第一話 始まり
2016.5.28、加筆・修正をさせていただきました。
カオルの両親が亡くなって1年半が経過した。
ようやく家事にも慣れてきたカオルは、日常生活で不自由を感じる事は少なくなっていた。
ただ、この1年半の間、一度も外に出ていない。
買い物は全て通販で済ませ、髪も切らずに後ろ髪は腰辺りまで伸びきっている。
元々、美少女と見間違えられていたカオル。
髪が長くなった事で、よりいっそう女の子らしくなった。
朝日が昇ると同時に起床し、寝惚け眼でベットから抜け出す。
いつもの様に廊下を歩いて、両親の部屋の前で立ち止まり、そっと中を覗き込む。
部屋の中に光源は無く、窓から差し込む朝日だけが辺りを微かに視認させた。
薄暗い中、整えられたベッドを見詰めるが、人が生活していた痕跡すら残っていない。
カオルは、未だに両親の部屋へ入る勇気を持てないでいた。
もし部屋に一歩でも踏み入ったら....あの悲しみと孤独感が、再燃してしまうような気がしていたから。
視線を廊下へ戻し、居間に向かい歩き出す。
溜息をひとつ零して、天井を見上げると(お父様とお母様が帰ってくるんじゃないかな?)そんな、ありえもしないことを願っていた。
場所を移動して、居間のソファへ。
テレビを3台、適当に起動し、ローテーブルの上から本を掴む。
最近では、サバイバル術の本を読み漁っていた。
これが、なかなかおもしろい。
透明なビニールシートを使い、太陽光を駆使して飲み水を作ったり、小動物を捕らえるための罠を作ったり――
どうやら、一人で何も考えずに熱中出来る事が好きなようだ。
中でも、洗濯のスキルは、めまぐるしい進化を遂げていた。
始めの頃は、洗濯物ひとつ洗うにしても右往左往していたが、今ではどんな柄物でも洗えるようになった。
赤や黄色、青などの色落ちや色移りしそうな物まで問題なく洗濯ができる。
洗剤の使い方を覚え、各種繊維の扱い方を理解した。
それでも、シーツなどの大物を洗うのだけは今でも苦労するのだが....
カオルの身長は低い。
(希望を強く持てば、きっと叶うはずだよね! でも、たしかお父様は160cmぐらいしかなかったような... いやいや! きっとボクはお父様より大きくなるはず!)
拳を握り締めそう願う。
実に子供らしい一面。
いい加減お腹が空いてきたので、いつものようにキッチンへ。
「~♪ ボクは~♪ 料理が~♪ 大好き♪」
母親が愛用していた調理器具。
本来、消耗品であるはずのそれらは手入れが行き届いており、塗料の剥げた箇所はあるものの、新品然としている。
上機嫌についつい小唄を口ずさんでしまうのは、あの頃の母の姿を思い浮かべてか。
お揃いで買った、小さな白い花柄のワンポイントが入ったピンク色のエプロンがとても良く似合う。
「...エヘヘ♪」
可愛らしく満面の笑みを見せて、出来上がった料理を盛り付ける。
お一人様分にしては量が少ない。
だが、種類は実に豊富である。
前菜から始まり、サラダ・スープ・パン・魚料理・ソルベ・肉料理・チーズ・フルーツ・デザート・コーヒー・プチフールと――
まるでフランス料理のフルコース。
行程上、どうしても量を作らなければいけないソース等を小分けにして保存している辺り、やりくり上手と言える。
ただ1つ。カオルが子供の上に小食であるのがもったいない。
フランス料理のフルコースを食べられる人は、すごいだろう。
(いくら1品の量が少ないとはいえ、最後まで食べきれるかな...いやいや! 大きくなったらボクも食べられるに違いないよね!! なにせ、お父様を越えて身長180cmくらいに成長する予定だもん!!)
再度成長を願い、両手を組んで神に祈る。
(どうか、おっきくなりますように....)
カオルはそんな事を祈っていた。
食後は、居間へと戻り最近凝り出したパッチワークを始める。
やってみると意外と楽しかったのだ。
設計図を引き、服飾のデザインもはじめた。
服作りは、家事に次いでカオルの趣味にすらなっている。
問題は着る人がいないことくらいだろうか。
(いつか家族に作ってあげたいな...)
