第十五話 治癒術師
2016.7.05に、加筆・修正いたしました。
土を叩き固めた村道から、石を敷き詰めた街道へ。
ゴトンゴトンと車輪が回り、荷を牽く馬車が上下に揺れる。
見渡す限り長閑な風景。
遠くに見える森林部には、かすかに残雪が垣間見える。
その荷馬車の中に、可憐な子供と凛々しい女性が2人。
積み荷は他に、粉挽きされた小麦粉樽がいくつか。
遠く大陸南西に位置する【カムーン王国】の【イーム村】を離れ、早2週間。
干し肉や、薄塩味のスープ。黒くて硬い携行パン等、そろそろ簡素な食事に飽きあきとしていた。
(はぁ...もう、師匠は自分勝手なんだから...)
可憐な子供こと、香月カオル。
なぜカオルが荷馬車に揺られているかと言うと――
生死を分ける激戦から、一月が経過した。
受けた創傷も幾分快方へ向かい、ゆっくりとした歩調であれば1人でも歩ける状態。
初期治療の手際も良かった。
傷だらけの全身を隅々までキレイに洗い流し、熊脂や軟膏など、所謂傷薬のおかげで命を救われた。
しかし、肩口と背中の怪我は思いのほか深く、さすがに大きな傷跡が残っている。
外見が可愛らしいが故に、ソレはとても痛々しく見えてしまう。
そこで、凛々しい女性――ヴァルカンの発した言葉で2人旅が決まった。
『高位の回復魔法が使えれば、傷跡も消せるからな。カオルも見識を広げた方が良いし、出掛けるか』
出不精なヴァルカンが、自らカオルを誘った事も理由の一つ。
ただし、本音は(カオルきゅんと新婚旅行!!)と、内心浮かれていた。
年齢の差さえ考えなければ、確かに2人は夫婦に見え――ない。
カオルは見た目美少女。
ヴァルカンは不老のエルフ。
どう見ても百合百合しい想像しか沸かない。
当然【イーム村】で一儲けした御者を務めるスーザン――人間の妙齢の女性――も、カオルを男の子だと思っていなかった。
「カオル。あと半日ほどで【オナイユの街】に着くそうだぞ?」
スーザンから聞いて来たヴァルカン。
荷台の帆を閉めながらカオルの隣に腰を落とす。
満面の笑みに、妖しい瞳。
心は踊り、胸はワクワク。
ヴァルカンは今、間違いなく人生で最高潮の愉楽のひとときを過ごしている。
「大丈夫か? 腰痛くないか? 私の膝の上はいつでも空いてるぞ?」
胡坐をかいて脚を叩く様は、実に漢らしい。
ただ、カオルにとっては喜ばしくない。
もうすぐ数え年で12歳の子供は、絶賛思春期真っ最中。
容姿で勘違いされ、幾度も辛酸を舐めてきた。
だからこそ反抗する。
カオルは立派な男に成りたい。
「...大丈夫です」
諦め顔で否定する。
あの日、ヴァルカンがカオルの頬に口付けてからというもの、家族の箍が外れ、おかしな関係を築いてしまった。
激変したのは入浴。
怪我をしているのだから湯船に浸かるなんて事も出来ず、濡らした布で身体を拭って過ごしていた。
それも、傷が塞がりようやくお風呂に入れる状態になった頃から、ヴァルカンの大暴走が始まる。
食事は膝の上に乗せて食べさせ、居間のソファでだらける時もカオルの傍を離れない。
そして、それはもう嬉しそうにお風呂へ誘い、全身ありとあらゆる所を洗い出す。
お互いに全裸の状態で。
カオルにだって羞恥心はある。
家族という定義に則り、口付け合うのも、一緒にお風呂へ入るのも当然の行為。
だが、生まれた時からそうしてきた両親とは違い、ヴァルカンは家族になってまだ2年程度。
お互いの距離感を掴む為に、もう少し猶予が欲しい。
いずれは両親の様な関係をカオルも望んでいるけれど、さすがにトイレまで着いて行こうとするのはいかがなものか。
ヴァルカン達が向かっているのは、同盟国の【エルヴィント帝国】にある【オナイユの街】。
カオルは知らないが、ヴァルカンは村長の伝手を使い、【イーム村】へ来る行商仲間から、事前にスーザンを紹介してもらっていた。
運賃を無料にする代わりに、元剣聖が護衛を引き受ける。
治安の良い街道に盗賊や魔物が出没する頻度は高くない。
しかし、ただ土を押し固めただけの村道は、一見するとなだらかな丘にしか見えない。
だからこそ、盗賊や魔物にとって絶好の狩場になるのだが、命懸けの行商がバカなはずもなかった。
自前で専属護衛を雇う豪商も居れば、冒険者へ依頼する行商も居る。
帝国民のスーザンでも、【カムーン王国】の元剣聖が無料で護衛をしてくれると聞けば、飛び上がって喜ぶのも当然。
むしろ、ヴァルカンのせいで片道だけの護衛依頼なんていう、中途半端な仕事を受けた冒険者達が一番の不幸者。
もっとも、そんな依頼を受けた冒険者自身が悪いのだが。
(回復魔法かぁ...)
