、村のみんなも、ボクが誰か知っていた。
むしろ懐疑的な人が居ない事が不思議なくらい。
それなのに...みんなはボクの事を覚えている。
ボクは、なんて薄情なんだろう。
他人に心を開く事が怖くて、いつも師匠の影に隠れていたんだ。
だからほとんどの人の名前も知らないし、顔だってうろ覚で――
「すまないが、こちらのご婦人にも治療をお願いできないだろうか?」
そう話し掛けてきたのは、猫耳が特徴的な隊長のアルさん。
この人の事は、よく覚えてる。
師匠の下へ、何度か武具を受け取りに来てくれていたから。
「....わかりました。怪我の確認をさせていただきますね」
アルさんに手を引かれて姿を見せた女性。
左上腕部にひどい火傷を負っている。
おそらく、消火活動中に火へ近づき過ぎて服に燃え移ったのだろう。
実に痛々しい姿なんだけど――
そんな事よりも!
明らかに嫌な咳をしてる。
それも異常な呼吸音で!!
「ゴホッ! ゴホッ! あ、あたしゃ....ごふじん...なんてもんじゃ...」
「何を言うのですか!! エステラさんは、立派なご婦人です!!」
声も絶え絶えな女性に対し、アルさんの剣幕は物凄い。
どうしよう...正直言って、ウザイ...
何2人で桃色空間作ってるんですか?
中年の色恋なんて、ヴェストリ外務卿とメリッサで、もうお腹いっぱいなんですからね?
それに、今はそれどころじゃないんですよ?
エステラさんですか?
あなた、間違いなく呼吸器を焼かれて、気道熱傷を患ってるんですからね?
上腕部の火傷だって、早く治療しないと感染症やら大変な事になりますよ!?
「ゴホッ! あ、アルさん...」
「エステラさん...」
お互いの名前を呼び、見詰め合って寄り添う2人。
全身を煤に塗れ、死力を尽くした事が窺える。
村を救えたという安心感もあるだろう。
むしろ、共に危機を乗り越えた"吊り橋効果"が2人を近づけさせたのかもしれない。
だけど、考えて欲しい。
ボクは大切な場所を失い、悲しんでいるんだ。
それなのに、だよ?
何2人でイチャイチャしてるのさ!!
「邪魔っ!!」
「ゴフッ!?」
「あ、アルさん!!」
アルさんの鳩尾へ、掌底を一発お見舞いする。
正直に言おう!
八つ当たりだと!!
「はいはい。それじゃ治療しますね」
悶絶して蹲るアルさんを無視して、エステラさんの治療を開始する。
驚いて茫然としている間に、喉奥を診察。
すると、案の定黒い煤が。
鼻や口にも付着していたから、高温の煙なりを吸い込んでしまった事が容易に窺える。
まさに想像通りだった。
「《治癒》」
患部を確認し、即座に回復魔法を唱える。
左上腕部は言うに及ばず、気道や呼吸器系は念入りに。
気道熱傷が厄介なのは、咽頭や声門、気管や気管支等、損傷部位が大きく広い事だろう。
最悪、焼かれた気道が膨張し、呼吸困難に陥り、死に至るのだから。
あっという間に治療が終わり、処置も無事に完了した。
「治療は終わりました。しばらくの間、食欲が無かったり、また咳き込む等の症状が出る場合は、すぐに治癒術師か薬師に相談してください」
2人に毒気を抜かれた為か、はたまた八つ当たりした為か、ボクの怒りは、ほんの少し収まっていた。
それでもあの悔しい想いは消えてないし、焼け落ちた場所の光景は脳裏に焼き付いてる。
山火事という自然災害を防げなかったボクが悪い。
もう少し早く知る事ができれば、間に合ってたんだけどね...
「た、隊長!?」
そんなところへ1人の人間の男性が。
全身鉄鎧を身に纏い、頭部の兜を脱ぎ捨てた姿。
見た事は...あるような無いような....
「大丈夫ですか!? 隊長!!」
どうやら、ボクの放った掌底が、思いのほか当たり所が良かったみたいで、アルさんは治療中も蹲ったままだったみたい。
王国兵士を束ねる隊長として、(それでいいのか?)と思ってしまうけれど、まぁ不意打ちだったし仕方がないのかな?
と言うか、ですね?
エステラさん。あなた、治療が終わったからって、そそくさと退出するのはいかがなものでしょう?
さっきまでの良い雰囲気はどこへ行ってしまったの?
アレですか? 照れてるんですか?
それとも、その場限りの関係だとでも言うのですか?
そんな浅い付き合いなんて、ボクは許しませんよ?
