第二百八話 優しき幼女
欠けた月夜の晩の、帝都の北西にある貴族街の一画。
子爵家にしては、少し小さな家の中で、3人の人物が一堂に会していた。
1人は当主であるヘルマン・ラ・フィン子爵。
もう1人は、家令であるセレスタン。
最後の1人は、はるばるイシュタル王国からやってきた、第1級冒険者のオダン。
なぜ3人が集まっているのか。
それは、あと4日と迫る香月カオル伯爵と、ヘルマン・ラ・フィン子爵の決闘のため。
オダンは、所謂助太刀だ。
「よく来てくれた!!このヘルマン、心より礼を言おう!!」
人を見下した様な物言いをするヘルマン。
実に不快な人物だ。
「....」
オダンは何も言わない。
ただ、コクンと頷いた。
「お、オダン様は、寡黙な方なのですね.....」
なんとか場を執り成そうと努めるセレスタン。
なけなしの紅茶をそっと差し出し、内職で傷付いた手を見られまいと、慌てて手を後ろに隠した。
「フッフッフッフ....これで、ようやくあの男女のガキに仕返しができるぞ.....」
忌々しげに思う相手は、もちろんカオル。
逆恨みも甚だしい。
「ズズッ.....」
紅茶を啜ったオダンは、舌先を少し火傷した。
もちろんガマンした。
「そ、それでですね。オダン様の宿はいかがなさいますか?別で宿を用意していますし、こちらへお泊りいただいても良いと、ヘルマン様は仰られています」
オダンは答えない。
ただ、首を振ってみせた。
「や、宿の手配はいらないと?」
「......」
頷いて答えるオダン。
話せないのではない。
話したくないのだ。
オチャメなのがばれるから。
「さすがだな!!強き者は、何も言わない!!オダンは、さぞ強いのだろうな!!」
ヘルマンは頭が悪い。
仕方が無い。
そういうキャラだ。
「そ、その通りでございますとも!!なにせ、冒険者の誰もが憧れる、第1級冒険者なのですから!!」
セレスタンの目に、疲労の色が見える。
頑張って内職したのだろう。
実に健気で良い家臣だ。
当主が使えないが。
「......」
オダンは立ち上がると、お辞儀をしてから立ち去った。
一言も発さなかった。
ただ、ヘルマンとセレスタンは理解した。
4日後に、と。
時は少し遡り、茜色に染まる香月伯爵の宮殿内。
土竜が眠りに就き、カオルの身体はまたも無意識な状態へと戻ってしまった。
今は、カオルの私室のベットで、仰向けのまま虚ろな瞳をしている。
傍には、フランチェスカとアイナの姿が。
ヴァルカン達は、新規領民である生徒達に、宿舎の案内や、食事の世話をしている頃。
メイドの2人が今ここに居るのは、ヴァルカン達から日頃のお礼のためだ。
「アイナ?そんなに、ご主人様の頬を突くと、あとで叱られちゃうよ?」
これ幸いとばかりに、横たわるカオルで遊ぶアイナ。
フランチェスカもこっそりカオルの胸に手を当てているあたり、アイナを注意できないと思う。
「お姉ちゃん。ご主人のほっぺ、とっても柔らかいよ?」
「じゃぁ、私も.....」
カオルの意識が無いのをいい事に、大胆な行動をするフランチェスカ。
アイナはカオルの唇を突き始め、コッソリ間接キスを繰り返していた。
そこへ....
