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第二百八話 優しき幼女

 欠けた月夜の晩の、帝都の北西にある貴族街の一画。

 子爵家にしては、少し小さな家の中で、3人の人物が一堂に会していた。


 1人は当主であるヘルマン・ラ・フィン子爵。

 もう1人は、家令であるセレスタン。

 最後の1人は、はるばるイシュタル王国からやってきた、第1級冒険者のオダン。

 なぜ3人が集まっているのか。

 それは、あと4日と迫る香月カオル伯爵と、ヘルマン・ラ・フィン子爵の決闘のため。

 オダンは、所謂助太刀だ。

 

「よく来てくれた!!このヘルマン、心より礼を言おう!!」


 人を見下した様な物言いをするヘルマン。

 実に不快な人物だ。


「....」


 オダンは何も言わない。

 ただ、コクンと頷いた。


「お、オダン様は、寡黙な方なのですね.....」


 なんとか場を執り成そうと努めるセレスタン。

 なけなしの紅茶をそっと差し出し、内職で傷付いた手を見られまいと、慌てて手を後ろに隠した。


「フッフッフッフ....これで、ようやくあの男女のガキに仕返しができるぞ.....」


 忌々しげに思う相手は、もちろんカオル。

 逆恨みも甚だしい。


「ズズッ.....」


 紅茶を啜ったオダンは、舌先を少し火傷(やけど)した。

 もちろんガマンした。


「そ、それでですね。オダン様の宿はいかがなさいますか?別で宿を用意していますし、こちらへお泊りいただいても良いと、ヘルマン様は仰られています」


 オダンは答えない。

 ただ、首を振ってみせた。


「や、宿の手配はいらないと?」


「......」

 

 頷いて答えるオダン。

 話せないのではない。

 話したくないのだ。

 オチャメなのがばれるから。


「さすがだな!!強き者は、何も言わない!!オダンは、さぞ強いのだろうな!!」


 ヘルマンは頭が悪い。

 仕方が無い。

 そういうキャラだ。


「そ、その通りでございますとも!!なにせ、冒険者の誰もが憧れる、第1級冒険者なのですから!!」 


 セレスタンの目に、疲労の色が見える。

 頑張って内職したのだろう。

 実に健気で良い家臣だ。

 当主が使えないが。


「......」


 オダンは立ち上がると、お辞儀をしてから立ち去った。

 一言も発さなかった。 

 ただ、ヘルマンとセレスタンは理解した。

 4日後に、と。











 時は少し遡り、茜色に染まる香月伯爵の宮殿内。

 土竜が眠りに就き、カオルの身体はまたも無意識な状態へと戻ってしまった。

 今は、カオルの私室のベットで、仰向けのまま虚ろな瞳をしている。

 傍には、フランチェスカとアイナの姿が。

 ヴァルカン達は、新規領民である生徒達に、宿舎の案内や、食事の世話をしている頃。

 メイドの2人が今ここに居るのは、ヴァルカン達から日頃のお礼のためだ。


「アイナ?そんなに、ご主人様の頬を(つつ)くと、あとで叱られちゃうよ?」


 これ幸いとばかりに、横たわるカオルで遊ぶアイナ。

 フランチェスカもこっそりカオルの胸に手を当てているあたり、アイナを注意できないと思う。


「お姉ちゃん。ご主人のほっぺ、とっても柔らかいよ?」


「じゃぁ、私も.....」

 

 カオルの意識が無いのをいい事に、大胆な行動をするフランチェスカ。

 アイナはカオルの唇を突き始め、コッソリ間接キスを繰り返していた。


 そこへ....


