第二百十一話 核心
香月伯爵とヘルマン子爵の決闘が、3日後となった日の午後。
円形闘技場の周りでは、帝国が胴元と成り賭け札の販売が開始され、帝都中から多くの人が集まっていた。
しかし、当のカオルは呑気であった。
メイドのフランチェスカとアイナの作った美味しい昼食を終え、29人の生徒に混じり、アナスタシアの縫製の授業を聞いている。
教室の後ろにはヴァルカンとエルミアが控えていて、眼光鋭くカオルが浮気しない様に見張っていた。
なんという信用の無さだろうか。
仕方が無いのかもしれない。
なぜなら、教師も生徒も、カオルが好きになってしまったのだから。
「それでは、今日は今までの授業のおさらいをします。まず、服を作る上で必ず必要になるのが、型紙です。これは、服の設計図だと思って下さい。1つの服を作るのに、前身頃、後ろ身頃、襟、袖など、最低でも4枚の型紙が必要になります」
アナスタシアの授業を一生懸命聞き、メモを取る生徒達。
メモに使っている紙は、生徒達自身が授業で作ったもの。
紙とは言ってるがパピルスだ。
シベラス・パピルスと言われる多年草で、水辺などに太い根を張りすくすくと育つ。
それを、長さを揃えて茎の部分を切って外側の皮を綺麗に剥ぎ落とす。
大体2mmほどの厚さに切り分け、叩いて潰し、ローラーなどで薄くのばして水分を出し平たくする。
あとは数日水に浸し、格子状に並べてプレスしたまましばらく放置。
乾燥したら、表面を少し削って整えれば、パピルス紙の完成だ。
もちろん、初めてのパピルス製作なので、失敗している者が多い。
カオルが用意した、竹ペンや葦ペンでパピルスを破ってしまう事も多いし、またそれが面白かったりする。
アナスタシアの授業はとてもわかりやすい。
実直でいて、わからないところは事細かに説明してくれる。
カオルが、アナスタシアの作った服を気に入った事から始まった2人の関係。
領主と領民であり、主人と家臣。
アナスタシアは将来、カオルの愛人に納まるのだろうか。
2人の行く末も気になるところではあるが、とりあえず、カオルはヴァルカンとエルミアを安心させたらどうだろうか?
殺気とまではいかないが、禍々しいオーラが教室の後ろで蠢いている。
生徒達は気付いている。
気付いていないのはカオルだけ。
なんという鈍感なのだろうか。
ある意味、末恐ろしい。
「アナスタシア先生!質問です!」
悪戯っ子カオルが登場した。
生徒達の視線が集まり、カオルはパチリとウィンクで答える。
それだけで、生徒達は恋する乙女へと変貌し、熱視線をカオルに送った。
なんという王子様。
本当は領主様だが。
「....なんでしょうか?」
授業を妨害して、意地悪な笑みを浮かべるカオルに、アナスタシアは言い得ぬ恐怖を感じている。
その様子を見て、クスリと笑みを零したカオル。
だが、カオルは悪戯をするつもりは無かった。
「服の形を考える人と、実際に服を作る人をなんと呼ぶんですか?」
実に真面目な質問。
アナスタシアはホッと胸を撫で下ろし、カオルにニコリと微笑んだ。
「....とても良い質問ですね。服の形を考える人は、デザイナーと呼びます。そして、実際にそれを形にする人を、パタンナーと呼びます。もちろん、それを1人で同時にする事も可能です。先生は、1人でデザインも縫製も行います」
アナスタシアの説明を聞いて、「キャーキャー」騒ぎ始める生徒達。
「私はデザイナーを目指す♪」やら、「私は服を縫う方が好きだわ♪」などと、自分の意見を言い合い始める。
まだ幼い子供なのだ。
それも、学校などに通った事が無い市井の生まれ。
この世界の教育機関は、騎士学校や魔術学院などの高等教育しか存在しない。
読み書きや計算などは、商家の人間や貴族連中しか受ける事は無い。
それが現実。
買い物なんて、足し算と引き算ができればそれで問題無い。
なにせ、平民が扱う金額は少ないのだから。
「はいはい。みなさん?実際の服作りに携わる人は、とっても多いんですよ?
