第二百三十三話 怪我を負ったフェリス
離宮に封印されたリッチを文字通り《浄化》した後、ボクは疲労からか倒れてしまった。
久々の脱力感に、身体がいう事を利いてくれない。
気絶しなかっただけマシというものだろうか?
「そうだ。ねぇルル?」
《覚醒》を使いボクと同化していたルルは、ボクを心配して甲斐甲斐しくお世話をしてくれている。
リッチとの戦闘後に倒れたボクに肩を貸してくれたり、夕食の介助までしてくれた。
エリーシャ女王様やティル王女は、何に感動したのかわからないけど物凄いはしゃぎ様で、ブレンダさんとフェイさんが疲れてぐったりしたほど。
エメ王女はどうやら怖かったみたいで、必死にボクにしがみ付いて離してくれない。
ボクが動けない事を良い事に、膝の上に座って背中に手を回して縋り付いてた。
本当に....アイナみたいな子だ。
今は王城にあるボクに宛がわれた部屋で、ルルや――なぜかエリーシャ女王様達が一緒だ。
ベットに横たわるボクに対して、エリーシャ女王様とフェイさん。それとブレンダさんは、備え付けのテーブルを囲み紅茶を飲んで寛ぐ。
ティル王女はルルと敵対しているのか、親の敵でも見るような目でルルの事を凝視していた。
「なんでしょうか?」
「えっと、これからはボクの事をマスターって呼んでくれる?」
「わかりました。ルルだけがそう呼べるのですね」
「うん」
「そ、それは、私だけが主様と呼べるという事でしょうか!?」
何を勘違いしているのかわからないけど、なぜかティル王女はとても嬉しそうだ。
エメ王女はボクの隣で添い寝をしているし.....というか、本気で寝てる?
「違います。ティル王女が中々ボクの呼び方を改めてくださらないので、間違えないようにと思っただけです」
「そ、そんな事を言って――あ、主様は照れ屋なんですから♪」
なんとなくだけど、理解した。
ティル王女は『残念美人』予備軍なんだ。
公務をしている姿なんて一度も見かけた事もないし、護衛のフェイさんと一緒に魔鳥に乗って自由気ままに遊び周っていたんだもんね。
はぁ.....本当に将来エリーシャ女王様の後を継いで、女王に即位する気があるのだろうか?
これなら、エメ王女の方が――って、どっちもどっちか。
エメ王女はほとんど話してくれないし、ずっと王城に篭って本ばかり読んでるもんね。
【カムーン王国】の未来は大丈夫なのだろうか?
そんなくだらない事を思案していると、廊下が騒がしくなりドタドタと足音が聞こえてきた。
やがて、ボクに宛がわれた部屋の前でその音が止む。
誰か来たのかな?なんて思うまでもなく扉が叩かれ、返事を待たずに扉が開いた。
やって来たのは――ドワーフらしいガッシリとした体格に、鋼鉄製の板金鎧を纏った男性。
手には重量武器である、両手斧を持っており、まさかのアドルファス伯爵だった。
「香月伯爵!!無事か!!!」
室内へ入るや否やベットに横たわるボクの前までやって来て、驚く程の大声で叫ばれる。
何の事かわからずにボクが呆気に取られていると、フェイさんがボソリと呟いた。
「アドルファス伯爵は、カオルさんの事を聞いて心配してくだっさったのですよ」
そういえば、先日の手合わせの一件以来ボクの為に貴族連中相手に奔走してくれたんだっけ。
ボクは【エルヴィント帝国】の貴族で、【カムーン王国】でも名誉男爵の爵位を得ているけど、所詮は他国民だもんね。
待遇に関して色々不満を言ってくる貴族はどこにでもいるものだ。
それを抑えてくれたのが他ならぬアドルファス伯爵。
もちろん、エリーシャ女王様や剣聖のブレンダさんとフェイさんも力を貸してくれたみたいだけど....
それならお礼の1つも言うべきだよね。
「えっと、アドルファス伯爵。この度は、ボクの為に尽力していただいたそうでありがとうございました。
その....こんな格好ですみません」
「いいや、謝罪をするのであれば私の方こそ申し訳なかった。
香月伯爵の事を子供と侮り、あのような態度を取ってしまったのだからな。
それに、こんな格好とは言うたが、それは名誉の負傷だろう?
なにせ、アンデットの最上級種であるリッチと戦い五体満足でいられるなどと....
やはり香月伯爵は強いのだな!!勝負に負けた私が言うのもなんだが――あのパンチは中々利いたぞ?」
そう言って豪快に笑うアドルファス伯爵。
なんというか、180度態度が変わり過ぎじゃないかね?