「フムフム....君達は、カオル君の婚約者なのかな?」


 突然話しかけられた。

 慌てて声が聞こえた方へ顔を向けるフランチェスカとアイナの2人。

 そこには、中空に漂う緑色の精霊の姿があった。


「おっと、驚かせてごめんね。ボクは風の精霊王シルフ。カオル君の友人だよ」


 にこやかに笑うシルフ。

 2人は突然の闖入者に驚き、声も出せずにいた。


「フムフム....それで、君達はカオル君の婚約者なんだよね?」


「ひゃ、ひゃい!!そうでしゅ!!」


「アイナは、ご主人のもの」


 なんとか言葉を捻り出したフランチェスカに、一目でシルフに慣れたのか、アイナは堂々と答えた。

 なんという適応能力だろうか。

 やはりアイナはすごい子だ。


「そうかそうか♪とりあえず、カオル君から退いてくれるかな?」


「ひゃい!!」


「....ご主人に、変な事しない?」


 カオルを守る様に立ち塞がるアイナ。

 シルフは「もちろん♪」と答え、プカプカと浮かんだまま、横たわるカオルの前まで進んだ。 


「う~ん....大人の姿のカオル君は、こんな感じに成長するんだねぇ....実に不思議だ。まぁどうでもいいか。おーい、土竜のバーカ。でてこーい」


 突然土竜の悪口を言い始めるシルフ。

 フランチェスカとアイナは驚愕の表情を浮かべ、ただ見守った。


「むむ....やっぱりダメか。まぁいっか♪さて、2人に協力して欲しい事があるんだけど、いいかな?」


「な、なんでしょうか?」


「なに?」


「実は、カオル君を元に戻す薬が完成したんだけどね。

 意識の無い状態だと、飲めないと思うんだ。

 そ・こ・で、口移しで飲ませて欲しいんだけど、どうかな?」


 なんという魅力的な提案だろうか。

 横たわるカオルに、合法的にキスができるのだ。

 だが、問題がある。

 2人のうち、どちらがやるかという事だ。


「わ、私がやります!!」


「アイナがやる!!」


「アイナ?お姉ちゃんに譲ってくれてもいいんだよ?」


「ダメ!!お姉ちゃんには無理!!」


「む、無理じゃないもん!!」


「恥ずかしがって、薬飲んじゃいそうだもん!!」


「そ、そんなことしないよ!?」


「嘘!!お姉ちゃんは、たまに失敗するもん!!」


「わ、私がいつ失敗したのよ!!」


「5日前に、ご主人に食べて欲しくてミートパイを作った時、焦がしてた」


「な、なんで知ってるのー!?」


「見てたから」


「あ、アイナはあの時、お洗濯してたでしょ!?」


「すぐ終わったもん。人形さん達が手伝ってくれたから」


「ず、ずるいよアイナ!!」


「ずるくない。人形さん達は、ご主人みたいに優しいから、なんでも手伝ってくれるだけだもん」


「むーーー!!」


「むーーー!!」


 言い争う2人。

 義姉妹は、本物の姉妹の様に仲が良く、頬を膨らませた姿なんて、瓜二つだ。


 そんなフランチェスカとアイナを見て、シルフは楽しそうに笑みを零した。


「あはは♪本当にカオル君の周りには、善い人が多いんだね♪

 ウンウン♪それじゃ、2人でカオル君に飲ませたらどうだい?はい、これ。

 『世界樹の雫』という霊薬だよ♪これしかないから、零さないようにね?」


 シルフから小さな小瓶を手渡され、フランチェスカとアイナはお互いの顔を見やった。

 そして、共に頷き合い、フランチェスカが最初に小瓶の半分を呷り、カオルの口へと流し込む。

 

「んっ....」


 コクンとカオルの喉が鳴り、続いてアイナが同じ動作をする。

 大人のカオルと子供のアイナの口付けは、なんとも言えない微笑ましい光景だった。


「....さて、どうかな?」


 シルフは、霊薬の効果に興味津々で見詰める。

 やがて、カオルの瞼がゆっくりと閉じられ、何度か瞬きを繰り返すと、カオルの身体が緑色の光に包まれた。


「んん?」


 シルフが首を傾げた。

 フランチェスカとアイナは心配になり、カオルの近くに顔を寄せる。

 すると、カオルの姿が変化し始め、光が収まった頃には、とても小さな幼児の姿へ変化していた。


「あれ?」


 シルフの予想していなかった結果。

 なぜカオルの姿が変化したのか。

 まったく理解できなかった。


「ご主人様?」


「ご主人?」


 心配そうな2人の声。

 そこへ、ゆっくりとカオルの目が開けられた。


「....ただいま。フラン?アイナ?」


 いつものカオルの声....ではなく、もっと高い声だった。

 小さく幼い幼児の声。

 元々カオルの声は声変わりなどしていない。

 それが、今は身体からわかる通りの小さな幼児の声をしていた。


「ご主人様!!!」


「ご主人!!!」


 上半身を起こしたカオルに、フランチェスカとアイナは抱き付く。

 いつもよりも1回りは小さなカオルの身体は、2人を受け止めるだけで精一杯だった。


「心配掛けてごめんね?」


「いいんです!!ご主人様がこうして無事なら...」


「ご主人。おかえり」


「うん。ただいま♪」


 いつもよりも小さな手が、フランチェスカとアイナの頭を優しく撫でる。

 今のカオルは5歳くらいだろうか?