「フムフム....君達は、カオル君の婚約者なのかな?」
突然話しかけられた。
慌てて声が聞こえた方へ顔を向けるフランチェスカとアイナの2人。
そこには、中空に漂う緑色の精霊の姿があった。
「おっと、驚かせてごめんね。ボクは風の精霊王シルフ。カオル君の友人だよ」
にこやかに笑うシルフ。
2人は突然の闖入者に驚き、声も出せずにいた。
「フムフム....それで、君達はカオル君の婚約者なんだよね?」
「ひゃ、ひゃい!!そうでしゅ!!」
「アイナは、ご主人のもの」
なんとか言葉を捻り出したフランチェスカに、一目でシルフに慣れたのか、アイナは堂々と答えた。
なんという適応能力だろうか。
やはりアイナはすごい子だ。
「そうかそうか♪とりあえず、カオル君から退いてくれるかな?」
「ひゃい!!」
「....ご主人に、変な事しない?」
カオルを守る様に立ち塞がるアイナ。
シルフは「もちろん♪」と答え、プカプカと浮かんだまま、横たわるカオルの前まで進んだ。
「う~ん....大人の姿のカオル君は、こんな感じに成長するんだねぇ....実に不思議だ。まぁどうでもいいか。おーい、土竜のバーカ。でてこーい」
突然土竜の悪口を言い始めるシルフ。
フランチェスカとアイナは驚愕の表情を浮かべ、ただ見守った。
「むむ....やっぱりダメか。まぁいっか♪さて、2人に協力して欲しい事があるんだけど、いいかな?」
「な、なんでしょうか?」
「なに?」
「実は、カオル君を元に戻す薬が完成したんだけどね。
意識の無い状態だと、飲めないと思うんだ。
そ・こ・で、口移しで飲ませて欲しいんだけど、どうかな?」
なんという魅力的な提案だろうか。
横たわるカオルに、合法的にキスができるのだ。
だが、問題がある。
2人のうち、どちらがやるかという事だ。
「わ、私がやります!!」
「アイナがやる!!」
「アイナ?お姉ちゃんに譲ってくれてもいいんだよ?」
「ダメ!!お姉ちゃんには無理!!」
「む、無理じゃないもん!!」
「恥ずかしがって、薬飲んじゃいそうだもん!!」
「そ、そんなことしないよ!?」
「嘘!!お姉ちゃんは、たまに失敗するもん!!」
「わ、私がいつ失敗したのよ!!」
「5日前に、ご主人に食べて欲しくてミートパイを作った時、焦がしてた」
「な、なんで知ってるのー!?」
「見てたから」
「あ、アイナはあの時、お洗濯してたでしょ!?」
「すぐ終わったもん。人形さん達が手伝ってくれたから」
「ず、ずるいよアイナ!!」
「ずるくない。人形さん達は、ご主人みたいに優しいから、なんでも手伝ってくれるだけだもん」
「むーーー!!」
「むーーー!!」
言い争う2人。
義姉妹は、本物の姉妹の様に仲が良く、頬を膨らませた姿なんて、瓜二つだ。
そんなフランチェスカとアイナを見て、シルフは楽しそうに笑みを零した。
「あはは♪本当にカオル君の周りには、善い人が多いんだね♪
ウンウン♪それじゃ、2人でカオル君に飲ませたらどうだい?はい、これ。
『世界樹の雫』という霊薬だよ♪これしかないから、零さないようにね?」
シルフから小さな小瓶を手渡され、フランチェスカとアイナはお互いの顔を見やった。
そして、共に頷き合い、フランチェスカが最初に小瓶の半分を呷り、カオルの口へと流し込む。
「んっ....」
コクンとカオルの喉が鳴り、続いてアイナが同じ動作をする。
大人のカオルと子供のアイナの口付けは、なんとも言えない微笑ましい光景だった。
「....さて、どうかな?」
シルフは、霊薬の効果に興味津々で見詰める。
やがて、カオルの瞼がゆっくりと閉じられ、何度か瞬きを繰り返すと、カオルの身体が緑色の光に包まれた。
「んん?」
シルフが首を傾げた。
フランチェスカとアイナは心配になり、カオルの近くに顔を寄せる。
すると、カオルの姿が変化し始め、光が収まった頃には、とても小さな幼児の姿へ変化していた。
「あれ?」
シルフの予想していなかった結果。
なぜカオルの姿が変化したのか。
まったく理解できなかった。
「ご主人様?」
「ご主人?」
心配そうな2人の声。
そこへ、ゆっくりとカオルの目が開けられた。
「....ただいま。フラン?アイナ?」
いつものカオルの声....ではなく、もっと高い声だった。
小さく幼い幼児の声。
元々カオルの声は声変わりなどしていない。
それが、今は身体からわかる通りの小さな幼児の声をしていた。
「ご主人様!!!」
「ご主人!!!」
上半身を起こしたカオルに、フランチェスカとアイナは抱き付く。
いつもよりも1回りは小さなカオルの身体は、2人を受け止めるだけで精一杯だった。
「心配掛けてごめんね?」
「いいんです!!ご主人様がこうして無事なら...」
「ご主人。おかえり」
「うん。ただいま♪」
いつもよりも小さな手が、フランチェスカとアイナの頭を優しく撫でる。
今のカオルは5歳くらいだろうか?