「グフッ...だ、大丈夫だ....なんのこれしきっ!!」
よく言った!
さぁ、もうワンラウンドがんばっていただこうじゃないですか!
「アルさん」
「....な、なんでしょうか?」
「ボクは、良き師にも恵まれ、この【イーム村】で過ごしていた間、皆さんには大変お世話になりました。
そしてこの村を出てから半年ほどの間に、身に余る程の栄誉、【エルヴィント帝国】で伯爵位を叙爵されています。
ですが――同時に、【聖騎士教会】に所属する治癒術師でもあるのです。
聖職者ではない為"女神シヴ"へ誓いを立てているつもりはありませんが、あなたは先ほどエステラさんと口付けを交わそうとしていませんでしたか?
それは神聖なる儀式であり、求愛の証。
お二人が家族、親族の類ならば良いでしょう。家族同士、『愛を確かめ合う行為』として、ボク自身も両親と口付けを交わした事はあります。
けれど、あの熱い眼差しは....恋人同士...いえ、愛し合う夫婦のソレと違わぬモノだと感じました。
このボクが感じた感情は、何か間違っているのでしょうか?」
長々と力説し、立ち上がったアルさんを見据える。
アルさんはボクの視線に気付き驚いて目を見開くが、やがて静かに目を閉じて数瞬悩む。
そして――
「...まさかヴァルカン殿の弟子に...いや、香月伯爵様に諭される時が来ようとは、思いも寄りませんでした。
ですが、不肖――このアルッ!! 今はっきりと確信いたしました!! 私は...彼女を愛している、と!!」
「では、あなたが次に取るべき行動はおわかりですね?」
「それはもちろんです!! ですが――」
「...いいえ、そこは心配いりません。なぜなら、あなたが教え導いて来た彼等兵士は、今何をするべきか理解しているはずです。
なにより...彼等が望むのは、恩師であるあなたの幸せでもあるのですから...」
カルアの様に、慈愛に満ちた聖母の表情を顔へ張り付け演技する。
何がしたかったって?
それはね...
ドS心がチクチクしたのですよ!!
「サム!!」
「は、ハイッ!?」
「後を頼む。私は...愛に生きる!!」
アルさんは全力で走り出した。
驚き固まる人間の部下らしき人――サムさん――へ事後処理を押し付けて。
全てはボクの意図するままに、掌の上で。
アルさんは気付いていない。
既に、ボクの傀儡だという事に...
その後、先に避難していた村人達も続々と【イーム村】へ戻りはじめ、皆と村の無事を口々に感謝された。
何人かはボクの性別を何度も確認し、メリッサのお店を出た時のままの格好――メイド服姿――を何故か称賛していた。
「粗末な食事ですが...」
村長さん主催のささやかな夕食会。
大皿からまず一番に取り分けてくれたシビエ料理――鹿肉の香草焼き――。
粗末と言うが、どちらかと言うと質素なイメージ。
それは、この村で1年半もの間過ごしてきた自分が一番理解している。
それに、修練以外で中々外出する事をしなかっただけで、ボク自身この村の料理は熟知していた。
調味料の類を買いに来たり、農具の納品に来ていたからね。
「いえ、心温まる美味しい料理です。ありがとうございます」
食事の給仕をしてくれた人間の女性へお礼を言い、同時に村長さんにも感謝を告げる。
穏和な村長さんはボクの心を読み取ってくれたのか、優しく笑い白眉をひと撫ですると、語り始めた。
「この度は、村の窮地を救っていただきありがとうございました。
寄る年波に勝てぬとは言え、村の長である私が村を離れる事など、本来あってはならない事。
老い先短い私が、です。
ですが、まさかこうしてまたこの場所に戻る事ができるとは....思ってもいませんでした。
それもヴァルカン様のお弟子である、香月伯爵様のおかげ。
やはり、あの方の下へ来られたのは運命だったのでしょう」
想いが溢れたのだろう。
村長さんが目頭を押さえ涙を流す。
それを見てボクも貰い泣きしそうになってしまったのだけれど――そうはならなかった。
「....お父さん...あの...ね?」
妙にしおらしい態度でやって来たエステラさん。
隣に寄り添うのは、もちろんボクが焚き付けたアルさん。
2人のこの言い様のない雰囲気。
それはまさに――
「村長...いや、親父殿! 娘さんを...エステラさんを私にくださらぬか!?」
超弩級の展開に思わず思考が停止する。
つまり、村長さんの娘さんがエステラさんで、アルさんは結婚を申し込んだのか。
しかも――お互いに結婚を了承して、村長さんにその許しを請いに来たの!?
いくらなんでも早くない!?
いや、年齢的には遅いんだろうけど....それにしたって....