本当に、まるでアゥストリみたいな人だ。
「いえ、驕りがあった為に不覚にも負傷というか、消耗してしまいましたが、ボクにも得る物がありましたので....」
そうだ。
ボクは、リッチとの戦闘で手を抜いたというか、新しい事に挑戦したんだ。
その結果がこんな不甲斐なくも倒れる結果になってしまったけれど、おかげで沢山の物を得る事ができた。
《回復魔法》のその先。
《聖治癒》を覚える事に成功した。
これがあればおそらくだけど――エルフの霊薬『エリクシール』と同じ効果を発揮する事ができるはず。
即ち、欠損した手や支脚。
失われた肉体の部位を元通りにできるはずなんだ。
「そうか....いや、さすがは香月伯爵だな。その若さで自分というものを良く理解している。
不躾....違うな。
1つ我が侭を言っても良いだろうか?」
アドルファス伯爵は急に佇まいを改めてボクと向かい合う。
真っ直ぐでいて真剣な目に射抜かれて、ボクはルルに手伝って貰い慌てて上体を起こした。
「なんでしょうか?」
「うむ.....できれば、私と友人に成ってはくれぬだろうか?」
差し出される右手。
ドワーフ特有のゴツゴツとした岩の様なその手は、拒絶される事を恐れているのか小刻みに震えていた。
「.....こんなボクでよければ」
嬉しかった。
こんな大柄で厳格なアドルファス伯爵が、幼子の様に震えながら勇気を出してくれた事が。
年齢だってボクと2回りは違うだろうに、敬意を持ってボクと接してくれる。
出会いこそあんな形であったけれど、この出会いには感謝しなければいけない。
だって、影ながらボクの為に奔走してくれたんだもの。
好意には好意で応えるべきだ。
なにより――ボクと同じ男性だしね。
固く交わした握手。
アドルファス伯爵は安堵の表情を浮かべ、相貌を崩して笑った。
ボクもそれに応える様に笑い掛け、温かい空気が辺りを包む。
突然の出来事で呆気に取られていたエリーシャ女王様一同も、その光景を和やかに見詰めていた。
やがてお互いの手が離れると、エリーシャ女王様がアドルファス伯爵に声を掛け、その存在に気付かなかったのか大慌てで謝罪を繰り返す。
お堅いイメージのあったアドルファス伯爵だけど、身を縮ませて小さくなる姿はとても可愛らしいもので、その場に居たみんなが朗らかな笑みを浮かべていた。
翌朝、体調も回復したボクは【ソーレトルーナの街】へ帰るルルを見送り、エメ王女と2人で朝の散歩と称して離宮を訪れた。
昨日の戦闘が嘘の様に静まり返ったその場所は、庭園から漂う草花の香りが充満するのどかな場所である。
戦闘後は日も落ちた事もあって離宮内へ踏み入る事がなかったからか、開け放たれた玄関前には4人の衛兵が周囲を警戒していた。
「おはようございます」
「こ、これは香月伯爵様とエメ王女様!!」
「お、おはようございます!!」
ボクとエメ王女の登場に驚いて、姿勢正しく敬礼で答える衛兵。
離宮内へ入室の許可をお願いして、エメ王女と手を繋いで入ってみた。
外観が真っ白な西洋建築の離宮は、室内もとても豪華に造られている。
玄関ホールはとても広く、天井から垂れ下がった金製のシャンデリアがボク達を迎えた。
正面には左右に分かれる階段が設置されていて、どこかの洋館を思い浮かべる。
造りがしっかりしているから、所々補修すればすぐにでも使え――なさそうだった。
「.....埃っぽいね?」
「(コクン)」
少し歩くだけで埃が舞う。
それだけじゃなく、地面に敷かれたおそらく真っ赤であったであろう絨毯が擦り切れていて、歩く度に足をとられる。
それでも室内を探索し、ある程度の部屋割りは把握する事ができた。
1階は玄関ホールの奥に食堂。
その隣にはキッチンがあり、5口の釜戸が設置されている。
使用人の部屋であったのか簡素な作りの手狭な部屋がいくつか並び、1階はそれで終わり。
2階は主寝室に談話室。来客用の客間が3つに演奏室まで存在していた。
1階の廊下の奥に地下室の入り口を見つけて入ってみたけど、階段を降りた先にもう一枚の堅牢な扉に行く手を阻まれた。
「これ.....」
そこで見つけた。
離宮を封印していた物と同じ様な、拳大の大きさの魔宝石を。
「エメ王女。絶対にボクから離れないでね?」
「(コクン)」
浅慮だとは思うけど、どうにも中が気になる。
何かあればエメ王女を抱えて逃げ出す準備を整え、《魔装 騎士》で戦闘準備もしておいた。
ゆっくりと手を伸ばし、扉に埋め込まれた魔宝石に手を伸ばす。
《ライト》の明かりを近づけて凝視すると、どうやら封印は封印だけど魔物や何かを封じ込めている訳ではなく、ただこの扉の開閉する為の鍵の様な物だった。
「この魔術文字.....もしかして.....」
ボソッと呟く。
ボクはこの魔術文字の術式を、よく知っている。
だって、これは――
「封じられし扉よ。閉ざされし門よ。我を受け入れ封印を解かせ『メイス』」
《開門》の呪文を唱えると、魔宝石だけではなく扉全体が淡く輝き、次の瞬間にはガチャリと開いた。
辺りに充満するカビや埃臭さが....この扉の先からは感じない。
色々おかしい。
まず、どうして古代魔法の《開門》でこの扉が封印されていたのか?