本当に小さな幼児の姿だ。
「あはは♪おかえりカオル君♪迷惑掛けちゃったね♪」
「....本当だよ。シルフのせいだからね?」
「わかっているよ♪それにしても、まさか大蛇が呪いの置き土産をしていたなんて、本当に堕落した神はろくな事をしないね」
なぜか楽しそうなシルフ。
そもそも、エルフの里を離れても良いのだろうか?
「まぁ....無事だったからいいけど。ところで、世界樹から離れて大丈夫なの?」
「うん?ああ、世界樹は問題無いよ♪今は、四精霊が揃っているからね♪」
「四精霊って事は....イフリートと、ウンディーネと、ノームだっけ?」
「そうそう♪さすがはカオル君♪なんでも知ってるね♪」
「まぁね....この世界の、原初の知識はあるからね....」
足早に語られる驚愕的な話しに、フランチェスカとアイナは考える事を止めていた。
今はただ、無事だったカオルと抱き合っていたい。
本当に心配をしていた。
また、あの時と同じになってしまうのではと、毎日涙を流していたのだから。
「ところで、カオル君。その姿はどうしたのかな?」
『世界樹の雫』で復活したカオルは、なぜか大人の姿から変身してしまった。
それは、シルフの意図していない事。
不思議がるのも当然だ。
「ん~...たぶん『蜃気楼の丸薬』の効果が、『世界樹の雫』にリセットされたんじゃないかな?ボクにもよくわかんないよ」
「そうなんだ....まぁ、ずっとその姿って訳では無さそうだし、大丈夫だよね....」
「怖い事言わないでよ。ボクは、早く大きくなって、みんなと結婚したいんだから」
抱き付いたままのフランチェスカとアイナを撫でて、カオルは微笑んだ。
その顔はとても優しい笑顔で、シルフも思わず微笑んでしまう。
「あはは♪結婚式には呼んでくれるよね?」
「もちろん♪」
「うんうん♪それじゃ、ボクはそろそろ帰るよ♪」
「わかったよ。シルフ?ありがとうね?」
「それは、ボクの言葉だよ♪カオル君。エルフの里を救ってくれて、本当にありがとう♪」
カオルとシルフはお互いに笑い合い、シルフは音も無く姿を消した。
精霊達と同じ様に、存在が薄れるように。
「....フラン?」
「なんでしょうか?ご主人様?」
「愛してる」
カオルはそう言い、フランチェスカと唇を重ねる。
フランチェスカは涙を流し、口付けを受け入れた。
「アイナ?」
「ご主人!」
「愛してるよ」
「ん!」
フランチェスカと同じ様に、今度はアイナと口付けを交わす。
それは、神聖な口付け。
感謝と、愛を伝えるためのもの。
そして最後に、2人へ「ごめんね」と謝罪をした。
「あの、ご主人様」
「うん?」
「服が....」
「ああ、そうだね。着替えないと.....」
大人の姿で着ていた黒い騎士服は、今の幼児のカオルには着られない。
ジャケットはブカブカだし、ズボンなんて脱げてしまっている。
当然、着替えなければいけないのだが....
