第百九十話 アイナの心
ここは、エルヴィント帝国。
帝都の大通りを、西へと進む長い馬車列が伸びていた。
馬車の総数なんと18台。
人員数130人。
馬数76頭。
どこかに戦にでも出掛けるのかという脅威の数で、向かうのはすぐそこ香月伯爵領。
皇帝アーシェラが投入した馬鹿げた戦力は、ただただ圧巻の一言だ。
「楽しみね♪リア♪」
金細工で装飾された豪華な馬車に揺られ、アーシェラは最愛の娘である皇女フロリアと語り合っていた。
「はい♪お母様♪早くカオル様にお会いしたいです♪」
楽しそうな親子の会話。
たかだか1貴族の領地視察をするだけで、あまりにも大げさ過ぎではないだろうか。
「アゥストリ?」
「はい。こちらに」
御者席から返事をしたのは、魔術師筆頭兼魔術学院長のアゥストリ。
日は既に天高く昇っており、朝日がハゲメンの頭をキラリと輝かせる。
「カオルの家は、そんなにすごいのかの?」
母親の口調を止め、皇帝としての話し方に切り替える。
アーシェラは皇帝であり、敬われる存在なのだから。
「それはもう。宮殿と呼ぶに、相応しい代物でございました」
恭しく告げるアゥストリ。
アーシェラは実に納得いかない様子だった。
「しかしじゃな。カオルが自治領の開拓を始めて、まだ1週間も経っておらぬのじゃ。わらわにはとても信じられぬ」
「私も、この目で見るまでは信じられませんでした。ですが、あのカオル殿なのですから、何が起きても不思議ではございません」
勝手にカオルの庇護者の様に話すアゥストリ。
カオルが信頼する、数少ない男性だ。
「.....とても豪華だったと聞いたのじゃ。本当かの?」
「ええ、それはもう。あれほど豪華な宮殿を、私は今まで見た事がありません」
カオルが造り出した宮殿は、ヴェルサイユ宮殿を彷彿とさせる建築物であった。
エルヴィント特有の、白い壁に青い屋根。
あとは石膏像が無いだけで、見たままそのままヴェルサイユ宮殿だろう。
「....そこに、カオルが住んでいるのじゃな?」
「はい」
「....皇帝であるわらわよりも、豪華な住まいなのじゃな?」
「.......はい」
アーシェラは嫉妬している。
自分よりも豪華な住まいに住むなど、とても許せない。
貴族として第3階位の伯爵が、皇帝よりも住まいが良いなどと、許せるわけが無いだろう。
相手がカオルではなければ。
「そうかのぉ....それは楽しみじゃ♪」
完全に旅行気分のアーシェラ。
フロリアも、もちろんそのつもりだ。
「.....」
ヒヤリと汗を流したアゥストリ。
アーシェラは、気まぐれで何を言うかわからない。
「ディアーヌも楽しみの様じゃの?」
車窓から外を眺めていたディアーヌ。
左手で頬杖を突きながら、右手でリズムを刻んでいた。
「ええ。カオルの街だもの......期待してるわ」
「うむ。カオルは、行く行くはアルバシュタイン公国の復興に尽力せねばならぬからの。そのカオルが一から造った街じゃ。ディアーヌにも、勉強になる物が多いじゃろうな」
「.....そうね」
胸の内を見透かされ、ディアーヌは眉を顰めた。
皇帝アーシェラ・ル・ネージュは、何でもよくわかっている。
希代の皇帝と言われるほどの存在なのだから。
「ああ♪早くカオル様にお会いしたいです♪」
恋する乙女のフロリア。
既に頭の中は、カオルと2人でいつか見た海岸を歩いていた。
「それにしても、まだ帝都を出れぬのかの?」
アーシェラは不思議に思っていた。
いつまで経っても馬車道に出ない事に。
ずっと馬車が揺れずに、平坦なままなのだから。
「あの、陛下」
「なんじゃ?」
「もうとっくに帝都は出ているのですが.....」
「どういうことじゃ?いつの間に馬車道に出たのじゃ?」
「.....ご面倒をお掛けしますが、外をご覧ください」
何か言いたげなアゥストリ。
アーシェラはアゥストリに促されるまま、車窓から外を眺めた。
そこには、肥沃な大地が広がっていた。
青々しく茂る森。
緑の野原。
眩しいほどの太陽に、真っ青な青空。
そして、地面に敷かれた石畳。
「....んっ!?石畳じゃと!?」
アーシェラは、慌てて地面を二度見した。
自分達が通っている馬車道は、デコボコとした未舗装道ではなく、とても立派な街道であった。
それがずっと続いているのだ。
帝都から、今から向かう香月伯爵領までの1本道に。
「ど、どういうことじゃ!?こんな予算を組んだ覚えはないのじゃ!!」
通常。
帝都から走る街道の整備は、国家予算で賄われる。