馬車旅で2週間。
道中数度襲われた事もあった。
見るからにみすぼらしい格好をした3人の獣人は、瞬く間にヴァルカンに叩きのめされ力強い説得――お説教――のおかげで改心し、近くの村で引き取る事に。
聞けば、住んでいた村で飢饉が起き、蓄えも無くなり盗賊紛いの夜盗に成り下がったそう。
幸い初犯で、カオルが畏怖する『濁った目』をしていなかった為、領主の決めた村の掟に従い、数年の間奉仕活動に従事する。
無給ではあるが、食う寝る場所に困らないのだから、彼等にとって願ったり叶ったりである。
また、魔物の襲撃も当然あった。
下級の猪頭鬼や、醜悪鬼。
片手で数えられる程度の散発的な戦闘で、ヴァルカンにとって朝飯前。
むしろ、カオルが魔法で援護しようとして怒られた。
『カオルは、身体が元に戻るまで魔法禁止だ!!』
無茶をして心配させてしまったカオルの罪なので、しぶしぶながらも了承する。
実際、カオルの怪我は完治した訳ではなく、身体を動かそうとすれば皮膚に違和感もある。
瘡蓋が出来て、突っ張った状態と表現すればわかるだろう。
そのくせ《魔法箱》は使いまくりだ。
しかし、ヴァルカンの過保護はどこまでいくのだか。
以前ならば、半ば放任主義に等しかったはずなのに、今や片時も離れず、まるで寒さから我が子を護る皇帝ペンギンの親御の様。
それだけ家族愛を向けてくれているのだとカオルは想い、嬉しくもあり、やっぱりまだ距離感がわからなくて恥ずかしくもあり...
(【聖騎士教会】かぁ...)
回復魔法を扱える"治癒術師"は、必ず所属ないし登録しなければいけない。
簡単に言えば、市場の独占。
魔法で怪我を治すという巨大な市場を、【聖騎士教会】は独占している。
その理由は、教義にある。
【聖騎士教会】が主軸としている世界の安寧。
それは、『魔物や魔獣から向けられる脅威を命を賭して護る』というものと、『国家間で戦争が起きた時に、調和を以って話し合いで解決させる』事。
実に、夢物語に近い話しである。
しかし、【聖騎士教会】はソレを是とし、実際に奮闘しているのだから、まさしく凄いの一言。
だからこそ、周辺各国は文句も言わず、市場の独占を許している。
もちろん、各国の主要な都市や村々に、礼拝堂や治療所を設けているおかげもあるだろう。
そして、カオルとヴァルカンが【オナイユの街】に向かっている理由は、そこに【聖騎士教会】の治療所があるから。
本当は、【カムーン王国】の王都へ向かった方が断然近い。
なにせ【イーム村】から馬車で5日の距離にあるのだから。
ただ――行けない理由があった。
それはもちろんヴァルカンのせい。
当時、親友と呼べる仲の犬人族の女性――フェイ――と共に、優秀な成績で王立騎士学校を卒業したヴァルカンは、その強さを女王陛下に認められ、若くして剣聖に任命される。
相次ぐ内乱に不安定な世情も一因した。
剣聖も代替わりを迫まれ、ヴァルカンとフェイの2人は、王国民の期待を一身に背負い、王国中を飛び回る。
任務はまさしく激務であり、多忙を極め、ヴァルカンの心はやがて疲弊していく。
一番の原因は、職務の内容だろう。
安定した治世でない為、内乱の類が起こるのは仕方がない。
領民の為と嘘を吐き、増税に次ぐ増税で他貴族に見栄を張り続けた領主は私腹を肥やす。
やがて食べる物もなくなり、領民達は反乱を決起した。
ただ、齢十歳にも満たない子供達が、農具を武器に領兵へ立ち向かう姿は――過酷すぎた。
お家事情――当主争い――で貴族同士の争いもある。
毒殺に暗殺。傭兵を雇い、領民を賭けた大規模な戦争もあった。
その全てを平定するのがヴァルカンの職務。
どこにでもある話しで、どこにでもある事情。
