第百八十五話 アナスタシア
ロランに渡された羊皮紙を片手に、カオルとカルアは大通りを歩いた。
カオルの足取りは速い。
早くあの場所から逃げたかったようだ。
「か、カオルちゃん。おねぇちゃん、そんなに速く歩けないの」
「あ、ご、ごめんねカルア。あんなものを見ちゃったから....」
思い出したくない光景。
カオルとカルアがジャンニのお店を出た時に、間違い無くあの2人は顔を近づけていた。
「あらあら♪カオルちゃん、同性愛って結構多いのよ~♪」
「え゛!?そ、そうなの?」
「そうなの~♪特に、冒険者に多いって聞くわ~♪」
カオルは思い出そうとした。
だが、カオルが知る男性の冒険者はとても少なかった。
「そ、そうなんだ....」
「ええ♪もう、カオルちゃんったらウブなんだから~♪」
なんとなく納得のいかないカオル。
往来の真ん中で、カルアの頬に口付け、足早に目的地に向かった。
羊皮紙に書かれていた地図通りの場所には、1軒の古びた家があった。
集合住宅と表現すれば良いのだろうか。
出入り口は家の真ん中にあり、階段の踊り場に各部屋の入り口がある。
そんな家の1階部分に、アナスタシアは住んでいた。
「ここだね」
「そうみたいね~♪」
カオルとのデートが嬉しいのか、カルアは終始ご機嫌だ。
カオルが扉の呼び鈴を鳴らす。
すると、中からゴソゴソと音がして、扉が開かれた。
「どちらさまでしょうか?」
半開きの扉から声を掛けられる。
どうやら、カオル達を警戒しているようだ。
「初めまして。ボクは、香月カオルと申します。突然の来訪をお許しください」
「香月カオル.....は、伯爵様の!?」
貴族らしく立ち振る舞うカオルに、女性は慌てて扉を開いた。
そこには、木製の車椅子に乗る1人の少女の姿が。
両足に長いケープを掛けて、器用に車椅子を操作する少女。
カオルは少し驚き、促されるままに室内へ歩みを進めた。
室内は、狭かった。
カオルの屋敷の居間よりも、食堂よりも、キッチンよりも狭かった。
現代日本で言うと、四畳半といったところ。
そこに生活用品が並べられ、大きなテーブルが置かれている。
そして、気付いた。
沢山の布地が丸められてテーブルの下に置かれている事を。
「せ、狭くてすみません....」
カオルが驚いている事に気付いたのか、女性は恥ずかしそうに俯いていた。
小さな身体。
おそらくホビットなのだろう。
「いえ。とても生活観があって、素敵な部屋だと思いますよ?」
カオルには言えない。
「狭いですね」などとは。
「ほ、本当に恥ずかしいです....あ、あの....伯爵様....なんですよね?」
「はい。そう呼ばれる事もあります。ですが、ボクの事はカオルと呼んで下さい」
「そ、そんな恐れ多い....」
「....だめですか?アーニャ」
「ひゃ、ひゃう!?ど、どうして私の愛称を!?」
狭くてカルアが中へ入れない事をいい事に、カオルは女性の頬を撫でた。
ドS心が疼くのだろう。
実に変態だ。
おまわりさん!!こいつです!!