貴族達の領地から先はその自領持ちになるのだが、今通って来た街道は帝都からそのまま伸びていた。
という事は。
少なくとも今通っている街道は、帝国の予算で舗装した事になる。
だが、アーシェラがそんな予算を組んだ覚えはない。
財務卿であるアラン・レ・デュル公爵から、そんな進言はされていないし、いったいいつこんな物を工事したのか。
「陛下。おそらくですが、カオル殿が敷かれたのでは?」
辿り着いた結論は、それしかなかった。
いったい、どうやってこれほどまでに凹凸の無い街道を整備したのか。
アーシェラにはまったくわからない。
ただ、豪華な宮殿といい、この街道といい、カオルは何かとてつもない力を秘めている事だけはわかる。
「....そうじゃの。わらわはもう何があっても驚かんのじゃ」
「さすがは陛下です。このアゥストリ、感服いたしました」
「うむ」
皇帝アーシェラ・ル・ネージュ。
この後驚くことになるのだが、それは後の話し。
カイ達を連れて自治領へと帰ってきたカオルは、慌しく駆けずり回っていた。
「あ、カイとメルの家はそこだから、好きに使って。中のクローゼットに、似合いそうな服が入ってるから着替えて来て。サイズが合わなかったら言ってね」
カイとメルの返事も聞かずに、いそいそと宮殿へ入るカオル。
カイとメルはあまりの光景にボーっとしてしまった。
「カイ、メル。諦めなさい。カオルはああいうヤツだから。言われた通り、早く中で着替えてきた方が懸命よ」
エリーはその場に残り、幼馴染の2人を哀れんだ。
ファルフの上でカオルに告げられた事だが、メルはカオルの家令であり、カイはその補佐をするそうだ。
要するに、カイとメルはカオルの家臣なのだ。
本当にお気の毒である。
「....エリー、私やっぱりムリ!!」
「今更泣き言言ってもダメよ.....それに、チャンスじゃない!!家令よ!?
平民のメルが、伯爵家の家令なのよ!?聞いた事がないわ!!」
メルを元気付けるエリー。
幼馴染の栄進を、心より喜んでいる。
「で、でも.....」
「でもじゃないでしょ?それに、カイとメルの子供は、この香月伯爵領の家令を継げるのよ?お父さんとお母さんが喜ぶわよ?大丈夫。メルにはカイが居るんだから」
エリーは優しい子だ。
そして、メルの事をよく理解している。
家族の話しを持ち出せば、揺らぐメルの決意など、どうでもいい事。
「そ、そうよね!!」
「そうよ!!だから、カイ。あんた、メルの補佐をしっかりするのよ!!メルと結婚して、父親になるんでしょ!!」
エリーの力強い言葉に後押しされ、カイとメルは奮い立った。
「おう!!俺は、メルとがんばるぜ!!何が伯爵家だ!!家令だろうがなんだろうが、俺がメルを支えてみせるぜ!!」
「カイ!!」
「任せとけっての!!それじゃ、着替えようぜ!!来たばっかで、カオルに怒られるのだけは勘弁だ!!」
「そうね!!」
「それじゃ、また後でね!!」
「おう!!」
カイとメルを残し、エリーはカオルの後を追い宮殿へと歩みを進める。
(あの2人なら大丈夫)
そう心の中で呟いて。
一方、宮殿に入ったカオルは、人手を増やしていた。
「我が愛しき蛹達!血となり肉となり!我に力を示せ!『クリサリディーズ』」
足早に紡がれた土魔法。
アイテム箱から出した青い魔宝石が、白銀の塊へと吸い込まれ、小さな人形達が姿を現す。
「それじゃ、これを着て」
フリルの付いた白いエプロンに、赤い布地のワンピース。
それは、侍女がよく着るメイド服であった。
「イエス。マイロード」
「これから沢山のお客様が来るから、他の人形君と協力して家事の分担をしてね」
「イエス。マイロード」
カオルの命令通り、先任の人形達の下へ向かう赤いメイド服の人形。
そんなカオルの姿を、こっそり覗き見ていた人物がいた。
「ご主人!」
可愛らしく、ウサ耳をぴょこぴょこ動かしてカオルに抱き付くアイナ。
カオルはアイナを抱き留めて、優しく頭を撫でた。
「昼食の準備はどう?」
「じゅんちょう」
「そっか♪」
アイナは、カオルの胸に顔を擦りつけてマーキングをする。
そんな可愛らしい仕草をするアイナの頬へ、カオルはそっと口付けた。
「ご主人」
「うん?」
「むりしないで」
カオルは驚いた。
アイナが心配したからではない。
アイナが気付いたからだ。
「....ありがとう。アイナ」
「ん!」
「でも、どうしてわかったの?」
今のカオルには、足りない物がある。
人として存在する上で、必要な物が。
