第二百四十三話 山火事
「...なん...で」
眼下に広がる光景。
それはとても紅く、黒いモノ。
メリッサのお店でキャリーが発した言葉は、真実だった。
『南西部にある、アバーテ騎士爵の領内で、山火事が起きたんだって!』
ボクはアバーテ騎士爵の事を知らない。
だけど、王都の南西部に何があるのか知っている。
だって、この世界へ来てから永い間そこで過ごしてきたのだから。
紅き炎が木々を焼き、濛々と立ちこめる黒い煙。
慣れ親しんだ修練場が、業火に包まれる。
「...なんで!!」
目の前で焼け落ちる大切な場所。
1年以上もの間、帰る場所として存在していたソレが、儚くも消える。
木造の2階建て。
1階にキッチンと食堂。居間続きにお風呂場があり、2階は寝室。
家の隣には工房と踏鞴場が併設され、近くに薪小屋と小さな畑があった。
想い入れが無いなんてありえない。
ボクの手を引き、師匠が初めてここへ連れて来てくれた時、あまりの汚さに呆れもした。
でもそれは師匠が原因で、掃除をしたらあんなにも喜んでくれた。
そして、言ってくれたんだ。
『私の家に来たんだ、これからは家族として扱うからな』って。
その時から、ここはボクの居場所になった。
キツイ修練から戻ってお風呂に入るのも、「美味しい」って褒めてくれる師匠の為に食事を作るのも、ボクの為に武器を揃えてくれた師匠のあの姿も!
そのどれもがボクの大切な想い出で、決して忘れる事のできない情景。
それなのに....どうして無くなってしまうの?
今尚燃え続ける炎が、ボクを嘲笑うかの様に轟々と音を立てる。
《雷化》していなければ、炎熱でボク自身も焼かれていただろう距離。
肌に熱さは感じない。
だけど、ボクの中は――心は、灼熱の炎で焼かれてしまっていた。
「皆の者! 動ける者は負傷者を連れて退避しろ!」
カオルが焼け落ちる我が家を眺めている頃、【イーム村】では迫り来る炎から村民を守ろうと、訓練場隊長のアルが声を張り上げていた。
「隊長! 指定通りに緩衝帯を作りましたが、どこまで効果があるか....」
延焼を防ぐ為になんとかしようと、森の一部を切り崩し緩衝帯を作ったサムと兵士一同。
だが、火の手が思いの他速く、それも無駄になるのは時間の問題。
しかし、ここは慣れ親しんだ地であり、住み慣れた場所でもある。
主産業である小麦も実り、既に収穫も始まっている。
書き入れ時にこの惨事とは、まったく予想だにしていなかった。
「弱音を吐くな!! 我等は誇り高き王国兵士!! まずは王国の宝である、国民の安全を第一に考え行動しろ!!」
全身煤だらけのアル。
部下が山火事の報告をしてから即座に行動を起こし、人海戦術で小川や井戸から水を汲み、バケツリレーのごとく消化活動を開始した。
だが、所詮は焼け石に水。
山向こうから一気に燃え広がり、このままでは【イーム村】が炎に包まれるまで、あと1時間も係らないだろう。
(....どちらにしろ、畑が焼けてしまえば我々はもう....)
黄金色に輝く稲穂畑。
村民の努力の結晶であるそれらが無くなれば、被災者である自分達に生活の糧など残りはしない。
出来たとしてもせいぜい数ヶ月。
王国や領主からの支援はあるだろうが、復興までどれ程の時間と犠牲が出るか....
自然災害とはいえ、自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
女王陛下から任された『王都直轄地』で、まさかこの様な惨事が起きるとは――
「サム。もしもの時は、後を頼む」
全ての責任を取る覚悟を決め、アルは部下のサムへそう告げた。
一方のサムは、意味がわからない。
普段理不尽――全身鉄鎧で全力疾走――な事を言うアルだが、サムにとっては尊敬できる上司であり、信頼もしていた。
農家の三男坊として産まれた自分を兵士として取り立て重用してくれた恩もあるし、何より相手が誰であっても公平な立場で変わらず接してくれる善人でもある。
そんなアルが、今なんと言った?
