第百七十五話 親バカ公爵
エルヴィント帝国。
大陸の西側に位置し、温暖な気候。
主産業は砂糖と塩の精製を行っており、食料自給率もそれなりに高い。
他国に比べて唯一脆弱と言われるのは、鉄鋼業だろう。
もちろん鉱山を有しているが、産出量は少ない。
そのため、同盟国であるカムーン王国から小麦を含めて輸入している。
代わりに、質の良い砂糖と塩を輸出しているのだ。
両国の関係は友好と言える。
女王エリーシャ・ア・カムーンと、皇帝アーシェラ・ル・ネージュは友人関係にあるのだから。
そして、ここエルヴィント帝国に1人の新興貴族が居る。
年齢は12歳。
歳若くしてその子供は、突然出現したドラゴンを倒す。
皇帝アーシェラは大変喜び、市井の出自であったその子供を男爵へと襲爵した。
さらに、数十年ぶりの戦争で、その子供は伯爵へと陞爵される。
全て、皇帝アーシェラの策略によるものだ。
伯爵の名前は香月カオル。
見た目は麗しい美少女。
だが、性別は男性。
そんな香月カオル伯爵の領地に、2人の人影があった。
長く毛の多い尻尾に、ピコンと尖った三角耳。
真っ青な薄い布地の服を着て、腰から3本の短剣と1本の短刀を携えている。
2人は今、窮地に陥っていた。
薄暗い月夜の中、大きな岩のゴーレムに捕らえられていたのだ。
「に、兄様....」
「ルーチェ....」
お腹を地面に向けて、上から岩のゴーレムに圧し掛かられている。
2人の名前は蒼犬のルチアとルーチェ。
皇帝アーシェラの私兵だ。
「くっ....」
「うぅ....」
2人は知らなかった。
香月カオル伯爵領に、こんな怪物が居る事を。
ただ、皇帝アーシェラの命により、視察しに来ただけなのだ。
「ルーチェ...なんとか逃げ....」
「兄様......」
2人は動けない。
誰かが助けに来るまでは....
エルヴィント帝国。
帝都北西に、香月カオル伯爵の屋敷はある。
周囲を貴族の家に囲まれて、貴族街と言われる一画。
その屋敷からは、綺麗な音色が聞こえていた。
奏でられる旋律は、聴く者の心を満たすもの。
無いはずの色鮮やかな花々が、目の前に現れては消えていく。
時刻は午後8時過ぎ。
周囲の貴族もテラスへ出て、静かに音色を聴き入っていた。
「上手いものだな。カオル」
ヴァルカンはカオルを褒め称えた。
カオルがピアノを弾ける事を、ヴァルカンは知らない。
むしろ、屋敷に帰って来た時にカオルがピアノを弾いていて驚いたくらいだ。
「ありがとうございます。こうしてピアノが弾けるのも、エルミアのおかげなんです」
カオルは嬉しそうに笑顔を見せた。
ピアノを贈ってくれたエルミアに向けて。
「いえ。カオル様が、欲しいとおっしゃられていたので」
カオルと見詰め合うエルミア。
その様子を、ヴァルカン達は忌々しげに見ていた。
「か、カオル!!他に欲しい物は無いか?」
「カオルちゃん!!欲しい物があったら、なんでも買ってあげるからね!?」
「わ、私をあげてもいいわよ....」
「ご主人様!!美味しいケーキを焼いたんです!!よかったらご一緒に....」
「ご主人。アイナ食べる?」
嫉妬心からから、そんな事を口にするカオルの家族達。
カオルは微笑んで「ありがとう♪」と返した。
そこへ....
