第百五十五話 自己満足
『フムスの地下迷宮』
この大陸の南西部に存在する、神話の時代以後『土竜王クエレブレ』が根城にしていたという、巨大地下迷宮の1つ。
フムスの地下迷宮は、難易度がとても高い。
草木一本生えぬゴツゴツとした岩肌の山。
巨石に囲まれるようにポッカリと口を開いた洞窟。
そこに、この地下迷宮の入り口はあった。
「若!お逃げ下さい!!」
そしてそのダンジョンの16階層に、成り立ての冒険者率いる6人のパーティが居た。
彼らは窮地に陥っている。
パーティバランスは良かったと言えよう。
前衛2人に長柄の中衛2人。
指揮するリーダーに、後衛の魔術師が1人。
だが、リーダーがいけなかった。
自意識過剰で、自己顕示欲の強い人間。
歳若く人生経験も皆無。
自らが崇める主人の嫡子でなければ、従おうとは到底思えない。
彼らの姿は奇妙である。
それぞれ戦国時代を彷彿とさせるような、ひと揃えの武者鎧を身に纏い、薙刀や槍などの長物の他に三尺(約90cm)もの長さの大太刀を背中に携えて、襲い掛かる魔物・魔獣の群れを迎え撃つ。
「ぐぅ....数が多いっ!!」
草原と思える程の広大な野原地下迷宮。
彼らを取り囲む大量の魔獣達。
肩で大きく息する人間は、全身に返り血を浴びて、武者鎧が赤黒く変色していた。
垂や佩楯に付けられた小札板は既にボロボロで、激戦の様が窺える。
そんな中、トレードマークとおぼしきひと揃えにされた白鉄の鉢金を頭に巻いた人間の男性が、真っ赤で豪奢な武者鎧を纏った人物の前に跪いた。
「若!撤退の指示を!!このままでは全滅です!!」
恭しくお伺いを立てる男性に、若と呼ばれた年若い少年はうろたえる。
2人が話している間にも、パーティメンバーと魔獣達は死闘を繰り広げていた。
年端も行かぬ少女が掲げた槍は、磨耗激しくついに折れる。
すかさず帯刀を抜き放ち、鍔迫り合いへと縺れ込む。
歴戦の猛者であろう、左目に刀傷のある隻眼の老武者と対峙する複数のサラマンダー。
口端から業火を撒き散らし、硬い外皮を巧みに利用して、サラマンダーは戦闘を優位に展開している。
「う、うるさいうるさい!!父上と約束したのだ!!今日こそ20層まで行くと!!ダイアウルフの毛皮を持って帰ると!!」
まるで、駄々を捏ねる子供。
武者達の主人であろう少年は、全滅覚悟で突貫しろと捲くし立てる。
(若....)
窘める事もできずに口惜しそうに歯噛みする男性。
その時、防御陣を敷いていた左翼の一角が、とうとう崩れ始めた。
「きゃあ!!」
慌てて振り向く。
パーティーメンバーである薙刀使いの女性が、サラマンダーの攻撃をいなしきれずに、左足を食い千切られていた。
吹き出す赤き血潮。
返り血を浴びたサラマンダーが満足そうに口端を吊り上げる。
傍で戦っていた女性武者が、顔面蒼白でガチガチと歯を鳴らす。
「千影!!!」
「.....ち、千影姉様!!」
男性は走った。
ボロボロの武者鎧をガチャガチャと鳴らし、刃の欠けた大太刀片手に必死の形相で。
なぜなら、千影は自身の娘なのだから。
「ぐぅ....猛!!ここは任せて、千影と天音を連れて逃げろ!!若はワシがなんとかお諌めする!!」
隻眼の老武者は、牽制しながら男性に叫んだ。
男性の名は泉猛。
顔面蒼白としたのは猛が次女の天音。
そして、足を食い千切られたのは、長女の千影。
こうしている間にも大量の血を失い、苦痛に顔を歪ませている。
「ええい!!使えない者共め!!朔!!まだ魔力は回復せぬのか!!」
若の傍に控えていた魔術師が、魔力減少状態で首を振る。
虚ろな瞳は焦点が合わず、魔法が使えない事を容易に想像させた。
「こいつめぇえええええええ!!!!」
大上段から斬り下ろされた大太刀が、サラマンダーの片目を見事に切り裂く。
舞い散る鮮血。
サラマンダーが慌てて後ずさり、猛はサラマンダーとの距離が広がるや否や、千影を抱き抱えて後退した。
「父様!!追っ手は私が!!千影姉様の治療をお願いします!!」
震える身体に鞭を打ち、天音は猛とサラマンダーの間に身体を滑り込ませる。
冷たい石畳に点々と滴る姉の血が、(もう駄目かもしれない)と焦燥感を煽り立てた。
対峙する両者。
天音は跳ねる心臓を必死に抑え、サラマンダーを近づかせまいと刀を構える。
「すまん天音。千影!!千影!!しっかりしろ!!意識をしっかり持て!!」
自身の腰紐を解き、千影の左腿を固く結ぶ。
止血をしたにも係わらず、もうすぐ致死量にも匹敵するであろう大量の血は、ドクドクと流れ続ける。
千影の意識は朦朧とし、死神はもうそこまで迫っていた。
「くそう.....利成すまん....千影はもう......」
打ち紡がれる剣撃の音が、もの悲しく鳴り響く。
力無き自分を愚かに思い、猛は涙を流した。
「諦めるな!!猛!!おまえの娘は、そんなにヤワじゃない!!そうだろう天音!!」
大振りで打ち下ろされたトロールの大鎚を、身体を半身捻って回避する。
隻眼の老武者こと平利成は、仲間を鼓舞しながら最前線を懸命に死守していた。
「はい!!」
必死に戦線を維持する2人。
悲壮感を拭い去ろうと、お互いの名を大きく叫ぶ。
そんな中、うろたえてまったく役に立たない若こと、鳳光羅は、戦ってもいないのに全身に汗を掻き、魔術師の朔を罵り続けた。
「さ、朔!なんとかせい!!」
「む、無理でございます。私は魔力が無ければ戦えません....」
瓦解寸前の6人パーティー。
無謀な上に、指導力の無い光羅のせいで、5人は窮地に陥っていた。
そこへ.....