「服が....ああ、制服があったかな.....」
アイテム箱を覗き込み、手探りでゴソゴソ探し出すカオル。
初めて見るアイテム箱の中身に、フランチェスカとアイナは興味津々に中を見ていた。
「あ~....だめだ。サイズが大きいのしか....」
諦めかけたその時。
アイナがある物を指差した。
「ご主人!!」
「えっと....これを着ろと?」
「ん!」
「どうしても?」
「ん!!」
「はぁ.....わかったよ.....」
渋々服を取り出すカオル。
それは、たまたま安く売っていて、端切れにしようと思って購入した物。
とても小さく、子供のアイナでも着れない物だが、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。
姿見の前で着付けを始める。
フランチェスカとアイナもカオルの指示で、着付けを手伝ってくれた。
「....どうかな?」
無事に着付けを終えて、2人の前でクルリとターンを決める。
長い袖と黒髪がフワリと靡いた。
すると、フランチェスカとアイナは頬を染め、モジモジとし始めた。
「似合わない?」
「いえ!!とっても良くお似合いです!!」
「ご主人。かわいい」
2人に褒められて、まんざらでもないカオルの表情。
カオルが今着ているのは、晴れ着と言われる振袖だ。
赤い反物に、カラフルな花の絵がいくつも描かれた振袖。
帯は金布でワンポイントの花びらが刺繍されている。
そして腰帯も赤で統一されて、なんとも可愛らしい装いだ。
「ご主人様。何か、髪留めをされてはいかがですか?花の絵柄と合わせた物など、よろしいかもしれません」
「そうだね♪それじゃ....」
アイテム箱から、髪留めやコサージュなどの装飾品を取り出し、ベットの上に並べた。
その中からフランチェスカとアイナのセンスに任せて、カオルは1つの髪留めを選んで貰う。
「...着けてくれる?」
「はい♪」
フランチェスカに髪を結い上げてもらい、最後にアイナが小さな花が3つ付いた髪留めを着けた。
それはピンクのバラ。
花言葉は『しとやか』『上品』『感銘』。
西洋では『grace(しとやか、上品)』『gratitude(感謝)』『happiness(幸福)』。
フランチェスカとアイナのセンスが窺える、とても素晴らしい髪留めだった。
「ありがとう♪フランも、アイナも、センスがあるんだね♪」
「い、いえ....そんなセンスなんて....」
「ん!」
恥ずかしがるフランチェスカに、自慢げなアイナ。
カオルは2人の頭を撫でて、同じ髪留めを2人にプレゼントした。
「エヘヘ♪お揃いだね♪」
幼児....いや、見た目は幼女の微笑み。
2人は、受け取ったピンクのバラの髪留めを大事そうに手で包み込み、カオルの両頬に感謝の口付けをする。
「ありがとうございます。ご主人様、大切にします」
「ご主人。ありがとう」
「どういたしまして♪」
2人は知らない。
そのピンクのバラが、珊瑚で出来ている事を。
カオルが『雷化』の特訓をしている時に、海中から拾って来た事を。
「お腹空いちゃったね?」
「は、はい!!ただいまご用意いたします!!」
「アイナ、がんばる!」
「あはは♪それは楽し...み.....あれ?なんか忘れているような.....」
突然首を傾げるカオル。
懸命に何かを思い出そうとしている。
忘れている事。
ごはん。
ごはんと言えば、ネコ。
ネコと言えば、アブリル。
アブリルと言えば、教皇。
教皇.....
「忘れてた!?エリーシャ女王達の歓迎式典をするって、アーシェラ様が言ってたんだ!?」
ド忘れである。
仕方がないのだ。
カオルは、この3日間意識が無かったのだから。
誰にも責める事はできない。
責められるのはシルフだ。
シルフのせいで、カオルは呪われたのだから。
「そ、それは大変です!!歓迎式典という事は、歓迎晩餐会だと思います!!」
「ご主人。時間」
「そ、そうだね!!い、急いでみんな着替えないと!!」
「わ、私はアブリル様の下へ知らせに行きます。アイナ?ご主人様と、ヴァルカン様達の下へお願い。たぶん、生徒の宿舎に居るはずだから!!」
「ん!」
「あ、ありがとうフラン!!」
「いえ!!早く、お急ぎ下さい!!」
持ち前の有能さを発揮し、慌てるカオルにテキパキと指示するフランチェスカ。
やはり、フランチェスカは有能であった。
伊達にアイナと2人で、帝都にあるカオルの屋敷を切り盛りしていた訳ではない。
「では、準備でき次第、宮殿の正面で集まりましょう!!」
「う、うん!!」
「ん!」
駆け足でカオルの私室を出て行くフランチェスカ。
カオルもアイナと2人でヴァルカン達の下へ急ごうと走り出したところで、カオルは躓いて転んだ。
「ご主人!?」
「うぅ....歩き難いよぉ....」
それは、幼女の身体に慣れていないから。
さらに、袖着を着ているから。
慣れない事をするものではない。
「アイナ!!飛ぶよ!!」
「ん!」
カオルは魔力の帯でアイナを包み込み、自身は『飛翔術』で浮き上がった。
人形達が宮殿内を掃除する中、カオルとアイナは物凄い速さで空を駆け抜け、開いていた窓から生徒の宿舎へと全速力で飛び去った。
やがて、宿舎に辿り着くと、扉を魔力の帯で開いて中へ飛び入る。
そこでは丁度ヴァルカン達が、新旧生徒達にブリーフィングをしている最中であった。
「師匠!!みんな!!」
「は?」
突然やって来た、幼女のカオルに視線が集まる。
長い黒髪にピンクのバラの髪留めを着けて、赤の反物に花の模様が描かれた振袖姿のカオルは、どこに出しても恥ずかしくない可愛らしい幼女だった。
「えっと.....初めましての人も居るよね?