 本当に小さな幼児の姿だ。


「あはは♪おかえりカオル君♪迷惑掛けちゃったね♪」


「....本当だよ。シルフのせいだからね?」


「わかっているよ♪それにしても、まさか大蛇(ラハム)が呪いの置き土産をしていたなんて、本当に堕落した神はろくな事をしないね」


 なぜか楽しそうなシルフ。

 そもそも、エルフの里を離れても良いのだろうか?


「まぁ....無事だったからいいけど。ところで、世界樹から離れて大丈夫なの?」


「うん?ああ、世界樹は問題無いよ♪今は、四精霊が揃っているからね♪」


「四精霊って事は....イフリートと、ウンディーネと、ノームだっけ?」


「そうそう♪さすがはカオル君♪なんでも知ってるね♪」


「まぁね....この世界の、原初の知識はあるからね....」


 足早に語られる驚愕的な話しに、フランチェスカとアイナは考える事を止めていた。

 今はただ、無事だったカオルと抱き合っていたい。

 本当に心配をしていた。

 また、あの時と同じになってしまうのではと、毎日涙を流していたのだから。


「ところで、カオル君。その姿はどうしたのかな?」


 『世界樹の雫』で復活したカオルは、なぜか大人の姿から変身してしまった。

 それは、シルフの意図していない事。

 不思議がるのも当然だ。


「ん~...たぶん『蜃気楼(シムラクルム)の丸薬』の効果が、『世界樹の雫』にリセットされたんじゃないかな?ボクにもよくわかんないよ」


「そうなんだ....まぁ、ずっとその姿って訳では無さそうだし、大丈夫だよね....」


「怖い事言わないでよ。ボクは、早く大きくなって、みんなと結婚したいんだから」


 抱き付いたままのフランチェスカとアイナを撫でて、カオルは微笑んだ。

 その顔はとても優しい笑顔で、シルフも思わず微笑んでしまう。


「あはは♪結婚式には呼んでくれるよね?」


「もちろん♪」


「うんうん♪それじゃ、ボクはそろそろ帰るよ♪」


「わかったよ。シルフ?ありがとうね?」


「それは、ボクの言葉だよ♪カオル君。エルフの里を救ってくれて、本当にありがとう♪」


 カオルとシルフはお互いに笑い合い、シルフは音も無く姿を消した。

 精霊達と同じ様に、存在が薄れるように。


「....フラン?」


「なんでしょうか?ご主人様?」


「愛してる」


 カオルはそう言い、フランチェスカと唇を重ねる。

 フランチェスカは涙を流し、口付けを受け入れた。


「アイナ?」


「ご主人!」


「愛してるよ」


「ん!」


 フランチェスカと同じ様に、今度はアイナと口付けを交わす。

 それは、神聖な口付け。

 感謝と、愛を伝えるためのもの。

 そして最後に、2人へ「ごめんね」と謝罪をした。


「あの、ご主人様」


「うん?」


「服が....」


「ああ、そうだね。着替えないと.....」


 大人の姿で着ていた黒い騎士服は、今の幼児のカオルには着られない。

 ジャケットはブカブカだし、ズボンなんて脱げてしまっている。

 当然、着替えなければいけないのだが....