白い騎士服と、白銀の甲冑を纏った、黒い髪の少女が現れた。
颯爽と猛と千影の前に片膝を突き、少女は告げた。
「見せて下さい」
突然の闖入者に驚き、言葉の出ない猛達。
少女は千影の身体の傷を一瞥し、意識が無い事を確認した後、おもむろに液体の入ったガラス製の細長い小瓶を取り出してそれを口に含む。
近づく2人の顔。
死が迫り、物言わぬ千影の口元へ少女は優しく口付ける。
猛は驚愕とした。
眼前で繰り広げられた光景に。
少女が口移しで液体を流し込ませる。
すると、不思議な事に千影の怪我はみるみるうちに治っていった。
「足はどこですか?」
少女は聞いた。
啞然とする猛に向かって。
「え...あ.....」
狼狽する猛。
少女はもう一度「足はどこですか?」と聞いた。
「あ、あいつの腹の中だ....」
猛が指差したのは、片目のサラマンダー。
さきほど自身が傷付けた魔獣だ。
少女はおもむろに立ち上がり、全身に風を纏う。
長い黒髪が風に靡き、こんな薄暗いダンジョンの中で、異質とも言える美しい存在がそこに誕生する。
少女は疾走した。
一足飛びにサラマンダーへ向かって行き、利成と天音の横を一陣の風と成って駆け抜ける。
あっという間にサラマンダーと距離を詰めて、腰溜めから刀を抜き放つ。
棚引かれる銀線が弧を描き、幻想的な剣線を作り出す。
突然の襲撃に対応が遅れたサラマンダーは、成す術もなく頭を切り裂かれた。
だが、少女は止まらない。
無数に存在していたサラマンダーに向かい、神速の剣撃をもってその命を奪い続ける。
花びらかと思える程の赤い血が、大小様々な大きさで舞い咲く。
巨漢のトロールが急ぎ足で近づき少女へ向かって大鎚を振るうと、少女は飛翔し回転蹴りを繰り出した。
頭部を失い崩れ落ちるトロール。
「ドスン」と盛大な音を立てて倒れ絶命する。
「グガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
最後部から雄叫びが聞こえた。
少女が冷めた目で見やると、そこには単眼の巨人『サイクロプス』が大地を踏み締め咆哮していた。
傍観者と成った隻眼の老武者こと利成と天音。
猛や光羅・朔もただただその光景に息を飲んだ。
巨体を振り乱して少女へ走るサイクロプス。
地響きと共に大きな存在が近づいてくる中、少女は顔色一つ変えていなかった。
腰を深く落とし、納刀した状態で身構える。
少女の周囲に気が張り詰め、近づく事を躊躇させる。
やがて、眼前の距離まで近づいてきたサイクロプスが、自身の獲物である片手鎚を大きく振りかぶると、少女は動いた。
小さな身体とは思えないほどの早さで疾駆する。
肉薄する1人と1体。
振り下ろされたサイクロプスの片手鎚が、少女の身体を捉えた次の瞬間。
大音響の雷鳴が轟いた。
「グッ.....」
猛達は、あまりの大音に慌てて耳を塞いだ。
そして見た。
少女が抜き放った刀から、金色の光が溢れ出た事を。
そして戦闘は終わった。
絶対的強者とも言える少女の勝利によって。
「ふぅ.....」
少女は、納刀しながら事切れたサイクロプスを見下ろして溜息を吐く。
周囲を見回し目に傷のあるサラマンダーを見つけると、背中から漆黒の短剣を取り出して、サラマンダーの腹を切り裂いた。
喉下から腹まで切られたサラマンダー。
胃や腸を丁寧に切り分けて、食い千切られた千影の右足を探し出す。
「『浄化』」
少女は魔法を唱えた。
どす黒い血液と消化液が掻き消された右足。
脛当てや足袋を丁寧に外し、少女は千影の下へ歩みを進める。
誰も言葉を発せなかった。
固唾を呑んで見守ると言った方が良いだろう。
少女が千影の前に跪き、失われた右脚と右足に両手を掲げる。
すると、柔らかい風が吹いた。
同時に緑色の淡い光が煌き、接合部分が判らない程キレイに縫合された。
「傷は治しました。ですが、大量に血を失っています。しばらくの間、急激な運動はさせないようにしてください」
少女は笑った。
見た事も無い可愛らしい笑みに、年甲斐も無く猛の胸は高く跳ねた。
(お、お礼を言わなければ....)
