第百七十六話 ベットの上で
夜明け前。
エルヴィント城の皇女フロリアの私室。
バルコニーから音も立てずに、1人の長い黒髪の少年が室内へと進入した。
ベットで静かに寝息を立てるフロリア。
黒髪の少年は、そっとベットの縁に腰掛け、フロリアの三角耳を撫でる。
「リア。起きて....」
子供らしい高い声が、室内へ響き渡る。
フロリアは、少し身動ぎ、薄っすらと目を開けた。
「んん....おかぁ....さま?」
「リア。ボクだよ」
フロリアは慌てて身体を起こした。
そこには、微笑むカオルの姿があった。
「か、カオル様!?」
「リア、静かに.....みんな起きちゃうよ?」
フロリアの唇に、人差し指を立てるカオル。
ウィンクを1つして、もう一度微笑んだ。
(そんな....カオル様が夜這いに来てくださるなんて....神様ありがとうございます!!!)
フロリアは神に感謝を捧げた。
薄暗い室内に、愛しのカオルが居る。
もうこれは、既成事実以外のなにものでもない。
「リア、こんな朝早くにごめんね。どうしても聞きたい事があるんだ」
「は、はい!なんでも聞いてください!!」
「静かに....あのね、どうしてリアは、こんな本を書かせたの?」
カオルがアイテム箱から取り出したのは、1冊の本。
それは、フロリアがイライザとレーダに依頼して書かせた『金色の魔女と黒髪の少年』だ。
「そ、それは.....」
忙しなく振られていた尻尾が止まった。
フロリアには言えない。
ヴァルカンに嫉妬したからとは、とても口に出せない。
「ボクには教えられない?」
「そんな事はありません!!カオル様に隠し事なんて....」
だが、言えない。
カオルに、狭量な女だとは思われたくないのだから。
「....いいよ。なんとなくわかったから♪」
「えっ!?」
フロリアは震えた。
まさか、カオルに気付かれてしまったのかと。
こんな、人に嫉妬する醜い自分を、カオルは気付いてしまったのかと。
「....外に、出たかったんだね?」
「ふぇ!?」
「そうだよね。いつまでも、お城と魔術学院の往復だけじゃ、つまんないよね。うんわかった。アーシェラ様に聞いてみるよ」
カオルは勘違いをしている。
フロリアがこの本を書かせたのは、自由に外へ出たいのだと。
本の中のように、森や、山に出掛けてみたいのだと。
フロリアはひらめいた。
このままカオルに勘違いさせておこう。
そして、あわよくばあの時の様に、デートをしようと。
2人きりで、あの思い出の砂浜を一緒に並んで歩こうと。
「そうなのです!!お願いします、カオル様!!私を外に連れ出してください!!」
フロリアは、涙ながらに懇願した。
別に悲しくもないのに、涙を流して。
やはり、皇帝アーシェラの血は、色濃くフロリアに流れているようだ。
「うん、わかった。約束したしね。でも....わざわざ聞きに行く必要無いみたいだよ?」
カオルが、意識を部屋の扉へ向ける。
正確には、魔力の帯を扉へと伸ばす。
すると、内開きの扉が自動的に開き、アーシェラと侍女のベルが聞き耳を立てていた。
「おはようございます。アーシェラ様。ベルさん。盗み聞きとは....趣味が悪いのではないですか?」
「ひぃ!?」
カオルが声を掛けると、ベルは慌てて逃げ出した。
後に残されたアーシェラ。
気まずそうに頬を掻いて、オドオドしながら室内へ歩み入った。
「...き、気付いておったのじゃな」
「ええ。リアがあれだけ大声で話していましたから」
「ご、ごめんなさい。カオル様」
「うぅん。気にしてないよ。むしろ、あの大きな声で誰も来なかったら、そっちの方が心配だよ。警備はどうなってるんだって」
カオルは優しい。
こんな状況でも、フロリアの身の安全を考えていた。
「リアの部屋に忍び込んだカオルが言うのもなんじゃがな」
「そこは子供のする事ですから♪」
子供。
カオルはまだ子供なのだ。
そして、フロリアも子供だ。
若干12歳の子供。
「じゃが、こんな時間に女性の部屋へ無断で入るなど、罰せられても文句は言えんのじゃぞ?」
「大丈夫です。リアはこんな事で怒りません。そうだよね?たとえボクがリアの唇を奪っても、リアは怒らないよね?」