「服が....ああ、制服があったかな.....」


 アイテム箱を覗き込み、手探りでゴソゴソ探し出すカオル。

 初めて見るアイテム箱の中身に、フランチェスカとアイナは興味津々に中を見ていた。


「あ~....だめだ。サイズが大きいのしか....」


 諦めかけたその時。

 アイナがある物を指差した。


「ご主人!!」


「えっと....これを着ろと?」


「ん!」


「どうしても?」


「ん!!」


「はぁ.....わかったよ.....」


 渋々服を取り出すカオル。

 それは、たまたま安く売っていて、端切れにしようと思って購入した物。

 とても小さく、子供のアイナでも着れない物だが、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。


 姿見の前で着付けを始める。

 フランチェスカとアイナもカオルの指示で、着付けを手伝ってくれた。


「....どうかな?」


 無事に着付けを終えて、2人の前でクルリとターンを決める。

 長い袖と黒髪がフワリと靡いた。

 すると、フランチェスカとアイナは頬を染め、モジモジとし始めた。


「似合わない?」


「いえ!!とっても良くお似合いです!!」


「ご主人。かわいい」


 2人に褒められて、まんざらでもないカオルの表情。

 カオルが今着ているのは、晴れ着と言われる振袖だ。


 赤い反物に、カラフルな花の絵がいくつも描かれた振袖。

 帯は金布でワンポイントの花びらが刺繍されている。

 そして腰帯も赤で統一されて、なんとも可愛らしい装いだ。


「ご主人様。何か、髪留めをされてはいかがですか?花の絵柄と合わせた物など、よろしいかもしれません」


「そうだね♪それじゃ....」


 アイテム箱から、髪留めやコサージュなどの装飾品を取り出し、ベットの上に並べた。

 その中からフランチェスカとアイナのセンスに任せて、カオルは1つの髪留めを選んで貰う。


「...着けてくれる?」


「はい♪」


 フランチェスカに髪を結い上げてもらい、最後にアイナが小さな花が3つ付いた髪留めを着けた。

 

 それはピンクのバラ。

 花言葉は『しとやか』『上品』『感銘』。

 西洋では『grace(しとやか、上品)』『gratitude(感謝)』『happiness(幸福)』。


 フランチェスカとアイナのセンスが窺える、とても素晴らしい髪留めだった。


「ありがとう♪フランも、アイナも、センスがあるんだね♪」


「い、いえ....そんなセンスなんて....」


「ん!」


 恥ずかしがるフランチェスカに、自慢げなアイナ。

 カオルは2人の頭を撫でて、同じ髪留めを2人にプレゼントした。


「エヘヘ♪お揃いだね♪」


 幼児....いや、見た目は幼女の微笑み。

 2人は、受け取ったピンクのバラの髪留めを大事そうに手で包み込み、カオルの両頬に感謝の口付けをする。


「ありがとうございます。ご主人様、大切にします」


「ご主人。ありがとう」


「どういたしまして♪」


 2人は知らない。

 そのピンクのバラが、珊瑚(さんご)で出来ている事を。

 カオルが『雷化』の特訓をしている時に、海中から拾って来た事を。


「お腹空いちゃったね?」


「は、はい!!ただいまご用意いたします!!」


「アイナ、がんばる!」


「あはは♪それは楽し...み.....あれ?なんか忘れているような.....」


 突然首を傾げるカオル。

 懸命に何かを思い出そうとしている。 


 忘れている事。

 ごはん。

 ごはんと言えば、ネコ。

 ネコと言えば、アブリル。

 アブリルと言えば、教皇。

 教皇.....


「忘れてた!?エリーシャ女王達の歓迎式典をするって、アーシェラ様が言ってたんだ!?」


 ド忘れである。

 仕方がないのだ。

 カオルは、この3日間意識が無かったのだから。

 誰にも責める事はできない。

 責められるのはシルフだ。

 シルフのせいで、カオルは呪われたのだから。


「そ、それは大変です!!歓迎式典という事は、歓迎晩餐会だと思います!!」


「ご主人。時間」


「そ、そうだね!!い、急いでみんな着替えないと!!」


「わ、私はアブリル様の下へ知らせに行きます。アイナ?ご主人様と、ヴァルカン様達の下へお願い。たぶん、生徒の宿舎に居るはずだから!!」


「ん!」


「あ、ありがとうフラン!!」


「いえ!!早く、お急ぎ下さい!!」


 持ち前の有能さを発揮し、慌てるカオルにテキパキと指示するフランチェスカ。

 やはり、フランチェスカは有能であった。

 伊達にアイナと2人で、帝都にあるカオルの屋敷を切り盛りしていた訳ではない。


「では、準備でき次第、宮殿の正面で集まりましょう!!」


「う、うん!!」


「ん!」


 駆け足でカオルの私室を出て行くフランチェスカ。

 カオルもアイナと2人でヴァルカン達の下へ急ごうと走り出したところで、カオルは躓いて転んだ。


「ご主人!?」


「うぅ....歩き難いよぉ....」


 それは、幼女の身体に慣れていないから。

 さらに、袖着を着ているから。

 慣れない事をするものではない。


「アイナ!!飛ぶよ!!」


「ん!」


 カオルは魔力の帯でアイナを包み込み、自身は『飛翔術』で浮き上がった。

 人形達が宮殿内を掃除する中、カオルとアイナは物凄い速さで空を駆け抜け、開いていた窓から生徒の宿舎へと全速力で飛び去った。


 やがて、宿舎に辿り着くと、扉を魔力の帯で開いて中へ飛び入る。

 そこでは丁度ヴァルカン達が、新旧生徒達にブリーフィングをしている最中であった。


「師匠!!みんな!!」

 