確かに帝国に比べて歴史の古い王国だから長い年月を掛けて受け続けられて来た魔法などもあるだろう。
それでも、異常だ。
それに、この空気。
扉の先から感じるこれは、外の庭園とまったく同じ物ではないだろうか?
エメ王女と繋いだ手に力を込める。
ボクの意を察したエメ王女は、先ほどよりもボクの近くに寄り添い、空いた手でボクの服の袖をギュッと掴んだ。
「....行こう」
意を決して扉を潜る。
そこは、本当に不思議な空間だった。
ダンジョンを想像させる、天井から漏れ出る光源。
壁一面にはツル科の植物が巻き付き、地面は誰かに手入れでもされているかのごとく美しい芝が生い茂っている。
そして20畳ほどの広さのそこには、ポツンと中央に大きな姿見が置かれていた。
金製の枠は細かな細工が施され、見るからに価値の高い物だとわかる。
背面までもが金製で造形されており、鏡面は曇り1つ存在しない磨かれた物だった。
「鏡....だけ?」
「(コクン)」
エメ王女と2人で周囲をもう一度くまなく調べるが、この部屋には鏡以外に何も存在していない。
手入れをされていそうな芝生を屈んで見るけど、葉先が刈られた形跡も無く、元々こういう種類の芝なのだろう。
なによりも、この部屋。
居るだけでとても心が落ち着き癒されると言うかなんと言うか.....
安心できる、まさに聖域と呼べるような空間だ。
「なんだか拍子抜けだね?」
「.....カオル.....鏡に.....」
警戒し過ぎていたボクがクスリと笑うと、エメ王女は驚いて鏡を指差した。
なんだろう?と鏡に視線を移して、驚愕する。
そこには、エメ王女と手を繋ぐ――白髪に赤い宝石の瞳を宿した、色白な少女が映っていた。
「なに....これ......」
ボクが驚いた表情をすれば、鏡の中の少女も驚いた顔をする。
鏡に手を伸ばせば、少女も鏡に触れてボクと左右反転して同じ事を行う。
間違いなく鏡に映った少女は――ボクだ。
「ど、どういう事!?なんでボクがこんな白い――」
そこで思い出した。
この鏡の中の少女に、ボクは会った事がある。
それはこの世界に来る前。
家で寝ていたボクは、何者かによって首を絞められて殺された。
その時の『白い手』が、まさにこれだ。
それに.....『egoの黒書』の中で見たあの子.....
この少女じゃないか!!!
「なに....これ....なんなの.......わかんない.......わかんないよッ!!」
「カオル!!」
頭の中が混乱し、その場に蹲るボクの事をエメ王女が優しく抱き留めてくれる。
ボクの頭に両手を回して、「大丈夫」と安心させてくれた。
それからしばらくして、ボクとエメ王女を探しに来たティル王女とフェイさんに連れられて、王城に宛てがわれた部屋へと戻ってきた。
学校には行く気になれなかった。
だから休んだんだけど.....そんなボクへエリーシャ女王様が古ぼけた1冊の本を手渡した。
表紙や背表紙が革製の革装本。
長年使われてきたのか、所々が擦り切れているにも拘らず、何度も補修された後がみえる。
とても大事にされてきた物なのだろう。
王家の紋章が表紙に描かれている事から察するに、王家に代々受け継がれてきた物だと思う。
「カオ――香月伯爵。その本を読んで下さい」
「.....はい」
あの少女の姿が衝撃的過ぎて、ボクの頭の中は混乱している。
吐き気が治まらずに嗚咽を漏らしていたからか、エリーシャ女王様を始め、ティル王女やエメ王女。
ブレンダさんやフェイさんもとても心配してくれた。
視線をエリーシャ女王様から本へと落とす。
深く深呼吸をしながら本を開き読み進めていると、ボクは益々混乱した。
本の内容は、とある鏡についてのものだった。
王国暦26年。
時の第2代カムーン国王キャリントン・ア・カムーンは、王国消滅の危機に瀕していた。
相対する相手は人ではなく魔族。
周辺国家も、突如として侵攻してきた魔族達を相手になすすべなもなく滅ぼされ、ついにはカムーン王国へも魔の手が伸びた。
当時のカムーン王国には人口も20万人程しか存在していなく、戦える者は限られた。
それでも2年もの間猛攻を防ぎきり、どうにか生き延びてきたがついにその牙城が崩れる事件が起きる。
それは、魔族達の中に魔王と呼ばれる存在が出現した為だ。