それが若干18歳で誉れ高き剣聖に任命され、22歳で退任したヴァルカンの理由。
そして――確かにヴァルカンの心が病んだ理由。
世界は欺瞞で溢れている。
嘘を吐き、騙し、欺く。
それは他者であって、自分である。
だからヴァルカンは酒に逃避した。
王都中の酒場を周り、荒し、暴れた。
悪評は轟くところを知らず、やがてヴァルカンは不名誉な噂に晒される。
生来の面倒臭がりな性格と結び付いたのも原因かもしれない。
行く当ても無くなり、とうとうヴァルカンが途方に暮れた頃、意外な人物が手を差し伸べる。
それが王都でも有名な"とある鍛冶師"。
ヴァルカンはそこで鍛冶の腕を磨き、女王陛下の温情を以って、【イーム村】へ下っていた。
カオルの知らない、ヴァルカンの人生。
ヴァルカンが今こうして笑っていられるのも、カオルのおかげ。
そして、カオルが今こうして生きているのも、ヴァルカンのおかげ。
2年という歳月は、短い様でいて、とても永い。
まして2人きりの家族なのだから、濃厚な時間を過ごしたと言えるだろう。
「そういえば、師匠? その服、とってもカッコイイですね?」
今日【オナイユの街】に到着する事は事前にわかっていた。
だから、朝起きた時にヴァルカンは正装に着替えた。
臙脂色に、白を基調とした燕尾服。
裾や襟に金銀飾りが装飾されて、肩から垂れる飾緒が存在感を放つ。
普段、ダボダボな衣服を着ている『残念美人』なヴァルカンを見ているから、カオルの目には余計新鮮に見える。
「これは、剣聖の騎士服なんだ。私は、公の場に顔を出す場合着る必要があるんだ」
「えっと...師匠は、元剣聖なんですよね?」
「そうだぞ?」
「それでも着なきゃいけないんですか?」
「ああ。それでも着なければいけない」
ヴァルカンはそう言い天を仰ぐ。
その瞳に映るのは、荷馬車の帆ではなく過去の情景。
剣聖の座を辞した今、未練はまったくない。
むしろ、こんな自分に密命を与えてくださった、大恩ある女王陛下へ感謝している。
『自分の自由に生きなさい』と、下賜された愛刀――白刃刀――をそのままにしてくれていたから。
そして、そんなヴァルカンの横顔を、カオルはただ黙って見詰めていた。
ほどなくして、適度に休息を取りながら、カオル達は目的地【オナイユの街】の外壁へ辿り着く。
途中、何度もヴァルカンが口移しで水を飲ませようとしたり、全身マッサージと称した過度なスキンシップ――セクハラ――にカオルが耐えながら。
時代が時代なら犯罪者だ。
到着を告げたスーザンも、さすがにヴァルカンの変わり様に気付き、カオルへ小声で耳打ちする。
「強く生きるんだよ? 命の危険を感じたら、聖騎士様の詰め所へ逃げ込めば匿ってくれるからね?」
警告は為された。
カオルは静かに頷き、心に強く留める。
いざとなったら一時的に避難する事を。
街門前でスーザンと別れ、街に入る為の行列に並ぶ。が――ヴァルカンはカオルの手を引き行列を無視。
あまりにも堂々とした態度に、困惑気味なカオル。
区画整理され等間隔に並ぶ木々。
街道は色々な大きさの石が組み合わされて、多少凹凸しているけれど立派な石畳。
【オナイユの街】の外壁は凡そ4~5mの高さを有していて、開け放たれている街門は意匠の凝った造りをしている。
そんな中、列の横を通り抜けた後方から、「あれ、剣聖様じゃね?」とヒソヒソ話が聞こえ、カオルはようやく理解する。
実はヴァルカンが著名人で、伊達に元剣聖なんて名乗っていない事を。
(確かに、今の師匠の姿はとってもカッコイイし、佇まいから『男装の麗人』みたいなオーラを感じるもんね)
普段手を焼かされる相手も、今は本当に頼りがいのある姿。
つい先ほどまで見せていた変態魔人はどこへ行ったのか。