「は?」


 突然やって来た、幼女のカオルに視線が集まる。

 長い黒髪にピンクのバラの髪留めを着けて、赤の反物に花の模様が描かれた振袖姿のカオルは、どこに出しても恥ずかしくない可愛らしい幼女だった。


「えっと.....初めましての人も居るよね?

 ボクは香月カオル。ここの領主で伯爵です。

 今はこんな姿をしていますが、本当はもう少しだけ大きくて....って、今はそんな事どうでもいいよね。

 師匠!!カルア!!エリー!!エルミア!!すぐに着替えて!!

 エリーシャ女王の晩餐会に行くよ!!」


 早口のカオル。

 急いでいる事がすぐに伝わるが、ヴァルカン達は違う意味で急いだ。

 急いで、カオルに抱き付いた。


「カオルきゅ~ん!!カワユスギルよぉ~!!」


「キャーー!!カオルちゃんなの~!?」


「か、か、カオルーー!!心配したんだからねーー!!」


「か、カオル様!!なんて可愛らしい姿に!!」


 感極まってカオルに抱き付き、口付けや一部舐めている婚約者達。

 アイナが、抱え上げられたカオルに向かって一生懸命ジャンプしていたのを、呆然とするアナスタシアはしっかり見ていた。


「ワァ!?ちょ、ちょっとみんな!!そんな時間無いんだってばぁ!!」


「カオルきゅ~ん!!クンカクンカ!!」


「も~♪おねぇちゃん、ちゅーしちゃうわぁ♪」


「がおる゛~....じんぱいじだのよぉ~....」


「ペロペロ」


 こうなってしまっては止まらない。

 カオルの黒髪は涎でベトベトになり、着付けた振袖は乱れていた。

 そんな様子を、新旧生徒達はポカンと口を開いて見ており、後でなんと説明するのか迷ってしまう。


「....もう!!時間が無いって言ってるでしょ!!」


 完全に怒ったカオル。

 魔力の帯を周囲に伸ばして、ヴァルカン達を中空へ持ち上げた。


「な、なんだ!?ちょ、ちょっと待てカオル!!」


「キャー!?なに~!?」


「な、なんなのよぉー!?」


「ペロペ....私は何を....」


 正気に戻ったヴァルカン達。

 エルミアは、本当にお帰りなさい。

 