「ロランさんに聞いたんです。あなたは、アナスタシアさん。愛称をアーニャ。間違いありませんね?」
「ひゃう....そ、そうでしゅ....」
カオルは感じた。
アナスタシアから、フランチェスカと同じものを。
アナスタシアは、ドMの気質がある。
いたいけな少女のはずなのに。
「アーニャ....ボクのお願い、聞いてくれる?」
「で、できしゅことでしゅたらぁ...」
完全なトロ顔を見せるアナスタシア。
既にカオルに落ちた。
なんということでしょう。
匠の技で、あっという間に篭絡してしまいました。
「よかった♪ねぇ、アーニャ。ボクは新しく街を造っているんだけど、そこで縫製の教師をしてくれないかな?」
突然軽快に話すカオルは、やはり策士だ。
皇帝アーシェラの毒は、着実にカオルの身体を回っている。
間違いない。
「ふぇ?きょ、教師ですか!?わ、私が!?」
「うん♪アーニャが作ったあの騎士服。ボク、とっても気に入ってるんだ♪ダメかな?」
「き、騎士服....あ、もしかして、これですか?」
アナスタシアは、車椅子の上で器用に振り向き、戸棚から黒い騎士服を取り出した。
「そう!!これ!!とっても良い物だよね♪ボクも同じ色を1着持ってるよ♪」
「ほ、本当ですか!?よ、よかった....売れたんだ....」
「アハハ♪素敵な物だから、ボクが買わなくてもすぐ売れたと思うよ?」
「わ、私、あまり自分の服に自信が無くて....」
「胸を張っていいと思うよ?ボクは好きだよ♪アーニャの服♪」
「ひゃう!?す、好きだなんて....そんな.....」
顔を真っ赤にしてしまうアナスタシアに、カオルは間近で微笑んだ。
カオルの微笑みは、見る者全てを魅了する。
それは、老若男女問わない。
「ふぇぇ....」
恋する乙女は、カオルの言いなりだ。
「アーニャ。ダメかな?もちろん1人じゃないよ?迎賓館でメイド長を勤めてる、オレリーって人の補佐をしてくれればいいんだ」
「げ、迎賓館のメイド長ですか!?」
「うん♪とっても快活な人で、面倒見もいいんだ♪アーニャもすぐに仲良くなると思うよ?」
今のカオルは、王子様兼どこぞのセールスマンの様だ。
こっそり聞き耳を立てるカルアだが、怒らないのはさすがだろう。
「で、でも...私みたいな足手まといは....」
「それって、足の事を言ってるの?」
「は、はい....私、小さい頃にって、今でも小さいんですけど。
もっと小さい頃に両親と事故にあったんです。
乗っていた馬車が崖から転落して....私だけが助かったんですけど....
その時に足を怪我して....」
出会って間もないカオルに、過去の凄惨な出来事を語るアナスタシア。
それだけ、カオルを信用したのだろうか。
こんなドSのカオルを....
「...そうだったんだ。ありがとう。言い難い事を話してくれて。
とても....とても嬉しいよ。アーニャ」
「グスッ....カオル...さま....」
そっとアナスタシアを抱き締めるカオル。
自分の姿と重ねたのだろう。
突然両親を失った、自分と。
「.....ねぇ、アーニャ?その足って、治癒術師には診せたの?」
「グスッ...は、はい.....でも、治らなくて.....」
カオルは考えた。
どんな治癒術師に診せたのかわからないが、回復魔法で治せない怪我なんてあるのだろうか?
技術の無い治癒術師だったのか?
だが、回復魔法は大抵の怪我は治せるはず。
ではどうして?
「カルア。聞いてるよね?」
「ちゃんと聞いてたわ~♪カオルちゃんはあとでお説教決定よ~♪」
「えっと....それは、あとでお願いします。あのね?治癒術師に治せない怪我なんてあるの?」
「ん~...普通は治せるはずよ~?あ~もしかしたら~.....ねぇアーニャちゃん。治癒術師に診せたのって、怪我をしてからかなり後の事じゃないかしら?」
「は、はい。そうです。お金が無くて....」
「それなら~....骨が変な風にくっついちゃっているのかも~...」
「....そういう事か。ところで、ねぇカルア。もしかして、結構怒ってる?話し方が、いつもと違うよ?」
「あらあら♪さすがはカオルちゃんね♪そうよ~おねぇちゃん、すっごく怒ってるわ~♪」
カオルは覚悟した。
あとでカルアにオシオキされる事を。
今のカルアは、禍々しいオーラを纏っている。
あの優しいカルアが、今は悪鬼のように見えてしまう。
「カルア。治せないかな?」
「おねぇちゃんにはできないけど....カオルちゃんにはできるんじゃないかしら?」
「.....やってみないとわからない、かな」
意味深なカルア。
カオルには何でもできるとでも思っているのだろうか。
確かに、現代医療の知識を持つカオルならば、やってやれない事はないかもしれないが。
「話しを戻そう。アーニャ。ボクの街で、縫製の教師をして欲しい。
嫌なら嫌って言ってくれていいからね?」
カオルはずるい。
足が治るかもしれないと含みを持たせておいて、カオルの誘いをアナスタシアに断る事などできないだろう。
「...本当に、私でいいのでしょうか?」
「うん。ボクは、アーニャが欲しい」
「ほ、欲しい....わ、私を?」
「うん。アーニャを」
言葉だけを聞くと、求婚を迫っているように思えるのだが。
もちろんカオルにそんな気はない。
アイナと同じで、庇護欲をそそるアナスタシアを妹のように感じている。
婚約者にするなどと、言い出さなければいいが。
「わ、わかりました!私は、カオル様のものになります!!」
「ありがとう♪そう言ってくれて、すっごく嬉しいよ♪」
感極まって抱き合う2人。
カルアの頬は、ピクピクと痙攣していた。
どんなオシオキをするのか....