頭を振ってうな垂れるカオル。
(いつもこうしてくれないかな?)と、心で泣いていた。
「これは剣聖殿。オナイユに御用でしょうか?」
門番役の兵士。
【エルヴィント帝国】の国色である、青い軍服に帯剣した姿。
その隣で全身鉄鎧を身に纏い、見事に敬礼をしてみせた【聖騎士教会】に所属する聖騎士。
2人の他にも多くの兵士と聖騎士が忙しなく入街する人員を捌いている。
中でも特に目に付くのが、やはり徴税官の存在だろう。
兵士と同じ青い服だが、装いが違う。
現代日本でスーツと呼ばれる正装の上に、裾の長いコートの様な物を羽織っている。
カオル達も【オナイユの街】へ辿り着くまでの間、何度も入村税や、入領税。越境税――他国へ入国する為の税――を課せられた。
もっとも、元剣聖のヴァルカンは免除され、カオルはまだ未成年の為払っていなかったが。
「ああ、本日は"私の"弟子の治療をしに来た。【聖騎士教会】の治療所まで案内してくれないか?」
欲深きヴァルカン。
わざわざ一部の語意を強調して話す。
そうする事で兵士達も理解した。
この少女は、剣聖の特別なのだと。
「わかりました。今しばらくお待ち下さい。【カムーン王国】の剣聖殿を、我等下士官がご案内するなど出来ません。すぐに上の者を連れて参ります」
完全武装――全身鉄鎧――状態だと、見た目では判別不可能であるが、【聖騎士教会】には明らかな軍属階級が存在する。
近代軍制でいうと、馬上の資格を持つのが士官・下士官。その下に従士と見習いと続く。
その総称で"聖騎士"と呼ばれ、見習い中でも"聖騎士"足る努力を欠かす事は許されない。
【エルヴィント帝国】や【カムーン王国】それぞれで軍属階級の違いもあり、また呼び名も違う。
そして、下士官が「上の者」と言えば士官に値し、【聖騎士教会】で栄誉を持つ、"聖騎士長"がやって来るという事。
恭しく一礼し、同僚――下士官――へ目配せ厩舎の馬を走らせる。
ヴァルカンの井出達と帯刀する白刃刀。
この場にそぐわぬ雰囲気は、まさに異質で雅。
カオルが羨望の眼差しでヴァルカンを見てしまうのも当然だった。
しばらくして、騎乗した1人の犬人族の男性と、2人の聖騎士がやって来た。
先頭を走る犬人族の男性だけ全身鉄鎧ではなく、白を基調とした騎士服を纏い、存在感が違っている。
アレがおそらく上の者なのだろう。
「これはこれはヴァルカン殿!! お久しぶりでございます!!」
下馬しヴァルカンと握手を交わしたその人物。
身の丈2mに程近く、カオルとは50cmも身長が違う。
背の高さにコンプレックスを持つカオルは、ちょっと羨ましそうに顔を見上げた。
「ん...ああ、レンバルトか。まさか、まだ貴卿がオナイユに駐屯していたとは思わなかったぞ」
一瞬名前を思い出すのに時間のかかったヴァルカン。
記憶力が悪いのではなく、ただ興味がなかった。
なにせヴァルカンは、つい2年ほど前に美少年趣味だと自覚したのだから。
「いやいや、聖騎士も人材不足でして。それで、此度はお弟子の治療が目的とか。ふむ...なるほど。実に可愛らしい少女ですな」
ヴァルカンと手を繋ぐカオルを数瞬眺め、ニカっと爽やかな笑みを浮かべたレンバルト。
嫌味をまったく感じないその様子にカオルが緊張の糸を解き、(ボク男だよ...)と内心反論する。
一方のヴァルカンは「そうだろそうだろう」と言いながら頷く。
『カオル女の子化計画』は、ここでも猛威を振るう事になる。
「では、ご案内させていただきましょう。オイッ!!」
「「ハッ!!」」
見事な答礼を返す部下の聖騎士達。
馬を外門近くの厩舎へ預け、ヴァルカンとカオルを連れて、レンバルトは歩き始めた。
オナイユの街並みは、【イーム村】と比べるのが馬鹿らしい程大きかった。