ボクは香月カオル。ここの領主で伯爵です。
今はこんな姿をしていますが、本当はもう少しだけ大きくて....って、今はそんな事どうでもいいよね。
師匠!!カルア!!エリー!!エルミア!!すぐに着替えて!!
エリーシャ女王の晩餐会に行くよ!!」
早口のカオル。
急いでいる事がすぐに伝わるが、ヴァルカン達は違う意味で急いだ。
急いで、カオルに抱き付いた。
「カオルきゅ~ん!!カワユスギルよぉ~!!」
「キャーー!!カオルちゃんなの~!?」
「か、か、カオルーー!!心配したんだからねーー!!」
「か、カオル様!!なんて可愛らしい姿に!!」
感極まってカオルに抱き付き、口付けや一部舐めている婚約者達。
アイナが、抱え上げられたカオルに向かって一生懸命ジャンプしていたのを、呆然とするアナスタシアはしっかり見ていた。
「ワァ!?ちょ、ちょっとみんな!!そんな時間無いんだってばぁ!!」
「カオルきゅ~ん!!クンカクンカ!!」
「も~♪おねぇちゃん、ちゅーしちゃうわぁ♪」
「がおる゛~....じんぱいじだのよぉ~....」
「ペロペロ」
こうなってしまっては止まらない。
カオルの黒髪は涎でベトベトになり、着付けた振袖は乱れていた。
そんな様子を、新旧生徒達はポカンと口を開いて見ており、後でなんと説明するのか迷ってしまう。
「....もう!!時間が無いって言ってるでしょ!!」
完全に怒ったカオル。
魔力の帯を周囲に伸ばして、ヴァルカン達を中空へ持ち上げた。
「な、なんだ!?ちょ、ちょっと待てカオル!!」
「キャー!?なに~!?」
「な、なんなのよぉー!?」
「ペロペ....私は何を....」
正気に戻ったヴァルカン達。
エルミアは、本当にお帰りなさい。
興奮していて肩で大きく息するカオル。
アイナがこっそり背中から抱き付き、顔を擦り付けていた。
マーキングは大切だ。
「はぁはぁ....晩餐会に行くので、着替えて支度をして下さい!!いいですね!!」
カオルの剣幕に気圧されて、ヴァルカン達は頷いた。
その後、地面へと下ろされたヴァルカン達。
急ぎ足で宮殿へと戻り、支度が終わり次第、宮殿前で落ち合う約束をした。
「まったく....野獣なんだから....」
乱れた振袖をアイナと着付けし直して、濡れた髪は『浄化』で清めた。
そして、カオルはクルリと生徒達に挨拶をする。
華麗でいて、優雅にお辞儀をしてみせると、黒髪がフワリと舞い上がり、生徒達は溜息を吐いた。
「改めて、ボクの名前は香月カオル。
みなさんが住む、この場所の領主をしています。
アリエル達は知っていると思うけど、今のこの姿は仮初めのものです。
そこに居るアーニャは....アナスタシアは、みなさんの教師として、縫製の授業を担当してくれています。
わからない事があれば、彼女に聞いても良いですし、ボクや先ほどの人達に聞いてください。
もし、ここに馴染めない人が居たら、遠慮なく言ってください。
どこかはわかりませんが、新しく住む場所を探します。
できれば、誰1人欠ける事なくこの場所で、幸せへの道を歩んでいただけると嬉しいです」
1人1人の顔を見詰め、カオルは微笑みながら語り掛けた。
驚いて口を開く者。
隣の友人とギュッと手を握る者。
感銘を受けて涙を流す者。
一言一句逃がさぬ様に、耳に手を当て必死に聞き入る者。
生徒達はそれぞれの方法で、カオルの言葉を胸に秘めた。
「アーニャ?」
「はい」
「みんなの事をお願いね?それと、アーニャも無理しないで」
「はい。カオル様....」
車椅子に座るアナスタシア。
カオルはゆっくりと近づいて、その手に口付けをした。
小さな幼女が、少女へとキスをする。
その様子に、生徒達は色めき立ち、頬を赤く染めた。
「...何か質問はありますか?」
カオルが問い掛ける。
時間があまり無い事など、カオルはもちろんわかっている。
しかし、生徒達を蔑ろにする訳にはいかない。
カオルは、自己満足の為に彼女達に教育を強いているのだから。
「あの....」
今日連れて来られた猫耳族の女性が、手を上げた。
「なんでしょうか?」
「えっと...今日、私達は黒い服の男性に買われて、ここに来たのですが....
