第二百十六話 行方
夢を見た。
懐かしいあの家で、お父様とお母様は笑いながらお菓子を作っていた。
「カオル?今日はな、マドレーヌを作るみたいだぞ?」
「本当!?」
「そうよ♪カオルちゃんもお手伝いがんばるのよ♪」
「うん!!ボクがんばるよお母様!!」
「良い返事だ!!よ~し、お父さんもがんばって手伝うぞぉ~!!」
「あなたはジッとしていてください。また小麦粉をひっくり返されたら、掃除が大変ですからね」
「そ、そんなことは.....しないぞ?」
「いいえ。忘れたフリをしてもだめです。ね~?カオルちゃん♪」
「あはは♪お父様がお母様に怒られてる♪」
「ぐぅ.....」
手際よくお母様がボールに割り入れた卵を泡だて器で掻き混ぜる。
リビングにシャカシャカと小気味良い泡だて器の音が鳴り響き、砂糖やハチミツ・レモンの皮と塩を投入していた。
そうだ....
うちのマドレーヌには、レモンの皮をすり入れてたんだっけ。
美味しいんだよね。
お母様のマドレーヌ。
作ってくれる料理はなんでも美味しかったけど、やっぱりお菓子が一番美味しかった。
お父様も仕事で疲れて帰って来ると、ごはん前なのについお菓子を摘み食いしてお母様に怒られてたっけ。
「カオルちゃんが真似するからやめてください!!」って。
いつもはあまり怒らないお母様が、声を荒げていたのを覚えてる。
それで、お父様が言うんだ。
「怒った君も可愛いよ」って。
本当に仲が良かったんだと思う。
お母様も怒ってたはずなのに頬を染めて、お父様にしな垂れ掛かって甘えて。
ボクは、そんなお父様とお母様の関係が羨ましかった。
いつかボクも、愛する人を見付けて.....なんて想像したりして。
「それじゃぁ...カオルちゃんは、そこの小麦粉とベーキングパウダーをこのボールに入れてくれるかしら?」
「うん!!お父様みたいに、零さないように気を付けるね!!」
「お、おいおい....カオル?お父さんは別に零してなんていないぞ?」
「あら~?『零す』じゃなくて、『全部引っくり返す』って言えばいいのかしら~?」
「あはは♪お父様、顔真っ青だ♪」
「ぐぅ.....」
お母様に言われた通り、ボールの中に粉物を投入していく。
中心から外側にゆっくりと円を描きながら掻き混ぜられる材料達。
混ぜすぎない様に注意しながら、最後に混ぜながら溶かしバターを加えれば生地の完成。
あの頃は、本当に楽しかった。
お父様も忙しいのにボクの為に時間を作ってくれて、お母様もボクの為にって仕事を辞めて専業主婦に成ってくれて。
学校から帰ると、ずっと一緒に居てくれた。
それで、笑って抱き締めてくれるんだ。
「今日もがんばったね」って。
「明日もがんばろうね」って。
抱き締められると温かくて、それだけで元気が出た。
うぅん。
元気を分けてくれたんだと思う。
いじめられていたボクの事を、本当に心配してくれていたんだ。
「カオルちゃん?型にバターは塗り終わったかしら?」
「うん!!」
「それじゃぁ、型に生地を流し入れるわね」
貝殻の形に凹んだ型に、お母様が慎重に生地を流し込む。
お父様は「美味しそうだな」って、唾を飲み込みながら話していた。
美味しいんだ。
お母様のマドレーヌ。
どこにも売っていない、世界でたった1つの焼き菓子。
有名なお店で買ってきた物も美味しかったけど、ボクはやっぱりお母様の手作りの方が好きだった。
食べると甘くて心がポカポカするんだ。
たぶん、実感してたんだと思う。
お父様と、お母様の愛を。
ボクに対する愛情を。
世界で1人だけの我が子に対して注がれる、無上の愛を。
「あとは焼き上がるまでお話でもしましょうか♪」
「うん!!」
「よーし、やっとお父さんの出番だな!!」
「今日は、どんなお話をしてくれるの?」
「そうだなぁ....」
お父様は色んな話をしてくれた。
お母様と初めて会った時の話しとか。
初めての旅行でお財布を落とした失敗談とか。