白い壁に赤い屋根の建物郡。
所々から突き出る煙突は、もくもくと煙を吹き上げる。
主産業は特にないが、通商の要であり北と東に魔境が3つ隣接している。
故に冒険者もそこそこ多く、各種ギルド――商業・鍛冶・冒険者――の支部も存在していた。
人口は凡そ2万人。
【イーム村】が3千人程度だったのだから、その規模の違いがよくわかる。
「師匠、おっきいです!」
「そうだろう、おっきいだろう」
カオルの歩幅に合わせてノロノロと歩く一同。
道案内役のレンバルトを先頭に、ヴァルカンとカオル。その後ろに聖騎士の2人が追随する。
レンバルト曰く「まだまだ未熟だ」と判断される将来有望な聖騎士――今は従士――が、カオルの一挙一動から目を離せられない。
店舗を構える豪商や大商が軒を連ね、大踊りはとても賑やか。
外門近くに飲食店と大小宿屋。
軽食が取れる屋台なんかも存在する。
美味しそうな焼き串の匂いに釣られ、カオルがふらりと立ち寄ろうとすれば、慌ててヴァルカンが頭を撫でて、「あとでな」と優しく窘める一幕も。
先へ進めば一風変わり、武具や衣服を取り扱う商店が増え始め、場末の鍛冶師をしていたヴァルカンでは、とてもじゃないが手が出ない銀線細工の装飾品が売られている。
荷馬車に揺られ、これまでも街や村を沢山見てきたカオルだが、やはり2年以上も過ごしてきた【イーム村】の印象が根強い。
だからだろう。
見るもの全てが新鮮に映り、アレやコレやと好奇心旺盛にヴァルカンへ質問する。
その度に艶やかな長い黒髪が左右に揺れて、見た目の可愛らしさも相まって周囲から熱い視線を向けられる。
当然間近――背後――から見放題の聖騎士2人は、すっかりカオルの虜になってしまった。
「(むっちゃ可愛いな...)」
「(何と言ってもあの髪だろう? めずらしいもんな)」
コソコソ内緒話しを始めた2人。
言葉の通り、黒髪はとても珍しい。
特に【エルヴィント帝国】は他種族が多く、彼等の知り得る知識では、大陸東部の【ヤマヌイ国】出身者が少なからず黒髪らしい、という事。
その知識も【聖騎士教会】に所属しているからこそ知り得たモノで、真実は純血のヤマヌイ国民しか黒髪ではない。
しかも【ヤマヌイ国】は、表向き他国と交流しておらず、鎖国状態にある。
そんな状況下で、カオルの黒髪はさらに珍しさを増す結果となっていた。
(...なんだか、物凄く見られているような)
他人から向けられた好奇な視線というものはとても気付きやすい。
すれ違ったドワーフの老夫婦から、何故か焼き菓子なんて貰えば尚更だ。
「師匠? 半分こしましょう?」
「ああ、そうだな」
気にした様子を見せないレンバルトから、この街の治安の良さを理解したヴァルカン。
(さすがに毒なんて入ってないか)と、無駄な危機感を投げ捨て、仲良くカオルと分け合った。
「あ、美味しいです!!」
鼻孔を擽る微かなブランデーの香り。
口内で広がる砂糖特有の甘さ。
実に一月ぶりの砂糖の味に、ついついカオル顔が綻ぶ。
砂糖輸出国の【エルヴィント帝国】だからこその美味しさ。
「ん、美味いな」
仲睦まじい師弟の2人。
この微笑ましい光景に裏があるなんて誰も思わない。
唯一、首謀者のヴァルカンだけがほくそ笑む。
(私の嫁は可愛いだろう?)と。
しばらくして、目的地に辿り着いた。
重厚な石造りのゴシック建築。
外内壁は白く着色されて美しく、各所の窓にステンドグラスが填め込まれ、採光豊かな彩りが神秘的。
開け放たれた木製の扉。その奥はとても広く、木製の長椅子が左右に並べられ、最奥に祭壇が置かれている。
どこからどう見ても立派な教会。
(治療所へ向かってたはずなのに、どうして教会?)