二度と戻る事の無い家族への強い想いが、カオルが未だに生きる事へと執着させている。
それゆえにカオルは最後の一線を越えないようにと、強い意思を抱いていた。
そう、自らの命を絶つという、最悪の状況を...
一心不乱に縫い物をしていたカオルは、いつの間にか日が落ちていた事に気付く。
恐ろしいまでの集中力。
まるで現実逃避しているかの様。
布の始末を終えて自室のベットへと向かい、母親が買ってくれた可愛らしいパジャマへと着替える。
膝丈のスラックスに半袖の上着。
パステルカラーに可愛らしい猫のキャラクターが描かれているという、まさしく女の子用のそれ。
もちろん、とある事件以来女の子と誤解されることを嫌うカオルが選んだ物ではなく、完全に母親の趣味であった。
(まったく、お母様もなんでボクにこんな物を着せたがるんだろうね?)
楽しかったあの頃を思い浮かべながら、カオルは静かに目を閉じる。
最愛の家族3人で、仲睦まじく過ごしたあの頃を。
厳格でありながらも、どこか抜けている父親。
聖母の様な慈愛の心を持ち、ちょっといじわるな一面を持つ母親。
そんな2人が惜しみない愛を与えてくれたのは、もちろん実子であるカオル。
1年半が過ぎた今でも、カオルの心の中に存在する両親は、まったく風化する事なく存在し続けた。
「.....逢いたいよ」
小さな声でそう溢し、カオルは一筋の涙を流して眠りについた。
月が陰り、夜の帳が落ちる頃。
小さな寝息をたてるカオルの部屋に異変が生じた。
ゆらりと揺れるカーテン。
その隙間から覗かせたのは白磁の様な白い手足。
薄暗い中で表情までは確認できないが、月明かりに照らし出された口元は笑みを浮かべている。
「.....」
熟睡しているカオルは気付かない。
両親と過ごした大切な邸宅に、侵入者が居る事など。
そして人影はカオルの顔を覗き込み嬉しそうにその頬に触れて――そっと口付けた。
まるで愛する人へ贈る様に。
かつてカオルの両親がそうしたように。
だが――次の瞬間――人影がとった行動は予想だにできない出来事であった。
「ひっ...ぐっぁ....!?」
部屋に呻き声が木霊する。
人影はとった行動、それは――
(くるし...ぃ)
眠るカオルの首を絞めたのだ。
突然の息苦しさから逃れようと、一気に意識を覚醒させられたカオルは、当然手足を振り回して大暴れを始めた。
しかし、人影は逃がさないとばかりにカオルに圧し掛かり、尚も両手でカオルの首を絞め掛かる。
そこで....カオルはその人物を垣間見た。
白い肌に白い髪。
黒く薄い布でのワンピースを身に纏い、嬉しそうに嗤っている少女の姿を。
日本において、白い髪という時点で異質な存在だろう。
だが、なによりもその目がおかしかった。
なぜなら――両目が紅く輝いていたのだから。
「タス...ケ....テ...」
既に喉を潰され声すらまともに出る事はない。
自分に跨る少女の両手を離そうと、力を込めて掴んだものの、まったく微動だに動く気配がない。
それでも必死にもがき、カオルは助けを求めた。
「....ウフフ」
妖しい微笑。
少女が纏う雰囲気とは思えないほどの色香が、部屋中に解き放たれる。
それは、獲物を誘う蜜の香り。
カオルは今――捕食者の前で蹂躙される餌であった。
「.....っ!!」
最後の抵抗も虚しく、ついにカオルの意識は失われた。
走馬灯など見る事もなく――ただ、事切れる瞬間に思い浮かべられた、愛する両親の笑顔だけは良き手向けであっただろう。
そして少女は....
「ウフフ....いってらっしゃい。私の....家族」
カオルが逝った事で満足そうに嗤う。
影っていた月が明かりを取り戻し、再び部屋を照らし出す。
紅い2つの宝石が、物言わぬカオルを見詰めていた。
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