何も、デザイナーやパタンナーが全てではありません。
服飾という物には、装飾師と呼ばれる飾りを専門に作る人もいますし、靴を専門に扱う靴職人もいます。
将来、服飾の仕事に就きたいという事でしたら、私は知り得る知識を全て教えますからね?」
新任教師のはずなのに、とても先生らしいアナスタシア。
生徒達もアナスタシアをとても慕っており、関係は良好。
幸先の良いスタートを切っていると言えるだろう。
「では、今から実際にデザインをしてもらいましょう。
自分の服でも良いですし、誰か着せたい相手がいるのでしたら、その人をイメージしてデザインしてみてください」
「「「「「はーい」」」」」
一斉にデザインを開始する生徒達。
そして、全員カオルを見ながらデザインを始めた。
間違い無く、カオルの為に服をイメージしている。
アナスタシアにも、わかっていた事だ。
授業を受けながら、チラチラカオルを見ていたんだから。
当然の結果と言える。
「カオル様♪カオル様♪」
「うん?」
「あの.....カオル様の為に、デザインしたんです.....どうでしょうか?」
オドオドした様子でパピルスを見せてくる、1人のホビットの少女。
嬉々とした表情で、1つずつ懸命に「ここのディティールは...」とカオルに説明した。
カオルに、自分を知って欲しい。
小さな少女のなんと健気な姿。
カオルは、少女の頭をを撫でながら耳を傾ける。
そして、なぜか順番に並び始めた生徒達。
その中に12歳のカオルよりも3つ年上のアリエルや、17~18歳の犬耳族・猫耳族・エルフまでもが居た。
「うん♪とっても可愛いワンピースだね♪そうだ♪胸にコサージュなんてどうかな?ワンポイントになって、もっと可愛くなると思うよ?」
「わぁ♪そうですね♪さすがカオル様です♪」
嬉しそうに破顔する少女。
カオルよりも2個も年上のはずなのに、やはりホビットは幼く見える。
ある意味得だ。
「つ、次はあたし!!」
「うん♪見せてくれる?」
「はい!!お願いします!!」
代わる代わるカオルにデザインを見てもらい、品評を始める少女達。
皆笑顔で、至福の時を過ごしたのは言うまでもなく。
そのひたむきな姿に好感を覚える。
あれほど凄惨でいて、不遇な時間を過ごしたはずなのに、今は心から笑えている。
みんな心が強いのだなと、カオルは感心していた。
一方、教室の後ろで見守っていたヴァルカンとエルミアは、カオルとスキンシップの多い少女達を、忌々しげに見詰めていた。
「ヴァルカン....」
「ああ....わかっている.....」
「全員、カオル様に好意を抱いています」
「そうだな」
「殺りますか?」
「いや....その気持ちはよくわかるが、それはまずい。カオルが悲しむからな」
「....では、この怒りをどうすれば良いのでしょうか」
「....涙を飲んで、堪えるしかないだろうな」
「グギギギギ.....」
物凄い形相のエルミア。
まるで、ダンジョンに住まうガーディアンだ。
恐ろしい魔物に成り果ててしまった。
あとでカオルはきちんとフォローをしなければいけない。
自分で望んだ家族達だ。
カオルには、婚約者を幸せにし、安心させる義務がある。
たぶん平気だろう。
カオルは、あの方々の子供なのだから。
そこで、突然映像が途切れた。
おかしい。
水晶球が壊れたのかと思い、何度も叩くが復帰しない。
やばい。
俺の給料なんかじゃ、とても買えない至宝だ。
それに、このままではナレーターの仕事ができなくなる。
もしそうなれば....
俺は.....
また下界に逆戻りだ....