カオルが首を傾げるのも当然だった。
「では、ヴァルカン殿。治療が終われば日も暮れましょう。宿泊は、以前泊まられた"黒猫通りのミント亭"がお勧めです」
「わかった、そうしよう」
「話しは通しておきましょう」
「悪いな」
「いえいえ。では、また後日にでも」
簡単な挨拶を交わし、レンバルトと聖騎士が立ち去る。
カオルはとりあえず感謝を告げて、子供らしく手を振って見送った。
「それじゃ、入るか」
「あ、はい」
サラリと決まった宿泊所。
さっさと帰るレンバルト。
カオルが不思議そうに首を傾げ、教会の敷地に入ろうとして、再度レンバルト達へ視線を向けると、真隣にある高い煉瓦造りの塀の建物へ消えていった。
そこはまさしくオナイユに駐屯する聖騎士の詰め所。
カオルの"万が一の避難先"。
警告は為され、避難場所も確認した。
これでカオルに恐れる者はない。
「ようこそおいでくださいました。ご礼拝でしょうか?」
教会でカオル達を出迎えた人間の男性。
ロング丈の真っ白い広袖のチュニック――ダルマティカ――の上に、青いポンチョの様な服を被っている。
周囲の女性や男性も同じ様な格好をしている事から、法服の類なのだろう。
「いや、治療だ。治癒術師はいるか?」
「少々お待ち下さい」
そう言い残し、男は礼拝堂の隣の部屋へ。
カオルは(なるほど)と理解する。
この教会は、礼拝堂と治療所が併設されている事を。
(ん~...掃除の手間も省けるし、さすがだね♪)
掃除人魂が疼く。
なにせこれだけの大きさの建物。
太い柱は細やかな細工を施されて数本立っているし、礼拝堂は広く天井もうんと高い。
壁に翼を広げた天使の姿を描かれた絵画が飾られ、チェストの上に蝋燭立てがいくつも配置されており、祭壇には女性を象った石像が置いてある。
ソレは【聖騎士教会】が主神として崇める女神"シヴ"。
厳格な表情を浮かべ、手にする剣と盾が意味するのは、まさしく教義そのものだろう。
「おまたせしました。こちらへどうぞ」
教会内を観察していたカオルが、慌ててヴァルカンの後に続く。
男に案内されて扉を潜り抜けた先は、また趣きが違っていた。
一言で表せば、簡素。
壁は積み上げられた石材そのままで、礼拝堂の様に着色されていない。
2階へ続く木製の階段が小さく建てられ、その間にいくつもの部屋の入り口が開いている。
扉は無く、布一枚が部屋と廊下を隔てていた。
「あらあら♪ 剣聖様ですね♪ お怪我をされたのですか?」
語尾がかなり明るい女性。
白と青を基調とした法衣のドレスを纏っている。
そしてヴァルカンと長さこそ違うものの、同じ種族で金色の長髪。
そこからツンと突き出た長い耳。
白い肌まで同じだが、瞳の色が少し違った。
(師匠より濃い青....濃青色の瞳だ...)