あれは....香月伯爵様なのでしょうか?」
「肉体的にはそうです。ボクは、今のこの姿と、あなたが見た大人の姿。
そして、元々の姿は、アリエル達が知っている12歳の子供の姿です。
ボクは、伯爵と言う立場上、気軽に外出ができませんでした。
そこで、この様に変装しているのです。納得していただけましたか?」
「は、はい!!ご、ご説明、ありがとうございます!!」
「どういたしまして♪他にありませんか?」
再度質問を受け付ける。
すると、またも今日来たばかりのエルフの女性が尋ねた。
「で、では私が....」
「どうぞ♪」
「...ここで、私達は、家事や裁縫や畑の勉強をする事を聞きました。何の為にそんな事をするのですか?」
「良い質問ですね。ボクが、この領地に街を造った理由がまさにそれです。
みなさんには、ここで勉強をしてもらいます。
それは、立派な淑女になり、愛した方と結婚して幸せになって貰うためです。
要するに、花嫁修業をここでしていただきます。
その理由は、ボクは奴隷という文化がとても嫌いです。
嫌悪していると言えます。
ですから、奴隷として蔑まれてしまう立場だったみなさんには、立派な淑女に成長していただき、幸せになって貰わなければいけません。
そして、行く行くは奴隷という文化そのものを無くしたい。
大変な事だという事はわかっています。できないかもしれません。
それでも、ここに居るみなさんだけでも幸せに出来るなら、ボクはこの街を造ってよかったと、そう思います。
みなさんには、とても不快な思いをさせているはずです。
ボクは、自己満足の為に、みなさんに教育を強いています。
嫌ならば嫌と言ってください。誰も咎めたりしません。
新しく住める場所は、ボクが責任を持って用意し――」
「嫌なんて言いません!!だけど.....私達は奴隷で.....もう....幸せなんて無いんだって....そう思ってたから....」
カオルの言葉を遮り、涙を流す生徒達。
カオルも、貰い泣きしながら、生徒に近づき優しく頭を包みこんだ。
「いいんですよ?幸せになっても。誰にも文句なんて言わせません。こう見えてもボクは、英雄なんて呼ばれているんですよ?今は、ちょっと頼りない姿をしていますけどね?」
「でも....私には、奴隷紋が....」
首後ろを擦り、悲しげな表情を浮かべるエルフの女性。
カオルは、ニコッと笑顔を見せた。
「そうですね。他に、奴隷紋を刻まれた方はいますか?」
「わ、私も...」
「あたしも....」
「あの、私達も....」
続々と名乗り出る生徒達。
彼女達は今日来たばかりの者達だ。
奴隷商人が慌てていたのか、彼女達の首後ろには、『σκλάβος(スクラヴォス)』の文字は無く、黒い輪っかだけが刻まれていた。
「では、外へ行きましょうか」
カオルにそう言われ、場所を宿舎の外へと移した。
そして、カオルは1人1人の制服を肌蹴させ、首後ろに手を当てる。
「縛られし現世の魂よ。その印を力を持ちて打ち払え」
紡がれた言葉は、マナと魔力への回路。
それは、奴隷紋を打ち払う力。
魔力で縛られた魂を開放するのだ。
「『アペレフセロスィ』」
その瞬間。
首後ろにある奴隷紋が光り輝き、眩いばかりの閃光が奔った。
閃光は、辺り一面を白一色に染め上げ、目を開けている事すらできない程の光を放つ。
身体の中を何かが駆け巡り、体温が上昇するのを感じた。
やがて、光はゆっくりと収まり、静寂が訪れる。
何が起きたのかわからない状況。
カオルは目を開けて、女性の頬を優しく撫でた。