慌てていて思考が覚束無いでいた猛が、感謝を言おうと少女を見上げた時、少女は聞いた。
「リーダーは誰ですか?」と。
目線が泳ぐ。
猛も、天音も、利成も、朔も....
そして、光羅に視線が集中する。
「....あなたですか。愚鈍なリーダーは」
少女は千影の身体を猛に預け、光羅の前に立ちはだかると、右手を高く振り上げた。
次の瞬間。
「パチン」と音が鳴り響いた。
少女が叩いたのだ。
若と呼ばれる光羅の頬を。
「な、なななな!なにをする!!」
呆然としていた光羅が、少女の行いに怒りを露にした。
しかし、少女は冷ややかに睨み返す。
「あなたのせいで、全員死にかけたのがわからないのですか!!リーダーならば、仲間の事を一番に考えて行動してください!!なんのためのリーダーだと思っているんですか!!仲間は、あなたの駒じゃない!!家族とも言える大切な存在なんです!!それがわからないなら、リーダーなんてしないでください!!!」
少女は怒っていた。
当たり前の事を、当然の様に来ないのならば、リーダーなんてするなと、そう言っていた。
猛達は、感動し、感謝し、驚愕として目頭を熱くした。
(なんて大きな器の持ち主なのだろう)と。
その後、少女は呆然とする天音に食料を渡して、何も言わずに立ち去った。
後に残された猛達。
深層へと赴く少女を見詰め、感謝の言葉も出なかった。
「はぁ.....」
カオルは溜息を吐いていた。
薄暗いダンジョンをのんびりと歩き、時折襲い掛かる魔物を一撃の下に葬り去りながら。
(余計な事しちゃったかなぁ....)
今になって押し寄せる後悔。
カオルが『フムスの地下迷宮』へ潜ってから、早数時間。
尋常ではない速度で潜っていた時、カオルは壊滅寸前の冒険者達に出会った。
リーダーとおぼしき、赤く豪華な鎧を纏った同年代の少年。
彼を守る様に敷かれた陣形。
だがそこに、傷付いた少女が居た事で、カオルは怒ってしまった。
(なぜそんな戦い方をするのか)と。
(言い過ぎたよね....)
思い出させるのは、師匠であるヴァルカンの行為と言葉。
オベール古戦場で吸血鬼の従者と戦う事を躊躇したカオルは、危うく死にかけた。
たとえ魔物に姿を変えられてしまっても、人を殺す事が怖かったのだ。
ヴァルカンは、カオルを叩いて言った。
「カオルが対峙したのは騎士だ!たとえその身を魔物に変えようとも、軽々しく戦闘を放棄していい相手じゃない!騎士の矜持と誇りを、なんだと思っているんだ!!!」と。
ヴァルカンの言葉は、カオルの胸に深く突き刺さった。
それからのカオルは、より一層仲間を大事にし、家族をもっと意識してきた。
だからこそ、先ほどは出会ったばかりの人に強く言ってしまったのだ。
(自分の事を棚に上げて、ボクは最低だなぁ.....)
擁護してくれる人もいない、たった1人のカオル。
いつもならば家族が傍に居て、傷心のカオルを慰めてくれるだろう。
とそこへ、またも魔獣の襲来が。
「グルルルルル........」
獅子の体に、サソリの尻尾を持つ魔獣『マンティコア』。
知能が高く、尻尾の先には猛毒のトゲが備わっている。
「はぁ....」
魔獣の出現に気付いてはいるものの、カオルの足取りは重く、構える事も、まして立ち止まろうともしない。
溜息を吐きながらゆっくりと歩き、マンティコアが尻尾を天高く振り上げた瞬間に、抜刀。
目にも留まらぬ神速で、一刀の下に斬り伏せた。
断末魔すら上げずに事切れたマンティコア。
カオルはアイテム箱にそそくさと仕舞うと、またのんびりと歩き出す。
(謝りに行った方がいいかなぁ.....でも、今更戻っても、なんか言われるだろうしなぁ.....)
誰にも相談出来ずに思案する。
なんとなく小鳥サイズのファルフを呼び出し、気を紛らわせた。
「ねぇ。どう思う?」
もちろん、ファルフに言葉など話せるはずもない。
問い掛けるカオルに、ファルフは小首を傾げて見詰め返した。
カオルが進むのは27階層。
中級と言われる、2級・準2級の冒険者が活躍する場所である。
しかし、ここは数あるダンジョンの中でも、特に難易度が高いと言われるフムスの地下迷宮。
難なく踏破するカオルは、既に1級冒険者を超えているのかもしれない.....
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