一瞬見惚れる。
カオルを出迎えてくれた人物に既視感を覚える。
そして、その理由に気付いた。
(そっか、お母様に似てるんだ)
姿形はまったく違う。
ただ、慈愛に満ちた瞳と柔らかい物腰。
ちょっとお茶目そうなところなんて、まさにソックリだった。
「いや、"私の"弟子の治療を頼みたい。ああ、私は元剣聖のヴァルカンだ」
「これはご丁寧にありがとうございます♪ 治癒術師のカルアと申します♪」
剣聖の牽制をサラリと流す。
頬に手を当て「うふふ♪」と笑うカルアは、もしかしたらかなりの強者かもしれない。
「では、私はこれで失礼します。カルアさん? あとを頼みましたよ?」
「おまかせください♪ ニコル司教♪」
カオル達を案内してくれた人物が、まさかこの教会の司教だとは思っていなかった。
カオルは慌てて感謝を告げ、ヴァルカンはカルアから目を背けない。
心のどこかで警笛が鳴る。
カルアの有無を言わさぬ態度と姿勢。
これから治療という名目でカオルの身体を貪るつもりだ。
ヴァルカンにはわかる。
カルアからは、美少年趣味の臭いがする事を。
「それでは治療しましょうね♪ どこを怪我したのかしら?」
壁に立て掛けていた衝立を立て、部屋の中に小さな場所を確保する。
その中で椅子に座ったカオルへ、カルアの優しげな声が聞こえた。
「よ、よろしくお願いします」
「あらあら♪ 可愛らしい子ね♪」
失礼のないように会釈したカオルをカルアは愛おしそうに頭を撫でる。
急速に高まる胸の鼓動。
カオルは、はっきりと知覚した。
自分は今、赤面して緊張している事を。
そこへ――
「背中と肩だ!!」
衝立の向こうから、ヴァルカンの怒声が落ちる。
まったくもって不愉快。
なぜなら、自分の嫁が普段緊張なんてしないのに、今は緊張した声を出したのだ。
それは、カルアを意識しているからこそだろう。
今すぐこの邪魔な衝立を斬り倒したい衝動に駆られる。
「それでは脱いじゃいましょうね♪」
強引なカルアの手によって、カオルは剥かれた。
ヴァルカンのお下がりのチュニックを、それはもう手際良くパパッと。
そして、奇声を上げる。
「まぁ!? お、男の子だったのね!? ごめんなさい。女の子にしか見えなかったの....」
背中越しでもよくわかる。
カオルの胸に膨らみなど存在しない。
ただただカオルは、左胸の音素文字だけ長い髪で隠す事に専念した。
これは風竜との絆の証で、契約者の証拠。
ヴァルカンから、耳が痛くなるほど注意を受けている。
『絶対に誰にも見せてはいけないからな!!』
独占欲から放った一面もある。
しかし、カオルが"ドラゴンの契約者"と周囲に気付かれてしまうと、本当に厄介な事になる。
だからカオルは必死に隠した。
男だとばれたが。
「ボクは...おとこ...です...よ?」
見知らぬ異性の前で、上半身裸の状態。
緊張するな。という方が無理。
まして、亡き母親の面影を感じる女性。
違うとはわかっていても、懐かしさを感じてしまう。
「あらあら♪ そう落ち込まないで? 可愛らしい男の子よ♪」
「それは私のだ!!」
「まぁまぁ♪ うふふ♪ それでは、治療しましょうね♪」
ヴァルカンとカルアの応酬。
カオルは、いつもと変わらないヴァルカンのおかげで人心地付き、カルアの治療は開始された。
「あらあら♪」
ペタペタとカオルの傷跡に触れるカルア。
傷口はすっかり塞がっていて、痛みではなく違和感を感じる程度。
それでもやはり小さな子供の身体には、大きな負担を強いていただろう。
やがてカルアは溜息を吐き、呪文を唱えた。
「聖なる光よ、かの者を癒せ。《治癒》」
紡がれたのは、まさしく聖魔法。
カルアの手から光が零れ落ち、カオルの傷跡に降り注ぐ。
すると、傷跡がみるみるうちに消えていき、本来の健康なカオルの肌に戻った。
(なんだろう...とってもあったかい....お灸とかしたら、こんな感じなのかな?)