一国家を単独で滅ぼしたその魔王――名をロドスと言う。
ロドスは悪魔族と言われる一族であったそうだが、詳しい事はわからなかった。
しかし、ロドスの力は絶大で、一度手を振れば地面が裂け業火を撒き散らす程の力を持っていた。
ロドスの存在に恐怖した国々は、ロドスを魔王と認定し、その名に恐れ慄いた。
そして、カムーン王国がロドスの手でいよいよ崩壊寸前まで追い込まれた時――神が降臨した。
本にはこう書かれている。
ロドスの魔手がキャリントンの胸を貫くまさにその時、天より閃光が奔り暗雲が2つに引き裂かれた。
そして、神々しいばかりの輝きを纏い、1人の――女性神が御身を晒す。
息絶える寸前に兵士達が見たその光景は、まるで絵画の一部の様で、見る者全ての心を歓喜させた。
神はおっしゃった。
「この争いは不毛です」と。
それを聞いたロドスは激怒し、キャリントンを投げ捨て、恐れ多くも神に刃向かう。
だが、神は悲しげな表情で首を振り、迫り来るロドスの右手を掴み取り、その存在を光の粒へと変化させて消し去った。
キャリントンや兵士達は勝利の雄叫びを上げるが、神は涙を流して1枚の鏡を残し姿を消した。
その場に居た者達の脳内にはある言葉が――
「その鏡は『真実の鏡』。来たるべき時の為、あなた達に託します」
それ以後、キャリントンは『真実の鏡』を国宝と定め、代々王家が管理してきたのだが....
ボクが本を読み終えてパタンと閉じる。
すると、エリーシャ女王様が言葉を紡いだ。
「リッチの一件でずっと離宮の地下室に封印されたままだったあの鏡も、香月伯爵のおかげで取り戻す事ができました。
ですが、あの鏡の本来の役割を私達は知りません。
香月伯爵のその姿が、鏡に映すと違って見えるという意味も、私達には理解できないことです。
ただ....これだけはわかってください。
香月伯爵――いいえ、カオルちゃん?私達は、カオルちゃんが何者であろうと、良き隣人として傍に居るつもりです。
だから.....そんなに悲しい顔をしないで.....」
エリーシャ女王様はそう言い、椅子に座るボクへ近づいて抱き締めてくれた。
ティル王女とエメ王女もボクの手を握り、壊れ物でも扱う様に優しく力を込めてくる。
ボクが何者なのか。
あの少女はいったいなんなのか。
今のボクには何もわからない。
それに、この本に書かれている女性神は、もしかしたら女神ウェヌスの事ではないだろうか?
もしそうだとしたら....以前言われた『使命』と、今回の『来たるべき時』という言葉には何か関係があるのだろうか?
情報が足りない。
だけど、あの姿――鏡に映ったボクは、紛れもなくあの時の少女だ。
これから先何が起こるかわからないけど、用心だけはしておかなければいけない。
だって、ボクは1人じゃないんだから。
ブレンダさんとフェイさんも「何があってもボクに協力する」と言ってくれて、ボクはみんなに感謝を伝えた。
『真実の鏡』に映ったボクの姿の事は、エリーシャ女王様が緘口令敷いて厳命する事になる。
とは言ったものの、この事を知るのはエリーシャ女王様・ティル王女・エメ王女・ブレンダさん・フェイさんという、信用できる人達だけなのでそこまで心配はしていない。
それよりも、どうやって師匠達に説明したら良いのか考えなきゃ....
「そうねぇ~....しばらくの間は内緒にしていたら良いと思うわぁ~♪」
「えっ!?で、ですが、師匠達に内緒なんて....ボクにはできないですよ?」
「でもぉ~♪実際に見ないと信じられないわよねぇ~♪」
「それは...そうですけど....」
ついでとばかりにその事も相談していると、普段通りの口調に戻ったエリーシャ女王様が、さも楽しそうに提案してくれる。
だけど、婚約者に大事な事を内緒にするなんて....ボクにはできそうもないんだけど....
「ふむ....女王陛下のおっしゃる通りではないかの?かくいうワシも、実際には見ておらぬからの。今でも半信半疑じゃ」
「....確かにそうですね」
ブレンダさんだけではなく、フェイさんにもそう告げられて、ボクの中でも妙な納得をしてしまった。
それよりも、なんかティル王女が頬を赤く染めているのが不思議でたまらない。
「あ、主様と内緒....2人だけの内緒....」とか訳のわからない事を言ってるし、あのね?