「チリン」
玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
(こんな時間に誰でしょう?)と思いながら、メイドのフランチェスカが応対に向かった。
アイナも慌てて後を追い、しばらくして戻って来ると、1人エルフの男性を連れたフランチェスカ達が戻って来た。
「こんな夜更けに、突然おじゃましてしまい、申し訳ございません。素敵な音色に誘われまして...」
カオルは椅子から立ち上がり、胸に手を当てて会釈を返す。
ヴァルカン達も同じ様に会釈をすると、カオルが挨拶をした。
「お耳苦しいものをお聞かせしてしまい、申し訳ございません。当家の主、香月カオル伯爵と申します」
「私はエルノール・ラ・フェルト公爵です。香月伯爵」
貴族としてのやり取りが、ヴァルカン達の前で繰り広げられた。
カオルは堂々としていた。
そして、ヴァルカンは気付いた。
このエルノールが、選帝侯でありグローリエルの父親である事に。
「せっかく来ていただいたのです。よろしければ、紅茶でもいかがですか?」
「これはありがたい。丁度、喉が渇いていたもので」
「それはよかった。フラン、アイナ。紅茶を」
「は、はい。ご主人様」
カオルに命令され、慌しくキッチンへ向かうメイドの2人。
カオルは、エルノールを居間のソファへ誘い、対面する形で腰掛けた。
「お会いできて光栄です。香月伯爵」
「いえ。こちらこそ、来ていただけて光栄です。選帝侯のフェルト公爵様」
「ハハハ。私は既に子供へ家督を譲っている身。エルノールと呼んでいただいて結構ですよ?」
「そうですか。それではボクも、カオルとお呼びください」
「では、そうさせてもらいましょう。カオルさん。私が来たのには、理由があります」
「なんでしょうか?」
「聞くところによると、カオルさんは街をお造りになられるとか。よろしければ、ご協力させていただけませんか?」
交わされる2人の会話。
ヴァルカン達はジッと聞き入り、フランチェスカは紅茶を差し出しながら震えていた。
「...確かにボクは、街を造っています。今は猫の手も借りたい状況ですが、ボクは皇帝陛下の助力を断りました。その理由は、新しい街に住まう領民に、様々なしがらみを押し付けない為です。それなのに、エルノール様のご協力を得ては、意味を成さなくなってしまいます。ですから、申し訳ございませんが、辞退させていただきます」
「....そうですか。公爵である私の協力を、断ると言うのですね?」
「はい」
交差する視線。
対峙する2人は、言葉も交わさずジッと睨み合う。
冷たい空気が充満する中、先に口を開いたのはエルノールであった。
「...クッ....ハハハハハ!!!いや、これは失礼しました。カオルさん。あなたは中々芯の通ったお方だ。公爵の願いを、こうも無下に断られるとは。正直思っていませんでした」
「いえ。エルノール様が、ボクを試しているのはわかっていましたから」
「ほぅ....いつわかられたのですか?」
「最初からです。こんな夜更けに、選帝侯である公爵様が1人で下級貴族の屋敷に赴くなど、普通考えられない事です。おそらく、何か話しがあるのだと思いました」
「...それだけですか?」
「もう1つ。ボクは『皇帝陛下の助力を断った』と言いました。なのに、エルノール様は執拗に協力を申し出た。皇帝陛下を断ったのに、です」
「さすがです。やはりカオルさんを選んで正解でした」
「どういう意味でしょうか?」
「実は....」
エルノールが語った内容は、カオルに大きな衝撃を与えた。
近年、エルヴィント帝国の周辺では、人攫いが横行しているという。
村の幼い少年少女を勾引かし、奴隷へと落としているそうだ。
子供を奪われた両親は、方々手を尽くしているが、あまりにも件数が多くどうしようも無いらしい。
なんとか帝国も手を打ってはいるものの、中々解決の糸口を掴めなかった。
だが、腐っても帝国。
ようやく人身売買を行う盗賊団のアジトを見つけ出し、そこへ強襲し掌握したのだが....
そこで問題が起きた。
盗賊団のアジトには、予想よりも多くの子供が居たのだ。
捜索願いの出ている子供は、なんとか両親の元へ送り返した。
しかし、それでも子供は多く残った。
このままでは、子供達の行き場が無い。
そんな時に、カオルが『奴隷の街』を造ると耳にしたアーシェラが、親のいない子供を引き取らせようと計画したらしい。
さすがは策士のアーシェラだ。
カオル達に一切気付かせずに、裏でコソコソ動いていたとは誰も思わない。
「...そういう事ですか。ですが、ボクは女性だけの街を造るつもりですか?」
「ご心配には及びません。全員可愛らしい女の子です」
「はぁ...アーシェラ様らしいですね」
「まったくです。皇帝陛下は、煮ても焼いても食べられません」
空笑いをするカオルとエルノール。
ヴァルカンとエリーは、憎々しげにアーシェラの居るエルヴィント城の方角を睨み付けた。
「ところで、なぜエルノール様がボクの下へ?」
「私は家督を譲っている身。時間はあるので」
「なるほど。良い暇つぶし。ですか?」
「事が事だけに、そういう言い方はできませんが」
「失礼しました。どうやら、アーシェラ様への憎しみが、つい口から出てしまったようです」
「ハハハ。お気持ちはわかります。ところで....よければ、カオルさんのピアノをもう一度聴かせてくれませんか?」
「ええ、時間も遅いので、1曲だけでよろしければ」
「ありがとうございます」
カオルはピアノを弾いた。
曲はベートーヴェン ピアノソナタ第23番『熱情』
ベートーヴェンの作品中においても、燃えるような激しい感情と、寸分の隙もない音楽的構成から最高傑作のひとつ。