「とりあえず、今日のところはこれで帰るけど、アーニャはいつごろボクの街に来れる?」
「い、いつでも行けます!!私はカオル様のものですから!!」
「良い覚悟だね♪それじゃ、明日迎えに来るから、その時一緒に荷物を纏めよう。それと、これを着けておいて」
アイテム箱から白銀の腕輪を取り出して、アナスタシアの左腕に填める。
裏の中央部分には、青い魔宝石が備え付けられている。
「それ、ボクの街で住むには必要な物だから。失くさないようにね?」
「こ、こんな高価な物を....い、いいのでしょうか.....」
あまりにも高価な贈り物に、アナスタシアは戸惑いを覚える。
それもそのはず、その白銀の腕輪は、数百万シルドはする代物だ。
「うん♪アーニャは、ボクが雇った子だからね♪それじゃ、明日迎えに来るからね?」
「は、はい!!」
アナスタシアは元気良く答えた。
カオルのものになると。
長年住み慣れたこの部屋と帝都を、離れると。
少女は、一大決心した。
アナスタシアの家を後にした、カオルとカルアの2人。
カルアは終始不貞腐れていた。
当然だろう。
愛しのカオルが、アナスタシアを気に入ってしまったのだから。
「むー....」
わざとらしく剥れてみせるカルア。
カオルは、そんなカルアが可愛く思えていた。
「カルア?いつまで怒ってるの?」
迎賓館へ向けて歩みを進める2人。
お昼前ということもあり、大通りから離れたこの通りは、人通りもあまり無い。
「だって、カオルちゃんは、おねぇちゃんよりもアーニャちゃんの方が可愛いんでしょ?」
子供の様なカルア。
本当に27歳なのだろうか?
「何を言ってるの?カルアの方が、ボクは好きだよ?そうじゃなかったら、婚約なんてしないでしょ?婚約者のカルアさん?」
いつもの様に、誤魔化すのが上手いカオル。
だが、今日は違った。
カルアの機嫌は直らなかったのだ。
「そうやって誤魔化したって、おねぇちゃんは許しませんからね!!」
プンスカ怒るカルア。
婚期が遅れると、女性はこれほど厄介になるのか...
恐ろしいものだ....
「...ねぇカルア?」
歩みを止めて、カオルはカルアの手を強く引いた。
寄り添う2人。
カオルはカルアのお腹に手を当てて、慈しむ様に撫で回す。
「お、おねぇちゃん、別に太ってないからね?こう見えても、食事には気を付けてるのよ?フランちゃんとカオルちゃんの料理、美味しいから....」
「クスッ...違うよ。ここに、ボクの子供ができるんだって思って.....とても楽しみなんだ。カルアとボクの子供。きっと、カルアみたいに優しい子が産まれるんだろうね?」
王子カオル。
甘い言葉で言い包めるとは....策士だ。
カオルの言葉に気を良くしたカルアは、耳まで赤く染め上げて、涙ぐんだ。
「か、カオルちゃん....おねぇちゃん....おねぇちゃん!!がんばって、元気な赤ちゃん産むからね!!」
「うん。元気な赤ちゃんをお願いします。カルア?愛してる」
「カオルちゃん....」
触れるだけの口付けが、通りの中心で捧げられた。
近くで談笑していたおばさん達。
カオルとカルアの行為に、ギョッとし、その後なぜか微笑ましそうに見詰めていた。
カオルがフードを被っていた為か、子供が母親に情愛のキスでもしたのだと、勘違いしているのだろう。
確かに、15歳で成人を迎えるエルヴィント帝国では、27歳のカルアと12歳のカオルは母子に見える。
エルフであり、見た目で年齢のわからないカルアは、もっと老年と思われたかもしれないが。
「....エヘヘ♪それじゃ、行こうか?」
「ええ♪カオルちゃん?おねぇちゃん、とっても嬉しい♪」
「ボクもだよ♪」
仲睦まじい2人。
手を繋ぎながら迎賓館へと向かって歩いた。
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