第百六十五話 娼館の前で
女王ディアーヌがカオルの屋敷にやって来た翌朝。
登城するのを嫌がるヴァルカンを、カルアと、付き添いのエリーが背中を押して連れて行った。
ヴァルカンだけでなく、カルアも聖騎士教会の要人受け入れでエルヴィント城に行かなければならなかったのだ。
憂鬱そうな表情を浮かべるヴァルカン。
寂しそうにカオルを見やり、ドナドナされた。
「それじゃ、買い物にでも行こうか?」
気を取り直したカオルが、ディアーヌとエルミアを連れて買い物へ行く。
欲しい物もあったが、気落ちしている(ディアーヌの気分転換に)と、そう考えていた。
「あ!これ食べよう!!」
商業区である帝都南の屋台で、カオルが見つけたのはタコスである。
以前オナイユの街で食べた物とまったく一緒であった。
「2人も食べるでしょ?」
「はい」
「う、うん」
イエスマンのエルミアは即座に肯定し、買い食い初体験のディアーヌは恐る恐る答えた。
カオルは、屋台の店主に3つ注文し、お代を払って2人に渡す。
中身は1種類しかなかったので、ピリッと辛いチョリソーだ。
「美味しいね♪」
一口齧り笑顔を見せるカオル。
エルミアとディアーヌも食べて「「美味しい」」と感想を述べた。
「ボク、欲しい物があるんだけど。適当にお店覗きながら探していい?」
「はい」
「いいわよ」
カオルは欲しい物がある。
とても高価な物。
売っている場所は少ないだろう。
なにせとても大きな物なのだから。
「カオル様。欲しい物とはなんですか?」
エルミアが聞いた。
カオルが欲しがる物には、何でも興味がある。
カオルの事を知りたいのだ。
「えっとね、ピアノが欲しいんだ。エルミアの屋敷にあった、豪華な物じゃなくていいんだけど」
カオルが欲しかった物はピアノだった。
リングウェウの屋敷で、カオルはピアノを弾いた。
母親が好きだったピアノ。
幼いカオルは当然の様に母親から教わった。
父親も好きだった。
ピアノを囲み、家族3人で過ごす時間が。
家族の幸せが、そこにはあった。
エルミアは思い出す。
楽しそうに弾いていたカオル。
嬉しそうに弾いていたカオル。
悲しそうに弾いていたカオル。
涙を流していたカオル。
エルミアの頭には、その光景が浮かんだ。
「そうですか....私も探すのをお手伝いします」
「わ、私も探すから」
「ありがとう♪」
3人はピアノを探す。
手当たり次第に、目に付くお店に入りながら。
「あ!この服、ディアーヌに似合うんじゃない?どう思う?エルミア」
「....そうですね。良く似合うと思います」
「エー...ちょっと派手じゃない?」
「大丈夫だよ!ディアーヌは、素敵な肌の色をしているんだから、原色系が似合うって!ね、エルミア?」
「....はい。そうですね」
「そ、そんな....素敵な肌だなんて....」
カオルに褒められて、嬉しそうに頬を赤く染めるディアーヌ。
エルミアは、ディアーヌだけ褒められた事に不満そうだ。
「....カオル様。私の肌はどうですか?」
嫉妬深いエルミア。
自分も褒めて貰おうと、袖を捲くり右腕を見せる。
「エルミアの白い肌は、とっても綺麗だよ?」
乙女心のわからないカオル。
いつもの様にエルミアを褒める。
本当は、エルミアがそう言う様に仕向けたのだが。
「ありがとうございます♪」
エルミアは、声を弾ませて満足気な表情をする。
そこへ、今度はディアーヌが負けじと間に入った。
「....か、カオルはどっちの肌が好きなの!?」
カオルは驚いた。
ディアーヌが突然声を荒げた事に。
そして、なぜか張り合っている2人の様子に。
「あのね。2人は、とっても綺麗だと思うんだけど....それじゃダメなの?優劣なんて、ボクにはつけられないよ?だって、本当に綺麗な肌だもん」