「終わりましたよ?これで、あなた達は奴隷ではなく、ここの領民です。
そして、この学校の生徒。幸せを掴む為に、一緒にがんばりましょうね?」
慈愛の満ちたカオルの声。
幼い幼女のはずなのに、その言葉には力が感じられた。
いや、力強い意思だ。
幸せになる事を強く願う。
それは、誰もが持てる公平なもの。
カオルは、奴隷としてうちひしがれる彼女達に、当たり前の事を告げただけ。
「う....うぅ.....うわ~ん!!!」
大粒の涙が零れ落ちる。
それは、歓喜の涙。
自分はもう奴隷ではない。
一平民。
そして、ここの領民であり生徒。
なんという優しい人。
カオルに対する懐疑的な気持ちなど、もう微塵もなかった。
信じる事。
それはとても難しく、また辛い事。
裏切られるかもしれない。
捨てられるかもしれない。
それでも、自分はカオルを信じたい。
彼女達の心に、カオルの優しさは届いた。
カオルという存在が、彼女達の心に温かさを齎した。
香月カオルとは、そういう人間。
優しい、優しいお人好し。
「いつまでも泣いていたら、綺麗な顔が台無しですよ?」
ハンカチを取り出し、涙を流す生徒達に手渡していく。
いつの間にか、全ての生徒達が泣いていた。
実に29人。
アナスタシアも受け取り、30枚のハンカチがカオルのアイテム箱から消えていった。
「ご主人!」
「うん?」
「じかん」
「...そうだね。それじゃ行こうか?」
「アイナ、残る」
「行かないの?」
「ん!」
「....わかった。アーニャのお手伝い、お願いね?」
「ん!!」
「もちろん」と言わんばかりに、アイナは胸を反らせた。
アナスタシアは嬉しそうにアイナと手を繋ぎ、カオルを見送る。
そして、生徒達もハンカチを握り締めながら、カオルの姿を胸に焼き付けていた。
「....みんなに言っておく」
カオルが立ち去った後。
突然、アイナが仮面を脱ぎ捨て普通の言葉使いを始めた。
それは女の顔。
若干10歳で、なんという顔をするのだろうか。
「ご主人は、アイナと婚約してる。だから、ご主人を好きになっちゃダメ!!わかった?」
なんという牽制だろうか。
存外に、アイナは釘を刺しているのだ。
これ以上、婚約者も、愛人もいらないと。
だがそこへ、アナスタシアが入った事で、アイナの計画は潰える事となる。
「そうです。カオル様の愛人は、私だけです。絶対に認めません」
「「「「「........」」」」」
生徒達にはわかった。
カオルは貴族である。
何人も妻を娶るのは当然だ。
多くの世継ぎを作らなければならないのだから。
と、いう事は。
愛人ならいけるんじゃないか?
現に、もう1人愛人が居るではないか。
別に愛人くらい何人いても問題無いだろう。
しかも、カオルは魔術師だ。
もし自分の子供が魔力を持って生まれたら、将来は一生安泰だろう。
なにせ、魔術師は希少なのだから。
そういえば、カオルは先ほどこう言っていた。
「幸せを掴む為に、一緒にがんばりましょうね?」と。
それはつまり、カオルを好きになっても問題無いという事ではないか?
ここはアナスタシアの目を欺いて、勉強だけは教えて貰おう。
そして、こっそり影でカオルにアプローチをすればいい。
せめて子種だけでも貰えれば.....
僅か11歳~15歳の少女達と、17歳~18歳の女性達がこんな事を考えていようとは、この時のアナスタシアとアイナには思いも付かなかった。
後にカオルの下へコソコソと生徒達が押し寄せるのだが、それはまた別の話し。
ご意見・ご感想をいただけると嬉しいです。