 興奮していて肩で大きく息するカオル。

 アイナがこっそり背中から抱き付き、顔を擦り付けていた。

 マーキングは大切だ。


「はぁはぁ....晩餐会に行くので、着替えて支度をして下さい!!いいですね!!」


 カオルの剣幕に気圧されて、ヴァルカン達は頷いた。

 その後、地面へと下ろされたヴァルカン達。

 急ぎ足で宮殿へと戻り、支度が終わり次第、宮殿前で落ち合う約束をした。


「まったく....野獣なんだから....」


 乱れた振袖をアイナと着付けし直して、濡れた髪は『浄化』で清めた。

 そして、カオルはクルリと生徒達に挨拶をする。

 華麗でいて、優雅にお辞儀をしてみせると、黒髪がフワリと舞い上がり、生徒達は溜息を吐いた。


「改めて、ボクの名前は香月カオル。

 みなさんが住む、この場所の領主をしています。

 アリエル達は知っていると思うけど、今のこの姿は仮初めのものです。

 そこに居るアーニャは....アナスタシアは、みなさんの教師として、縫製の授業を担当してくれています。

 わからない事があれば、彼女に聞いても良いですし、ボクや先ほどの人達に聞いてください。

 もし、ここに馴染めない人が居たら、遠慮なく言ってください。

 どこかはわかりませんが、新しく住む場所を探します。

 できれば、誰1人欠ける事なくこの場所で、幸せへの道を歩んでいただけると嬉しいです」


 1人1人の顔を見詰め、カオルは微笑みながら語り掛けた。

 驚いて口を開く者。

 隣の友人とギュッと手を握る者。

 感銘を受けて涙を流す者。

 一言一句逃がさぬ様に、耳に手を当て必死に聞き入る者。

 生徒達はそれぞれの方法で、カオルの言葉を胸に秘めた。


「アーニャ?」


「はい」


「みんなの事をお願いね?それと、アーニャも無理しないで」


「はい。カオル様....」


 車椅子に座るアナスタシア。

 カオルはゆっくりと近づいて、その手に口付けをした。

 小さな幼女が、少女へとキスをする。

 その様子に、生徒達は色めき立ち、頬を赤く染めた。


「...何か質問はありますか?」


 カオルが問い掛ける。

 時間があまり無い事など、カオルはもちろんわかっている。

 しかし、生徒達を蔑ろにする訳にはいかない。

 カオルは、自己満足の為に彼女達に教育を強いているのだから。


「あの....」


 今日連れて来られた猫耳族の女性が、手を上げた。


「なんでしょうか?」


「えっと...今日、私達は黒い服の男性に買われて、ここに来たのですが....