そう言って、ニコリと笑う。
2人の手を取り、マジマジと肌を見詰め、もう一度「綺麗だね」と顔を見上げた。
目深に被ったフードの隙間から、微笑んだカオルの顔が見える。
その顔はとても嬉しそうで、ディアーヌとエルミアとの買い物を楽しんでいるのが窺えた。
「「....」」
2人はお互いに顔を見合わせ、黙って頷いた。
カオルの前で、醜い争いはやめようと。
せっかくカオルと一緒にいるのだから、私達も楽しもうと。
お互いに休戦する事にした。
「か、カオル。私、あのお店見たい!」
「私もです。さぁ行きましょう?」
「え!?この服買わないの!?」
「今はいいわ!!ほら、グズグズしないで行くわよ!!」
「そうです。さぁ、行きましょう」
手を繋いだまま、3人は歩く。
今日は、カオルとのデートを目一杯楽しもうと、そう決めた。
「ま、待ってよ!そんな急がなくても...」
「いいからカオル!!行くわよ!!」
「カオル様♪」
顔を隠した小さな子供を連れて、エルフとダークエルフの女性はお店を周る。
楽しそうに笑う3人を、道行く人が微笑ましそうに見ていた。
ここは、エルヴィント帝国の帝都。
真上に昇った太陽が、とても眩しい時間に、南東へと奔る大通りを人間の男性と犬耳族の男性が連れ立って歩いていた。
2人は、物珍しそうに街灯から垂れ下がる幟を見詰め、溜息を吐いた。
「はぁ....なんか、えらいお祭り騒ぎだな...」
「そうだなぁ...それにしても、人多くねぇか?」
彼らの横を忙しなく通り過ぎる人の群れ。
他種族が多いのはエルヴィント特有の光景だろう。
「早く憲兵増やしてくれねぇかな...」
愚痴を零した人間の男性。
彼の名は近衛騎士団長レオンハルト。
隣を歩くのは、同じく近衛騎士団副長アルバート。
2人は今、帝都の警邏を行っている。
本来、近衛騎士はエルヴィント城内の警備が仕事だ。
それが、なぜ帝都の警邏をしているのか。
その理由は、本当に稚拙なもの。
香月カオル伯爵と、ヘルマン・ラ・フィン子爵の決闘が決まり、国中から旅行者が詰め掛けたのだ。
その結果。
膨大に膨れ上がった人の数に、帝都を守護する憲兵隊が人材不足に陥った。
そこでと派遣されたのが、エルヴィント城の下級兵士達。
しかし、それでも足りなかった。
嫌々ながらも、お鉢が回ってきた近衛騎士。
キツイシフトを組んで警邏していた。
「だよなぁ....」
2人の足取りは重い。
なぜエリートの自分達が警邏などしなければならないのか。
そう思っている。
「お、レオン。ちょっと寄って行かねぇか?」
アルバートが顎で指したのは1軒の商店。
派手な看板に、室内が良く見えるガラス製の間口の大きな扉と窓が付いている。
そこはいわゆる娼館。
男性客には娼婦が宛がわれ、女性客には男娼が。
同性同士というのも、もちろんありだ。
だが、こんな朝から娼館に誘うとは、アルバートも中々スキモノである。
「....アル。おまえ....」
レオンハルトは呆れた。
長年付き合いのあるアルバートが、まさかこんな朝っぱらから娼館に誘うなど、思ってもいなかった。
「い、いやな。戦争帰りだしよ。休みも無かったじゃねぇか。気分転換も兼ねて、たまには羽目を外したっていいだろ?」
「あのなぁ....そもそも俺様達は職務中だろうが!!」
「そうは言うけどよぉ...こんな警邏なんて、本来の仕事じゃねぇし....それに、レオンだって好きじゃねぇかよ」
食い下がらないアルバートに、レオンハルトは押し黙った。
確かに、この溜まりに溜まった鬱憤を、そろそろどうにかした方が良い。
さすがに、部下に当り散らす訳にはいかない。
(だが、俺様には黒巫女様が....)