2人だけじゃなくて、ここに居る全員との内緒なんだけど。
「はぁ...それでは、師匠達には不思議な鏡を見つけたとだけ話しておきます。どうせ詳細はわからないんですから、嘘を吐いた事にもならないですし」
「それが良いと思うわぁ~♪」
「そうじゃの」
「ですね」
満足のいく結果だったのか、エリーシャ女王様が笑みを見せてその場はお開きとなった。
まだ時間はお昼過ぎ。
これなら午後からの授業は間に合うし、今日はもしかしたらセシリアの家へお邪魔するかもしれないんだ。
自分の事についてまだ頭は混乱しているけど、どうせこれ以上わからないんだから開き直った方が良いだろう。
なにより、こんな訳が分からない事で疲弊なんてしたくないしね。
離宮の事は、エリーシャ女王様が責任を持って改修すると約束してくれて、ボクは1人騎士学校へ向かう事にした。
たった数日だというのに慣れたもので、制服に着替えて城門を出ると、衛兵の2人が明るく挨拶をしてくれた。
キリっとした佇まい。
敬礼もばっちり決まっていて、凛々しい立ち姿に笑みが零れる。
ボクも会釈を返しならが「ご苦労様です」と挨拶をして、大通りを――いや、今日はルートを変えてみよう。
色々あったし、気分転換をしたい気分だ。
目指す騎士学校があるのは、貴族街と平民街の丁度中間。
それなら少し遠回りをして、王都の東側から散歩気分を満喫しよう。
赤茶けた石畳がどこまでも続き、周囲を見回せば白い外壁の家々が立ち並ぶ。
擦れ違う人達は貴族関係の人達だからか、中々高価な衣服で着飾っていて、見た目からは貴族なのか御用商人なのかわからない。
あえてわかると言うならば、麻や綿の素材を着ている人は貴族家の下男なのかもしれない。
順調に学校へと向かう道すがら、不意に罵声が聞こえてきた。
「いい加減どこか行ってくれ!!いつまでもここに居られると迷惑なんだ!!!」
貴族街には似つかわしくないその声に、ボクは興味を惹かれて周囲を見回した。
やがて、声の主であろう人物と言い争う――というか、一方的に男性が言いたい事だけ言って屋敷へと入って行った。
残された人物は、ボロボロのローブというか端切れを羽織り、緑――と表現するより青丹色のボサボサの髪をしていて薄汚れた格好をしていた。
たぶん、物乞いの類なんだろうけど....ごめん。
その包帯は痛々し過ぎるよ.....
顔半分を隠す様に巻かれた赤黒い包帯。
見える限りでは喉に右腕。
それに、左足にも包帯が巻かれている。
包帯の下がどのような状態なのかわからないけど、包帯の赤黒さから予想するに重傷なのではないだろうか。
気配を隠す事もなくその人物に近づく。
ボクの足音に気が付いたのか、怯えた様子でボクに振り向き、茶色い瞳と目線が合うとビクッと身体を震わせて固まってしまった。
「....こんにちは。少し話しをいいかな?」
警戒を解くように努めて笑顔で話しかける。
その人物は女性の様だけど....たぶん右の乳房と左腕が欠損しているのだと思う。
身体に張り付いているシルエットがかなりおかしい。
「あ.....ぅ......」
漏れ出た声で理解した。
彼女は声帯が傷付けられて、言葉を発する事ができないんだ。
安心させてあげたいけれど、「怪しい者ではないよ」なんて言うとさらに怪しいよね。
とりあえず自己紹介をさせてもらおう。
一方的にだけど。
「ボクの名前はカオルって言うんだ。ごめんね?話し声が聞こえて来たから何事かと思って....
よかったら、少しボクに付き合ってくれないかな?
そうだね....ごはんを一緒に....なんてどうかな?
もちろん、突然やって来てこんな事を言うボクの事を警戒するのは当然だと思う。
だけど、実はボクお昼ごはんがまだなんだ。だから....少しだけでもどう?」
自分で言っていてなんだけど、怪しい人だ。
ボクなら絶対に着いて行かない。
だけど他に言い様がなかったし、どうしたら良いかもわからない。
本当は昼食食べたばかりだけど....少しくらいなら入るかな?
彼女は少し悩んだ後、ボクに目で頷いて答えた。
なんで食事に誘ったのかわからない。
だけど放って置くことなんてできなかった。
たぶん....自己満足なんだと思う。
怪我をした彼女に、ボクは手を差し伸べたかったんだ。
彼女の同意も得られたので、近くの食堂を探して店内へ。
だけど、彼女の姿を見た店主のおじさんが、申し訳なさそうにボクに耳打ちをした。
「嬢ちゃん。すまねぇが、あの子も一緒なら遠慮してくれねぇか?