「...隊長。止めて下さいよ」
真っ直ぐにアルを見詰め、サムは言う。
いや、サムだけではない。
消火活動に従事した兵士一同、並びに、死力を尽くしていた全ての村民達が、アルを見た。
成り行きを見守るつもりはない。
なぜなら、彼等彼女等の瞳には、強い意思が宿っているのだから。
「お前達....」
アルに反論など出来なかった。
これまで十分に――十分過ぎる程にがんばってくれた。
年老いた者から、女子供まで。
先に避難を開始させてから何時間もの間。
必死にこの村を守ろうと努力してくれた。
それでも「自分も出来る事があります」と、従軍経験の無い農民達まで手を貸して。
そんな者達の前で、自分はなんと矮小な事を言っているのか。
アルはこの時、既に諦めていた事を理解した。
(まったく...私は何を考えていたのか....)
頬を伝うのは涙ではなく、汗だ。
自分にそう言い聞かせ、アルは笑う。
頭がおかしくなった訳でも、焦燥感に駆られた訳でもない。
ただ、単純に嬉しかった。
この場に居る誰もが、まだ諦めていない現実に。
ならば、自分が出来る事を――最善を尽くさないでどうする!!
自分の心に活を入れ、アルは再起する。
「皆、心配をかけた! 今の言葉は忘れてくれ! 大丈夫だ! 我々の村を皆の手で必ず守り――」
アルがご高説を始めたまさにその時、異変が起きた。
濛々と上がる黒煙が姿を消し、時期外れの雹や雪が舞い散り、辺り一面真っ赤な灼熱の光景が、氷原へと姿を変えたのである。
(い、いったいなにが!?)
パキリと音を立てて割れ落ちる炎の残滓。
先ほどまで煙で見渡す事のできなかった山の斜面すら、今ははっきりと見る事ができる。
そして、急激な温度変化で震える身体。
痛いほど知覚した。
これは夢や幻ではなく現実である、と。
「お、おい....アレって....」
兵士の1人、ギーが犬耳と尻尾を逆立て指をさす。
そこには小さな人影が、ゆっくりとした足取りで山へと続く村道を【イーム村】へ向かって歩いてくる。
即ち、茫然とするアル達の下へ。
散々泣いた。
泣いた側から涙が気化され消えて、それを忌々しく思った。
大切な場所を失くし、心に穴が開いた様にも感じた。
でも――気付いた。
『形あるもの、いつかは壊れる』
それは師匠の言葉。
ボクがオークキングとの戦闘で壊してしまった長剣。
あの時、師匠が優しく教えてくれた。
言葉の意味は理解できる。
だけど――やっぱり納得はできない。
この家を離れて半年。
辛くて苦しい事も沢山経験した。
でも、それ以上に幸せな時間を過ごした。
大事な家族にも出会えたし、みんなと住める場所も手に入れた。
本当に――幸運に恵まれたんだと思う。
だけど...ね。
それでもやっぱり....ボクは...師匠と過ごした、ここが大好きだった。
延焼を続け、既に家の形は見る影もない。
炭化した大切な場所の前で、ただ一言「ありがとう」と感謝を告げる。
それが、ボクに出来る唯一の葬送だと思ったから。
「巻き起こりしは風の渦!」
空の彼方へ移動して、紡ぎ出すのは魔法の詠唱。
「舞い下がりしは竜巻!」
それは風竜が与えた魔法の言葉。
「《シュトゥルム》」
そうして発動させた膨大な魔力を込めた暴風は、対流圏から地表へと向かい、1柱の巨大な竜巻を描き出す。
本来の性能であれば舞い上がる《シュトゥルム》も、上下反転させた事により上流から下流へと流れる渦を作り出した。
その結果、対流圏のマイナス70度という低温の風が地表へ流れ、天変地異――燃え盛る大地も木々達も、業火までもを凍らせる。
なぜこの手段なのか?
それは、膨大な量の水を撒けば水蒸気爆発を起こし大惨事となるから。
そもそもボクに水属性の魔法は使えない。
では、土魔法で砂を撒けば良いのではないか?
それも、粉塵爆発を誘発するだけで結果は同じ。
せめて延焼範囲がもっと少なければ、巨大なドームを土魔法で造り出し、酸素の供給を絶って消火できたかもしれない。
だから、現状ボクが取れる手段としては最適だったと言える。
雪景色――ではなく、氷原を前にしてもボクの心は晴れなかった。
忌々しい炎は消えた。
氷越しに見える山肌は、炭化し焦げた為に黒一色。
パキパキと氷の割れる音が周囲から聞こえ、太陽の光を反射した雪が不気味な雰囲気を醸し出す。
そんな中を、ボクは歩いていた。
目的地は【イーム村】。
上空から見た感じでは、あそこまで火の手は迫っていなかった。
だけど、もしかしたら負傷者が居るかもしれない。
お世話になったあの人達に、せめて何かできないかと思ったから。