海外旅行に行こうとして、パスポートの期限が切れていた話しとか。
お母様は相槌を打ちながら、「本当に大変だったのよ?」って、たまにお父様を叱ったり。
でも、すっごく仲が良いんだって、ボクにもわかるくらいベタベタしてた。
それで、ボクを間に挟んでキスをするんだ。
小さい声で「愛してる」って囁いて、最後にボクの頬にもキスしてくれる。
嬉しかった。
愛されるんだって実感できて。
いつまでも一緒だって思った。
それが、あんなゴミ達に奪われた。
ボクの幸せな時間を。
ボクの掛け替えの無い家族を。
世界に、たった2人だけのお父様とお母様を。
なんで、殺されなければならなかったんだろう。
なんで、気付かなかったんだろう。
なんで、ボクがこんな仕打ちを受けなければいけないんだろう。
絶対に許さない。
あの『濁った目』だけは、絶対に許さない。
ボクの愛する人達に危害を加えるゴミは、この世界から消してやる。
ゴミに人権なんて存在しない。
生きる価値の無いものだ。
この世界の....うぅん。
愛する人を、家族を、二度と手放したりするもんか。
何にだって抗ってみせる。
たとえ相手が世界だろうと、たとえ相手が神だろうと。
ボクは、家族の為に戦ってみせる。
そのために強くなろう。
風竜を取り戻す力を。
家族を守れる力を。
何者にも負けない心の強さを。
ボクは学びに行こう。
離れるのは寂しいけど、いつだって会えるんだ。
ここに居ればみんなは大丈夫。
その為の力はある。
だから.....
待ってて....
白い空間に1人の男性が佇んでいた。
目の前には、青く輝く水晶球。
そこに映し出されているのは、ベットに横たわり涙を流す1人の美少女。
「そうか......」
男性は呟いた。
その声は沈んでいて、表情には落胆が垣間見える。
男性にはこうなる事が予想できていた。
いや、わかっていた。
ロキがあの方々の下へと向かった時から。
全てを理解していた。
「やはり.....始まるのか.....」
男性の名前は、大天使ミカエル。
崇高な神々に仕える従者であり、神の成れの果てとなったロキの上司であった。
「はぁ.....なんとお伝えすれば良いものか....」
ミカエルは溜息を吐き、思案を巡らせる。
突然消息を絶ったロキ。
彼女が考えている事など、ミカエルには手に取るようにわかる。
ずっと見続けていた。
ロキが、愛する者を失ってからずっと。
生きる事に疲れ、神でいる事に疲れ、世界に、自分に失望してからずっと。
長い長い年月だった。
堕天した神々との戦争。
ミカエルは 全知全能の神『ゼウス』の命にて三千大千世界を巡り戦闘をし続けていた。
相手は元神である。
仕えていた主人達を、ミカエルは神気を使い屠った。
正直辛かった。
堕天した神々は、自らが創造した子供達の為に蜂起したのだ。
それを、心善き神々と共に武を持って倒さなければいけない。
なんと因果な世界だろうか。
完全な悪は自分達の方ではないか。
しかし、そんな事をミカエルが口にする事などできない。
もしそんな事をすれば、今度は自分に心善き神々の矛先が向けられるだろう。
涙を流す事すらできずに、ミカエルは来る日も来る日も戦いに明け暮れた。
そんな時、ロキに出会った。
ロキの顔には、絶望が浮かんでいた。
全てに落胆し、忌み嫌い、泣いていた。
男勝りな女性神が、ミカエルには子供に思えた。
そして、ロキがあの方々のご子息に興味を持った。
良い傾向だ。
このまま、神としての使命に目覚めてくれればとミカエルは期待していた。
それがどうだ。
ロキは職務を放棄し、姿を眩ませてしまった。
理由はわかる。
自分の姿とカオル様の姿を重ね合わせたのだろう。
ならば、今後の行動も予想できる。
「.....行くか」
ミカエルは水晶球を閉じると、踵を返して立ち去る。
その背には12枚の光輝く翼が生えていた。
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