うちも客商売でよ。その....ああいう子が居ると、揉め事とか起きちまうんだよ」
昼食時は過ぎていたが、店内にはそこそこの人数が食事をしていた。
店主のおじさんの言う通り、チラチラこちらを見やりながらコソコソと内緒話しをしている。
離れていて声も聞きとれないけど、言いたい事はわかった。
一様に「帰れ」と言っているのだろう。
「そうですか。わかりました。お邪魔してすみませんでした」
「い、いや。こっちこそすまねぇな....」
彼女を連れて店を出る。
形容しがたい気持ちに、つい拳を強く握ってしまった。
身形で――人を差別するのか。
これが一般常識なんだろう。
だけど、ボクは嫌いだ。
怪我をしている人に対して手を差し伸べないなんて、ボクには絶対できない。
「....ごめんね。どうも席がいっぱいだったみたい。あそこの露店で何か買ってどこかで食べようか♪」
「.....ぅ.....」
ボクの嘘は、ばれてるよね。
だけど、こうでもしないと叫んでしまいそうなんだ。
こんな不条理を、ボクには受け入れられない。
彼女に近くの木陰で待っていてもらい、ボクは屋台を何件か周って食べ物を集めてきた。
とても豪華とは言えない食事だけど、彼女は片目で涙を流し、嗚咽を漏らして食べてくれた。
痛々しい姿を直視できない。
彼女はなぜこれほどの怪我をしているのだろうか?
学校へ行くつもりだったけど、ボクは彼女の事が気になってしまっている。
せめて話す事ができれば――
「えっと、筆談とかできる?」
「....?」
ボクの提案に、彼女は食事の手を止めて首を傾げた。
流れ落ちる涙をそっと拭い、笑みを浮かべて地面へ移す。
そして、落ちていた木の枝で地面に文字を書き、それを彼女に見せた。
『ボクはカオル。君の名前は?』
この世界で使われる標準的な言語。
古代語や文字。
各部族で使われる特殊言語も覚えてはいるけど、ボクが今まで出会った人はみんなこの標準文字を使っていた。
ボクから木の枝を受け取り、ソーセージを挟んだパンを口に咥えて彼女は文字を書いた。
『私はフェリス。ごはんありがとう。とってもおいしい』
よかった。
筆談なら言葉を交わす事ができる。
そにしてもフェリスかぁ....
英語とかスペイン語で『幸せな』って意味だっけ。
『素敵な名前だね』
『ありがとう』
名前を褒めると、初めて笑顔を見せてくれた。
笑うと可愛い女性だ。
なんて言うのか....エルミアみたい?
『あのね。聞きにくいんだけど、フェリスはどうしてそんな大怪我を負っているの?』
初対面で聞くには失礼だけど、どうしても聞いてみたかった。
抉れたような傷跡。
生半可な事ではけして付かない傷だ。
「あ.....ぅ」
やっぱり失礼だったかも。
それか、トラウマを思い出させてしまったのか。
フェリスはボクの質問に対して声を漏らし、目を瞑って拒絶の意思をみせた。
「ご、ごめんね....失礼だよね....だけど、気になったんだ。その傷は、鋭い刃物で斬られたものじゃない。
たぶんだけど....魔物や魔獣に......食い千切られたんじゃないかな....」
フェリスはボクの言葉を聞いて深呼吸をする。
そして意を決したのか、地面に文字を書き綴った。
『カオルさんの言う通りです。この傷は、アルヴァシュタイン公国から逃げ出す時に沢山のハーピーに襲われて負ったものです。
私は、命からがらカムーン王国まで逃げ延びたけど、同行していた家族は――』
そこで手が止まった。
フェリスの肩が....身体が小刻みに震えている。
やっぱり....思い出させてしまった。
ボクが興味本位でフェリスの事を傷付けてしまったんだ。
「ありがとうフェリス。話してくれて、嬉しい」
ボクは、震えるフェリスを抱き締めた。
傷に触らないように優しくそっと。
震えが静まるまで、木陰で2人抱き合っていた。
しばらくして――怪我人を抱き締めていたからか、周囲の好奇な視線が物凄かった。
憲兵さんが何事かとこちらに何度も来ていたし、ボクが女性用の制服を着ていなかったらやばかったかもしれない。
なにせ、衆人監視の下、怪我人とはいえ女性に抱き付いているんだもん。
ようやくフェリスの震えも止まった頃に、身体を離して顔を見上げる。
ボクよりは10cmは身長の高いフェリスは、首を擡げる程度で視線が合った。
茶色い瞳が潤んでいる。
涙を拭って微笑み掛けて、「着いて来て」とだけ呟いた。
フェリスの手を引いて連れて行く先はメリッサのお店。
この近くで人の目を避けられる場所なんて、ボクにはそこしかない。
それに、フェリスの怪我の原因は、アルバシュタイン公国の戦争なんだ。
それなら、ボクがフェリスに何かしてあげるのは当然の事だろう。
乗りかかった船って言うしね。
レンガ作りの建物が立ち並ぶ平民街を抜けて、ようやく目的地に辿り着く。
少し早歩きだったのか、フェリスの呼吸が荒くなっていた。
慌てて謝罪すると、フェリスは笑って『大丈夫』と口を動かした。
安心して扉を開き店内へ。
来客を告げる鈴の音が店内に響き渡り、奥の作業場から元気良くメリッサがやって来た。
「いらっしゃ――ってなにさね?カオルは今、授業中のはずさね?もしかして.....」
物凄く怖い顔で睨まれた。
ボクが学校をサボった事に、メリッサは怒っている。
だけど、今はフェリスの事なんだ。
だから許して欲しい。
「...メリッサ。何も言わずにちょっと奥を貸してくれないかな?とても大事な事なんだ」
危機迫る物言いのボクに、メリッサは目を丸くして驚き、続いて入ってきたフェリスに視線を移して溜息を吐いた。
どういう関係なのか?