「ご主人。いろ」
カオルの顔へ両手を添えて、アイナは悲しそうな表情をみせる。
今のカオルは、生気が無い。
ファノメネルやアブリルにポーションの効果を伝える為に血を流し、人形を作る為に大量の魔宝石へ血を使ったからだ。
今のカオルには、血が足りていない。
アイナはそれに気付いたのだ。
「顔色....あはは♪気付かれちゃたか♪でも、大丈夫だよ?みんなもいるし、アイナもいるからね♪」
「ん!」
「アイナは、いつもボクを見てくれてるんだね?嬉しいよ♪」
「ご主人」
「うん?」
「あいしてる」
拙い言葉で、アイナは告げた。
カオルはとても嬉しかった。
嬉しくて、涙が溢れた。
たとえ、アイナがわざとカタコトの言葉使いをしていようと、想いは伝わった。
なぜなら、カオルもアイナを愛しているから。
「ボクもだよ。アイナ....愛してる。これからも、ボクの傍にいてね?」
「ん!」
カオルは、強くアイナを抱き締めた。
心配してくれて嬉しくて、たった10歳で、自分を愛してくれると言ってくれて。
アイナと抱き合いながら、咽び泣いた。
「グスッ....ごめんね、アイナ。情けなくて、本当にごめん.....」
アイナは、涙を流すカオルを情けないなんて思わなかった。
自分を、暗闇の中から救ってくれたカオル。
道具の様に感情を持つことも許されなかったあの奴隷時代に、カオルは終止符を打ってくれた。
愛してる。
とても重い言葉。
産まれてすぐに奴隷として売られたアイナに、愛なんてわからない。
それでも、カオルの事を考えると、胸の奥が熱くなる。
他の女性と話しているカオルを見ると、胸の奥がざわつく。
それが、きっと誰かを好きになるという事。
それが、きっと誰かを愛するという事。
アイナは知らない。
でも、感じる。
愛を。
愛の重さを。
カオルを通して。
抱かれたカオルの腕の中で。
アイナは、ゆっくりと成長している。
「ご主人。離れないから、置いて行かないで」
アイナの口から出た言葉は、拙いものでもカタコトでもなかった。
本音が、本心が、偽らざる気持ちが、口を突いて出た。
「....うん。どこにも行かないよ。必ず、アイナのところに帰ってくる。ここが、アイナの傍が、ボクの居場所だから」
「ん!」
カオルとアイナは、初めての口付けを交わした。
親愛ではなく、情愛のキスを。
2人は、やっと交わすことができた。
離れない。
離さない。
愛している。
子供ではなく、大人として、2人は結ばれる。
アイナは愛を知った。
いや、カオルに出会う前から知っていた。
なぜなら、アイナとは、愛の名なのだから。
「キス...しちゃったね」
「ん!」
「...もう1回するの?」
「ん!」
2度目の口付け。
触れるだけの神聖なキス。
可愛らしい小鳥の様な、啄ばむだけのキス。
初々しい2人。
誰も邪魔をしてはいけない。
柱の影からこっそり見ている人は特に。
「.......」
義姉のフランチェスカ。
カオルとアイナを呼びに来て、まさかの現場を目撃した。
そしてどうしようか悩んだ。
今出て行く事はできない。
しかし、カルアからカオルを呼んで来るように言われている。
でも、今行くのはちょっと躊躇われる。
あんなに良い雰囲気の2人の邪魔を、フランチェスカにする事はできな....
「フラン?」
突然名前を呼ばれて、ビクッと震えた。
自分を愛称のフランと呼ぶ人物は、この場には1人しかいない。
ご主人様だ。
「えっと.....」
恐る恐る振り返る。
そこには、カオルとアイナがこちらを見ていた。
「覗き見されちゃったね?」
「ん....」
アイナはとても不満顔だ。
当然だろう。
カオルとの至福のひと時を邪魔されたのだから。
「ご、ごめんね?アイナ.....」
「だめ」
アイナは許さない。
せっかくの機会を潰されたのだから。
「じゃぁ.....」
カオルはフランにもキスをした。
唇を重ねるだけの柔らかいキスを。
「アイナも」
続けてフランの頬に口付けるアイナ。
フランは驚いて目を丸くする。
「お姉ちゃん。いつもありがとう」
はにかんで笑うアイナ。
カオルはアイナの頭を撫でて、フランとアイナの手を握った。
「行こう?みんな待ってるはずだから♪」
カオルは、家族が好きだ。
心配してくれて、傍にいてくれて、愛してくれて。
だから、離れない。
だれとも。
ずっと。
いつまでも。
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