「ゴホンッ!!」
不意に、背後から咳払いが聞こえた。
恐る恐る振り返ると、俺の上司がしかめっ面でジッと見下ろしていた。
背筋にタラリと嫌な汗が流れ落ちる。
間違いない。
俺は怒られる。
わかってはいた。
ついこの間怒られたばかりだというのに、俺は以前と変わらず言いたい放題していたのだ。
だが、わかってほしい。
『ツッコミ』役は必要だと思う。
ボケのカオル達に、ツッコミの俺。
この先、カオルの身には、言葉にも出せない程の壮絶な試練が待っているのだ。
少しでも、喜劇にしたいではないか。
あの方達にも、きっと俺の考えはわかってくれる。
だからこそ、俺は滑稽な道化を演じているのだから。
「.....あのね、君。私が、なんで今日ここに来たか、もちろんわかってるよね?」
とても疲れた顔をしていた。
俺にはわかる。
上司が何を考えているかなんて。
なにせ、俺は『相手の心が読める』のだから。
「...はい。クビですか」
「そうだ。言わなくてもわかるというのは、とても辛い事だ」
唇を真一文字にきつく結び、上司は眉間に皺を寄せた。
心を読まなくても、俺の事を哀れんでくれているのはわかる。
だけど....
「記述者って、どういう事ですか?」
「....そういう事だ」
「俺に直接監視して来いって、あの方達が言われたのですか」
「....そうだ」
「そんなの....今と変わらないじゃないですか!!どういうつもりなんですか!?」
「あの方達は、なぜか君に執心でね。もっと間近で、ご子息の事を観察して欲しいそうだ」
「....また、あんな報告をしますよ?」
「わかってる」
「そんなにあの子が大事なのに....なぜ運命は変えられないんですか!!
あの子は!!あの子は、あんなに善い子なんですよ!!
神なら変えられるでしょう!?
世界の運命1つくらい、簡単に変えられるのが神だ!!
あの世界を造ったのは、他ならぬ神ご自身ではないですか!!」
「私だってわかってる!!だが、あの世界の運命は決まっている事だ!!
誰にも、全能の神ですらも変える事のできない、不変だ!!
君が何を言ったって、まして私から上申したとしても、変わらない事なんだ!!」
「俺には.....理解できません.....」
「理解しなくていい。ただ、与えられた仕事を全うしてくれ」
「.....仕事はします。あの子の傍で、俺は見てきます。だけど、納得はしません」
「それでいい。全ては、全知全能の神『ゼウス』様の御心のままに」
「あの子の両親も、それで納得してるんですね....」
「そうだ。あの子は、死後、この天界の1柱を担う神になる」
「....そして、また世界を造り直すんですか?」
「そうだ」
「あの子が愛した者達が、消えて無くなるんですよ?」
「魂は残る」
「子供達は....子孫は....あの子の周りに居る、心善き人々は!!全ての魂を救えるんですか!?」
「あの子の家族以外はしらん」
「....そうやって、また悲劇を繰り返すんですね」
「....君の過去は聞いている。だが、どうする事もできない。私は、その立場にいない」
「....立場?」
「そうだ。私は神ではない。神に仕えるただの天使。君の様に、神の成れの果てとも違う」
「......」
「君の気持ちを察する事は、私にはできない。
あの方達が君に執心なのは、もしかしたら君の境遇に共感したからかもしれない。どうか、あの方達の期待を裏切らないでほしい」
もう、何も口にする元気がなかった。
ただ、遠い過去の記憶が何度も蘇り、涙が零れ胃から内容物が逆流しそうになる。
嗚咽が漏れる。
心が悲鳴を上げる。
あの人の笑顔が、何度も何度も思い浮かび、最後に、あの人の歪んだ死に顔が、割れた。
「.....頼んだぞ....ロキ....あの子を....カオル様を頼む.....」
それが、俺が見た最後の天界の光景だった。
真っ白で、何も無い、白一色の世界。
ただ、俺の心はひどく疲れていた。
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