何をするのか?
メリッサは色々問い詰めたかったと思うけど、それでも頭を掻きながら渋々承諾してくれた。
感謝を告げてカウンターに座るメリッサを通り過ぎる。
フェリスも黙ってボクの後に続き、作業場を抜けてキッチンへ。
2人分の椅子があるけれど、椅子には座らずにフェリスに話しかけた。
「フェリス。驚かずに聞いて欲しい。ボクは今から回復魔法を使う。
ボクは聖騎士教会に所属する治癒術師だ。
それも、とても高位の治癒術師で、『黒巫女』なんて呼ばれる事もある。
もしかして聞いた事があるかもしれないけど.....ボクの本名はカオル。香月カオルって言うんだ」
「っ!?」
その反応。
フェリスはボクの事を知っていたのか。
それなら話しが早い。
「その....いやらしい意味じゃなくて、その服と包帯を脱いで身体を見せてくれる?
傷の確認をしないと、回復魔法が使えないんだ」
驚愕としていたフェリスは、コクコクと頷いて服を脱ぎ始めた。
右手だけで器用に脱ぐその姿。
思った通り左腕は欠損していて、肘から先が存在していない。
そして固まった血で赤黒く変色していた包帯は、皮膚に張り付いていて中々外すことができない。
ボクも手伝いなんとか露にされたフェリスの裸体に、ボクは悔しさが込み上げてきた。
身体中に刻まれた引っ掻き傷。
傷跡は抉れていて、左目から頭部に至るまで生々しい爪跡を残している。
そして――右房には噛み切られた後が。
左足にも点在している。
なにより....傷口が膿んでいて、蛆が沸いていた。
「....痛かったよね」
同情の言葉が胸から溢れ、口を吐いて出た。
「....悔しかったよね」
家族を失って。
「....辛かったよね」
たった1人で生き延びて。
「だけど、ボクはフェリスに出会えてよかった」
ボクと同じ境遇だからだろうか。
フェリスの気持ちが、ボクにはよくわかる。
両親を殺されたボクは、フェリスと同じ天蓋孤独の身――だった。
だけど、ボクは最愛の家族に出会い、幸せを手にする事ができた。
両親を失った悔しさや、無念な気持ちは拭えないけど、新しい幸せや希望をボクは手に入れた。
だから――
「フェリス。君が望むなら、ボクが幸せを与えてあげる」
両手を翳し、魔法を発動させた。
淡い緑色の光から、純白の閃光へと変化する。
ボクらを包む優しい風が、徐々に強風へと勢力を強めた。
行うのは回復魔法。
それも、聖魔法に分類される《聖治癒》。
昨日リッチとの戦闘で覚えたこの魔法を、まさかこんなにも早く使う事になるなんて...
だけど、使えるようになってよかった。
もしかしたら、これも誰かの導きなのかもしれない。
光輝くボクとフェリス。
フェリスは口を開いて呻き声を上げると、みるみるうちに傷が修復し、欠損部分も再建された。
腕が生えると言うよりも、新しい腕が現れると言った感じ。
見る間にフェリスの怪我が治り、光の収束と共に元の静かな室内へと戻っていた。
向かい合う2人。
フェリスは静かに両目を開き、ボクと見詰め合って泣いて笑った。
「....初めまして。フェリス」
「かお....る....さん!!」
子供の様に咽び泣いて、ボクに抱き付くフェリス。
押し付けられた胸に息苦しさを感じながら、ボクはフェリスの頭を何度も撫でた。
よかった。
無事に成功した。
これで....フェリスは.....