「は..ハハハ....」
案の定、村長さんは涙を拭い笑い出した。
周囲で和やかな談笑をしていた村人達も村長さんの笑い声に気付き、ただならぬ雰囲気に圧倒されて口を閉ざし、成り行きを見守っている。
兵士さん達は――うん、見なかった事にしよう。
なんか遠い目をして夕陽を眺めてた。
「..ハハ...ハ....本気か?」
眼光鋭く殺気が放たれる。
あの温厚な村長が、今は百戦錬磨の猛者のごとく大きく見える。
食べ物片手に走り回り、大人から怒られていた子供達が、あまりの恐怖に泣き出し慌てて親御さんが駆け寄っていた。
それほどまでに尋常ではない状況。
これって――いやいや、まさか...ね?
「も、もちろん本気だ!!」
「わ、私も!!」
怖気づ――いてたけど、アルさんとエステラさんは言いきった。
やり遂げた感をボクも感じる。
だけど、違うんだ。
今の村長は....おそらく、ボクが初めてオークキングと対峙したとき並の緊張感を周囲に振り撒いてる。
「....いいだろう...ならば...勝負っ!!」
ゆらりと立ち上がり、酒樽の上へドンッと右肘を突く。
アルさんも無言で頷き、村長へ対面する形で右手を組んだ。
それはまさに腕相撲。
漢と漢の真剣勝負。
方や齢60近い老人と、40代の戦いだ。
勝負なんて一瞬で着く。
誰もが信じて止まないその結果。
だけど――
「「ウォォォォ!!」」
一歩も譲らない両者の雄叫び。
組敷かれた手には血管が浮かび、枯れ木同然だった村長の腕が、いつの間にか筋骨隆々の様相を呈していた。
どこが『老い先短い老人』なのか....
どう見たって現役で通じるだろうに。
ボクは、そんな2人の激戦をただ眺め、無言で料理を食す事で現実逃避する。
村長さんは...やっぱり子煩悩だった。
そうじゃなければ、エステラさんがあの年齢まで独身のはずがない。
いや、簡易の治療所にやって来た時の感じから察すると、勝気や男勝りな性格なのかもしれないけど...
でも、それなら師匠だってどちらかと言うと男勝りだ。
料理だって掃除だって苦手だし、極度の面倒臭がり。
だけど、そこが可愛いところでもあったりして...ボクは好きな訳なんだけど...ゴニョゴニョ
時間にして1~2分が経過した。
膠着状態の2人は微動だにしない。
さすがに村長の年齢を考えてボクが止めた。
本音を言えば、まだまだ平気そうだったけど、急激な過負荷で卒倒なんてされたら後味が悪い。
「お二人とも、少し冷静になってください」
「「ですが!!」」
止めに入ったボクへ、「納得できない」と食い下がる2人。
周囲からも(なんで止めたの?)みたいな不満がひしひしと伝わる。
「どんだけ娯楽に飢えてるの!?」って叫びたかったけど、それはさすがに....
「村長さんは、アルさんを認められないのですか?」
「...いえ、認めては...いるのです...ただ...」
「ただ、なんですか?」
「...私よりも強い男でなければ、愛娘を嫁に出す訳にはいきません」
愛娘って...どれだけ過保護なの?
「えっと...ボクが言うのもなんですけど、アルさんは立派な方だと思います。それは、アルさんが直々に鍛え上げた兵士の方々を見れば一目瞭然だと思うんですけど...」
ちらりと兵士さん達へ視線を移す。
すると、(えっ?)(話し振らないで!?)みたいな感じの困惑顔が。
少しくらいボクの顔を立ててくれてもいいんじゃないかな!?
そんな中、1人の人間の男性が一歩踏み出す。
あの人は――確か、サムさん?
「村長!! 俺は、2人の結婚を祝福したい!!」
サムさんの発言が発破となり、兵士さん一同と村人達が続々と祝辞を贈る。
困難――山火事――を乗り越えた事も要因の1つだったのだろう。
熱気が熱気を呼び、村民の総意の前に、とうとう村長さんが屈服した。
「...わかっ...た」
「「「「おぉぉぉぉ!!!!」」」」
そうして、ささやかな夕食会は大宴会へと姿を変える。
数人の兵士さんが宿舎で秘蔵していた酒樽まで持ち出して。
もちろん、上機嫌のアルさんは怒るなんて事はしない。
ただ一言「次は無いぞ」と笑顔で告げていた。
ボクはこの時、大切な場所を失った悲しみよりも、お世話になった人達が無事だった事が嬉しかった。
正直浮かれていたんだと思う。
だから、あんな事になるなんて思ってもいなかった。