治療を受けたカオルの感想。
やがて暖かさも失われ、目を瞑っていたカルアが息を吐いた。
「無事に終わりましたよ♪」
「あ、ありがとうございます」
肩口の傷跡に触れてみると、確かに無くなっていた。
カオルは喜び頭を下げる。
「これからは気を付けるのよ? そ・れ・と、早く服を着た方が良いかしら? 後ろで、こわ~い狼さんが見てるわよぉ♪」
カルアの言葉にハッとする。
衝立を見やれば、そこに――ヴァルカンが目を血走らせてカオルをガン見していた。
「...師匠? 何してるんですか?」
「私の....私のカオルきゅんが...グヘ...グヘヘ....」
『男装の麗人』は死んだ。
【オナイユの街】へ来てからヴァルカンは、保護者であり紳士的で頼もしかった。
元剣聖という肩書きも、レンバルトや聖騎士達の態度でカオルには栄誉ある称号なのだと理解していた。
だが、やはりヴァルカンは『残念美人』だった。
もう本当にどうしようもない。
いそいそと服を着るカオルを、無理矢理衝立を引っぺがしたヴァルカンは見続けている。
そんな2人を見守るカルアの心境は、どういったものだったのか。
もしかしたら呆れを通り越して達観しているのかもしれない。
「ん、世話になったな」
「いえいえ、カオルちゃん? またね♪」
無事に? 治療も終わり、着替え終わったカオルを待って、ヴァルカンは少なくないお金をカルアに渡す。
チラリと覗いた硬貨は、カオルの予想以上の金額だった。
治療所を後にし、礼拝堂を出たカオルは、大通りを歩きながらヴァルカンに問い掛ける。
「すみません。治療代、高かったですよね?」
【聖騎士教会】が無償のはずない。
魔物や魔獣の脅威から人々を護る必要がある。
故に、多くの聖騎士を抱え、また聖職者の数も必要。
お布施だけで運営出来るほど、世の中そんなに甘くない。
「ん? ああ、実はそんなに高くないぞ」
ヴァルカンはそう言い内情を教えた。
治癒術師は確かに魔法を使えるが、魔術師とは少し毛色が違う。
"攻撃できるだけの魔力"を持つのが魔術師であり、"回復魔法"を使える治癒術師はそこそこ多い。
だからこそ魔術師が希少と言われる所以でもある。
そして、カオルにとって高額な治療費も、ヴァルカンにとっては平均以下。
なぜなら――
「ホントは、正規の値段だとかなりの高額なんだ。だが、私は元とはいえ剣聖だ。だから【カムーン王国】から補助が出ていて、安くなるんだ。
付け加えて、【カムーン王国】は【エルヴィント帝国】と同盟を結んでいる。【聖騎士教会】には、それぞれの国から出資している。
だから、その国の高位の騎士や魔術師には補助が出ている」
饒舌に語るヴァルカン。
さぞカルアがカオルに行った行為が悔しかったのだろう。
「えっと...それは、"元"剣聖でもいいのですか?」
「問題ない。というか、"元"剣聖なんて、今は私くらいしか居ないからな」
カオルの疑念。
聞き辛い事だったが、思いきって聞いてみた。
その結果生まれたのだが...
ヴァルカンは「ハハハ」と笑いながら答えた。
「いいか? 剣聖というのは、騎士と剣士。そのどちらでも優れてなければ成れない。【カムーン王国】では、今は3人しか居ない」
聞いたカオルが驚いた。
まさかあの『残念美人』が、王国3強の一人だと言う。
軍部で例えれば司令官。
それも超一級の将軍クラス。
エリートの中のエリートが、ヴァルカンだった。
「あ、今は2人だな。私辞めたし」
まったく気にした素振りも見せず、ヴァルカンは笑い続ける。
さすがのカオルも(なんでこの人が)と思ってしまう。
なにせ、超大物が片田舎で場末の鍛冶師をしていたのだ。
こんないい加減で、適当で、面倒臭がりなヴァルカンが、栄誉なんて言葉で片付けられない確固たる地位を持っていたなんて...
脳裏に浮かぶ、ソファでだらけるヴァルカンのだらしない格好。
もう聞き辛い事なんて何もなかった。
「なんで辞めたんですか?」
「それはな? 面倒臭いから」
当然の応答。
しばらくの沈黙の後、2人で笑った。
「ククク」
「あはは」
本当になんでこんないい加減なんだろう。
そう思いながらカオルは、こんな人に出会えてよかったと思った。
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