ボクも釣られて涙を流す。
だけど.....ここは......
「ゴホン!!それで、カオル?わたしゃヴァルになんて言えばいいさね?」
忘れてた!?
ここって、メリッサのお店だ!!
「ち、違うよ!!これは浮気とかそういうのじゃなくてね!!そ、そう!!ひ、人助けというかフェリスの為と言うかね!!」
「言い訳なんて男らしくないさね。だいたい裸の異性と抱き合ってて、弁解なんてできないさね」
そうだった!!
治療したばかりだから、フェリスは全裸だった!!
その後、なおもボクの事を叱責するメリッサに、弁解と言うか弁明しながらアイテム箱を引っ掻き回して、どうにかフェリスが着れそうな服を探し出して渡した。
赤い布地のメイド服しかなかったけれど、どうやらフィリスはメイドとして良家に仕えていたらしく「またこれを着れるなんて♪」と喜んでいた。
下着は今は無いからボクの代えでなんとかしてもらい、王城に帰ったら用意しなきゃ。
ブラジャーなんて持ってないし。
「それにしても....」
メリッサが着替え終えたフェリスを見ながら再び溜息を吐く。
佇む姿からわかるように、フェリスはとても良くできたメイドなのかもしれない。
「随分と美人さね」
そう。
メリッサの言う通り、フェリスは美人さんだ。
両耳が欠損していてわからなかったけど、フェリスの種族は人間で、青丹色の長い髪に茶色い瞳がとても良く似合う。
胸もカルアに及ばないものの、師匠よりは大きいと思う。
女性らしい淑女というのが言い得ている。
「そ、そうでしょうか?」
「いや、メリッサの言う通り、フェリスは美人さんだね」
「そんな...」
赤面してウットリとした表情を浮かべるフェリス。
なんというか....ドS心が疼く。
あの整った顔を歪ませて、トロ顔にさせたい。
そんな事を思うボクは、『残念男子』とでも言うのだろうか?
「それでね、フェリス?よかったらボクの――当家で仕えてみないかな?」
「それは、カオルさんの....香月伯爵様の下で。でしょうか?」
「やっぱり知っていたんだね」
「はい。エルヴィント帝国で発行された印刷物を、こちらに来て読んだ事があります」
むぅ....ここでもアーシェラ様のせいで、ボクの存在が広まってしまっているのか....
まぁいいんだけど....そういえば、出店のおじさんとかはボクの黒髪を見てもなんとも言ってこなかったなぁ....
何か理由があるんだろうか?
「そっか。それで、どうかな?しばらくの間というか、今から3ヶ月の間は騎士学校へ留学するからこっちの家でだけど、その後はボクの領地で働いて欲しいんだ」
「....よろしいのでしょうか?私は、過分にも多大なるお慈悲をいただいています。
この上さらに香月伯爵様にご迷惑をお掛けするのは――」
「違うよ」
謙るフェリスの言葉を、ボクは遮った。
「....違うというのは、どういう意味でしょうか?」
「貴族として言うのならば、『持つ者は持たざる者にそれを与えよ』なんて言うかもしれないけど、そうじゃないんだ。
ボクがフェリスを助けたのは、ただの自己満足。
そうしたかったからそうしただけ。
だから、フェリスがボクに罪悪感を感じる必要なんてないんだよ?」
ノブレスオブリージュの精神なんて、子供のボクにはわからない。
ボクがあの領地に子供達を集めたのだって、全てボク自身の自己満足だ。
優越感を得たかったからなんて言わないけど、ボクには耐えられなかった。
ただ、それだけなんだ。
「香月伯爵様....」
「カオル...様。でいいよ。それで、どうかな?ボクの提案を、フェリスは受け入れてくれる?」
さすがに呼び捨てにさせる訳にもいかず、カオル様呼びに改めてもらおう。
うちで働く事になるなら、メイドのイルゼ達と同じ様に、ご主人様なりご当主様でもいいんだけどね。
「....まったく、フェリスだったね」
「は、はい!?」
「カオルはこういう子さね。諦めてカオルの下で働くといいさね」
なんだか、メリッサはボクに対して酷くないかな?
よりにもよって『こういう子』って...
まぁ、否定はしないけど。
「.....わかりました。カオル様。どうか末永くよろしくお願いします」
「うん♪こちらこそ、よろしくね♪」
上手く話しも纏まり、こうしてフェリスがボクの下へ来る事になった。
師匠達になんて説明すればいいのかわからないけど、別に愛人とか愛妾にする訳じゃないから別にいいよね?
というか、忘れていたけどセシリアの事もあるし学校に行かなきゃ....
その前に、散らかしちゃったからここも掃除しないとなぁ....
フェリスの事どうしよう....
 