カオルは策士に成りつつある。
皇帝アーシェラ・ル・ネージュの様な。
カオルの視線が、フロリアの唇に向けられる。
妖しく口端を吊り上げ、ペロっと舌を見せた。
とても妖艶な姿に、フロリアの鼓動は速まった。
「く、唇を....」
フロリアの頬が赤く染まった。
カオルとの口付けを思い浮かべ、興奮している。
「ね?リア」
カオルはドSだ。
相手が嫌がる事はけしてしないが、フロリアがカオルを好いている事を知っている。
意趣返しの意味も込めて、アーシェラの前でフロリアを手玉に取った。
先日の子供の件は、カオルを怒らせるものだったのだから。
「も、もちろんです!!私は、カオル様を怒ったりなんてしません!!」
掌の上で転がされているとも知らずに、フロリアはカオルが望む答えを出した。
したり顔のカオルは、チラリとアーシェラを見やる
「ありがとう♪」
「う、うむぅ....」
まんまとカオルの思い通りに事が運び、アーシェラは複雑な顔をした。
リアはカオルが好き。
そして、リアは私の娘。
娘が喜んでいるのなら、それは母親の私も嬉しいわ。
嬉しいのだけれど、これでいいのかしら?
このままだと、リアはカオルにいい様に使われてしまうのではないかしら?
いいえ。
カオルの人となりは良く理解しているわ。
大丈夫。
きっとカオルはリアを無下に扱ったりしないはずよ。
もしそんな事をしたら....
母親の私が守ってあげる。
だって、リアは愛しいあの人と私の子供なんだもの...
「ところで、アーシェラ様。ボクに、内緒にしていた事がございますよね?」
幸せだったあの頃を想い出していたアーシェラ。
突然のカオルの報復に、大慌てで現実へと引き返した。
「な、何の話じゃ?」
アーシェラには、思い当たる事が沢山あった。
領内視察の件だろうか。
もしくは、親無し子の件だろうか。
それとも、密かにアゥストリに命じていた、御用商の件だろうか。
それとも....それとも....それとも....
叩けばいくらでも埃が出た。
アーシェラは、裏で色々と計略を巡らせている。
アゥストリと蒼犬という手足があるのだから。
「領民の件です。今回は快くお受けさせていただきますが、これからは事前にご連絡ください。突然では困ります」
アーシェラは、ホッと胸を撫で下ろした。
カオルは怒っていなかった。
少し声色が強めだが、怒ってはいない。
よかった。
「う、うむ。すまぬの....わらわにも、なにぶん予想外の事での。ちょうどカオルが街を造ると言っておったから....じゃ、じゃがカオルだからじゃぞ!?カオルだからこそ、わらわも頼んだのじゃ。子供達に罪は無いのじゃ。カオルならば、きっと善い子に育ててくれると信じておる」
「なんですかそれ...まるで、ボクの子供みたいな言い方じゃないですか?」
「そ、そういうつもりではないのじゃが...そ、そんなことよりも、婚約の話しじゃ!!一度に6人と婚約するなど、前代未聞じゃぞ!?」
アーシェラはカオルに仕返しをした。
一方的にやられるのは好きではない。
だが、場所がまずかった。
ここにはフロリアが居るのだ。
カオルを好いて止まないフロリアが。
「こ、こここ、婚約!?カオル様!!婚約されたのですか!?」
アーシェラから何も聞かされていなかったフロリア。
カオルが婚約した事など、知るはずもない。
「うん。そうだよ。師匠と、カルアと、エリーと、エルミアと、フランと、アイナと、家族みんなと婚約したんだ。アーシェラ様も祝福してくれたよ?」
フロリアはギロリとアーシェラを見やった。
獲物を前にした、肉食獣の様な瞳で。
「あ、あのね?リアに言わなかったのは....その....ね?」
しどろもどろになるアーシェラ。
アーシェラが黙っていたのは、こうなる事がわかっていたから。
だが、つい口を滑らせて言ってしまった。
いずれわかる事ではあったが、まさかこんな状況でばれるとは思っていなかった。
(そんな....カオル様が婚約.....私とは婚約してくださらなかったのに....カオル様.....リアは.....リアは.....)