レオンハルトはカオルが好きだ。
男性だとわかった今も、変わらず恋をしている。
実に変態だ。
「なぁなぁ、いいじゃねぇかよ....ちょっとだけ!ちょっとだけ遊んでいこうぜ?」
悪魔の囁きが聞こえてくる。
レオンハルトの良心をぐら付かせる程の、甘美な囁きが。
「.....ちょっとだけだぞ?マジで、ちょっとだけだからな?」
ついに折れたレオンハルト。
ひょんな事から近衛騎士団長になり、激務に追われる日々。
そこへアルバシュタイン公国とババル共和国の戦争があり、防衛の為に自分達も戦争に赴いた。
ずっと休みなど無かった。
溜まりに溜まった鬱憤を、この機会に晴らそうと、そう思ったに違いない。
「おう!!んじゃ入ろうぜ!!」
2人が娼館の前へと歩みを進める。
すると、1人の娼婦が話し掛ける。
「あらぁ...良い男♪だんな、遊んでってくれるぅ?」
レオンハルトとアルバートを見つけ、しな垂れ掛かる娼婦の女。
「安くするから」の売り文句で、レオンハルトの心は決まった。
「2名様、ごあんなぁ~い♪」
娼婦に導かれるままに娼館へ入ろうとした時、レオンハルトは驚愕とした。
大通りからこちらを見ている、愛しの人が居たのだから。
「く....くろみこ.....さま......」
青を通り越して蒼白とした顔。
レオハルトは今、人生最大の失態を犯している。
「え!?」
アルバートにはわからなかった。
フードを目深に被ったカオルの姿など、この人混みで見つけ出すのは至難の技だろう。
だが、レオンハルトにはわかる。
なにせ、恋焦がれる相手なのだから。
一方のカオル達。
屋台で出会った商人から、楽器を取り扱うお店を教えられ、帝都南東の大通りと来ていた。
そこで見掛けたのは、妖しげなお店に入ろうとしている見覚えのある人物。
人が多い往来の中、真っ青な騎士服を着ている2人は、とても目立った。
だからこそすぐに気付いたのだが。
「....カオル様。見てはいけません。目が潰れてしまいます」
目聡くレオンハルトとアルバートを見つけたエルミアが、カオルの視線を即座に外す。
カオルは既に気付いていたが、言われるままにその場から離れた。
(あれって....エッチな事をする場所だよね.....)
カオルは、娼館に掲げられた煌びやかな看板を読んでいた。
そこに書かれていたのは娼館という文字。
いわゆる性欲処理をする場所だ。
「....カオルは、絶対にあんなところへ入っちゃダメだからね!!」
先日、迷子のところをレオンハルトに助けられたディアーヌですら、恩義を忘れて「不潔不潔」と連呼する。
だが、驚くべきはエルミアの顔だろう。
眉間に皺を寄せ、眉尻を吊り上げ静かに怒っている。
おそらく、素通りしただけとはいえ、カオルをあんなところに連れて行ってしまって後悔しているはずだ。
「....とりあえず、昼食にしようか?ボク、歩き疲れちゃった」
カオルは、殺伐とした雰囲気を打開しようと、提案した。
娼館については、カオルも思うところがある。
カオルにとって、まったく必要性を感じられないが、レオンハルトの傍に居た、おそらく娼婦と思われる女性は、嫌々仕事をしている様には見えなかった。
(いつか、話しを聞いてみなきゃいけないかも....)
自分の価値観だけではなく、別の面からも考えてみなければいけない。
なぜなら、自分は奴隷の街を造るのだから。
娼婦へと落ちた奴隷達は、もしかしたら不幸ではないのかもしれない。
そう、考えていた。
「....では、いつもの食堂に行きましょうか?」
「あ、うん。レジーナのところだね?」
「はい」
未だにブツブツとレオンハルトの文句を言い続けるディアーヌを連れて、カオル達は食堂へと向かって行った。
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