 あれは....香月伯爵様なのでしょうか?」


「肉体的にはそうです。ボクは、今のこの姿と、あなたが見た大人の姿。

 そして、元々の姿は、アリエル達が知っている12歳の子供の姿です。

 ボクは、伯爵と言う立場上、気軽に外出ができませんでした。

 そこで、この様に変装しているのです。納得していただけましたか?」


「は、はい!!ご、ご説明、ありがとうございます!!」


「どういたしまして♪他にありませんか?」


 再度質問を受け付ける。

 すると、またも今日来たばかりのエルフの女性が尋ねた。


「で、では私が....」


「どうぞ♪」


「...ここで、私達は、家事や裁縫や畑の勉強をする事を聞きました。何の為にそんな事をするのですか?」


「良い質問ですね。ボクが、この領地に街を造った理由がまさにそれです。

 みなさんには、ここで勉強をしてもらいます。

 それは、立派な淑女になり、愛した方と結婚して幸せになって貰うためです。

 要するに、花嫁修業をここでしていただきます。

 その理由は、ボクは奴隷という文化がとても嫌いです。

 嫌悪していると言えます。

 ですから、奴隷として蔑まれてしまう立場だったみなさんには、立派な淑女に成長していただき、幸せになって貰わなければいけません。

 そして、行く行くは奴隷という文化そのものを無くしたい。

 大変な事だという事はわかっています。できないかもしれません。

 それでも、ここに居るみなさんだけでも幸せに出来るなら、ボクはこの街を造ってよかったと、そう思います。

 みなさんには、とても不快な思いをさせているはずです。

 ボクは、自己満足の為に、みなさんに教育を強いています。

 嫌ならば嫌と言ってください。誰も咎めたりしません。

 新しく住める場所は、ボクが責任を持って用意し――」


「嫌なんて言いません!!だけど.....私達は奴隷で.....もう....幸せなんて無いんだって....そう思ってたから....」


 カオルの言葉を遮り、涙を流す生徒達。

 カオルも、貰い泣きしながら、生徒に近づき優しく頭を包みこんだ。


「いいんですよ?幸せになっても。誰にも文句なんて言わせません。こう見えてもボクは、英雄なんて呼ばれているんですよ?今は、ちょっと頼りない姿をしていますけどね?」


「でも....私には、奴隷紋が....」


 首後ろを擦り、悲しげな表情を浮かべるエルフの女性。

 カオルは、ニコッと笑顔を見せた。


「そうですね。他に、奴隷紋を刻まれた方はいますか?」


「わ、私も...」


「あたしも....」


「あの、私達も....」


 続々と名乗り出る生徒達。

 彼女達は今日来たばかりの者達だ。

 奴隷商人が慌てていたのか、彼女達の首後ろには、『σκλάβος(スクラヴォス)』の文字は無く、黒い輪っかだけが刻まれていた。


「では、外へ行きましょうか」


 カオルにそう言われ、場所を宿舎の外へと移した。

 そして、カオルは1人1人の制服を肌蹴させ、首後ろに手を当てる。


「縛られし現世(うつしよ)の魂よ。その印を力を持ちて打ち払え」


 紡がれた言葉は、マナと魔力への回路。

 それは、奴隷紋を打ち払う力。

 魔力で縛られた魂を開放するのだ。


「『アペレフセロスィ』」


 その瞬間。


 首後ろにある奴隷紋が光り輝き、眩いばかりの閃光が奔った。

 閃光は、辺り一面を白一色に染め上げ、目を開けている事すらできない程の光を放つ。

 身体の中を何かが駆け巡り、体温が上昇するのを感じた。

 やがて、光はゆっくりと収まり、静寂が訪れる。

 何が起きたのかわからない状況。

 カオルは目を開けて、女性の頬を優しく撫でた。


「終わりましたよ?これで、あなた達は奴隷ではなく、ここの領民です。

 そして、この学校の生徒。幸せを掴む為に、一緒にがんばりましょうね?」


 慈愛の満ちたカオルの声。

 幼い幼女のはずなのに、その言葉には力が感じられた。

 いや、力強い意思だ。

 幸せになる事を強く願う。

 それは、誰もが持てる公平なもの。

 カオルは、奴隷としてうちひしがれる彼女達に、当たり前の事を告げただけ。


「う....うぅ.....うわ~ん!!!」


 大粒の涙が零れ落ちる。

 それは、歓喜の涙。

 自分はもう奴隷ではない。


 一平民。


 そして、ここの領民であり生徒。

 なんという優しい人。

 カオルに対する懐疑的な気持ちなど、もう微塵もなかった。


 信じる事。


 それはとても難しく、また辛い事。

 裏切られるかもしれない。

 捨てられるかもしれない。

 それでも、自分はカオルを信じたい。

 彼女達の心に、カオルの優しさは届いた。

 カオルという存在が、彼女達の心に温かさを齎した。

 香月カオルとは、そういう人間。

 優しい、優しいお人好し。


「いつまでも泣いていたら、綺麗な顔が台無しですよ?」


 ハンカチを取り出し、涙を流す生徒達に手渡していく。

 いつの間にか、全ての生徒達が泣いていた。

 実に29人。

 アナスタシアも受け取り、30枚のハンカチがカオルのアイテム箱から消えていった。

 

「ご主人!」


「うん?」


「じかん」


「...そうだね。それじゃ行こうか?」


「アイナ、残る」


「行かないの?」


「ん!」


「....わかった。アーニャのお手伝い、お願いね?」


「ん!!」


 「もちろん」と言わんばかりに、アイナは胸を反らせた。

 アナスタシアは嬉しそうにアイナと手を繋ぎ、カオルを見送る。

 そして、生徒達もハンカチを握り締めながら、カオルの姿を胸に焼き付けていた。


「....みんなに言っておく」


 カオルが立ち去った後。

 突然、アイナが仮面を脱ぎ捨て普通の言葉使いを始めた。

 それは女の顔。

 若干10歳で、なんという顔をするのだろうか。


「ご主人は、アイナと婚約してる。だから、ご主人を好きになっちゃダメ!!わかった?」


 なんという牽制だろうか。

 存外に、アイナは釘を刺しているのだ。

 これ以上、婚約者も、愛人もいらないと。


 だがそこへ、アナスタシアが入った事で、アイナの計画は潰える事となる。


「そうです。カオル様の愛人は、私だけです。絶対に認めません」


「「「「「........」」」」」


 生徒達にはわかった。

 カオルは貴族である。

 何人も妻を娶るのは当然だ。

 多くの世継ぎを作らなければならないのだから。

 

 と、いう事は。


 愛人ならいけるんじゃないか?

 現に、もう1人愛人が居るではないか。

 別に愛人くらい何人いても問題無いだろう。

 しかも、カオルは魔術師だ。

 もし自分の子供が魔力を持って生まれたら、将来は一生安泰だろう。

 なにせ、魔術師は希少なのだから。


 そういえば、カオルは先ほどこう言っていた。

 「幸せを掴む為に、一緒にがんばりましょうね?」と。

 それはつまり、カオルを好きになっても問題無いという事ではないか?

 ここはアナスタシアの目を欺いて、勉強だけは教えて貰おう。

 そして、こっそり影でカオルにアプローチをすればいい。

 せめて子種だけでも貰えれば.....


 僅か11歳~15歳の少女達と、17歳~18歳の女性達がこんな事を考えていようとは、この時のアナスタシアとアイナには思いも付かなかった。

 後にカオルの下へコソコソと生徒達が押し寄せるのだが、それはまた別の話し。

 

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