泣き始めるフロリアを、アーシェラが慌てて抱き締める。
何度も頭を撫でて、心配そうに目を潤ませた。
その様子を、カオルは困り顔で見ていた。
ボクは、リアの事をどう思っているんだろう?
好き....なのかな.....
リアとは沢山話した。
色んな事を。
今まで、同い年の友人なんて居なかった。
うぅん。
居たけど、居なくなった。
あれは、ボクが小学校2年生になった時。
遠足で輪島塗の工房を訪ねて、ボクがおじぃさんと同じ物を作ったら、みんな慌ててボクから離れて行った。
ボクにはよくわからなかったけど、後になってお父様から聞いてわかった。
怖かったんだと思う。
そりゃそうだよね。
大人が長い年月を掛けてできるようになった事を、7歳のボクがやったんだもん。
怖くなるのが当然だよね。
それから、みんながボクを無視するようになった。
ボクはすごい寂しかった。
お父様とお母様の前で、何度も泣いてた。
でも、お父様とお母様はそんなボクに優しくしてくれた。
「私達がずっと傍に居るから、カオルはもう泣くな」って。
凄く嬉しかった。
でも、お父様もお母様も、ボクを置いていなくなっちゃった。
何も言わずに、ある日突然、ボクの前からいなくなった。
リアには、アーシェラ様がいる。
ボクには、師匠達がいる。
じゃぁ、リアにアーシェラ様がいなければ?
ボクは、傍にいる事を選んだのかな?
ボクは、自由の無いリアを可哀想だと思ってる。
それに友人だと思ってる。
リアはボクを好きだと言った。
でも、ボクにはわからない。
....堂々巡り。
リアは可愛い。
もちろん師匠達も可愛いし、美人さんだ。
ボクは、もっとリアと話すべきなのかもしれない。
好意を持ってくれるリアに、ボクはきちんと答えるべきだ。
話してみよう。
これからもいっぱい。
ボクの、このよくわからない感情の正体を、ボクは確かめなきゃいけないと思う。
好意を寄せてくれるリアに、ボクは自分の気持ちを告げなければいけない。
その為に、話そう。
「....リア。聞いて欲しい」
カオルは、胸の前でギュッと拳を握り、フロリアに話し掛けた。
「うぅ...スンッ...な、なんでしょうか....カオル様....」
「ボクは、正直リアの事が好きなのかわからない。かけがえの無い友人だと思ってる。でも、ボクはリアに対して、言い様の無い感情を持ってる。この感情が何のか。今のボクにはわからない。ボクが家族に向けるものとは、少し違う。リアを思うと、胸がもやもやするんだ。だから、確かめさせてほしい。これからもいっぱい話そう?それで、もし...その....お互いの思いが同じなら....その時は...」
カオルは一生懸命話した。
包み隠さず、自分の本心を。
カオルの胸に渦巻く感情がなんなのか。
今はわからない。
リアに恋したものなのか。
ただの哀れみなのか。
「...図々しい事を言ってるのはわかってる。リアがボクに好きって言ってくれた事も覚えてる。それでも、ボクは知りたい。この感情がなんなのか.....ダメ....かな?」
カオルは、何故か必死になっていた。
胸の内を曝け出し、フロリアに懇願していた。
カオルのそんな姿が、フロリアとアーシェラには、親に捨てられた子犬の様に見えた。
寂しそうな、雨露に濡れた子犬に。
「カオル様!!私は、ずっと傍におります。何があろうと、ずっと傍におります。たとえ、カオル様のお心が私に向いていなくても、ずっと....リアの心はカオル様の傍に....」
フロリアも開いた。
心を。
そして、けして離れないと、母の前で誓った。
たとえ、カオルの心が自分に向いていなくても。
傍にいると。
「...ありがとう、リア。ボクの我が侭を聞いてくれて。アーシェラ様。いつか、アーシェラ様と家族になる日が来るかもしれません。その時は.....沢山甘えさせてください」
「ええ。その時は、カオルを私の子供として迎えます。できれば、そうなって欲しいと思っているわ」
3人は、静かに泣いて、笑った。
未来はわからない。
しかし、お互いに幸せな未来が訪れる事を、今はただ祈ろう。
人の心は陽炎の様に、移ろいやすいものなのだから。
いつまでも語り合う3人。
いつのまにか、地平線の彼方から朝日が顔を見せていた。
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