カオルは静かに怒っていた。
またもアーシェラの掌で上手く転がされて。
やはりアーシェラは策士だ。
それも、長年皇帝で居続けられるほどの。
全ての国民から愛されるほどの。
わかっていた。
カオルには敵わない相手だということは。
それでも。
それでもいつか、アーシェラに一泡吹かせてやりたい。
演奏を終えたカオルに、エルノールが称賛を贈る。
「大変良い演奏でした。ありがとうございます。香月伯爵」
「とんでもございません。フェルト公爵様」
満足そうに笑顔を浮かべ、「帰る」と言うエルノールに、カオルは見送りをつけた。
他の貴族がそうするように。
「ヴァル。フラン。フェルト公爵様の見送りを」
「....わかった」
「は、はい」
カオルに言われ、一歩前へと歩み出る2人。
エルノールは驚き、それを辞退した。
「見送りなどいりませんよ?」
「いえ、フェルト公爵様がお屋敷に戻られるまで心配ですので。ヴァルカンはカムーン王国元剣聖ですし、フランチェスカは身元確かな当家のメイドです.....ご存知だとは思いますが」
含みを持たせて告げるカオル。
その顔は笑っていた。
「....やはりカオルさんは素晴らしいお方だ。ありがとうございます。それでは見送りをお願いします」
ヴァルカンとフランチェスカを連れて、エルノールはカオルの屋敷を後にした。
後に残ったカオル達。
カオルはガクっとエリーにしな垂れ掛かる。
「ちょ、ちょっとカオル大丈夫!?」
「うぅ...疲れたから、エリーおんぶして...」
「な、何よ!さっきまで、あんなにカッコよかったのに!!」
「え?ボクカッコよかった?」
「ええ♪カオルちゃんは、とってもカッコよかったわ♪」
「カオル様は、いつでも素敵です」
「ご主人。おんぶ」
家族達に癒されて、カオルは身体の疲れが少しとれた。
エリーはしっかりカオルをおんぶし、こっそりアイナがカオルの腰に掴まっていた。
カルアとエルミアはそれを黙っていたが。
一方、エルノールを見送るヴァルカンとフランチェスカの2人。
淡い街灯の灯る、貴族街を歩いていた。
「ヴァルカン殿は、幸せですね」
不意に、エルノールから話し掛けられたヴァルカン。
少し驚きはしたものの、表情を崩さずに対応した。
「どういう意味でしょうか?」
「いえ、あんなに素敵なカオルさんの傍に居られて、幸せでしょう?」
ヴァルカンは、エルノールの言葉の裏を考えた。
だが、わからなかった。
今のエルノールは、本心を言っている様に思える。
ボーっと空を見詰め、誰かを想像しながら話しているのだから。
「...そうですね。私は幸せです。カオルの傍に居られて。それは、フランチェスカも同じでしょう」
突然話しを振られたフランチェスカ。
慌てて「ひゃい!」と答えた。
「ハハハ。本当に素敵だ。とても羨ましい。ヴァルカン殿はご存知だと思いますが、私には娘が居ます。本当にどうしようもない放浪娘ですが、私には可愛くて仕方がありません。あの子も、いつかカオル殿の様な素敵な相手と結婚出来るのでしょうか...」
それは弱音だった。
幼い頃に家を飛び出したグローリエル。
グローリエルは冒険者と成り、エドアルドと共に数々の魔境・ダンジョンを制覇した。
そして実力を認められ、剣騎と成る。
今でこそ和解し、エルノールとグローリエルは一緒に住んでいる。
だが、エルノールは不安に思っている事がある。
それは、世継ぎの事。
世の親達は、同じ様な悩みを抱えている。
25歳になっても、結婚のけの字も出て来ないグローリエル。
エラノールが何度か見合いをするよう持ち掛けたが、グローリエルは断った。
「相手はあたいが決める」の一点張りで。
ヴァルカンとグローリエルは年齢が近い。
そして、国は違えども剣聖と剣騎という役職も同じだ。
そんな2人を、エルノールは重ねて見ているのだろう。
(我が子も早く善い人と....)
そう思っているに違いない。
「....大丈夫だと思います。グローリエルなら、きっと」
ヴァルカンは、グローリエルなら大丈夫だと思っていた。
面倒臭いから剣聖を辞めた自分とは違い、グローリエルは現役の剣騎なのだ。
抜けているところもあるが、案外しっかりしている。
それに、アーシェラに重用されていて仲が良さそうだ。
そのうち、アーシェラが善い男でも見繕って来るだろう。
そう思っていた。
「ほ、本当にそう思いますか!?む、娘は、グローリエルは幸せになれるだろうか!?私は、孫の顔を見れるだろうか!?」
エルノールはヴァルカンに詰め寄った。
危機迫る物言いで。
エルノールは親バカだった。
いや、とてつもなく過保護なのだ。
グローリエルは、生まれ持った膨大な魔力量のおかげで、魔術学院で1人浮いていた。
そのくせ魔法の才能が無かったのだから、孤立するのも無理はない。
いつも窓際の席に座っては、無言でアゥストリの授業を受けていた。
その事をアゥストリから相談されて、エルノールは益々過保護になった。
その結果。
グローリエルは家出をしたのだ。
完全にエルノールのせいである。
エルノールは嘆いた。
グローリエルが剣騎と成り戻ってきた時に、泣いて謝罪した。
そこで、家督も譲り隠居する事にしたのだ。
奥方には泣くほど折檻されたが。
「だ、大丈夫じゃないですかね....なぁ、フランチェスカ?」
「ひゃい!?わ、私に聞かれても.....」
「どうなのだろうか!?グローリエルは!!あの子は子を授かる事ができるのだろうか!?」
エルノールのあまり迫力に、ヴァルカンとフランチェスカは、目を逸らした。
淡い街灯が、そんな3人を明るく照らしていた。
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